4-23 ちんじょうもうしあげる!
お昼。
グラウンドには学院生たちの姿はなく、芝生に大の字になった満足気で半裸な講師が残されるだけであった。
ブランはライチとニナに案内され、昼食を学院敷地内のカフェで取った。
色とりどりの花が咲くプランターに囲まれたテラス席で、コーヒーと紅茶をそれぞれすする少女と共にするひと時はひたすらに穏やかであった。
食事にひと段落がついて次の予定に移ろうという時、丸眼鏡を紅茶の湯気で曇らせたニナがブランの顔をチラチラと伺い、彼がその様子に気づくと、意を決したように口を開いた。
「あ、あの、ブランさん」
そしてエルフの青年の尖った耳は思いがけない一言を聞く。
「この後、お時間ありますか?」
ティーカップをちょこんとリスのように持つ彼女からの質問が、ハートをドキリと射貫いた。
お時間ありますかとは、この後も一緒に何かしたいという意味であり、長く時を共にしても良いですよとの承諾であり、伴侶になろうとの提案であると、都合のいい連想ゲームがブランに緊張感をもたらす。
遅咲きの思春期を迎えるエルフの青年は、集令測定中に物腰柔らかに接してくれたニナのことを完全に意識してしまっていた。
「に、ニナ殿……この後、余は……」
本日の学院行事は午前のみ、その情報は昨晩に聞かされていた。
故に本心に従うなら「まったく問題ない、そなたのためならどこへでもお供しよう」とでも答えるべきであり、実際にそうしようとしたブランであったが、「まっ」まで声に出したところで脳裏に鞭音が鳴る。
思い浮かぶはサディスティックに見下ろす紫の双眸と白い歯を覗かせた威圧的な笑顔。
――本日の学院行事は午前のみ、ブランはその情報を今朝、共有してしまっていた。
午後からまた、七時街の、調教師ギルドの、探偵のバイトがある。
「まっ?」
人差し指を立てるところまでで停止してしまったブランを、二人の少女が首を傾げて見つめる。
約束を反故にしてニナについていくこともできよう。
しかし生来慎重で臆病であるブラン・シルヴァは、胸の警鐘を信じ、あらゆる可能性をその聡明な頭脳でシミュレートした。
さて、調教師ギルドマスターとの約束を反故にしてニナについて行った場合どうなるか。
地の果てにいようと見つけ出され、あの鞭で百叩きされた後に足蹴にされ巻かれて連行されることは、どうシミュレートしても逃れようもない運命であった。
その光景を見たニナが「弱っ、ブランさん情けない男なんですね……幻滅です」と落胆する可能性は大いにある。
また、一応先約はサーバであるため、その経緯を含めて光景を見たニナから「弱っ、しかも約束破るなんて最低です、そこまでして私と一緒にいたかったんですか、何期待してたんですか、不潔」とまで言われてしまった日には、学院生活は初日で瓦解してしまう。
「……あの、ブラン、さん?」
答えを促す声に、にこやかな笑みを浮かべるブラン・シルヴァは風に銀色の髪を揺らして回答した。
「すまぬニナ殿、余は脅迫……ではなく約束があってな。一緒にいてやれぬのだ」
その褐色の笑顔には、涙が流れていたという。
「そなたの想いに応えられぬこと、本当に心苦しく思う……ではな、馳走であった」
親指で目元を拭った青年は、返事も待たずに「探してくれるな!」と駆け出した。
残された丸眼鏡と赤毛の少女は、突如始まり去っていった演技がかった振る舞いについて行けず、ポカンと口を開けるばかりであった。
「……残念、借りてた本、魔導図書館に返しに行ってほしかったんだけどなぁ」
「まあ学院の見学にはなるだろうけど……それは自分で行きなよニナ」
「だってこの後夜まで講義なんだもんー」
意外と図々しくむくれる少女に、ライチは溜め息を吐いてコーヒーをすすった。
◇◇◇◇◇
午後の手伝いも終わって、解放されたと思ったのは勘違いであった。
いち早くキリグイの正体を掴むため。
少しでもキリグイの被害を抑えるため。
そんな名目を並べ立てられては。
そんな名目を並べ立てられて鞭を見せつけられては、夜間巡回の誘いを断れるはずもない。
畜舎と牧草地を背景に、ザッザッと姿勢良く歩く赤髪の軍服女に付き従い、夜の七時街へと繰り出す。
繁華街である六時街から橙色の灯りが射して、深草色の牧草地を穏やかに照らす。
――そして柵に沿う馬車道で、それは目の前に立ちはだかった。
二人の見下ろす先には、ふわふわのもこもこ、白い毛が見えた。
「羊だ」
「羊であるな」
雑な認識共有の通り、道にはかなりボリュームのある体毛に覆われた羊が一頭、太々しく立ち塞がっていた。
丸々と伸び放題の白毛は体型をまん丸に隠し、その黒い顔はひたすら何か咀嚼するように口を動かしていた。
脈絡のない遭遇に、ブランは一歩後ずさった。
「羊が何故、夜道に?」
「知らん。どこかの畜舎から逃げ出したか」
対するサーバは特に狼狽える様子もなく、羊へと近づいていく。
思えばここは畜舎の建ち並ぶ七時街、羊の一頭くらいうろついていても不自然ではない。
にもかかわらず軍靴の歩みが止まったのは、明らかな不自然が生じたからである。
「陳情もうす」
羊が陳情を申した。
「ひっ、羊がしゃべっ……」
ブランは更に後ずさり、サーバは胸元から鞭を取り出した。
「無礼者、言葉を使えるならまずは名乗るのが筋だろう」
そっち?
「余としては筋を通す前に道理を通していただきたい! ひ、羊が喋るなど……」
サーバのずれた指摘にブランがツッコミを入れる中……なんと今度は、羊の背の毛がモニュンと伸び、変形した。
もはや魔物染みてきた羊に、思わずうわずった悲鳴が上がる。
サーバも多少警戒度を上げたが、それは羊毛の中から小さな女の子がプハっと顔を出したことで肩透かしとなる。
「へ? お、幼子……?」
羊のボリューミーな背中に埋もれていたのは、年端も行かない少女であった。
ココアブラウンのはねっ毛に白シャツ、小柄な体に似合わない強気そう瞳は真っすぐにサーバを見つめていた。
胸の前には小さな手でしわくちゃに握った一枚のパルプ紙を持っている。
「あたちは」
舌っ足らずの一人称ではあるが、声は歳とは不相応にハキハキしている。
「あたちはしがない羊飼いの一人娘、メップル」
筋を通して名乗り出た幼女は、次いで自らが乗る羊の額をよしよし撫でる。
「そしてこの子は羊のコットンキング」
吸水性が良さそうな名前である。
「ほう、コットンキング、王の名を冠するか」
ずれた感想を寄こすサーバは敵意なしと判断したのか鞭を下ろし、意外にも前屈みに目線の高さを合わせ、しかし声色は厳しいままに問いかける。
「して、同志メップルよ、羊毛の王を従える者がこんな夜更けに陳情とは? 言ってみろ」
ナイフのような切れ長の視線にドスのきいた声は威圧的で、幼女のハキハキした声を淀ませるには十分すぎる迫力があった。
それでも気丈に言葉を続けるあたり、彼女は何かしら強い決意を秘めているようである。
「うう、あ、あたちはこのコットンキングと、夜、畜舎で一緒に寝るのが好きだ。
でも近頃、ダディとマミーはそれを許してくれない。聞けば悪い魔物のせいで、夜の畜舎は危ないというではないか」
幼い声に大人びた口調、そして語る話題は――『霧喰事件』のことであった。
「だから、あたちはダディとマミーに聞いた! その悪い魔物はいついなくなるのかって!
そしたらダディは言った! きっと悪い魔物はサーバ様が倒してくれるから待ってろって!」
サーバの切れ長な目が、更に鋭利になった。
「でもでも、それからもう三日、あたちはまだコットンキングと寝ることができない!
それにコットンキングが危ない場所にいるのも嫌だ! 隣の飲んだくれ爺さんに聞いたら『そりゃ陳情書持って直談判するしかない』って!」
差し出したしわくちゃの紙には、つたない文字で「ちんじゃおしょ」と書かれていた。
「だからあたちは直談判する! サーバ様、なんで悪い魔物をやっつけてくれないんだ! 早く、魔物をやっつけてくれ!」
心の熱に浮かされるように徐々に勢いを増していった声で、幼女は見事自分の声で陳情を述べてみせた。
愛想の「あ」の字も持ち合わせていないサーバに年端も行かない少女が真っ向からここまで言えるのかと、ブランは驚くとともに睨まれただけで何も言えなくなる自分を悲しく思うのであった。
一見無礼ではあるものの必死さが表れていた申し出に、サーバは前屈みの体勢を戻し……再度鞭を構えた。
「さ、サーバ殿?」
一見して無礼であったことは否めないので、気に触れたというのは十分にあり得た。
まさか「言われずとも既に事態収束に動いている」などと鞭を振るうのではあるまいか。
流石にそれはとブランが割って入ろうとしたその瞬間であった。
――幼女と羊を、背後から二つの人影が抱き締めた。
「申し訳ございませんサーバ様!」
頭を垂れるのは広い額に細眉の気弱そうなジャケットの男と、髪をお団子にまとめた木綿のスカートの女、二人とも年齢は三十代半ばくらいに見える。
娘がいれば、丁度メップルくらいの年頃のはずである。
彼らは羊の上でなおもサーバを見上げる幼女の頭を抑え、自分たち同様にお辞儀をさせる。
「娘が大変失礼しました! サーバ様が日々心を痛め、動いて頂けているのは存じておりますが、何分まだ幼いので!」
やはりメップルの両親であったらしい二人は泥が顔に付くのも気にせずに土下座を続ける。
「この無礼の罰は、娘ではなくどうかこの私めに! 懲罰の覚悟はできております!」
「あ、貴方!」
子を庇う父に、母親の心配そうな声を向ける。
懲罰の覚悟ができていると言うあたり、住民への鞭打ちは七時街では珍しくないのだろうかと、ブランはサーバから一歩身を引く。
当の本人は眉一つ動かさず、冷たい視線で父親を見下した。
「どのような罰でも受けます!」
涙ながらに訴える父親の姿と、幼いながらサーバに立ち向かった幼女の姿に勇気をもらい、ブランの心は動いた。
「さ、サーバ殿、子供のしたこと故、許してや……」
「どうか罰を! 鞭でも、蝋でも! ベーシック鞭むち三時間コースでも! プレミアムわくわくビシバシ八時間コースでも構いません! どうか私に!」
ブランの心は動くのを止めた。
「あ、貴方?」
母親の声色のニュアンスも変わった。
「それは貴様がいつも指定するコースだろう」
やっと口を開いた軍服女の言葉に色々暴露された父親は「しまった」という表情で妻に視線を向ける。
「貴方……」
母親はメップルの視線を手の平で隠しながら、もう片方の手で眉間を揉んだ。
同じようにブランも眉間を抑える。
「変態しかおらんな……この街」
ブランが今日出会ったマゾヒストはこれで二人目であった。
「――さて」
そんなぐっだぐだになった場の雰囲気は、軍帽の女が輪のようにまとめていた鞭を垂らしたことで引き締まる。
彼女は持ち手を差し出し、逆の手のグローブを咥えて外すと、露わになった白雪のような手を鞭のテールに沿えた。
――どのようなコースなのか、などと脳裏に過ってすぐ後。
鞭はヒュッと真上に振り上げられ、添えられていたサーバの親指を切りつけた。
指の腹から滲む血を無感情に見つめたサーバは、鞭を放るとメップルの持つ陳情書に手を伸ばした。
「あ……」
近づく迫力に及び腰になった幼女に陳情書を広げさせたサーバは、その片隅に自らの血で滲んだ親指を押し付けた。
指を離すと、そこには赤い拇印――血判がはっきりと押されているのであった。
流石に血液は衝撃的であったのか、年相応に震え始めた幼女は、陳情書とサーバの赤い指を交互に見やる。
「これ、何……? さ、サーバ様痛そう」
「血判という」
「けっぱん?」
「これから自分が口にする言葉を、自らの血を賭して果たすという証だ」
事もなげな返答を聞き返す幼女を見下ろして、サーバは軍帽の鍔を摘まみ幼女と向き合った。
「誉れ高き調教師ギルドが同志、メップルよ。貴様の陳情は確かに受け取った。必ず魔物……キリグイは討ち滅ぼそう」
そして高圧的な手の平で、メップルのはねた毛をわしゃわしゃと撫でる。
「だが今、この自分に恐れをなした魔物が隠れ潜んで出てこないのだ。故に討伐には期限を設けさせてもらう。
三日だ。あと三日、それまでに、このサーバ・ベンディンガーが貴様とコットンキングに安らかな夜を約束しよう」
相手が子供でも言葉を取り繕うことはない。
常識からはずれているだろう彼女の対応は、裏を返せば常識に態度を左右されないということでもあった。
年端のいかない子供は、日頃子供として扱われるからこそ、違いを敏感に感じ取る。
今宵、メップルはしっかりと、自分がギルドメンバーの一人であり、目の前の仏教面の女が自分たちを統括する長なのだと……無意識に刻んだのであった。
「しばし待たれよ。待てるな? 我がギルドの強き一員なら」
「……うん!」
幼女は血判付きの陳情書を大切そうに胸にし、目下の羊に「良かったなコットンキング! あと三日だぞ!」と抱き着いた。
その様子を見届けたサーバは一家の横を通り、すれ違いざまに両親に言葉を残した。
「改めて任せろ。もう行け、そろそろキリグイの出る時間だ。戸締りをしろ、畜舎には近づくなよ?」
「はい!」
揃って手を取り合う家族に関心の眼差しを向けながら、ブランもサーバに付いてその場を後にする。
――星空の下、柵に挟まれた小石と土の道。
明度が落ちて紫になった赤髪を靡かせながら、サーバはブランに語り掛けた。
「ブラン・シルヴァ」
「う、うむ」
「……明日だ」
軍服の女の斜め後ろを歩くブランは、ごくりと唾を呑む。
「明日の夜にはファフニーナの体力も戻るだろう。そこが勝負時だ」
――必ず、キリグイの正体を暴く。
透けて見える熱い決意が成就することを、ブランは心から願った。
――それと同時に、その決意を実行するにあたって、自分に何ができるのか、不安を覚えた。
何もできないどころか、間違えばかりの自分が決意の成就を邪魔するのではないかと、かねてより、それこそ幼少の頃から抱えていた不安が増大化していくのを感じる。
「余は……」
この街で得た穏やかな時間、賑やかな人々――それを自分の間違いは壊しかねないのだ。
カージョナアルバイター辞典
『山田悠太』
冒険者をしつつ、二時街の宿屋食堂で働く少年。
最近シフトをすっぽかしてクエストに行ったため、店主に粛清され、無限にオーダーを取ることを強いられている。
『ネピテル・ワイズチャーチ』
冒険者をしつつ、二時街の宿屋食堂で働く少女。
最近シフトをすっぽかしてクエストに行ったため、店主に粛清され、無限に皿を洗うことを強いられている。





