4-33 危急 -hurry up!!-
調教師ギルド本部は、大型の魔物『暁鶏コックルースター』を子飼いにしている。
紅の鶏冠から灰白色の尾先まで約十メートル、飼い主の色合いに似た配色の身体を震わせて、怪鳥は胸いっぱいに空気を取り込む。
――激闘のあと、七時街中にけたたましく響いた鶏の一声が緊急召集をかけた。
三角の切妻屋根に仁王立つは、皮を幾層にも張り重ねた軍靴。
風見鶏をくるくる回す朝風に靡くは、紅い糸のような長髪。
所属不明の白い軍服から伸びる細腕は、その手に持つ革紐の鞭を引き絞った。
そしてサーバ・ベンディンガーの唇は、集いに集った調教師ギルドの畜主たちに熱のこもった弁を振るう。
「諸君! これより君たちに指令を与える!」
建ち並ぶ畜舎の前、朝露に湿る牧場、砂利の街道にところ狭しと集った老若男女の畜主たち。
泥だらけのオーバーオールの男衆、汗の染みた首巻の女衆、牛を引く老人に羊に乗った子供、誰もがその目を畜舎の屋根に立つうら若き長に向けていた。
一様に沈黙と静止で傾聴の姿勢を表す姿は、どこか軍隊染みていた。
「今! 我らが調教師の同胞と、キリグイ打倒に尽力してくれていた盟友が倒れ、零時街へと搬送されている!」
ドリマンをあえて同胞と呼び、士気を高めた。
彼と悠太は、雲鼠の背に乗せ速やかに零時街の診療所へと運んでいる。
「彼らはその身の傷と引き換えに、我らが街の脅威である『霧喰事件』を暴く手がかりを手に入れた! 勝ち取ったのだ! 自分は、これを千載一遇のチャンスと考える!」
かろうじて魔物化を免れ、血だらけになっていたドリマンが、途切れ途切れにサーバへと伝えた言葉があった。
「今こそ! 我らがギルドの誇りを踏みにじり嘲り笑った霧喰事件の首謀者を見つけ出し! 白日の下に裁きを与えよう!」
不安の夜を過ごした畜主たちは、直立不動の姿勢を崩し腕と雄たけびをあげる。
サーバは歓声を鎮めることなく、更なる声量で彼らのボルテージを上げた。
「さぁ探せ! 首謀者の名は『ディマリオ』! 黒の燕尾服に片眼鏡、長身にブロンドの髪、剣と翼の紋章を持つ男だ!」
ドリマン・ルバーカスに甘言を囁き、魔導具『蝮女樹の呪珠』を与えた男は、紳士風の青年であったという。
号令を聞いたとりわけ血の気の多い男たちが、藁集めのフォークを掲げ四方に散る。
「調べ上げろ! キリグイは実体のない氷の魔物だ! 自分の知識をもってしてそのような能力は聞いたことがない! 実現可能な魔導具を、魔物を手当たり次第に当たれ!」
白ローブの少年の口振りから、敵は遠隔地にキリグイを召喚する術を持っている。
号令を聞いた肝の据わった女たちは、知り得るギルドの知人、情報屋へとつま先を向けた。
「さあ行け誇り高き調教師ギルドの同胞よ! 我らから奪い取る者を許すな!
我らは命を管理する者である! 命を嘲り笑う者を決して許すな!」
演説を締めくくる頃、畜主たちは伝搬する熱をオーバーオールの胸に宿し、厚皮の長靴を鳴らしてそれぞれが為すべきことに走る。
熱に当てられた家畜たちが喚きだし、七時街は活気湧きたつ朝を迎える。
畜舎の上、大衆を見送ると、サーバは風に暴れる髪を抑え、次いで街の中心――『逢王宮』へと視線を向けた。
「……さて、あとは、時間との勝負になるか。頼むぞイトネン」
◇◇◇◇◇
日は高く昇り、診療所の並ぶ一角を温かく照らし出していた。
木の温かみと白の清潔感を兼ね備えた病室に並ぶ二台のベッド。
その片方には眠ったまま目を覚まさない黒髪の少女が寝かされており、隣のベッドには、明け方、毒に蝕まれた学ランの少年が担ぎ込まれた。
患部に手を当て、淡く緑色に光る『解毒』の魔法をかけると、深紫髪と白衣の女性は処置を終えた。
「毒は治りました。もう心配ないですよ」
立ち上がり振り向くと、彼女の眼鏡が映し出したのは、銀髪と褐色の肌を持つ青年であった。
ブラン・シルヴァは眠る少年の傍まで歩を進め、潤んだ目で見下ろす。
「ユータ殿、まで……」
「彼の場合、どちらかと言うと夜通し戦っていた睡眠不足と疲れが原因ですから、ある種自業自得とも言えますが」
イズナと名乗っていた女性の突き放した言葉に、ブランはゆるゆると頭を振る。
「ユータ殿は違うと言うだろうが……因果は因果だろう、余のせいだ」
「……彼が起きた時、伝えておく言葉はありますか?
ここには、じきに逢王兵が来ます。そうしましたら私は規則に従い、貴方を彼らに引き渡します」
ブランが顔を上げた。
「昨晩、貴方とそこに寝ている彼との話は、勝手ながら聞かせていただきました。貴方の正体も含めて。
『天使』の力を持ったエルタルナの王子……追っ手はこの街にも放たれていることでしょう。
そして、昨晩の街を照らした天使の力は、貴方が確実にこの街にいると彼らに伝えてしまったはず」
「……すまない、迷惑を、かける」
「そうですね。ですが今はその迷惑事への対処が先です。
貴方やそこの少年が考える追っ手を迎え撃つ案は根本的な解決策の一つですので、特段否定は致しません。
しかしここは病床の街、少なくとも場所は変えていただく必要がございます」
「……余は、どこに連れて行かれるのだ?」
「首都を出て北方――山中に古い神殿があります。かつて貴族や王族の避難所として用意されたものです。貴方にはそこに身を隠していただきます」
「そのようなことは……余は、ユータ殿と共に、追っ手に立ち向かうと」
「彼は独りで立ち向かえ、などとは言っていなかったですよ」
ブランは、言葉に詰まった。
脳裏に過る言葉――それならさ……友達と一緒に立ち向かった方が心強いだろ?
目を閉じたままの少年を一瞥し、拳をギュッと握る。
「申し訳ございませんが会話の記録は伝鳥で他のギルドマスターとも共有させていただきました。一言一句違わず」
現実離れしたことを平気で口にするイズナに、ブランは感嘆の声を上げる。
「……はは、プライバシーの、侵害では」
もっともな盗聴被害を訴える声を無視して、イズナは白衣の懐から二枚の紙を取り出した。
「ユータさんは友と立ち向かうと言っていましたね。
書簡にはこのとおりすぐに返事がきました。抜粋して読み上げますと『じゃあ、ヤマダの友達のミーも立ち向かうにゃ』『けけけ、相変わらずユー坊は面白い案件を抱えてくるじゃねぇか』」
無表情は崩さないまま、しかし声真似にはしっかり感情が乗っていた。
イズナはあくまで事務的にコホンと咳払いで声色を戻すと、ブランの赤い瞳を直視する。
「……とのことでした。このことからわかる通り、今や事態はギルドマスターをも巻き込んでいます。
貴方たちだけで解決できる範疇に収まらない規模になっているのですよ。
今朝……我々は正式に書面を交わし、カージョナ十二ギルドは貴方を友人としてこの街に迎え入れることを決めました」
あえて友人という響きを選ぶ当たり、人の悪さがうかがい知れる。
依然として無感情なイズナの瞳であるが、その奥ではカチカチと計算めいた思惑を組み立てているように見えた。
「さて、改めて友人としてお願いします……今は我々を信じ、身を隠してはくれませんか。付け焼刃の友情で不足があることは承知しておりますが、危急の事態なのです。どうか」
ブランの瞳が揺れた頃、診療所の前に迎えの火馬車が到着した。
◇◇◇◇◇
時同じくして、時計盤を模した首都の中心――逢王宮。
宮殿の中心には、だだっ広く殺風景な石張りの円形ホール――謁見間が備え付けてある。
円の外周には十二の議席が設けられており、そのどれもが白の垂れ幕に遮られて奥に座す者の顔を見ることはできない。
王は土地の神であり、他の人間は相見えることすら許されない。
謁見間が円形であるのは、王に序列がないことを表す造りであった。
ホールの中央には円形のステージがあり、その台に登った者のみが発言を許されるのであった。
「――危急存亡の事態です」
発言台の上で跪く女性は、三つ編みの栗毛を肩に垂らし、白のブラウスに焦げ茶のロングスカートを身に纏っていた。
荘厳な雰囲気の中では少々庶民的すぎる外見、しかし特徴的な細い糸目は、まったく物怖じせずに大理石の床を見つめていた。
首を垂れる女性に、ほぼ真上から声がかけられる。
「――表を上げよ、料理人ギルドマスター、イトネン・カーレムスよ」
糸目の女性が顔を上げると、その先には司祭服を『風ノ衣』に靡かせ浮遊する男がいた。
瘦せ型、白髪のマッシュルームカット、嫌味な細眉の男性は宙で直立不動に漂いイトネンを見下ろしていた。
「お久しぶりです。へそ曲がり……ヘスマガル様」
男の性格をよく知るイトネンは言い間違えそうになった名前を何とか取り繕って早速本題に入ろうとした。
しかし生来粘着質な性格であるヘスマガルという男は眉間に険しく皺を寄せる。
「相変わらず君たちギルドマスターは無礼だな、何だね私に対するその態度は。
私を第五代王直代弁者たるヘスマガル・ショーネカーブと知ってその姿勢は不敬にも程があるよ。
謝罪したまえ、陳情の聴取はその後だ」
イトネンはやれやれと再び頭を下げ、「礼を失しましたことをお詫び申し上げます」と従うと、紛らわしい男の名と、素直な自分の口を恨んだ。
「ふん、形だけの謝罪など誰でもできる。そもそも君たちは私に対する畏敬の念が足りないよ。
私は王の代弁者なのだが? 王ご意向を君ら俗世の連中に伝えることができる唯一の存在なんだ。
それを君たちは、来るたびに無礼を働きおってからに……何なのだね? ヘスヘスキノコだのとあだ名をつけてみたり、いきなり鞭で縛り上げてきたり、工事現場から汗臭いまま来たり……」
眉間を揉む度に出てくるくどくどとした内容は普通に不敬なものばかりなので、言い間違いくらいはサラッと流してもらえまいかと思いつつ、事態が一刻を争うことからイトネンは無理矢理に話題に入った。
「ヘスマガル様――危急存亡の事態でございますので、手早く申し上げます――かねてより七時街がギルドマスター、サーバ・ベンディンガー氏から報告していた連続家畜襲撃事件の件でございます」
強引に話を切り出した様にマッシュルームの男はもう一言二言加えてやりたかったが、内容を聞いてその気も失せた。
「何かと思えば自治領域内の問題ではないか、その程度を己の裁量で解決できないなど、統括者としての能力が足りていないのではないか、馬鹿馬鹿しい、今は昨晩確認された『天使』を確保するほうが先決である。報告は追って始末書と共に出しなさい」
当然逢王宮も昨晩の緑光の竜巻と競り上がる大樹は確認していた。
そしてその力の根源たる『天使』――ブラン・シルヴァの確保に躍起になっているのである。
「ブラン・シルヴァは気を揉まずとも零時街のイズナ氏から引き渡されるはず。
仰る通り先手を打たれておいでなのですから、少し視野を広めても良いのでは」
近視眼的だという非難とも取れる物言いに、ヘスマガルはまた説教を垂れようとしたが、それは次のイトネンの発言により遮られる。
「私が本日馳せ参じたのは、『霧喰事件』と『天使』には関連があると考えたからです。事件の首謀者は――天使への追っ手である可能性が高いかと」
ヘスマガルの両目が見開かれ、円形に二人を囲む玉座からわずかにどよめきが起こった。
「今朝、サーバ氏は事件の尻尾を掴み、即座に我々に情報を寄こしました。事態は想定より深刻です……王の御身にも危険があるほどに」
「逢王宮への報告はどうした」
「……存じ上げません。恐らく伝鳥は既に着いているかと」
冷ややかな視線が交わる。
連絡順はそのまま重要視している序列を表す。
ヘスマガルもそれを察していたが、王の身にも届きうる危険とあっては愚痴を吐く時間も惜しいとイトネンの報告を促した。
「……こちらでも事件の概要は把握しているよ『霧喰事件』……警備の目を掻い潜って家畜が一晩に一頭ずつ襲われる事件であったな……して、天使の一件と結びつく理由を言いたまえ」
「家畜を襲撃していた神出鬼没の魔物、キリグイ。
サーバ氏は当初、それは『蝮女樹の呪珠』により使役された魔物と推測していました」
「君たちの見解違いであったと? その責任は取るのだろうな?」
「事態の収拾をもって責任として頂きましょう。危急と言いました、説明を続けます」
渋い顔のまま、ヘスマガルは頷いた。
「サーバ氏によると『霧喰事件』の実行犯が持っていた呪珠には魔物の心臓が取り付けられていません。『魔魂種牢』による召喚は不可能でした。
そもそも種牢により召喚された魔物は調教をしなければ使役をできません。ドリマン・ルバーカスに調教を成功させるだけの技量はなかったとされています。
つまり、キリグイはそれとは別の召喚方法で現れていたことになります。
そして――黒幕の一員と思われる白いローブの男が気になる言葉を口走ったそうです。呪珠は協力者の処分用であり、座標の役割を持っていると」
「座標……?」
「例え発動が成立しなくとも、魔導具は技名に反応してマナを集めます。事件の黒幕は、呪珠のマナ反応を頼りに、実行犯が種牢を使うタイミングに合わせて別の方法で遠隔的に魔物を召喚していたと考えます」
謁見間のざわめきが大きくなった。
イトネンの説明によれば……敵は街中に好きな時に魔物を召喚する術を持っている。
「このことから私たちは、霧喰事件は何かしらの襲撃の予行演習であると考えました。
毎夜、家畜を一頭だけ襲うこと……人的被害もなく、調教師ギルドが傾くほどの損害ではないことから事件は大事になりづらく、着々と準備を進められる」
淡々と話すイトネンに対して、浮遊する男は事態の整理と対応の検討で頭を急がせていた。
「して、何の準備をしているというのだね……?」
絞り出した一言に、うっすらと開いた糸目から鋭い眼光が覗いた。
「恐らくは、『天使』の炙り出し」
天使の力は――手中に収めるだけで国のパワーバランスを左右する力であった。
「――まず事件が最初に報告されたのは九日前。ブラン・シルヴァが街に現れる四日前です。
彼が首都に辿り着くまでの道程を考えれば、カージョン地方に流れ着いたのとほぼ同時に始まったと考えられます。まずこれが出来すぎたタイミングです。
そして、街に紛れた天使を炙り出すには……力を使わせるのが一番でしょう。未熟な天使の力の発現は、昨晩の通り遠目にも良く見えます。
潜伏している可能性が高いところにキリグイを召喚すれば、彼が力を使う可能性が高い。
それに、例えばこの逢王宮にでも召喚すれば、兵は対応に追われこちらの身動きが取れなくなる。
だからこそ、一連の事件は、街内の任意の場所にキリグイを召喚する感覚を掴むための演習であったとも推測します」
マッシュルームカットの男が唾を呑む。
男も王の代弁者にまで上り詰めるほどの能力を有している。
この時点である程度対応の算段をつけていた。
彼は理解を確かめるような頷きを寄こし、「結論を言いたまえ」とイトネンに決定的な発言をするよう仕向けた。
「ええ――もし私が襲撃犯なら、『天使』が街にいると判明し、手口の手がかりも我々に渡った今、ゆっくりと待つことはしません、即時計画を発動させるでしょう――それこそ危急に」
今この時この場所に、残忍な氷の魔物が召喚される危険性のある状態。
それは正しくカージョナにとって危急存亡の事態であった。
「――改めて十二の王よ、イトネン・カーレムス、並びにサーバ・ベンディンガーの名の下に懇請申し上げます。
首都全体への戒厳令の発令と、各街の指揮権を統括するギルドマスターに一任することをお許しください」
スカートの裾を摘まみ優雅に一礼する栗毛の女性に、苦虫を噛み潰したような男はぎりぎりまで結論を思案しながら言葉を返した。
「……そのようなことを言い、何事もなければ責任は取るのであろうな?」
「はい、勿論。そして、我々ギルドマスターは責任を覚悟で陳情を致しました。
ヘスマガル様――どうか王の代弁者として相応しき善後策のご提案をお願い致しますわ」
おくびもなく王を脅迫する女に、もはや代弁者は愚痴や嫌味を述べる余裕はない。
「……備えておけ。本日中に勅令を出す」
◇◇◇◇◇
――後に勅令はギルドマスターの意向を大きく汲む形で首都に発令された。
そして、血風吹き荒ぶカージョナの長い一日が始まる。
用語設定
『蝮女樹の呪珠』
蝮女樹エキドナという魔物の素材から作られた魔導具。
真珠を根で繋ぎ合わせたような造りで、魔物の心臓を縛り使用される。
確認されている技は下記2種類である。
『魔魂種牢』……呪縛した心臓を媒体に、その心臓を有していた魔物を召喚する。
『魔実転生』……呪珠に触れている者を魔物へと変貌させる。変貌する姿は人それぞれ。
『キマイラ』
人間に『魔実転生』を使用した場合の一般的な変容先。
その者の欲を表すように複数の要素が合成された異形になる場合が多い。
ドリマン・ルバーカスの場合は金儲けの主軸であった家畜たちを詰め合わせたような姿となった。
お読みいただきありがとうございました!
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