4-15 -鏡遠影の水晶林-
霧喰事件を追って『鏡遠影の水晶林』を訪れた悠太たちは、林の管理人を名乗る兄弟の提案を受け魔物をおびき出すこととなった。
水晶林の奥地で少年たちを待ち受けるのは、不思議な水晶樹と魔物の生態である。
「――おお、なんと珍妙な……」
銀髪の青年がローブの裾を握り、その赤い瞳を輝かせた。
「すっげぇ、めっちゃ綺麗だ……」
学ランの少年も黒目いっぱいに星を浮かべて、感動しきりである。
水晶林に入って間もない広場から更に奥地へ。
林道を囲む針葉樹の木々は、段々とその上背を長く、高くしていった。
そしてこの林で一定の高さを超えた木は、不思議なことに幹の中ほどから枝先に向けて水晶のように透き通っていく。
現在三人の目の前に広がっているのは、まさしく言葉通りの水晶林であった。
水晶の幹からは水晶の枝が伸び、その先端には水晶の葉が茂っている。
それらは日の光を乱反射し、七色のステンドグラスのように大地を照らす。
どうせなら赤毛の少女とデートに来たかった、と惜しむ程にはロマンチックで幻想的な光景であった。
うっとりする悠太とブランを置いて、黒髪の少女は羊皮紙を束ねた資料を手にさっさと先に進んでいく。
「『水晶樹』の成木だね――この樹たちは痩せた土地に植生してるから鳥や動物があまり種を運んでくれないんだ。
だから狭い範囲に密集しながら次の世代を育てなくちゃいけないんだと。
それで、まだ低い幼木たちに日光が行き渡るように枝や幹を水晶みたいに透かせてるみたい」
「ほえー」と感嘆の声を上げる悠太も一応資料には目を通しており、図説のキラキラした光景を楽しみにしていた。
その上で、水晶林の実物は想像以上の美しさであった。
元の世界でも所謂観光スポットに赴きそれなりに感動したりしたことはある。
しかし、やはり他の観光客のいない中で、定められた案内もない中で見上げる天然の景色への感動は何にも代えがたかった。
「これほどの美。宮廷の展覧会でも目にしたことは……」
「ああ……学校の展覧会じゃ見たくても見られないや」
「男二人でくねくねと気持ち悪いなぁもう……ん?」
ぼやきながら先行する少女が、水晶の視界に入り込む違和感に気づいた。
「ネピテルみたいなお子様にはわからないだろうなぁこの芸術的で」
「神秘的な光景に身を置く悦び……」
「ふぅん? ボク、もっと綺麗な……というか派手なものをあそこに見つけたんだけど、やっぱ見る人が見れば感動も倍増なのかな?」
少女の言葉に、すっかり美観に酔う自分に酔って美術評論家気どりの悠太とブランは聞き捨てならぬと目を凝らす。
だが、視線の先にいるものは、どうも美術的観点から評論する気にはなれない……魔物であった。
――それは、水晶が乱反射するいくつもの光が行きつく一際太い水晶樹の幹に、蝉のようにピタリとしがみつき、存在感を放っていた。
一目でわかるのはカメレオンのシルエット。
「……なんと、巨大な」
ただし大樹に貼り付いたそれのサイズは、遠目に見てもどうやら二トントラック程はありそうである。
その点で悠太の持つカメレオンの認識からずれている。
特徴的なまん丸の両目玉が、それぞれ独立して別の方向にギョロギョロと視線をやっていて、結果どこを見ているかわからない。
また、更に特徴的なのはその胴体。
悠太のいた世界のカメレオンは擬態で肌の色を変え、その身を景色に溶け込ませて隠していたが、この世界のそれは全く逆の進化を遂げたようだ。
「……なんだ、あれ」
その胴体の右肩付近には、浮雲の空の映像が浮かんでいた。
その胴体の左肩付近には、草むらをかき分け地を這うアングルの映像。
その胴体の右後ろ脚の付け根には、湖畔の丸石たちの映像。
その胴体の左後ろ脚の付け根には、見慣れない口髭のおっさんが泣いている姿の映像。
おっさんは管理人の兄弟とも違い、まるで見知らぬ顔であった。
「……ネピテル先生、解説ください」
「来るまでに資料には目通したでしょ」
「目の前の、特におっさんの顔のインパクトが強くて忘れちまった」
盛大に溜め息を吐いたネピテルは羊皮紙の束をブランの胸に押し付けて、腰の双剣に手をかける。
「――『鏡遠影ファフニーナ』、鏡遠影の雌だね。
皮膚の色素を操って、胴体にああいう映像を流せるみたい。魔導具みたいだね。
それぞれの映像はあいつの子供たちの視界にリンクしてるらしいよ」
丁寧な解説とは裏腹に、修羅場の経験数では三人の中から頭一つ出る少女の注意は淀みなく巨体に向けられている。
彼女の緊張感にファフニーナの実力を感じ取った悠太も、両腕に装備した緑かかった黒の篭手を上げてファイティングポーズをとる。
少女の解説が確かであれば、ファフニーナの子供は四匹。
それぞれ浮雲の空を、草むらの中を、湖畔の丸石たちを――そして見知らぬおっさんを眺めているという解釈になる。
「くそ、おっさん気になるなぁ……けど、ひとまずブランは下がっててくれ」
戦闘態勢に入った悠太が声をかけると、固まっていた褐色肌の青年が後ずさってゴクリと唾を呑んだ。
「……子供の見る景色を身体に映す親。
何故そのような生態を持つようになったのかはわからんが、できればなんとも微笑ましい魔物、なだけでいてくれると助かるのだが」
ほっこりしようと試みるブランを鼻で笑って、ネピテルは早くも黒い双剣を抜いた。
「ただの親馬鹿ならいいんだけどね、生憎あれは生存戦略だ。
自分の身体に景色とちぐはぐな映像を流すことで周囲の視線を集めて、外敵に子供たちが狙われないようにしてるんだ。裏を返せば……」
水晶樹に貼り付いた巨体はその身を静止させたまま、上を向いた大口をカパと開ける。
「――それだけ目立ってても誰にも襲われない、この一帯最強の魔物ってことだね」
大口に一瞬で赤い粒子の球が渦巻いた。
たったそれだけで魔物の強大な力は証明される。
集まるマナの量が、そこら辺の魔導師より明らかに多いからだである。
「来るよ!」
赤い光の塊が弾けて、四方八方に『火ノ玉』をばら撒いた。
火山弾のように降り注ぐそれらを、ネピテルは漆黒の双剣で弾く。
悠太は立ちすくむブランを突き飛ばす。
ブランが倒れ込んだすぐ上をいくつもの火の玉が通過した。
「……火、吹いたな」
管理人の兄弟が言っていた通りである。
「あー、他にもなんか言ってたね」
「確か……水も吹くのではなかったか」
大口の奥が今度は澄んだ青色に光り、粒子が泉のように溢れ出す。
やがて噴水のような水柱として顕現したそれらは、段々と細められ、天を貫く水のレーザーとなる。
「やばい」
誰ともなく落とされた言葉と同時、ファフニーナの首がぐるんとあり得ない可動域に回って周囲を一気に薙ぎ払う。
「いぃっ!?」
高圧の水流は木々を、大地を切断しながら三人に迫った。
ネピテルが跳んで避ける。
ブランが蹲る。
悠太が蹲ったブランの射線上に飛び込んで手をかざした。
「ステータス――オープン!」
手の平十五センチ先に浮かぶ白い光の板。
それは念じて浮かべた少年にしか見えず、しかしそこに存在し――何があっても動かないし壊れない――この世界の理を無視する代物である。
水流の一閃を画面がバチっと弾き、水飛沫がスコールのように降り注いだ。
それだけでどれ程の水が圧縮された攻撃かが伺え、背筋が冷たくなった。
遅れてレーザーに耐え切れなかった水晶樹が何本も折れ、バキバキと地に沈む。
「こいつをおびき出すのかよ……!」
想像より苦難しそうな感触が、少年の戦略立てを鈍らせる。
元よりこの世界の魔物の定義は魔法を用いる動物だが、悠太はここまで魔法を攻撃の主体とする魔物には出会ってこなかった。
未だに巨木に貼りついているカメレオンの魔物はさながら天然の大魔導師であり、皮膚に映る映像の賑やかさと魔法の派手さは、確かに『水晶林の傾奇者』との表現が似合った。
息を呑む悠太の横を――黒髪の人影が駆けた。
「はん、ビビッてんなってユータ。
陽動もいいけど、そんな小難しいことするよりここで調教しちゃえばそれでいいんでしょ? まずは一発入れられるか、小手調べじゃない?」
倒木を飛び越え、身を低く突進するネピテルは、再び大口を開けて静止するカメレオンの巨木にあと数歩というところまで迫った。
「近づけば意外と怖くなかったり、して!」
ぴょんと跳び乗った倒木を足場に更に高く跳躍、両双剣を肩に振りかぶって、並行に斬り下ろそうとする。
「ネピテル殿危ない!」
いち早くカメレオンの大口に灯った空色の粒子に感づいたブランが叫ぶ。
同時に大口が浮かべたのは空色に輝く風の球。
拡散する暴風が周囲を見境なく吹き飛ばす。
「わっ!?」
もれなく吹き飛ばされた少女は空中でバランスを取りつつ、幹やら地面を斬りつけて勢いを殺し、結局悠太たちの隣にまで戻ってきた。
「……おかえり」
「むぅ、あいつ一歩も動いてないのが腹立つ」
むくれ顔の言う通り、鏡遠影は巨木に貼り付いたまま、大口から放つ魔法と首の可動域だけで三人を翻弄していた。
それを余裕の表れと考えた少女は不満を募らせたが……一方、かの魔物としても、攻撃に対応している三人の存在は不本意であった。
――あの人ではない人間、愚かな人間、脆弱な人間。
この狡猾なゴブリンもどき共は仲間を、子供たちを連れ去る。
つい先日も仲間が連れて行かれた。
檻に捕え、子を盾に、衰弱するまでいたぶり、子供たちごと連れて行った。
そうはさせない。可愛い坊やたちは――私が守る。
――カメレオンの首がぐりんと捻じれて大口が悠太たちに向けられる。
マナの光を灯す様子はない。
口内にあるのは、喉の奥の闇と、唾液でてらつく舌である。
魔法を主体に攻めてくると踏んでいた三人それぞれの反応が鈍った隙に――極太の舌が大砲のように撃ち出される。
一閃が悠太とネピテルの間を駆け抜けて、腰砕けのブランの隣の水晶樹を貫通した。
カメレオンなのだから舌を伸ばすこともあるだろうが、明らかにその威力は、獲物を絡めとるというよりは、獲物を叩き潰すことに比重を置いているように思えた。
「ひっ、あ、く、来るのでは、なかった……」
わたわたと逃げ出そうとする彼の背後、伸ばされた粘着質な舌が力み、樹がメキと軋んだ。
「ヤバいネピテル、跳べ!」
少年自身が使う魔導具、『大蔦豚の篭手』も似たようなことが可能なので、気づくことができた。
伸縮自在の舌が縮む反動を利用し、トラック程もある巨体が巨木の幹を離れ、ミサイルのように突っ込んできた。
刹那の一瞬、悠太の視界に映るのは、ひきつった顔で飛び退く少女と、何も反応できていないローブの青年、そのローブをむんずと掴む悠太自身の手である。
爆発音、と表現した方が近かった。
巨体の体当たりは大地を爆砕し、木片と粉塵を巻き上げ、通過点と着地点の木々をへし折ってなぎ倒した。
まだ無事な水晶樹の幹に双剣を突き立ててぶら下がる少女の無事に安堵し、悠太は腕の中で震える青年に目を落とした。
「……ブラン、無事か」
なりふり構っていられず、今はいわゆるお姫様抱っこで青年を抱えている。
抱き寄せる肩幅も支える膝裏も、女性のそれほどではないがかなり華奢であった。
「うう、ユーダ、殿ぉ……」
涙交じりの声が無事を証明したので、悠太は微笑んで返してやる。
「無事で良かった」
その笑みは青年にとって、地獄に舞い降りた天使のそれに見えたという。
「ユーダ殿……余を、余を惚れさせてどうする気だぁ……」
「次気色悪いこと言ったらぶん投げるからな」
言いながら青年を脇にぶん投げ、悠太は視線を上げた。
ほんの数メートル先、大地に四つん這いに立ち、再び目玉以外を静止させるカメレオン。
次の挙動が読めないのが怖いが、距離的には『調教』を叩き込むタイミングとしては絶好のチャンスである。
「――気高き尊よ」
魔法『調教』は、緑のマナを付与した一撃を魔物に叩き込むことで絆を結ぶ魔法。
だが巨体は、チャンスをそう長い時間寄こしてくれなかった。
悠太が唱えた集歌に何か危機を察知したのか、カメレオンは再び舌を遠くの木の幹に伸ばし、豪快に身を翻し跳躍する。
元と同じように幹に貼り付いたファフニーナを確認して、飛び降りてきた少女が盛大に溜め息を吐く。
「はぁ、振り出しだ。場所が悪いね。ここじゃあいつが遠距離攻撃と一撃離脱をし放題だ」
思い出されたのはこの林に入る前に打ち合わせた管理人との会話であった。
――俺と兄貴がさっきの広場で秘密兵器を準備して待ってる。だからそこに鏡遠影を呼び込んでくれ。
「――それで管理人さんたちは広場に誘えって言ってたわけか」
「さぁね、でも確かに、こいつは広場に引きずり出した方が得策だ」
不敵に笑ってネピテルは双剣の一振りを腰に戻して、残った1本を身を捻り下段に振りかぶる。
「引きずり出すってどうやって……傀儡界雷もあいつに近づかないと無理だろ?」
「それはどうかな?」
金色の瞳が悪戯っぽく笑って、漆黒の刀身に禍々しい雷が迸った。
攻撃の気配を感じ取ったカメレオンが大口を開けて空色のマナを集めた。
先程見せた接近を許さない風の球の構えである。
「――天才であるボクは考えた」
そして少女が何か浸りだす。
「不本意にも弱体化した魔剣の取り回しが悪くなってる――どうすれば改善できるのか」
不満気に言っているが、少女はかつて本調子の魔剣に命を弄ばれていた。
そのことを覚えていないではないだろうに、それでも果敢に魔剣を使い続ける姿には彼女の意地や信念がはっきり表れていた。
「おっほん、ユータ君、魔導具の御技は――武器に宿る思念をねじ伏せることで色んな用途が増えていくのだよ」
不敵な宣言と同時、カメレオンが風の球を大口に浮かべた。
距離を置いてなおも吹きすさぶ風に、悠太とブランは腕で顔を覆う。
少女だけが風の防護壁の奥にある標的を見据えていた。
「新技ご披露だ。風じゃ雷は止まらない――『傀儡界雷・糸』!」
技名を叫ぶと同時に黒剣を振るう。
先端がパリッと帯電したかと思うと、それは鋭く細い黒雷となって閃いた。
黒雷の糸は、風の隙間を縫いぐんぐんと伸び、カメレオンまで到達してその額を弾く。
するとそれまで爬虫類然としていたファフニーナの無表情な顔に怒りが灯って、どこを見ていたかわからなかった双眸も、黒髪の少女に狙いを定めた。
「はん、成功」
どや顔で決めポーズを取る少女を格好いいとも思ったが、次の展開を考えるとあまり悠長に構えている暇はないのではと心配になった。
『傀儡界雷』は本来は雷で対象の身体を自由に操る技だが、魔導具の生前の姿である魔王に嫌われた少女が使うと、対象は制御不能で少女に襲い掛かるようになる。
つまり……陽動に向いていると言えば確かに向いている。
「……正直」
どや顔が表情そのまま本音を吐露した。
「新しく使えるようになったんで、とりあえず使いたかった感あります」
わかる。
――ズン、と大地が揺れて、見るとカメレオンが地面に降り立ち、怒りの眼をギラつかせている。
「ネピテル、こりゃ逃げるのも一筋縄じゃいかないぞ」
「損な役回り引き受けたんだ、絶対これ終わったら何か奢ってよ?」
「お前が勝手に……」
「ダメ、奢ってくれなきゃ割に合わない。あとちゃんと援護してよね!」
言うが早いが少女は引き返し、広場に向かって走り出す。
すると一目散に駆ける黒髪を追うように、悠太たちの頭上をヒュンと舌が飛んだ。
次いで巨体がもの凄いスピードで、残る二人には目もくれずに後を追った。
抜き去られる一瞬、胴体に映った謎のおっさんと目が合った気がした。
「うお!? くそ、速いな、早く追わないと……」
「よ、余も、余も追うぞ!」
青年は腰砕けの身体を動かして、何とか彼らに食らいついて行こうとした。
だが駆け出す寸前――エルフの尖った耳に「……けて……」と聞こえたものだから、ブランは赤い視線を林の奥へと向ける。
「どうしたブラン?」
振り向き急かす悠太を、口元に指を立てるジェスチャーで黙らせる。
するとはっきり――「助けてくれ!」という男性の声が、今度は二人に届いた。
顔を見合わせ、悠太とブランは困惑した。
声のした方角は広場とは逆、林の更に奥地。
「水晶林にまだ人が……? くそ、また他の鏡遠影が誰かを襲ってる、と不味い、よな」
「し、しかし、ネピテル殿が」
銀髪の青年の言う通り、今は少女がその小さい身体で巨大な敵を引き付けてくれている。
その身を案じる気持ちは十分にあった。
だから少年は、青年に伝えた。
「わるいブラン、俺は声の方に行ってくる」
「ええ!? ネピテル殿は!?」
青年が慌てる頃には悠太は既に駆け出していた。
「ブランが支えてやってくれ! 声の人を助けたらすぐ戻るから!」
学ランの後ろ姿は返事も待たずに声の方角に消えていった。
残されたブラン・シルヴァは頭を抱えて少年の方向と少女の方向を交互に見て、やがて少女の逃げた方向に全速力で駆け出した。





