4-26 月下ノ白乱舞
夜の牧場を横目に疾走する。
聞こえるのは風音と虫の鳴き声、駆ける足音、それから悠太とネピテルの弾む息だけ。
「ブランのやつ、大丈夫かな」
「良いんだよ、何かトラウマ抱えてそうだったけど、そんなの後で解決してやりゃいいじゃん」
しれっと少女の口から他者を気遣う言葉が出たことが意外で、悠太は一瞬言葉を失った。
長い髪を暴れさせながら前を走る少女は、反応のない相棒に不審の目を向ける。
「……何さ」
「……いや?」
「何笑ってんのさ!」
軽口を交わしながら十字路を曲がり、小高い丘を越えて――やがて砂利道の右手に、その畜舎が見えてきた。
板張りの壁から、青い粒子が溢れ出している。
「あそこだ」
少女がそう呟いて以降、耳に新たな音が聞こえ出した。
それは激しくメェメェと響く羊たちの悲鳴と、彼らが逃げ出そうとドンドンの壁に体当たりする衝突音であった。
「な、中で何が……」
道に隣接する面にぽっかり開いた木枠のゲートからも、青い粒子が漏れ出ている。
まずは内部の様子を確かめるべく、二人は入り口に身を寄せる。
耳にうるさい羊たちの悲鳴が充満する内部を覗き込もうとした、その瞬間であった。
――ドッ、と出入り口から何かが転げ出てきた。
ひんやりした空気が背筋を撫でた。
食いちぎられた羊の頭部は、黒真珠のような目に月を映している。
二人の激しい鼓動が羊たちの悲鳴に代わり耳を支配した。
深く息を吐いて――入るよ。
どちらからともなくそう目配せすると、少年少女は各々の武器を手に「いっせーの」で内部へと踏み入った。
顔に凍てつく風が吹きつけた。
それは、四つ足を血塗れの床に立たせ、咥えた羊の胴を一心不乱に振り回して弄んでいた。
ランプが暖かに照らす畜舎内で、その魔物の周囲だけが氷点下の冷たさを醸し出していた。
「……どんな化け物かと思えば、ただの犬っころじゃんか……少しデカいけど」
軽薄な言い草の割りに双剣の構えは本気である。
「ああ、ウルフにしちゃデカいな……」
篭手の拳を上げる悠太の頬を、冷や汗が伝う。
その大狼は、純白の毛に覆われていた。
体格はファフニーナと同じか一回り大きい、人が見上げなくてはならない。
尻尾は通常のウルフのそれより長い。
氷のような眼は、どこか作り物染みていた。
――狼は二人に気づくと、興味の失せた獲物を放り捨て、面長な頭を向ける。
連動してふさふさした尻尾が大きく振られ、うちわのように二人に風を送る。
ハラハラと、白い抜け毛がランプの光を反射しながら漂ってくる。
危機を察知したのはネピテルであった。
「……へいユータ君、新しく風魔法とか、使えるようになってない?」
「なってるけど急に言われても、集歌まだ覚えられてなくて……」
「オーケー、じゃあ……」
漂い、ゆっくりと二人に迫る白毛が、青く閃いた気がした。
「後ろ跳ぼうか!」
跳んだ瞬間、目の前まで漂ってきていた細い毛たちが、一斉に獰猛な青を宿し、鋭い氷の針となる。
針は貫き合い、重なり合い、連なり、畜舎の出入り口に一瞬で凍れる棘の壁を築き上げた。
その一本一本はショートソードほどのサイズであり、十分に殺傷能力を有していた。
馬車道に着地した悠太は、そのいとも簡単に作り出された魔物の攻撃に息を呑むばかりで、間髪入れずに壁ごと両断する追撃が来るとは予想だにしていなかった。
狼は跳びかかりながら反転し、胴体と同じ長さの尾を振り上げる。
それを振り下ろしながら尾全体に青いマナを纏い、巨大な氷刃として一刀両断に叩きつける。
バリバリと氷針の壁を割りながら、青白い刃が悠太の眼前に迫った。
そしてシャンデリアが落ちたような轟音の後――すんでのところであった。
尻もちをついた悠太はかろうじて手をかざしており、ステータス画面を挟み込んでいた。
ゲームのシステム画面をモチーフにしたであろうその光の板は、顕現した位置から移動せず、全く傷つかないことから無敵の壁として使用することができる。
このことを誰よりも理解している悠太が、ステータス画面の向こうでギャリギャリと音を立てて引かれていく尾への戦慄で腰を抜かしていた。
「ユ……!」
安否確認の呼びかけをする間もなく、白い狼が今度は少女に狙いを定める。
土を踏み、身体を翻し、巨体の身を低く、滑るように地を駆け、あっという間に牙と双眸を少女の前にまで運んだ。
ネピテルは舌打ちと共に双剣を交差し、回避と防御に備える。
あまりにも疾く、回避は叶わなかった。
狼の額から、またも鋭く青い光が伸びる。
「くっそ……!」
現れた氷の一角が、対処の難しい突きを繰り出した。
交差させた刀身で軌道を逸らし、肩口に切り傷を負いながらも角の根本に身体を滑り込ませる。
黒い刀身には、同様に黒い雷が迸っていた。
「っ痛いなぁこの馬鹿犬――『傀儡界雷』!」
×の字に斬りつけると同時、叫ばれた技名に呼応して黒雷が弾け、狼の額から全身を駆け巡る。
少女の使う「傀儡界雷」は刀身を当てた相手に魔界の雷を流し込み、身体を操り、以降の攻撃を全て彼女に向けさせる仕様であった。
着地してすぐさま横っ飛びに距離を置き、少女は身を起こそうとする少年に発破をかけた。
「ユータ! ぼやけてんなよボクがヘイト取るからその隙にさっさとステータス画面ぶち込め!」
「お、おう!」
悠太は少女が身を挺したことを危ぶんだが、だからこそ早々に決着をつけねばとすぐに考えを切り替えた。
とり急ぎ体勢を立て直し、頭をネピテルに向ける狼の横っ面へと間合いを縮める。
ネピテルは自身を危険に晒せば少年が奮起することを知っていた。
また、少年なら自分がキリグイの攻撃を捌ききれなくなる前に決着をつけてくれると、信じていた。
そういう賭けをしなければならないほど、キリグイという魔物の攻撃は苛烈であった。
「来なよ、あと数発だけ付き合ってやる」
金色の目を見開き、魔物の一挙手一投足を逃さないよう集中した。
だからこそ気づいた。
鋭い眼光を自分に向けたままの魔物が繰り出した攻撃は……自分を標的としたものではなかった。
それは、明らかに側面に迫る悠太を狙った尻尾の薙ぎ付けであった。
「何で、界雷したはず……!?」
「マジかよ!」
戸惑いの声のまま、悠太は尻尾に向けてステータス画面、もう一つイクイップ画面も浮かべて盾にする。
尾の一撃が衝突し、ビリビリと衝撃波が少年にまで伝わる。
そして気づけば、少年は舞い散った白き毛に囲い込まれていた。
――キリグイの体毛は刃と化す。
「しまっ――」
毛の一本一本が氷の棘となり、悠太の太腿に、学ランの肩口に、背中に突き刺さった。
少年の口に鉄の味が広がる。
「ユータ!?」
少女は取り乱した。
少年が傷を負ったことは勿論、今まで確実に敵の身体を操ってきた魔王の御技が、初めて破られたことが大きく影響していた。
一瞬の狼狽を見越したように、牙の並ぶ口が開き、青い粒子が収束する。
吐き出された白銀のブレスはあっという間に少女に到達し、回避の遅れた二の腕を表面からパキパキと凍らせた。
激痛に眉をしかめる少女にトドメを見舞うべく、前脚を踏み出すキリグイの肩口を、衝撃が襲った。
「――がぁ! ステータス……オープン!」
背に氷の針が刺さったまま無理やり動いた少年が、右手を伸ばしてその手の平に光を宿す。
ステータス画面は必ず少年の手の平の十五センチ先に顕現する。
この距離は絶対である。
顕現する位置にあらかじめ物体があった場合、その内部を引き裂いてでも定位置に現れる。
――バキンと、何かが割れた音がした。
悠太の繰り出したステータス画面は、確かにキリグイの肩口を内部から割って現れた。
血の代わりに冷気が漏れ出した。
傷口には肉も骨も見えない。
「――何だ、こいつ」
キリグイの身体は、氷で構成されているようであった。
目を見開いた少年は、目の前で逆立つ白毛に殺気を感じて上半身を反らす。
続いてハリネズミのように伸びる氷の針から飛び退き、距離を取る。
ゴトンと、割れて泣き別れになった白い前脚が地に転がった。
切断面は本体と同様、氷の鏡面しか見えない。
片方の前脚を失ったキリグイは、優雅に身を翻して畜舎の前へ。
仕切り直しの間合いを取った。
命拾いをした少年と少女は、警戒を解くこともできないまま、現状の把握に脳をフル回転させた。
「……氷で、できた魔物……?」
「んな馬鹿な……って言いたいけど、そういうことなら、界雷が効かないのも納得」
分析する視線の先で、鏡面の肩口が再び青いマナを集めて、ゆっくり、パキパキと再生されていく。
冗談ではないと揃って思った。
「……腕、上がってねぇけど、大丈夫か?」
「そっちこそ、背中に氷刺さってるけど」
少年の身体が痛みを思い出し、一つ咳き込む。
棘は肺までは達していないだろうが、呼吸をすると酷く痛む。
「ぐ……『治癒』、する。分析は任した」
視線の先では着々とキリグイの体力が回復している。
追撃できる状況にない悠太は集歌で緑のマナを集め始め、思考は続けながらも分析を相棒に譲った。
「……一連の事件を引き起こしたのはあいつでほぼ間違いないね。
どうやったかは知らないけど、あの身体はマナを事件現場で具現化させて作られてる。移動が見られてないのに現場足跡が残ってたのはそういうこと。
あと殺された家畜たちが喰われてないのも、あの氷の身体じゃ食事できない、ってとこかな」
少年は手元に集めた緑のマナを、ブレスで凍傷を負った少女の腕に向け、「コール『治癒』」と唱えた。
「馬鹿、そっち先に治しなよ」
言いながら少女は再び二刀流の構えを取り直す。
少年は「うっせ」と悪態を付きながら今度は自分のためにマナを集める。
「不味いのはあいつの単純な強さとあの再生能力……この場を凌いでも、まだあいつを作り出した奴がいるだろうってことだ」
白い歯を見せる笑顔に冷や汗が垂れた。
畜舎の前で腕の再生を終えたキリグイが、四つ足を踏みしめて第二ラウンドを促した。
集歌もそこそこに切り上げ、不十分な『治癒』を自分にかけた悠太はそれに応じた。
月下――氷の舞い散る熱戦が再開された。
◇◇◇◇◇
畜舎に残されて一人。
鏡遠影ファフニーナの胴には子供の見る視界が映し出される。
映像には、白い大狼に苦戦を強いられる学ランの少年と黒髪の少女。
――ほら行くよ!
そう声をかけてくれた少女に、また一つ傷が増えた。
――行こう、ブランも。
そう手を差し伸ばしてくれた少年が、口元の血を拭った。
「……行きたいに、決まっている」
行って役に立ちたいに決まっている。
「……だが、余は」
だが、今までそうして求めた結末に辿り着けたことはない。
鎖で雁字搦めにされた魔導書と、マナを寄せ付けない首輪。
それらは自分の力を隠すためだけのものではない。
この力は周囲の者を危険に晒す力だから。
この力は邪なる者たちを引き寄せる力だから。
力を使わないことが正解なのである。
――間違いだか正解だか知らないけど、結局君は何したいわけ?
金色の瞳をした少女の言葉がずっと反響している。
――どうありたいわけ?
「……どう、ありたい」
潤んだ赤い目の先にある魔導書を、褐色の指が手繰り寄せた。
この力を使うか否かは、さして重要な点ではなかったのかも知れない。
「余は……」
自分がどうありたいか、そんなものはずっと知っていた。
胸を張って、自信を持って、誰かの役に立ちたい。
「余は……」
母の後ろを歩くのも、兄弟について回るのも、老兵の陰に隠れるのも、メイドに手を引かれるのも、少年に守られるのも、少女の背中を追いかけるのも、もうまっぴらである。
後ろをついていくだけでは、なりたい自分になれはしない。
――ボクは進むよ。間違えだろうが何だろうがボクの進みたい方へ行く。
「そうだ、余は……」
青年の「進みたい」先は、王冠を被った王でも、巨悪を挫く英雄でもない。
しかし、独りで蹲っていては決してたどり着けないものであった。
「余は、彼らの……ただ彼らの友人でありたいのだ……」
青年は魔導書を片手に走り出した。
依然として力を使うことは憚られる。
しかし力を使わずともやれることは、役に立てることはあるはずである。
例えば、見覚えのあるボリューミーな白毛の羊を始め、家畜たちを危険な場所から逃がしてやること。
例えば、心配が勝って畜舎の様子を見ようと砂利道を彷徨う幼女を家に帰してやること。
小さなことだが、足手まといにならずに彼らの役に立つにはそれしかないと考えた。
ブランは畜舎を出て、夜の街道を一心不乱に走った――彼らを友人と呼ぶために。





