4-4 平々凡々ボーイ&小悪党系ガール
「おりゃあああ! 食らえ馬鹿鹿ぁ!」
鹿の背後の茂みから、コマのように双剣を振るい跳びかかる少女がいた。
好奇心旺盛そうな金色で大きな瞳、黒い長髪が振り乱されながら太陽の光を反射する。
包帯の巻かれた両手に持つ黒剣にはどこか禍々しい雰囲気があり、少女が只者でないことを物語っていた。
しかし青年は思った。
折角の不意打ちを、叫びながら跳びかかるのは如何なものか。
その感想の通り、鹿は首を上げてステップを踏み、回転斬りをひらりと躱す。
「そっち行ったよユータ!」
なるほど誘導のためにあえて目立つ特攻を行ったらしい。
鹿がステップした先の茂みへと叫ぶ少女に呼応して、今度は男の掛け声があがった。
「了解! おらあああ!」
結局叫ぶ。
跳び出したのは、黒髪に黒目、白いシャツの上に珍しいデザインの黒い学ランを着た少年であった。
腕に装着した篭手には緑のラインが入っており、マナの波動を感じた。
彼が一所懸命に伸ばした腕は鹿の首に抱き着くことに成功する。
太い首に手を回し歯を食いしばる少年は、驚き暴れる鹿のロデオに必死に食らいついていた。
「よっしユータ! さっさとあの力で仕留めちゃえ!」
どうやらトドメの算段はついているようだが、少年のロデオは終わる気配がない。
大鹿の灰色の毛並みに浮かぶ血管が躍動し、しがみつく身体を四方八方に振り回す。
そのまま格闘すること数秒。
――やがて、少年は「うわあ!」と悲鳴を上げて振り落とされてしまった。
当然、鹿は逃げ出し、十分に距離を取った岩の上で足を止め、遠巻きに様子を伺っている。
双剣をぶんぶん振って声をあげたのは少女であった。
「なに逃がしてんのさ馬鹿ユータ! あのステータス何たらぶち込めば一発で終わりだろ!」
金色の瞳には怒気が溢れている。
「うるせぇ! だってあんな顔近くて、あんな草食獣の潤んだ目で、あんなにも必死に生きてて……く、俺にはそんな非道なことはできねぇ!」
「なに馬鹿言ってんだ! 魔物はちゃんと倒してるくせに!」
「襲われるのと襲うのは違うんだ!」
「冒険者がそんなんでどうするのさ! こちとら丸一日食べてないんだ! もっと危機感持ちなよ!」
「なん……ネピテルお前っ……!」
矢継ぎ早の責めに少年の言葉が詰まる。
確かにこの場合、少年が間違っていて、少女が正しいのであろう。
サバイバルにおいて獲物に情けをかけるなど、甘いにも程がある。
「俺は一日半も食べてねぇよ! お前がまた速攻で食料全部食っちまったんだろうが!」
訂正、これは少女が悪い。
言葉とは誰が口にするかで正しさが変わるものである。
「うっさいな成長期には栄養が必要なの!」
「ならせめて摂取具合を反映しろド貧相!」
「うわ最低! 女の子の身体にどんなエロ妄想抱いてんのさ! ちゃんと現実見なよ!」
言って、少女は自らの平坦な胸を平手で叩いた。
服の上からペターンと音がした。
「……現実、現実なんか……糞食らえ……うぅ」
これは、多分少年が悪い。
「泣くな泣くな泣くな、悪かったから! な、また食べ物探しに行こう! 栄養取ろう!」
「……うん」
しどろもどろの少年とすねる少女に――青年は戸惑っていた。
何なのかこの情緒不安定な二人組は。
悪い人間ではなさそうだが、確実に変な奴らである。
そして恐らくそう変わらない感想を抱いていた者が、この場にはもう一頭いた。
遠巻きに警戒していた鹿が、唾を飛ばしてブファファと笑った。
鹿の笑い声など初めて聞く。
イラッと来たのか、2人は向き直り再度標的を定める。
「ボク、やっぱあいつ食べたい」
「まあ、これくらい小憎たらしければ……殺れるか?」
意気込む二人に対し、鹿は間合いを取っていることもあり余裕綽々であった。
岩の上で挑発するように蹄をカパカパ小躍りをしている。
わなわな震える後ろ姿から、少年少女がフラストレーションを溜めている様子がありありとわかった。
そして、今にも襲い掛からんと身構えた二人の先で……それは起こった。
――鹿の足元の岩が、パカリと大口を開く。
ギョッとする人間たちの視線の向かう先、鹿は目を白黒させながら大口に落ちていく。
その大きな体躯が丸ごと消えた瞬間、岩はバクンと大口を閉じた。
「へ?」
続いて熱帯雨林全体を揺るがすような地鳴りが響き、大口の岩は周囲の土を割りながら競り上がっていく。
「な、なんだなんだ!? 地震!?」
立ち込める土埃の中。
巨岩からピンと張った鋭利なヒレが、付着した小石や苔を跳ね除け、帆のような背ビレが立つ。
赤茶けた岩肌に、銀色の魚眼が開いた。
岩に擬態していたのは、長岩に魚の目やヒレを貼り付けたような巨大な魔物であった。
「……ええと、ボクの鹿、さんは?」
「あれかな、今流行りの弱肉強食ってやつ」
唖然とした様子の二人を、魚眼が映した。
「ねぇあいつ、ボクたちも弱肉だと思ってない? 強食しようとしてない?」
「いや待て落ち着こう。これはランク2の哨戒任務だ。そんな、べらぼうに強い魔物なんて、出ないといいなぁ」
「願望じゃん……えっと、資料にゃあいつのこと書いてないね。ヤバ、未知の魔物だ」
「そういう時は考察しよう、あいつはわざわざ擬態して待ち伏せてた。
つまり追い回して捕まえるのは苦手なんだろう。そもそも魚が陸で動けてたまるか。
諸々総合して……何事もなかったように立ち去れば、何事も起きない」
「……本当?」
ズリ、と岩石魚が動いた。
二人は共に腰引け気味に一歩退いた。
「ああ本当だ。多分」
自信なさげな声と同時――巨体がうねった。
岩石魚がズリズリズリズリと這い出し、襲い掛かってくるではないか。
「嘘つきぃ!」
逃走開始。
二人は飛び上がって振り向くと全力疾走で駆けてくる。
そう、駆けて、来る。
「ま、待て、待て待て待てこっちに来るでなぁい!」
思わず立ち上がるも、彼らは逃げる方向を変えてはくれない。
茂みを飛び越した黒と金の瞳が、青年を見つけた。
長身におかっぱの銀髪、赤い目に尖った耳。
「うお誰だ!?」
「ダメだ弱そう!」
出会い頭に失礼を働き、二人は青年の両脇を駆け抜ける。
少年が青年を気にして、声だけ迎えに寄こす。
「あんたもこっちに! 早く!」
前門には岩、のような魚。
「え、ま、待て! 余を置いていくな!」
二人が逃げてきたせいで青年も岩石魚の視野に入ってしまった。
青年は余儀なく、珍妙な少年少女と同じ方向に逃げ出すのであった。
◇◇◇◇◇
――三人揃って浜辺へと抜け出し、白砂を蹴り上げながら爆走する。
すぐ後、岩石魚が熱帯樹を数本へし折りながら浜辺に飛び込み、ヒレをばたつかせてターンした。
「どど、どうすんのさあれ! ユータ! あの何たら画面で倒しなよ!」
「無茶言うな! ああいう強面の魔物に近づくのすんごく勇気いるんだぞ!
お前こそ、雷撃って倒しちまえよ! 近づかなくていいんだから楽だろ!」
「だって岩肌じゃんあいつ! 岩っぽい魔物に効かないもん雷!」
「じゃあどうすんだ!」
「ボクに聞くなし! えーと、あ」
少女の金色の瞳が後ろを走る褐色の青年に向けられ、腰元の鎖で巻かれた魔導書に留まる。
「そこのヒョロガリ銀髪! 魔導書持ってるじゃん! 何とかしてよ!」
「ひょろが……余か!?」
多々蔑まれてきた人生だが、腐っても王家の出、初対面で面と向かってこのような下劣な言葉を浴びせられたことはなかった。
走りながら複雑な顔をする青年に、少年がすぐさま詫びを入れる。
「ごめん失礼だよな! でもこいつ悪気は少ししかないんだ!」
「少しあるではないか!」
「本当ごめん! でも今は頼むって! 何かしら良い魔法ないのか!?」
まともに頼られると応えたくなるのが青年の性格であった。
確かに、青年が魔法を唱えることで、あの岩石魚を撃退することは可能である。
一瞬だけ褐色の指が首元のチョーカーに伸ばされる。
青年はそのチョーカーを外すことで、一応、魔法を使うことができる。
しかしその指はすぐに離される。
「……ぐ、すまぬがこの魔導書は使えん!
その……そう、実は見せかけなのだ、護身用の、これの中身は白紙だ!」
嘘を吐いてでも魔法は使うわけにはいかなかった。
使えば、彼らを危険に晒し、更には奴らに居場所がバレる可能性がある。
使うのは、本当にギリギリの危機に陥ってからでなければならなかった。
「何それ期待させといて……ボクもう走るの疲れてきたんだけど」
「くっそ、こんな時、ジャッカル先生の『だぼどき』さえあれば……」
心底口惜しそうに呟いた少年の言葉に、青年は眉を跳ねさせた。
ジャッカル。だぼどき。
「馬鹿なの? あんなインチキ本使えるわけないだろ」
インチキ本。
すかさず入った少女のツッコミに、青年は懐へと手をかけた。
「何てこと言うんだ! ジャッカル先生は大自然の中で色んな魔物を狩ってるんだ! 俺がこの世界で初めて買った本だ! 馬鹿にするな!」
「買い物の失敗認めたくないだけだろそれ!」
じっとりとした眼差しで青年が懐から取り出した教本。
ジャッカル・バイソン著、『初心者でも簡単! だれでもできるぼうけんてほどき』。
適当に開いたページには、応用編と銘打たれ、魚の魔物の絵が載っていた。
「……あった」
「なっ、あんた、その本は……」
「は? あったって何が……」
――ジャッカル・バイソン曰く、次の通り。





