4-20 衛生士ギルド ”看板娘” サマーニャ・ヒューバート
小休止の後、赤い西日に照らされるコテージから出た。
夕日を背負い、松葉杖替わりの棒に寄り掛かる男の影が、スニーカーの足元へ伸びた。
見送りに表まで出てきてくれたマイクに向き合い、三人で別れの挨拶をする。
「本当に怪我、大丈夫なんですか? 首都で診てもらったり、何なら『治癒』でも」
心配そうに持ちかける悠太の提案を、男は手をプラプラ振って拒否した。
「いらんよこの程度、唾つけときゃ治るさ」
「捻挫は唾では治らぬような」
「そもそもどんな傷にも唾なんか効かないよ。迷信迷信」
身も蓋もない返しにマイクは髭面の頭を振って、その後、視線を苦笑いする悠太と、後方の巨体――ファフニーナに向けた。
「改めて、あの家族をよしなに頼むよ。鏡遠影は親子共々魔物だ。少々の荒事ならものともせんだろうが……大事にしてやってくれ」
「ええ、それは大丈夫、きっとまた、この水晶林に帰しにきます」
微笑んで言うと男も頷きながら笑い返して、わずかに視線をずらすと打って変わって険しい表情で付け加えた。
「あとあの不届き者たちも頼むぞ。罪状報告の書簡は後で送るが、追記なら惜しまんからな」
不機嫌な声は鏡遠影の隣で縛り上げられた兄弟に向けられていた。
すぐ傍の巨体の存在感に青ざめた密猟者兄弟の無精髭を、青い寝巻の少女がプチプチ抜いて遊んでいる。
「そして欲を言えば……」
視線が密猟兄弟を捉えたままであったので、悠太にも言わんとすることはわかった。
「前にあいつらが密猟したっていうもう一家族のことですよね」
密猟者たちは、一週間程前にも一度この水晶林を訪れ、マイクを騙して別の鏡遠影を連れ去っている。
何の目的でどこに連れ去ったかを吐かせるのは時間がかかりそうだが、乗りかかった船なので捜索を引き受けることにした。
その点の見解を、この手のことに鋭い少女が肩をすくめて語る。
「まあ親子共々生きてることに価値がある魔物だから、皮バッグになってることはないだろうけど」
「しかし悪用されていると困るな」
「とりあえず連れ帰りながら聞いてみて、あとは『逢王兵』? に引き渡す時にそこら辺の相談もしてみます」
「何から何まで悪いが、頼む」
片足を踏ん張って深々とお辞儀する彼の頭を悠太とブランが慌てて上げさせた頃。
密猟兄弟の無精髭をあらかた毟り終わったサマーニャが首を長くして呼び声をあげた。
「ヤマダ! まだ終わらないにゃ?」
「今行く! ……じゃあ、マイクさん、また」
「おう達者でな。ところで本当に馬車はいらないのか? どう帰るつもりだ?」
「それについては余もわからんのだが。サマーニャ殿と何か打ち合わせていたようだな。彼女が手配してくれたのか?」
首を傾げるマイクとブランに、悠太は頬を掻いて説明しづらそうに笑う。
「まあそれについては多分、大丈夫。俺、運んでもらったことあるし」
「運んで?」
「もういつまで話してるにゃ! 退屈にゃ! 帰るのにゃ!」
「へそ曲げられたら大変だ。それじゃマイクさん」
「気ぃ付けてな」
腕を振るマイクに背を向け、三人は急ぎ足で青いナイトキャップの少女と合流した。
「よっし、じゃあ行くにゃ!」
勢いよく腕を振り上げた幼女は、茜空に歌うように唱えた。
「『たゆたう風よ』!」
――たった一言の集歌。
天空から旋風と共に下りてきた夥しい空色の粒子が、その場の全員を覆い、周囲に渦巻いた。
乱れる黒髪を抑えた少女が、冷や汗と白い歯を見せつつ目を見開く。
「話には聞いてたけど、マジか」
鏡遠影は微動だにしないまま目玉をギョロギョロ動かす。
子供たちは忙しなく母親の背中を這いまわった。
縛られた兄弟はまだこれ以上の制裁を科されるのかと上ずった悲鳴をあげた。
そして、銀髪の青年は――驚愕で固まった。
「ば、馬鹿な……これは、『天使』の力」
訳知りのような謎の単語を発したブランに悠太が首を捻ったところで、二小節目が唱えられた。
風の集歌。
揺蕩う風よ、古寺奔りて夜な夜な猛り、燈篭返し気楽な猛り、窮する童の目論見の、侮り蔑み撥ねつけ固まり、野風流れて童は三衣、天狗の長屋は大慌て、終の立木と頭垂れ、窮して乞いて詫びの歌、慈悲は三衣に言寄せて。
「『古寺走って夜な夜な猛る』にゃ! これくらいでいいにゃ!」
悠太たちを覆うマナの渦は、風鳴り音をあげて鳴動した。
まるで我先にと、幼女に命令されることを競い合うように。
サマーニャは「よいしょ」と枕サイズの魔導書を広げると、空色のページを輝かせて『略令歌』した。
「――コール『風ノ絨毯』にゃ!」
ぶわっと突き上げられる感覚は、悠太が首都で幼女に連れまわされた時の『風ノ衣』と同じである。
吹き上がる風の隙間にあんぐり口を開けるマイクの顔が見えたので、悠太は大手を振って上空へと舞い上がっていった。
「それじゃ! マイクさんありがとうございました!」
◇◇◇◇◇
▼クエスト「水晶林の傾奇者」をクリアしました。
▼「鏡遠影ファフニーナ」が調教済みとなりました。
◇◇◇◇◇
魔法、『風ノ絨毯』は文字通り風の絨毯であった。
藍色と茜色の上空。
風の絨毯は時折白むがほぼ無色透明で、真下の景色は嫌と言うほどよく見えるし嫌と言っても見ざるを得ない。
手元を軽く押してみると強風に手をかざした時のような心地よい弾力が返ってくる。
「絶景かなー! 絶景かな! いやぁ見下ろすって気持ちいいもんだね!」
「ひぃぃ、余、余は無理だ……! 目開けると落ちそうで怖い、目瞑っても落ちそうで怖いぃ!」
はるか眼下の荒野が後方へ後方へと滑り去っていく。
夕焼け空に舞う六人と一家族は、あるいは風景を楽しみながら、あるいは風景を見ないように、あるいは風景を見ない者にちょっかいをかけながら首都へと帰り行く。
馬車で一日かかった道程は、夕日が沈む頃には飛び越えてしまった。
◇◇◇◇◇
調教師ギルドマスター、軍服と鞭がサディスティックなサーバ・べンディンガーが合流場所に指定したのは、自らが統括する七時街内ではなく、街の外、郊外の牧草地であった。
日が沈むと人通りが激減するため、魔物をひとまず運び込むのに適しているのだという。
悠太は感心した様子で、出迎えるサーバにファフニーナの面通しをした。
「そっか、確かにファフニーナが街中にいきなり現れた日にゃパニック必至ですもんね」
「ふん、首尾よく手懐けたようだな。
多少疲労も見えるが、数日で回復するだろう。傷もない、頑丈な良い個体だ」
学ランの少年と軍服女はそのまま鏡遠影についてああだこうだと相談を始める。
出迎えはその他逢王兵二名。
漆黒の双剣を腰に下げた少女が、縛り上げた密猟者の兄弟を兵士らしいその二人に引き渡しつつ報酬だの手間賃だのと揉めている。
そして――夜風が、銀髪を撫でた。
少年ほどコミュニケーション強者でなく、少女ほど無礼千万でもないブラン・シルヴァは、柵の支柱に座って退屈そうに脚をパタパタ動かしている幼女に声をかけた。
「んにゃ、お兄ちゃん遊んでくれるにゃ?」
抱えた魔導書に頬っぺたを乗せていた彼女は顔を上げて、夜空と同じ色の瞳いっぱいに星を入れた。
そもそも自発的に人に話しかけることが得意ではない青年は、無邪気さに出鼻を挫かれ、いきなり本題を口にしてしまう。
「い、いや、そうではなくだな……その、そなたは、その……『天使』、なのか?」
「お兄ちゃんもそうなのにゃ」
当たり前のように返された正解に鼓動が跳ね、褐色の頬を冷や汗が伝う。
「ち、違う、余は……余には、そのような力は……ない、のだ」
「違うのにゃ? そうなんにゃ、意外とイト姐の名推理も宛てにならないにゃね」
とても素直に引き下がったサマーニャは相槌を打つと、次いで首を捻った。
「そいじゃミーに何のご用なのにゃ?
……はっ、人のいない夜の牧草地、綺麗なお星さまとお月さまの下なのにゃ……これは男女のいけない出会い、ナンパというやつでは」
「ない」
「なかったにゃ」
そこは会話に慣れないブランでも即答できた。
思わず漏れた溜め息のおかげで、青年はようやく話を進めることに成功する。
「……素直な好奇心からの質問だ。気を悪くしたなら答えずとも良い。
そなたは、あの強大な力をいつから手にしたのだ? それと……そなたのように自在に操るには、どうしたら良い?」
「うーん哲学の話にゃ? いいのにゃ暇だし熱く語るのにゃ!」
違うが話してはくれそうなので尖った耳を傾ける。
「あれは遠い遠い昔の話にゃ、ミーは……」
◇◇◇◇◇
これはカージョン地方に数年前まで栄えていた王国のお話。
その昔、肥沃な大地に恵まれたこの地方は、各所に沢山の集落を生み出した。
集落はそれぞれが繁栄を遂げ、国家となる。
国家は自分たちの幸せを願って領地を増やし……やがて他の国家と同じ土地に手を付ける。
争いに明け暮れて、多くの命が消費され、自暴自棄な刃が己の首元に達したあたりで権力者たちは争いに飽きた。
それぞれが上辺の笑みと片手の握手を持ちかけて、カージョン連合国は誕生した。
そしてその時点で争いに飽きていなかった王だけが、連合に加わることを拒否し、凄惨な末路を辿ることとなる。
――名もなき少女はそんな孤高な国が虚勢を張れていた頃に生まれた。
連合への加入を断ったその国は交易の蚊帳の外に置かれ、民に貧しい生活を強いていた。
当然、治安が良いはずもなく、幼子は横行する悪行の中で生まれ、親は横行する悪行の中で死んだ。
その日暮らしのゴミ漁り。
幼子は国というものを理解していなかったが、自分と自分のいる場所が嫌いであった。
ある日、横行する悪行が彼女に牙を剥いた。
誰でもいいが人間は高く売れるらしい。
保証もされていない儲け話に釣られた男たちが、幼子を倉庫に攫い、檻に閉じ込めた。
檻で順番待ちをする幼子は、二つ前の少年が烙印を刻まれ悲鳴を上げたのを目にして――本能から発狂する。
それが覚醒であった。
視界いっぱいの空色の光が綺麗だと感じた。
心地よい風がしばらく少女を包んでいた。
――気が付けば、倉庫も、男たちも、檻も、子供たちも、全ていなくなっていて、開けた大空だけが広がっていた。
――しかし、折角開けた大空は、覗き込む兵士たちの顔でまた覆われた。
王宮で周囲の大人たちがわけもわからない話を終えると、やがて幼子は『ヒューバート』と呼ばれるようになった。
それからは気持ちの悪い笑顔たちが肌触りの良い服と美味しい食事を持ってくる毎日が続く。
何回か野山に連れて行かれて、『しゅうか』というものを読んでやると、大人たちはその都度、気持ち悪い歓喜に包まれていた。
ヒューバートは彼らの不快感を注ぐように、綺麗な空色のマナに見入った。
そして一年もしない内に……頭に王冠を乗せた一番偉そうな大人が号令をかけた。
「今こそ! 誇りを失った烏合の王どもからこの地を奪還する!」
次の日にはヒューバートは兵士たちに囲まれて移動していた。
街でもない、倉庫でもない、王宮でもない、兵士しかいないその場所を、誰かが戦場と呼んでいた。
そこには横行する悪行しかなかった。
すっかり忘れていた倉庫での恐怖が頭をよぎる度、ヒューバートは綺麗なものを求めて空色の光を集め、迫る敵兵たちを薙ぎ払った。
――そんな日々を繰り返す内、ヒューバートの前に気持ち悪くない者が立ち塞がった。
その女性は、栗色の髪を三つ編みにして肩に流し、糸のように細い目をしていた。
イトネン・カーレムスは荒れ狂う暴風の隙間を巧みに縫って、ヒューバートの前に迫ると、ふわりと抱擁した。
それは少女にとって、ずっとずっと、どんな記憶よりも古く、どんな記憶よりも気持ちのいい感触に似ていたから、それ以上空色の光に見入る必要はなくなった。
後に聞いた話によると、あの王冠の偉い大人は数日後に「くーでたー」されたという。
幼子はまたも住まいを移し、今度は犬の顔をした老人に引き取られた。
アシャラ老と呼ばれていたプードル顔の老人は、幼子がちゃんと大空を見れるよう、どこにも閉じ込めたりはしなかった。
その後の毎日は、本は雑に積んでいる癖に駄目にすると叱られる、時折よくわからない道具を見せてきては爆発する、何かに没頭している様子の時は何日も食事が用意されない。
王宮よりも暮らしづらい暮らしを、幼子はいたく気に入った。
ヒューバートという名前は郷名だというので、新しく『サマーニャ』という名前を付けてもらった。
無限の可能性という意味なのだと聞いて、これまたいたく気に入った。
それからサマーニャはアシャラ老について回り、色々なことを教えてもらった。
少女にしてみれば面白い「じゃ」という語尾を真似てみたものの、舌ったらずの発音では「にゃ」にしかならなかった。
――空色の光を見なくなって久しいある日、アシャラ老と金髪にバンダナを巻いた女性が率いる一団の移動に内緒で紛れて乗り込み、大きな洞窟の調査へとやってきた。
サラーサ・ヴェルナーと呼ばれていた目つきの悪い姐御肌は、勝手についてきたサマーニャを最初こそ酷く叱りつけたが、溜め息の後は気さくで頼もしい話し相手になってくれた。
休憩の時に『麦芽酒』という飲み物をプハっと飲むさまが非常に美味しそうで、少女も水で真似をした。
洞窟で――アシャラ老とサラーサが窮地に陥った。
洞窟の奥には想定していなかった大きな魔物が潜んでいた。
『岩窟象』と呼ばれていた巨体を前に、二人は「ここは任せて先に行け」と仲間たちを逃がした。
逃げなかったサマーニャの前で二人が傷ついていったので、少女は役に立とうと集歌を唱えた。
洞窟の奥底まであの空色の光がなだれ込んできて――気づけばまた、全部がなくなって大空が見えるようになっていた。
また全部なくなった。
初めて自分の力をはっきりと認識して、絶望に落ちかけていたサマーニャは、二つの瓦礫がガラリと崩れ彼らが顔を出したことを喜んだ。
そして、彼らが『風ノ衣』に守られたと口にすると、空色の精霊たちに感謝をした。
やがて『ヒューバスティア』という国が遅まきながらカージョン連合国に加わった。
名実共にサマーニャという存在を手中に収めたカージョン連合の『逢王議会』は、少女を特別待遇として『逢王兵』に迎えることを打診した。
しかし、その申し出はリーゼントにラテンファッションの体格の良いオカマにより却下される。
サマーニャは打診の直前、月例会により最年少の『ギルドマスター』に任命されていた。
『王連分立』。
権力の一極化を防止するため、各ギルドの要職と王権に属する団体は兼任できない制度があった。
月例会で交わされた言葉は、たった数言だったという。
「ギルマスって何するにゃ?」
「そうね、端的に言うと……この街とこの国を本気で一番好きになるお仕事、かしらん?」
「じゃあできるにゃ! ミーもやるにゃ!」
こうしてサマーニャ・ヒューバートは衛生士ギルドマスターとなった。
◇◇◇◇◇
「ミーは昔、嫌なところにいたのにゃ。多分そこで初めてズアアってやったにゃ。
そしたら兵隊さんたちにもっとズアアってやんなきゃいけないとこに連れてかれたにゃ!
そこでイト姐にふわってされてアシャラさんに腰巾着したにゃ。
で、洞穴の象さんにアシャラさんとサラ姐がプハっとやられそうだったので、頑張ってズアアっとしたにゃ。
……思い返せば、そこから思った通りにズアれるようになったにゃ」
「ふむ、わからん」
「ヤマダにもそう言われたにゃ。皆理解力に乏しいのにゃ」
「余のせいなのか……」
要領を得ない会話にげんなりした青年であったが、会話の中で終始崩れることのない幼女の笑顔は興味深かった。
だから小手先のことを聞くのはもう止めて、本当に大切なことだけ、確認することにした。
「……サマーニャ殿は、この街が好き、なのだな?」
「大好きにゃ!」
その一言が即答で出る。
それだけで彼女が如何に『天使』として成功しているかがわかった。
ブランは夜風に揺れる銀髪を抑えながら、ルビーのような赤い視線を上げる。
街への愛を熱く語る幼女の向こうに、兵士にヘッドロックをかます少女がいて、その向こうに鞭で縛り上げられている少年がいて――その向こうに、暖かな灯りが溢れて零れる城壁と、照らし出される宮殿があった。
「ここの王は、さぞかし幸せだろうな……」
呟きはざわめく牧草地に溶けて、誰に届くこともなかった。
用語設定
『鏡遠影ファフニーナ』
カージョン地方の西部、水晶林に住まう中型の魔物。
別名は水晶林の傾奇者で、由来は威嚇と攻撃に使う多様な魔法と、映像が流れる皮膚の派手さから。
通常時の気性は穏やかで、知性も高いため、人に懐くこともあるという。
ファフニーナのメスの成体の皮膚は、子供を産むとその子供の視界の映像を模様として反映する。
詳しいメカニズムは解明されていないが、映像を纏うことで母親が視線を集め、子供から注意を逸らしていると推測されている。
炎、水、風の魔法現象を操る。
複数の属性を操る魔物は稀有であり、珍しさに見合った強さを誇る。
ひとたび子供を傷つければ、災害級の被害をもたらすとされている。
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