哀しみの小市民
白とゴールドを基調に、ミルキースカイブルーをアクセントにした内装。
スウィーツよりデザートより、ドルチェと呼ぶのが相応しそうな菓子は、店の主役だ。ケーキスタンドに飾られたとりどりのペストリー、ビスケットバスケットで整列させられたスコーン、シルバープレート上でサークルを描くサンドウィッチが、立食パーティーのブッフェみたいに中央に並べられて、店はそこからシンメトリに拡がる。
ドルチェの上、店内中央の抜けるようなギリシャ天井は所々ほんとに吹き抜けに抜けてて、庶民が感じる見えない天井を忘れさせてくれるくらい高い。天窓から自然光を採り入れて見えるよう演出された幾何学の照明は、吹き抜けと協奏して、天国から天使の囁きを客に届けようとしてるみたいだ。
その中央部を囲むのは、パルテノンを思わせる円柱や、結婚式場みたいな控えめながら晴れやかな白いバーカウンター。そうだな、ここはメシマズ大国が唯一誇れる菓子の神殿だし、客と菓子との結婚式場だ。
膨張色が基調の店内には、視線をぐっと収束させる鮮烈な色の植物が飾られて、エデンから始まった俺たちの、遺伝子に組み込まれている楽園の記憶を喚起させる。
主役たる菓子の園の外、ギリシャ円柱の向こうが、エデンを追われた俺たちの領分、客席だ。
灯ることで生まれる影まで計算されたようなシャンデリアは、楽園を照らすそれには劣るけれども、神の恩寵が決して人間を見捨てていないことを体感させる。
ワインレッドの布張りのチェア、グレーベルベットが重厚なチェア、ヴィーナスが生まれた二枚貝を思わせるチェア。英国が誇るアーサー王の円卓、合理と安定を思わせる四角形のテーブル。多彩なファニチャーがまず客の選択欲求を満たす。
ギリシャ神話と聖書の精神が敵対しないし、敵対って概念を忘れさせる場所、ハロッズのティールーム。
皺一つないユニフォームを着た完璧な背筋の紳士淑女が、客を英国の誇るティータイムに案内する。
予約さえしておけば。
「ティーバッグってさ、ある程度茶含んだ状態でマグの内側にぶつけると最初の2回くらいエロい音しない?」
「リアン貴様、それはわたしに対する嫌味か? 自分は貴族だからティーバッグがカップにぶつかる音は珍しいっていうアピールか??? 確かにうちは最初ティーバッグだったかも知れないが、お前が来てからは俺も収入が低いなりに、低いなりに!! 増えたし茶っ葉から茶を淹れるようになっただろうが、嫌味か?
そもそも音の響き方というものは、マグの材質と形状にもよるもので」
「お前ら二人とも何言ってんの?」
観光シーズンのこの時期、予約なしに入れる程ハロッズのティールームは甘くない。
客は敵対的に自分の料理はまだかと叫ぶし、ぱっと見ブッフェに見えるごちそうもべつに取り放題じゃない。ついでに、客席には利用制限時間があって、予約した時間しかそこにいられないわけだが、時間内に料理が運ばれてくるとは誰も言ってない。テーブルと椅子に種類はあれど、どこに案内するかは店側が決める。
観光シーズンのこの店は、天使の囁きもふっとばす程かまびすしい。
予約もしてない俺たちは、そもそも入れないはずだった。
それでも俺たちが今、ティールームでテーブルを囲んでいられるのは。
「リアン貴様、貴族特権を振りかざすのはやめろと教育したはずだが、わたしの話は聞いていなかったのか?」
「私が振りかざしたんじゃない。予約でいっぱいのとき、金払いのいい奴や将来有望な見込み客をこっそりお通しするVIPルームがあるってだけだ。それをおおっぴらにしないのは店の方針であって私が決めた事じゃない。
VIPルームは予約客を傷つけないし店の利益になる。でも今みたいな観光シーズン、国内のエスタブリッシュメントは海外に行くし海外のエスタブリッシュメントも混雑時期は避けるから、意外とVIPルームって空いちゃうんだな。
店舗稼働中に非稼働資産があるのは稼働率の低下、つまり損だろ。アレックスは合理性の味方じゃなかったのか」
「二人ともやめろ。俺にとっちゃ初めてのVIP待遇なんだから現世利益に塗れた話はやめろ」
ふたりの会話は、知られざる金持ちの世界の外食事情を垣間見て不覚にもちょっとテンション上がってる俺にとって、食事中に一番考えたくない類の現実を思い出させる行為に等しい。銀器に盛られた凝った菓子も、食っちまや最終的には肛門から出てくるし、運が悪いと口から出戻ってくるかも知れない、と言うような。
それがただの事実だろうと、同じ事実なら、甘味だってちょっとは栄養になるとか養分になるとか身体をつくるとか、もっとそういうとこにフォーカスして生きても良くないか。
観光客でごった返し、上品も下品も歴史もヤンクスもなくなったティールームは、リアンが入り口に立った途端上品な紳士を召喚し、彼はPRIVATE のプレートがはっつけられた扉の向こうに俺たちを招待した。
タンスを開けたらナルニアがあるように、PRIVATE を暴いたら広い空間にたった4席の、店の中央側の内装、つまりドルチェという主役側の豪華な内装にミロの絵画まで飾られた、VIPルームがある。俺はこれから、PRIVATE の扉を3と4分の何番線とかって呼んでいいんじゃないか。常人には入れない、秘密の入り口だ。
なるほどこれは、外科医のアレックスが自分の収入を低いと卑下したくなるかも知れない、と思った。
こうも階級の違いというものを見せられては。
見えない天井、ばりばり健在だ。
VIPルームではアテンド3人が待機していて、俺たち3人の椅子を引き、クローク係がリアンの荷物とグローサーをクロークにオアズカリした。注文を取りにきたのも、また別の淑女だった。給仕は彼ら彼女らがやった。今も、テーブルに伏せられたベルを鳴らせば彼ら五人のうち誰かがいらっしゃる。
グルメサイトや観光サイトの口コミでは、この店の繁忙期のマイナス評価の理由として、「どう見ても人手が足りてない」が多数ある。実際足りてないのかも知れないが、そもそも人員配分の問題じゃないか?
5年リアンと暮らしてたアレックスは多分、こういう待遇が初めてじゃないんだろう。
椅子を引かれてビビってる俺を鼻で笑ってドフッと腰掛け、ふんぞり返って注文し、今。
人払いされたこの部屋で、大口開けて手づかみでキゥイとクリームチーズのタルトを食った。職人が見た目の細部までこだわって作ったタルトを、受けて当然の恩恵とばかり、ひとくちで食った。
特権階級への反抗的態度なのか忙しい医者の合理的な食い方なのか知らないが、多分こういう部屋って監視カメラで記録されてるから、そういう態度取り続けたらどんなに出世してもこのテの待遇は望めないと思うわ。
「大体なんなのだそのデュッセン氏は。1週間家出して男連れで現れるってお前、不良娘か。しかも連れてる男がマリアのうだつの上がらない幼馴染氏では、まったく!!
見る目がないにも程があるだろうが! そんな子に育てた覚えはないぞ!!!」
「私はアレックスの娘になった記憶がねーわ。マリアの妹なら考えてもいい。愛人でもいいけど、アマーリと敵対関係になるのは避けたい。アマーリを尊重し損ねた時、私とマリアの関係に明日はない」
「わたしがマリアの夫である以上、始めから明日などないが」
「複雑な家庭の事情はそれくらいにしてもらっていースか。アレックスの言う事は俺に関する不当な評価を除けばいちいち正論だけど。俺はアレックスが心配してるような相手じゃねーし。マリアから聞いてんじゃないのか」
「ふん、わたしたち親子の会話に入らないでもらおうか、デュッセン氏。そもそもグルテンフリーなんぞに騙されてクロテッドクリームそんなにつけるから、モデルのくせに未だVIP待遇に縁がないんじゃないのか、可哀想な奴め」
「はいはいてめぇは痩せて良かったね、医者の不養生から脱せたから出世できたんじゃないですかー」
「よし、潰し合え。マリアは私に任せてくれ!!」
この調子だったので、まともな会話が成立したのは、一通り食事が終わって茶を飲むだけになってからだった。
リアンの注文した料理にはチョコレートでハッピーバースデーの文字が書かれていて、リアンは最初にスマホでその写真をとると、最後にプレーンスコーンを食べるまで、その文面に手はつけなかった。
時々、ハッピーバースデーに涙の一粒よりささやかな視線を落としている事に、俺は気づいていた。
※店の名誉のために※
このVIPルームは実在しません




