4-8 裏切り者
正門と学院を繋ぐ煉瓦の通り。
傍らの青銅ベンチに座って、職探しの厳しさを身をもって知ったローブの青年と付き添いの少年はどちらともなく溜め息を吐いた。
青年は呟く。
「後悔の多い人生を、送ってきた」
「なんか、小説的だな」
二人が座るのは九時街、魔導師ギルド兼『魔導学院』の正面敷地内。
赤いブレザーの制服に身を包んだ学院生が行き交う重厚な正門の脇に置いてあるベンチ。
依然ぐったりしている黒髪の少女は二人の間、ベンチの背もたれに干してある。
「……先程、魔導具ギルドマスターが言っていた通りだ。
余は長命のエルフでありながら……長い時間の中で、身体も鍛えず、知識も蓄えず……やって来たことと言えば、童心に戻れる物語や詩を見返すことばかり」
「そう落ち込むなって。俺だってそうさ。やっときゃ良かったと思うことはいっぱいある。
大人はまだ若いんだからって言うけどさ、過去に戻れない以上、後悔は後悔なんだよな。
あの時もっと頑張ってたらとか、もっとちゃんと言うこと聞いておけばとか……多分、皆そう思ってる、と俺は思ってる」
悠太は自虐的にはにかんで頬をかく。
「ユータ殿……そうかユータ殿も、救いようのない灰色の人生を歩む戦友であったか」
そこまでは言ってない。
「ふふふ、日が落ちるまで語らおう。薔薇色の人生を送る若人の傍らで。つまはじき者の苦悩、屈辱、後悔、無力感……」
これは重傷である。
学院の守衛は遠くから訝し気な視線を送るに留まっている。
伝鳥で学園関係者である赤毛の少女に待ち合わせの旨は伝えているので、恐らく話は通っているのだろう。
ただしそんな経緯を知らない学院生たちは不審者を見るような視線で一瞥しては遠回りに通過していく。
比率的に女学生が多い中、ベンチでどんより俯く男二人とぴくりとも動かない少女。
通報されていないだけマシなのだろう。
そんな影の落ちるベンチに――ふわりと爽やかな風が舞った。
「……ええと、大丈夫?」
戸惑い気味の声であった。
視線を上げた先の少女は、すらりと長い脚の重心を組み替え、くびれた腰のスカートを揺らし、鮮やかな赤毛を傾げた首筋の横でいじっていた。
大空を詰め込んだような勝ち気な青い瞳、今は少し困惑して悠太を映している。
「ライチ」
ライチ・カペルはこのはちゃめちゃな世界で悠太が初めて話した相手であり、命の恩人であり、貴重な常識人であり、そして想い人でもある。
会うのは哨戒クエストを挟んで三日ぶりであった。
悠太はベンチから腰を上げ、にこやかに片手を上げる。
「ごめんな呼び出しちゃって」
「ううん、気にしないで。あと……ネピテルも大丈夫?」
彼女の青い瞳が戸惑いがちに干された少女に向く。
所属ギルドは異なるが、二人は馬が合うらしく時折一緒にいるのを見る。
「多分大丈夫。いつもの粛清だから」
「じゃあ大丈夫ね」
なお、モーニングの『星天の薄亭』にも顔を出すことがあるので、店主の拳骨に沈む少女の姿も見慣れているのであった。
「そっちこそ今日って大丈夫だったか? 割と急にお願いしちまったけど」
「うん、もう講義は終わりだから、時間には余裕ある」
「そっか」
少し間を挟んだ再会に浮ついた気持ちを隠したくて、互いに必要以上に見つめ合ってしまい、逆に会話が途切れる。
訪れたこそばゆい沈黙に、か細い呟きが落とされた。
「……つくしい」
「え?」
「美しい……ユータ殿……このご婦人とは、どういった関係だ?」
褐色の青年はベンチに座ったまま、ライチを見上げて口元で結んだ手をわなわなと震わせた。
「どういった関係って、言われても」
馬鹿正直に「好きな子です」と言えるはずもない。
まごついて彼女に視線を送るも、「知らない」とわずかに赤らんだ頬は逃げるようにそっぽを向く。
「答えよ……どういう関係だ!」
何か雰囲気の違うブランの難問に答えあぐねていると、回答はライチの背後から投げられた。
二つの人影は、濃紺のポニーテールと、丸い眼鏡。
「悪いね兄ちゃん、そいつらの関係は『特別保護観察暫定夫婦』だ」
「特べ……何て?」
聞き慣れない造語は、ライチと同じ色のブレザーを肩に担ぐリズリー・バートリーからであった。
隣にはブレザーを羽織った眼鏡のニナ・マルムがいる。
二人とも魔導学院の生徒でライチの友人である。
一歩前に出てリズリーが神妙な顔つきで言い放つ。
「特別保護観察暫定夫婦。ライっちとユータはな、研究第一人者たるアタシがムラム……ワクワクしながら遊……観察する対象なんだ。お兄さん横恋慕はなしで頼むよ」
「なんか、凄ぇこと言われた気がする」
「そ、そうなんです……ライちゃんは確かに苦悶と葛藤と屈辱の快楽に堕ちるのとか凄く似合いそうだけど、実際の友達がそうなったら悲しいし気まずいの……残念だけど恋敵はいらない、と思います」
「なんか、凄ぇこと言われてるぞ」
誰にも届かない悠太の声が虚しく消える中、ブランはベンチから勢いよく立ち上がり、ローブをバサリと振り払った。
「いや待たれお二人共! 安心してほしい! 余はヘタレだ!」
そしてどうしようもない宣言をした。
「度胸のなさには自信がある、筋金入りだ、見くびらないで頂きたい!
他人の痴情に踏み込み、あまつさえもつれさせるなど天地がひっくり返ろうと有り得ない!
そもそも余も純愛一途なハッピーエンド展開こそが好み! 略奪も禁断の恋も以ての外だ!
愛は健やかなる二人とその周囲のお節介で育むものだ……見守ることに異論はない!」
「なんか凄ぇこと言ってる!?」
出会ってから一番活き活きした勢いで口調を強め、ブランは次いで悠太を睨んだ。
「だが……ユータ殿! そなたにはまた別件でもの申したい!」
「お、俺?」
「そなた、救いようのない灰色の人生を歩んできたと言ったな」
「言ってな……」
「余とはネガティブフレンズと言ったな!」
「聞いたこともねぇ!」
「にも関わらずこのような……このような可憐な女子と特別保護観察暫定夫婦などと!」
「下らねぇ造語覚えてんじゃねぇよ!」
「余はな、人生の悲哀を、人の弱さを謳った歌や物語が好きなのだ!
才覚なく、努力も通じず、競り負け、追い越され、落ちていきながらも必死にもがき頑張っている人間のストーリーに勇気を貰うのだ。
彼らの奮い立つ姿に倣って、余自身を支えようとしているのだ!」
「ブラン?」
「だがな……そういう歌や物語に限って……!」
「ブランさん?」
「何が『君がいたから乗り越えられた』だ。反吐が出る」
「ブランさん!?」
「『君』と呼べる相手がいる者がどん底の人生を語るでない! ユータ殿の裏切り者ぉ!」
最後に凄まじい難癖をつけられた気がするが、青年の迫力に返す言葉はなかった。
そして熱の入った演説に行き交う何人かの学院生が足を止め、パラパラと拍手を寄こす。
オーディエンスを代表して、丸眼鏡の少女とポニーテールの少女が歩み出た。
「……同意です。昨今の孤独を装った惚気話には辟易としているのです」
「兄ちゃんわかってるな。こちとら孤独同士の傷の舐め合いを望んでんだ。孤独じゃねぇ奴が孤独装って紛れ込もうとすんなって話だよな」
何やら意気投合した三人は、やがて拳を突き合わせた。
「ニナ・マルム、です」
「アタシはリズリー。名前は?」
「余は、ブラン。ブラン・シルヴァだ」
どうやら孤独は抜け出せたようで何よりであった。
「あー……ところでブラン。ここには何しに来たんだっけ」
「む? 同好の志を……いや、そうだ魔導学院に入学させて頂きたいと」
ちょいちょいと指を差す。
その先には、さっきから一言も話さず、死んだ魚のような目をしたライチが腕組みをしていた。
「……話、終わった?」
声が冷たい。
「あ、ああ、終わったみたいだ。だから、こいつ……ええとブランに入学を……」
「名乗りもせずに人の人間関係を好き勝手決めつけて喚く奴を?」
怒ってる。
悠太は続く言葉を紡げず、ブランは正気に戻って「あわあわ」と耳を下げ、二人娘はヤバそうに表情を固めた。
ネピテルはピクリとも動かない。
五者五様に沈黙する情けなさに、彼女は盛大な溜め息を吐いた。
「無理ね」とでも言い出しそうなジト目な彼女が口を開いたその時であった。
「――ふぅん? 君、我が魔導学院に入学したいのねん?」
ライチたちの更に背後から、やけにナ行とマ行が目立つねっとりとした声が掛けられた。
その者は、悠太が見上げるほどの大柄な老人であった。
老人の両脇には、見るからに学者な風体のお付きが侍っている。
漆黒のマントに身を包み、面長の青白い顔には歳を感じさせる皺、ギョロリとした眼は蛇を彷彿とさせ、その耳はブラン同様に尖っていた。
正直、悪人顔である。
悠太は無意識に赤毛の少女を庇うように位置取りを改めて眉をひそめた。
禿げ頭の上でずれていた学帽を枯木のような指が直す。
すると、ライチを含め制服を着た三人が背筋をシャキッと伸ばした。
「ティ、『ティスア』学院長!? 何でここに!?」
驚く彼女らにひらひらと手を振って、蛇のような瞳が悠太と、亡骸もどきを映した。
「んー? まあ、ちょっと、様子を見にねん」
当の悠太はブランと顔を見合わせて、学院長という言葉について首を捻っていた。
学院長というのは、多分学院で一番偉い人の役職である。
魔導学院は魔法を追求する魔導師ギルドの最高峰の研究機関であり、ギルドの本拠地と聞いている。
「……あれ、つまり、魔導師ギルドの、ギルドマスター、さん?」
隣の赤い頭がコクコクと揺れる。
どうやら権威のある方のようであった。
少年はあたふたしたりちょっと居住まいを正してみたりと、静かに慌てる。
その様子を見て老人はどこかうんざりとした溜め息を吐いた。
「この子らがねぇ……まあいいや、で、そこ、エルフの君、うちへの入学希望なのねん? どうなのよ?」
威圧的な尋ね方であった。
大柄で強面、どこか化け物ぜんとしたティスアが喋る度に、蛇のように二股に分かれた舌がチロチロと覗く。
ともかく彼の雰囲気には、心の弱い者の言論の一切を黙らせる迫力があった。
だから、心弱きブランは震えるばかりで何も返せなかった。
ここが正念場だと、悠太はブランの背を叩いてやる。
物理的な衝撃が硬直を破り、一歩飛び出したブランは瞳の焦点を定めないまま宣誓のように頼み込んだ。
「がが、学院長殿! ええと、あの、余を、余を寮に置いて欲しい!
ここで学ばせてほしいのだ! もう行く先がないのだ!
魔法なら心得……ではなく、み、見たことがある! その、集歌は、集歌すら、集められぬ、未熟者だが……」
老人が「ふぅん?」と唸る。
緊張の一瞬。
悠太がライチと一緒に首都に入ったその日、魔導師ギルドに所属しているという金髪のお嬢様と出会った。
その時お嬢様はライチに対して、魔法も満足に使えない者はギルドに相応しくないと言った。
確かにライチはマナを集める力に乏しく、満足な魔法は今も使うことができない。
そんな記憶と何となくエリート主義そうに見えるティスアが重なり、悠太は不安を抱えながら返答を待った。
「別に、いいのねん」
だから、あっけらかんと答えられた時は耳を疑った。
「ほ、本当か……? 無理、ではないのか? 即答で……」
「聞こえなかった? 別にいいと言ってるよ」
再び苛立ちを宿した口調にブランは慌てた。
「す、すまない! その、今日に至るまで、受け入れられたことが、あまりなく……余は、魔法も使えぬし、体力も根性も、知識も意欲も足りぬと言われ……常に、ずっと、間違ってきた、から……」
「ブラン……」
声のトーンと耳が下がるのは先程までとは変わらないが、その言葉からはどうも今日のギルド巡りだけではなく、彼の背景を窺い知れるような気がする。
そんな褐色のエルフを、色白のエルフは相変わらず圧のある風体で見下す。
しかし、漏らした声には子を諭す親のような優しさが感じ取れた。
「……学び舎とは、持たざる者が何かを手にする場所なのねん。
ここは君のような未熟者が、この世の荒波を越えるのに必要なものを手にするまで、何度でも間違える場所だよ。今は手ぶらで構わないのねん」
ティスアの言葉は向けられたブランはおろか、悠太や院生たちにも一考の余地を与え、場に静寂をもたらした。
次第にブランの瞳が潤んで震え始め、ティスアはそれに黙って頷いた。
その光景に悠太は隣のライチへと耳打ちした。
「強面だけど、良い先生、なんだな」
「うん、私なんかでも受け入れてくれるギルドだしね。
時々教壇にも立ってくれて、凄くわかりやすいのよ?」
人は見かけによらず。
この世界で何度も思ってきたことではあるが、一番しっくりきたケースかも知れない。
受け入れられる幸せを今まで享受することが少なかった青年は、感極まって腕を広げる。
「学院長どの……いや、ティスア先生! 先生ぇ!」
「あ、ところでねん」
抱き着こうとする青年の前に、ピシャリと声が挟まれる。
「君、学費、あるのねん?」
ブランの身体がピタリと止まった。
「人や物を用意するのもタダじゃないのねん。
そこら辺、窓口でちゃんと手続きしてもらってから入学してね。じゃあ儂行くから」
マントを翻して踵を返すと、学院長は振り返ることなく学院へと歩いて行く。
付き従う学者たちが何やら急かすようにスケジュールを告げているようであった。
置いて行かれた若者たちは、思い出したように突き付けられた現実に、ただ目を点にするしかなかった。
沈黙を破ったのは、先程までご機嫌斜めだった赤毛の少女である。
「……改めて、ライチ・カペルよ」
どこか困り顔で手を差し伸べると、固まっていた青年は申し訳なさそうに向き直った。
「あ、う、先程は失礼した……ブラン・シルヴァだ」
「もういいわよ、今のやり取り見てたら悪い奴じゃないのはわかるし。
ユータから伝鳥で聞いてる。学費ないんでしょ? 私と同じよ」
ライチの出身はあまり経済的に余裕がないカペル村である。
旅立ちの折に路銀は持たせてくれたが、学費までは工面しきれない。
「確か、ライチって奨学金制度みたいなの利用してるんだっけ?」
「ええ、学費の九割猶予ね。申請条件は自治長以上の紹介状、継続条件は成績の維持。
あと学費の一割は払わなきゃだから、短期の働き口くらいは探さなきゃいけないと思うわ」
「ぐ、紹介状はあるが、やはり労働は避けて通れぬのだな……」
再びしょんぼりするブランの肩に、馴れ馴れしいポニーテールの少女が肘を乗せて寄りかかった。
「そりゃ当然だろよ。ライっちは六時のギルマスんとこの配達だっけ?」
「有人のミルキー便ですよね。ライちゃん雲鼠乗れるの格好良いなぁ」
彼女の雲鼠『マグレブ』は熊ほどの巨体の白いハムスターである。
風を操る魔物の雲鼠は、人や物を運ぶ手段として人々の暮らしに役立っている。
「その気になればニナも乗れるわよ。マグちゃんの運動にもなるし、いいアルバイト紹介してもらったわ」
「そのせいで講義以外じゃ中々アタシらと会ってくれないんだよなぁ」
「それは……ご、ごめん」
「ユータさんの頼みならこうして時間作ってくれるのにねモガ」
眼鏡の少女の口が塞がれた。
ポニーテールの彼女に対しては視線で牽制しているようであった。
何故かブランが恨めしげに悠太を見た。
頬を染めたライチが話題を戻す。
「ま、まあ、住み込みであれこれ探すよりは遥かに探しやすいと思うの。
七時街から六時街にかけてはお店が多いから当たってみたらどうかしら。
学院の申請に関しては必要なもの用意しといてあげるから」
「すまない、手間をかける」
「そうと決まれば次は七時街かな?
今度はギルマスに直談判じゃなくてお店を虱潰しに当たってみるか。ライチ、ありがとうな!」
「あなたも大変ね、いってらっしゃい」
手を振る赤毛の少女を二人の学友が「おお」と感嘆の表情で見る。
悠太も流石に「あなた」と「いってらっしゃい」では夫婦の送り出しみたいだと頬に熱を感じた。
肝心の本人はこういう時だけ天然なようで首を傾げつつ微笑んでいる。
「ユータ殿、正直余はまどろっこしいぞモゴァ!?」
悠太はブランにヘッドロックをかけ、ネピテルを担ぐと大股で学院を後にした。
「ん、あ……ボク、は……?」
担がれた少女が意識を浮上させた頃、日はゆっくりと傾きかけていた。





