カナン戦1戦目 ピムス:英国ではメジャーなキュウリの入ったフルーツカクテル。英国でフルーツの範囲がどっからどこまでかは不明。
俺は生まれて初めて顎が外れたし、生まれて初めて口から包丁持った女の子の上半身生やしたし、生まれて初めて包丁持った女の子の下半身を喉につまらせた。
『あっははは、どこにいるの、ダヌバンディアの狗!』
ひとの口に居座りながら、カナンは首を360°回転させて辺りを見回した。回転するたび、カナンから首の骨が折れる鈍い音がして、皮膚がドリルみたいにねじれていく。
やめろ、動くな。
俺は内側から気道を詰められて、なのに食道から弾けそうで、顎関節は限界まで引き伸ばされるし、唇の端から血が出てきた。口が端から裂けそうだ。呼吸ができない。酸欠で泡と涎が血に混じる。眼裏が赤く染まる。酸素。空気が欲しい。
カナンてめぇ、出るのか入るのか、詰めるのか弾けるのか……早くどっちかに決めてくれ! どっちでもいいから、とにかくこの苦痛から解放されたい。
頭蓋骨内の圧力が変わって、目玉が飛び出しそうに痛む。
痛みでまぶたの自由がきかない。ドライアーーーーイ!!
「ここだよ化け物!」
透明な塊から腕が伸びて、カナンの首に肘フックをかける。
俺から凄い勢いでカナンが引っこ抜けた。喉の内側にブルドーザーが走ったんじゃねぇかって衝撃が走る。
多分どっか裂けたんだろう、俺は咳き込んで血を吐いた。口から酸素を吸えば、空気が喉に痛い。もう膝から砕けたい。水が欲しい。でも水を飲んだら多分めちゃめちゃ喉傷にしみるだろう。
悪霊はフィジカルも抉ってくんのかよ。
人間は、くしゃみと激しい咳の間は目を開けていられない。眼球が飛び出すから。
咳き込んで、次に目を開けた時。
俺はクラブのバーカウンターの中にいた。
高校出てすぐベルファストに上京して、年齢ごまかして働いたとこだ。パブかよってくらい豊富な酒が売りで、当時ベルファストでもっともホットなクラブのひとつだった。
カウンターには酔客が群がっていて「ブラディマリーをちょうだい」「スピットファイア3つ! 急いで!」「シャンディ・ガフ」「ちょっとあたしのスキナーズ何分待たせるの?」
爆音と、薄暗いカウンター、対照的にダンスフロアで波のうねりのように千変万化する、凝った照明。状況の変化に認識が追いつかない。考えようとしても、音と光が横殴りに、思考の輪郭をぶっこわしてくる。俺は呆然と突っ立った。(なんだこれ)(どういう状況だ)(今はいつで)
俺は誰だ。
「ナンバーセブンは置いてるかな」
「ピムスハーフパイントで」
「ブリュードッグ」
客の口からもリキュールからも溢れる酒の匂い、化粧の匂い、ダンスで火照った体の臭い、煙草の煙と、煙草に見せかけたなんかの粉が舞う。バスドラムの低音が、塹壕で発砲指示を待つ兵士の心音みたいだ。
「トラクエア、ジャコバイトの方」『あなた可愛いわね、なんていうの?』「ジントニックのジン抜き」「ドライジン」「コスモポリタン」
酒種を売りにする場所で、爆音の中注文をききとるのは至難だった。「ウィスキーアンドソーダ」「ギムレット」『ねぇ、あなたなんていうの?』「ミッチェルズ」「フラーズ」「エールならなんれもいいよー」
高校出たての俺は、そんなに酒やカクテルに明るいわけじゃない。客の声なんか爆音の中ライトワークに溶けて、光なんだか音なんだか判別できない輪唱に聞こえた。
でも、働かねぇと。
ここで業界の奴を見つけて、懇意になって、俺を売り込んで。ロンドンへの足がかりを作って。
(せめてこの身で食ってやるんだ。この体で。生まれたかたちを活かしてやる。羽なんかあってもなくても、俺は生きていけるんだって)
(どんなふうに生まれたって、ひとのかたちが求められる世界で、誰に認められなくても人間でいられるんだって証明してやる)
耳を澄ます。
客が何を欲しがってるか。「ほぶごぶりん」
(ランウェイに立って)
耳を澄ます。「すけあくろう」
(俺は羽が生えただけでただ人間、羽は人間のじんせいを左右しないしその力もないって)
(そういう在り方を自力で創造できることを)
耳を澄ます。
『ぷりーずてるみーわってゅーあー』
なんだって?
耳を
『Tell me. WHAT YOU ARE?』




