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1-1 ええ、黒いトラックでした。轢かれた子は、高校生くらいだったと思います。


 人は誰しも、主人公である。


 かつては彼も、主人公であった。


 徒競走で二等賞になった運動会があった。

 テストで九十点を取ったことがあった。

 ドッジボールで最後まで生き残るも、結局負けたことがあった。

 いじめられっ子の女子を(かば)って、いじめられたことがあった。


 それでもずっと、主人公であった。


 そんな山田悠太(やまだゆうた)に、彼が物語の主人公ではないと気付かせたのは、他でもない物語の主人公たちであった。

 アニメの、漫画の、小説の、ゲームの世界に生きる彼らはいつだって他の登場人物よりも秀でた身体能力で、特殊能力で、人徳で……いずれかのステータスで一等賞か百点満点を取って、輪の中心にいた。


 悠太が彼らと自分を重ねられなくなったのは中学生の終わり。

 受験だ何だで嫌が応にもクラスメイトと学力を比較され、周りが安パイだと太鼓判(たいこばん)を押す地元の高校へと進学した頃である。


 進学した後、受験勉強にそこそこ打ち込んだ自分への褒美(ほうび)に、()え置きゲーム機でロールプレイングゲームを遊んだ。


 主人公を自由に名づけられるゲームであった。


 かつてこの手の主人公には自分の名前を付けていた悠太だであったが、無意識にそうした自己投影は避けていた。


 ――時は進み高校二年生の五月。


 詰襟(つめえり)の学ランがそろそろ暑苦しく、夏服が待ち遠しくなる頃。

 帰宅部の悠太は、クラス編成で意気投合した小規模なグループのメンバーと他愛ない話をして、スマホを突き合わせてアプリを楽しんで、帰路(きろ)についた。


 スクールバッグを肩にかけ、(かかと)の潰れたスニーカーを履く。


 通学路。

 夕暮れのアスファルトを乗用車が一台、悠太を追い越していった。

 ガードレールを越えて(かす)かに届くタイヤの(にお)いに鼻をすすり、差しかかった幹線道路(かんせんどうろ)との交差点を前に、ポケットのスマホに触れる。


 点滅する青信号に、これ幸いと立ち止まる。


 取り出したスマホのロックを解く。

 暇があると画面に目をやってしまうのは、交差点に居合わせた(ろう)を除いた若男女(にゃくなんにょ)に共通していた。

 悠太も例外ではなく、学校で開いていた漫画アプリを閉じると、赤信号の合間にアプリゲームの一人作業に(いそ)しんだ。


 キリの良いところでスマホから目を離す。

 大通りの交差点のわりにデシベルが低くて気付かなかったが、既に信号は青かった。


 スマホをポケットにしまい、横断歩道へとスニーカーを踏み出す。

 車両の影はなかった。


 ここを渡りきって、坂道を下れば家はすぐである。


 中ほど、青信号が点滅したので、小走りになる。


 帰れば夕方のワイドショーと夕飯の匂い、母の小言と姉の文句、父の加齢臭、団欒(だんらん)の時間、シャワーとちょっとした課題と犬の散歩、柔らかい布団が待っていて、平凡な一日が終わり、また平凡な明日が始まる。


 ――そのはずだであった。


 夕闇には明るすぎるハイビームと地鳴りを連れて、交差点に大きなトラックが猛進してきた。

 逆光で運転席は見えなかった。

 交差点に差し掛かるにしては、スピードを出し過ぎている。


「え」


 驚くほどに間抜けな声、迫る危機にピクリとも動かない両脚。


 歩道から向けられる視線には、口元を抑えるOLや、子の目を塞ぐ母親、平然とスマホを向けるサラリーマンがいたが、それら平凡な世界は、ハイビームの光とクラクションに呑み込まれていき――ドンッ! と闇に閉じた。



◇◇◇◇◇



 五体満足だ。


 頭脳明晰ではない。


 容姿端麗とは言えない。


 秀でた才能はない。


 努力家かどうか怪しい。


 優しい、時はある。


 どうも平々凡々だけど、ちょっと不安だけど。


 こんなこと、望んでもいないだろうけど……それでもやっぱり。


 ーー私は君の物語が見たいんだ。



◇◇◇◇◇



 ――鼻先に冷たい感触が(はじ)けた。


 (まぶた)を開けると青と緑が楕円形(だえんけい)に広がっていき、かすむ目をこすると、青空と若葉色の木だとわかった。

 半身を起こしてぐるりと首を回す。


「は?」


 草、木、池だけが視界に映った。

 耳には風のざわめき、鼻には土草(つちくさ)の匂い、肌には(わず)かに湿気を(はら)んだ空気がまとわりついていた。


 両手で学ランを肩から腰にかけてまさぐった。

 知った生地(きじ)の感触、知った体つき。いつもの少年自身である。


 次に手は、ポケットのスマホを求めた。

 そこには現時刻やこの場所の位置や連絡を取る家族や友達の情報が詰まっている。


 だから、ポケットの虚無(きょむ)には心底驚いた。


「マジで? マジでマジか?」


 尻ポケット胸ポケットワイシャツのポケットも探り、「ない!」と叫んだ。

 続いてスクールバッグを(あさ)ろうと視線を巡らせて、やっと、冷や汗が(にじ)み出る感覚に襲われた。


 バッグすらも、ない。


「嘘だろ、意味わからん」


 低い草をかき分ける。ない。


 木の(かげ)を覗き込む。ない。


 池の水面を覗き込む。

 澄んだそこにはスマホの黒画面ぶりに、黒髪黒目の地味な顔が認められるのみであった。


 狼狽(うろた)えた声は、もう出てこなかった。


 草むらに胡坐(あぐら)をかいて腕を組み、脳を起動させた。

 悠太の記憶に残っているのは、トラックのハイビームに包まれたところまでであった。

 そこまでは、しっかりと覚えている。


 勿論、その後のことだって容易に想像できる――事故である。


 交通事故にあったのだ。

 頭でも打った時に、意識を失ったのだ。

 (ゆえ)に、ここが病室であれば、非常にすんなりと事態を飲み込める。

 だがこのような開放的な病室を悠太は知らなかった。


 チュンチュンと、小鳥がさえずった。


「……天、国?」


 よもやの発想に、彼自身が驚き、そして血の気が引く感覚に見舞われた。

 正直、病室の次に納得できる場所ではあった。


 享年(きょうねん)17歳、あまりにも若く、(はかな)い命であった。

 親不孝この上ない。


 首を大きく左右にぶんぶん振った。


 身体は動かして触ってみたところ、五体満足である。

 とても死んでいるとは思えない。


 ()かれた形跡すらない。

 それは逆に不自然だ。

 やはり死んだのかも知れない。


「いやいやいや……それだけはない、はず。

 じゃあ何だこの場所、この状況は……」


 誘拐? 夢? ドッキリ?

 いくつもの納得できる可能性を頭に浮かべては否定し、数十秒。


 何とか妥協できるあらすじに辿り着いた。


「……オーケー、これだ、これで行こう」


 ――とある最悪な日、悠太少年は、悪しきトラックに轢かれ全身粉砕(ぜんしんふんさい)剥離疲労複雑(はくりひろうふくざつ)開放骨折(かいほうこっせつ)となり、病院に緊急搬送(はんそう)された。

 泣いて祈る両親と姉、飼い犬のポッチーに医師はこう告げた。


「なんとか一命は取り留めました」


 歓喜に湧く山田家、しかし医師の表情は暗い。


「ですが、どうやら悠太君は重度の記憶障害のようです。治すにはどっかド田舎山の中の、なんかの診療所で療養(りょうよう)するしかありません」


 衝撃の事実に母は父の胸で泣き、父は涙ながらに答える。


「それで、悠太が治るのなら……」


 そんな経緯があり、日本のどこかで静養(せいよう)することになった悠太。

 身体は順調に回復し、診療所の手伝いをするようになった。

 今日は水汲みを頼まれて池の(ほとり)まで来たが、あまりの陽気の良さに気持ちよくなり、居眠りを始めたわけだ。


「その間にレム睡眠とノンレム睡眠が何やかんやして――」


 ――記憶が戻った、というのはどうか。


 当然、本気でそう思っているわけではなかった。

 正常性バイアスの際たるものである。

 だがこうして不安の芽を潰していかないと、人は行動すらできない。


「さて、と」


 いつまでも留まってはいられまい。

 頭を()いて、立ち上がる。


 悠太は池を背にして歩き出した。

 幸いにも伸びている黒土(くろつち)の道は一本であった。

 道があるということは、人の手が入っているということである。

 この道を進めば、少なくとも山小屋くらいはあるだろう。


 楽観的にそう思い、(くせ)のように現時刻を確認しようとポケットに手を伸ばす。

 そこにスマホがなくて、一瞬だけ、脳裏に漫画アプリで読んでいた内容が(よぎ)った。


 その漫画の主人公は、現世で交通事故に合い絶命するも、別世界で新しい命を得て、冒険者という第二の人生を歩んでいくのだ。


「……ないな」


 高校生になって流石にそこまで夢は見ていない。

 もう、自分は何の主人公でもない。

 鼻で笑って、悠太は帰りを急ぐのであった。


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