4-2 Triangle Darkness
※前回引き続き、若干ダークな表現を含みますことをご了承ください。
遥か東――肆飛地方は、表向きには唯一の王の名の下に治められる地方である。
紅と金の王宮には内緒話専用の広間がある。
地下深くにあるその部屋の内装は、日の光が届かない以外は普段使っている王の謁見間と同じである。
一面に大理石のタイルを敷き詰めた床。
真紅の漆に塗られた太い柱。
金装飾の玉座へと続く階段に敷かれるは、血に浸したような深紅の絨毯。
それらを照らす蝋燭の火。
玉座に向かって跪き、首を垂れる人影は五人。
全員が不遜にもローブを被っている。
玉座に腰掛ける老人は頬のこけた輪郭に長い髭をたくわえて、眼下に並ぶ配下どもに問いかけた。
「『鹿角』と、『龍顔』は、どうした。儂は、『黄龍四師団長』に召集をかけたはずだが」
配下の黄土色のローブに身を包んだ小柄な老人が年の割に伸びた背で礼をし、恭しく答えた。
「それはこの『牛尾』よりご報告申し上げましょう。
鹿角めは先んじて春先より、西の諜報活動に出ております。彼奴のなり代わりは一級品、問題なく紛れ込んであることでしょうぞ。
龍顔については……ふぇふぇふぇ、どうだったかの? のう『マギ』よ」
ローブから覗く視線は鋭く、後ろに控えさせた白装束の部下二人に向けられる。
マギと呼ばれた少年は、白い覆面から覗く黒い瞳を伏せて気怠そうに返事する。
声色と背格好から推測される年齢は十八歳頃。
老人の視線にも口調にも怯むことなく悪態をつく図太さがあった。
「ちぇ、面倒な報告だけ俺らに回してやんの」
「マギ君、失礼だよ」
同じく白のフードで跪く同年代頃の少女に諭され、マギは肩を竦める。
「へいへい、龍顔の兄貴はリチアの海まで標的を追っていきました。まめに報せを寄こす人じゃないから報告は港で待ち伏せてヒアリングしたのを伝鳥で先に貰いまし……」
言葉の終わりを待たずして、薄暗がりの謁見間の扉が乱暴に開かれ、もう一人黄土色のローブを羽織った青年が入場した。
フードは被っておらず、黒い髪を雑にくくり、粗暴そうな釣り目が特徴的であった。
彼は大股で横列する人影たちに合流し、よっこらせとでも聞こえてきそうな不躾さで跪いた。
それを見て声をあげたのは、実直に首を垂れていた三人目となる黄土色のローブの人影であった。
声色の低い女性、容姿は覆面のせいで窺い知ることはできない。
「龍顔、陛下の御前だ。一挙一動に敬意を払え。それに戻ったならその口で報告を入れたらどうだ?」
厳しい口調に返されたのは、怪訝に傾けた顔と蛇のような睨みつけであった。
「ああ?」
殺気を隠しもしない様子に、女の副官である白いローブの女性が割って入った。
「貴様……『馬蹄』様に刃を向けるなら、その前に私が相手だ」
女性はローブの裾からナイフの刃先をわずかにチラつかせ、青年を睨み返す。
窘めたのは、女性に庇われた本人……黄土色ローブの女であった。
「クシナ、お前も止めなさい。陛下の御前で武器を抜くな、私に恥をかかせたいのか?」
肩に手をかける声に従い、白いローブの女性は武器を仕舞い、下がった。
粗暴な青年は薄暗がりに一つ「あほくせ」とぼやいた。
その様子から自主的な報告は望めないと考えた老人が満足気に呟いた。
「ふん、自身の口からは説明しづらいようじゃの、この度の失態は」
青年は舌打ちだけを寄こし沈黙し、老人は鼻で笑う。
「マギ、書簡を寄越せ」
「最初から自分で報告すりゃいいのに……」
「そこの男の聴取も含めた港からの報告ですじゃ。
商船は事前に標的らに買い取られたもの、船員は沖に出ると同時に全員降ろされておる。船には標的どもしか残っていなかったはずじゃ。
そして船は沖合で自爆、手掛かりとなり得る付き人は死亡の上、標的は行方不明じゃ。追わせていた別部隊の裏付けとも一致するのう。
……はてさて、折角自ら赴いたにも関わらず機会を逃した責任はどう取るつもりじゃ?」
「うるせぇぞ爺。失敗を言えばテメェが追っ手に放った雑魚どもも同じだろ。
たかだか二人だかに返り討ちにあいやがって。北方防衛軍を任された指導力ってのも大したことねぇな」
「馬鹿を言え、彼奴ら羽虫など部下でも何でもないわ。修羅になれなんだ餓鬼どもを処分のついでに向かわせただけじゃよ」
人を人とも思わない発言に、背後に控える少女が身震いした。
少年は「うへ」と引き気味に舌を出す。
「普通新入団員の前でそういうこと言うかね」
天井に近づくほど黒くなる闇の帳に吐いたぼやきと、謁見間に充満する剣呑な空気をかき消すように、玉座の主がパスパスと乾いた拍手を寄こした。
跪いていた人影たちの態度はまちまちであったが、共通して口を閉ざす。
「ふむ、鹿角以外は揃ったようじゃな。では始めよう」
そう言って陛下と呼ばれた者がまた乾いた手を叩くと、玉座の後ろからカッカッと靴音が響いた。
眉をひそめる面々の前、玉座に並び立ったのは――まさに魔女といった容貌の女であった。
黒衣に鍔広の帽子、胸元と腰元には大胆なスリットが入っており、ゆるやかな括れに王の皺がれた手が回された。
「彼女にはの、周辺蛮族の抑制から娘の面倒にまで知恵を貸してもらっておる、名は……」
「『ジュリエナ』と申しますわ」
艶やかな声を響かせた女の帽子には、剣と翼の紋章が刺繍されている。
王は腰を撫でる手の平から伝わる柔な感触を楽しみながら配下たちを見下ろした。
「儂の言葉は彼女に託した。指令はジュリエナより言い渡す。良いな?」
跪く人影たちから明確な異論がないことを確認すると、ジュリエナが紅い唇を開いた。
「それでは、私から王の勅命を申し上げますわ。
王に名を捧げし忠臣、黄龍たちよ。知っての通り、此度の獲物は、エルタルナを抜けだした『天使』ですが、これより正式に、狩場を西のカージョン地方へ移すこととします」
言い放たれた命令に枯れ木の様な挙手があった。
「……お言葉ですが代弁者様、国内はよろしいのですかな。囮に先行させ、灯台下に身を隠す手法はエルタルナ脱走の際も彼奴らが使った手ですぞ」
「問題ございませんわ。国内は『表』に堂々と捜索させます。丁度、東諸島の賊どもを鎮圧して『青龍』様がお戻りになられましたので」
玉座の言葉にピクリと肩を跳ねさせたのは、粗暴そうな青年と顔を隠した女であった。
「皆様には存分に、かの国の捜索にあたって頂きます。
烏合の王たちに悟られぬよう秘密裡に、しかし標的を渡さぬよう時に強引に、確実に獲物を手中に収めていただきますわ」
不満の視線にも怯まず、ジュリエナは王の肩に手を回し玉座の後方を振り返りつつ、視線だけを階段の下へ向ける。
「そのためには不肖私めも、一つご協力させていただきます。おいでなさい」
闇が闇を呼ぶように――もう一人、玉座の後ろの暗がりから、同じ紋章を付けた細見の男が現れる。
「作戦は黄龍四師団に彼を加えて決行致します」
男は金髪をオールバックに撫でつけ、片眼鏡の奥に鋭い眼光を宿したまま、にこやかに一礼した。
「『ディマリオ』と申します。皆さんよろしくお願いしますね」
名乗り出を受け、手の平を胸に起立し凛と発言をしたのは、馬蹄の副官――クシナと呼ばれた白ローブの女性であった。
「ジュリエナ様、ディマリオ様へ発言の機会をお許しください」
「かまいませんわ」
「有難きお言葉……ディマリオ様、この度ご尽力を頂けるとのことで、深く感謝を致します」
「いえいえ、此方こそ暖かく迎えていただきありがとうございます。仲良くしましょう」
階段上と階段下でやり取りされる穏やかな言葉の一方、女性の声色には明確な殺気が乗せられていた。
「ええ、して、ディマリオ様はお隣のジュリエナ様と同様、陛下に代弁の権利を賜っていらっしゃるのでしょうか?」
副官の暴走気味な問いかけに、馬蹄の声のトーンが落ちる。
「……クシナ」
「いえ、それは恐れ多い。私は皆さんと同じ立場、ただの同志に過ぎませんよ」
「承知しました……なれば」
女性はフードを取って、切り揃えられた黒髪と褐色の肌を露わにすると、灰色の瞳で壇上の男を睨みつけた。
「そこから降りろ下郎が。陛下と同じ目線に立ち、我らを、馬蹄様を見下ろすなど、許るされぬ」
男は言葉を返すことなく、流し目でジュリエナに合図を送って、階段へと踏み出した。
階段下から向けられるいくつもの白い視線をものともせず、淡々とクシナと呼ばれた女性の前まで歩み寄る。
そして睨み上げてくる女性の頭の先から足先までに舐るような視線を浴びせる。
嫌悪感に眉間に皺を寄せた女性が、一歩下がって、顔を背けると再び壇上へと跪く。
ディマリオも形だけ習って、薄っぺらい敬意を払うのであった。
依然として見下ろす立場のままのジュリエナが満足そうに笑いかけた。
「うふふ、仲良くしてあげてくださいませ。それでは細かな指令は追って申し上げます。
私も高まって参りましたわ。皆様の噂は陛下より聞いております。
決して表舞台には姿を現さない一騎当千の兵……勢い余って、傾国などに至りませんように」
その言葉を聞いて、老人は髭の下で笑い、青年は首を鳴らし、覆面の女は静かに首を垂れた。
◇◇◇◇◇
――その日の夜。
松明の火に光る片眼鏡を拭いて、ディマリオが呼んだ。
「つけ回してどういうつもりです? 出ておいでなさい」
場所は王宮の離れ、人の寄りつかなくなった古い見張り塔であった。
ジュリエナの紹介で王に近づいた男が、進んで望んだ寝床である。
塔とは異なり手入れされた植栽の陰から姿を現したのは、白いローブを纏った褐色の女性、クシナであった。
「やはり気づくか」
「こんな夜更けに……あ、夜這いですか? 結構な熱視線下さいましたもんね?」
「やめろ怖気が走る」
ピシャリと言って、女性はローブの下から短刀を抜いた。
「貴様ら、狙いはなんだ」
「はて、貴様ら? 狙い? とは」
月下の二人の間合いは一歩一歩、着実に近づいていく。
「しらばっくれるな、貴様とあのジュリエナという女、陛下に取り入って何を企んでいると聞いているんだ」
「それは勘繰りすぎですよ。
我々、特にジュリエナさんは単に相談役として雇われた身、報酬をもらって力を添えさせていただいているだけです」
「陛下に何をした」
「何も」
「陛下は、一度たりとも言葉を譲ったことなどない。
演説も、戦事の指令も、全て自身の言葉で仰られる。全ての責任を最後には自身が負うとの矜持故だ」
「考え方を改めたのでしょう」
「白を切るなら……吐かせるまで」
「……はぁ、あなたは鈍いですねぇ」
クシナは眉を顰める。
「まるで牙を抜かれ、子飼いにされた犬のようだ。人に酔い、獣の臭いを忘れてしまっている」
「黙れ」
「黄龍四師団――それぞれ表目には出せない事情をかかえながらも裏で王に忠誠を誓った暗躍部隊。
貴女のボス『馬蹄』さんはかつてスー・フェイに立てついた部族の末裔だ。
裏で忠誠を誓うことで自分の部族やその面子、それから貴女の部族をもあの王から守っている」
「黙れ」
「ああ、まさに子飼いの犬でしたね」
「黙れ!」
女性が繰り出した短刀の突きを、男は緩やかな動きで躱す。
懐に入った彼女は身体を大きく回してローブをバサリと投げつけ、男の視界を封じた。
そして覆いかぶせたローブへと、太ももに備えたナイフを投げつける。
しかし声は背後からかけられた。
「ほらね、鈍い」
振り返ることはできなかった。
男の腕がクシナの利き腕ごと、細い首を絞めあげた。
引き締まった長身がこともなげに女性の軽い身体を浮かし、抵抗を無効化した。
一瞬の攻防の後、ナイフの貫通したローブが地面にパサと落ちた。
「放せ……!」
「ああ、駄目ですねあなたは。まったく獣ではない」
「何を、言って……」
「相手に話が通じると思っている。回答を相手に任せている。
それは甘ったれた人間の理で、戦場を駆る獣には不要な心構えだ」
男はもう片方の手で、クシナの顎を掴み、端正な顔を肩越しに覗き込む。
悔しそうな灰色の瞳が潤みながら睨みつけてくるので、その噛み締めた唇まで顔を寄せて、キスをした。
首を圧迫して顎の力を無効化し、苦しみもがいて差し出された舌を存分に楽しんだ。
苦しさに悍ましさが勝り、クシナは男の舌に歯を立てた。
「ぺっ、何を、貴様……」
女性は赤らんだ顔と涙でまた抵抗を激しくした。
「あなたは戦場にふさわしくない。ですが気に入りました。私って惚れっぽいのですよ」
そう言って、男は女性を抱えたまま、旧見張り塔の中へと進んでいく。
松明の揺れる石造りの塔内に、唸り声が上がった。
「あ、え……こいつ、は……?」
「気にしないでいいですよ」
そう言われつつも、クシナは競り上がっていく巨大な獣影に、混乱に混乱を重ねざるを得なかった。
呆気にとられる褐色の頬を掴んで、視界を片眼鏡の整った顔が覆う。
「駄目ですよ、今は私だけを見てくださいね」
男の腕が力任せに女性の身体をまさぐり始めた。
「な、何を……!」
「うん、実に美味しそうだ」
石壁に映る人影が一つになって――ひゅるりと舞った青い光の粒を、情熱的に溶かした。
◇◇◇◇◇
翌日、内緒話の謁見間はがらんどうで、玉座も空席となっていた。
離れの見張り塔内にも、誰もいない。
残されたのは、白いローブの切れ端と、砕けたナイフ、夥しい赤黒に汚れた藁のみである。
用語設定
『黄龍四師団』
スー・フェイ王国は表の武力として四方角を守護する『神獣四師団』を持つ。
青龍、玄武、白虎、朱雀と華々しい名を冠する彼らの影、諜報や暗殺といった表沙汰にできない仕事を任されるのが『黄龍四師団』である。
黄龍とは、鹿の角に龍の顔、馬の蹄に牛の尾を持ち、四方の中央に座す神獣である。またの名は麒麟。
属する4名の師団長は真名を王に捧げ、各々が麒麟を構成する部位を名乗っている。
……上記内容のメモ書きが、黄龍・牛尾師団に所属する一員の寝室より発見された。





