4-1 嵐船龍空
異世界に飛ばされた日本の高校生、山田悠太がカージョン連合国で冒険者としての生活を送り始めて一月半程が経過しました。
少年とその仲間が順調にクエストをこなす地より遥か東の沖合……彼らの運命を大きく動かす帆船が、嵐の中を航行しています。
※4-1~4-2は血等の描写を含むダークな内容となりますことをご了承ください。
――まったく、誰も彼も。
豪雨の船上。
絶え間なく降りそそぐ雨をショートソードで真横に両断する。
すぐさま斬り口を塞ぐ雫の線とは対称的に、目の前で赤い花を咲かせた白装束の暗殺者は、ドタリと倒れて動かない。
――まったく、誰も彼も、目の色を変えてしまって。
口元まで覆っていた黒マントの首回りを顎下までさげると、皺がれた褐色の顔が露わになった。
銀の短髪に精悍な顔つき、眼光は鋭く、耳は人間のそれと比較して長く尖っていた。
白い吐息が船首甲板に溶けた。
刃を翻し、逆袈裟に振り上げる。
また一人、白頭巾から脳漿を吐き出して伏す。
――まったく、誰も彼も、命を粗末にしおって。
この世に生を受けて千年。
年老いた身にも関わらず剣技は衰えていない。
秘訣は、尖った耳の先いっぱいに血が通うまで、毎日の素振りを止めないこと。
それでも視力は落ちた。
藍色の闇が稲光に照らされるまで、迫る新手が二人だと気付くことができなかった。
荒波に傾くメインマストを背景に踊る白装束の暗殺者たち。
嵐の中では聴覚も嗅覚もまともに働きはしない。
老兵はしっかり目を凝らして腰を落とした。
右がロングソードの袈裟斬り、左が短剣の横薙ぎ。
避けるわけにはいかなかった。
老兵は、彼の背後で震えるローブの青年を守らねばならなかった。
立ち並べば老兵よりも背が高い青年は、今は仔牛より小さく縮こまっている。
――まったく、誰も彼も、何をそこまで怯えているのやら。
腰のダガーを抜いて袈裟斬りを受け止める。
ショートソードはもう一つの対象に向けて突きを繰り出し、ナイフ使いの喉を貫いた。
代償として、悪あがきに放られたナイフが老兵の太腿に突き立った。
滲んで流れる血と鋭い痛みは、老兵のコンディションに何ら影響を与えなかった。
「若、もう暫しの辛抱ですぞ。この爺めが不貞のヒューム共を成敗しますので」
ダガーで受けたロングソードの軌道を制限しつつ、もう一方の亡骸の喉からショートソードを引き抜いた勢いで回転する。
体勢を崩したロングソード使いは回転斬りの餌食となり、腰から上が滑り落ちた。
朱に染まったショートソードが遠心力に従い、返り血を散らし、雨粒が朱を流し去る。
青年はそれをローブの奥の瞳に映すと、うわずった悲鳴を上げる。
「ひぃっ! じ、爺や、脚に、血が……余の、余の『力』は、助けに、ならんかの?」
声変りを終えた、一端の男の声であった。
しかし言葉は声質より頼りなく、震えていた。
震えた指は、自らの首に巻いてあるチョーカーに伸びた。
それは彼の力を封じるチョーカーである。
老兵は太腿に刺されたナイフもそのままに、彼を励まそうと朗らかに微笑んだ。
「なりませぬ。若は力を制御できていらっしゃらない。それに、やはり目立ちまする。追っ手の船も一隻とは限りませぬのでな」
「し、しかし……いや、すまぬ……また、余は……」
青年の声は消え入り、かわりに甲高い奇声が雨と共に降ってきた。
帆船のマストから強襲をかけた鉤爪使いに、老兵は舌打ちするとショートソードを手放し、羽織っていたマントを男へと覆いかぶせる。
甲板に落ちて爪の絡んだマントを外そうとのたうち回る鉤爪使いはさておき、正面、死体を乗り越えて突きを放ってくる槍使いに対応しなければいけない。
田楽刺しになるわけにもいかないが、避けるわけにもいかない。
心臓を狙う槍の軌道に、躊躇なく左手を置いた。
鋭い痛みと共に手の甲を破って槍先が出てくる。
「爺や!」
貫かれた左手を握り込み、槍の進行を止め、槍使いの胸にダガーを投げる。
力なく傾く槍使いのはるか後方、メインマストの根元で、弓使いの手元がぎらりと光った。
「良いのです、若」
丁度マントを振り解いた鉤爪使いが跳びかかってきたので、鉤爪の手首を引っぱり盾にする。
鉤爪使いの背には深々と弓矢が突き刺さった。
痙攣する死体を盾にしながら狙いを定め、新たな一矢をつがえる弓使いに、先程太ももに突き立てられたナイフを投擲した。
弓使いの眉間から血が噴き出て、倒れる。
その血に集まるように、十数人程、暗殺者が今か今かと飛びかかる順番を待っていた。
「これは爺の役目にございます」
雨に打たれるショートソードを拾うと、背後から青年の声がする。
「役目って……爺やはいつもそう言って余を庇うが、それは今この場でも果たさねばならぬことか!?
そのように傷付けられ、血を流してまでも……そもそも、此度の件は、余があのような間違いを、しなければ……」
老兵はゆっくりと首を振った。
「いいですかな、若。ヒトは誰しも、掲げたにしろ託されたにしろ、何かしらの役目を持っております。
そして役目を果たした報酬こそが、幸せというものなのです。爺の役目は若の身を守ること。なれば幸せを掴む為、些細な傷などは取るに足りませぬ」
言うが早いが、ショートソードを下段に構える。
迫りくる巨漢の斧使いがその刃を振り上げた。
素早い剣閃を低く、巨体の軸足に叩き込む。
こぼれた刃ではもう切断はできなかった。
それでも不安定な船の傾斜と雨に濡れた甲板上で体勢を崩すには十分すぎる一撃であった。
斧使いが仰向けに倒れたので、巨体に飛び乗り、首へと刃を突き立てる。
開けた視界。
メインマスト周辺の暗殺者数人が、魔導書を掲げていた。
赤、青、空色、各々属性の『集歌』を唱えて始める。
――まったく、誰も彼も、情けない。
膨れ上がっていくマナの光に照らされ、老兵は一つ息を吐き、手帳ほどの魔導書を取り出した。
「ふむ、マナ待機、『解放』……」
蓄えていた空色のマナが散らばる。
そして老兵は――魔導書を背後の青年へと向けた。
「コール『風ノ衣』、ですじゃ」
「じ、爺や、これは!?」
空色の粒子が青年に纏わりついて、その身を浮かす旋風の衣となる。
魔法『風ノ衣』は対象を浮遊させ、意のままに飛行させることのできる魔法であった。
「若よお聞きくだされ。若の役目は王となること……王となり、国を守り、民を救うことですじゃ。
きっと多くの困難がある。幸せは遠いですな。
しかし、若なら必ずや成し遂げることができましょう」
「それは間違いだ爺や! 余は弱く浅はかじゃ! 王の器などではなかった! 決して、そうではなかったのだ!」
「若」
老兵はにこりと笑って、フードの頭を撫でる。
彼の世話係の任ぜられてから、彼の身長が老兵を追い越すまでは何度となく撫でてきた頭であった。
久々に撫でた感触は、あの頃と変わらない。
「爺やは間違っていませんぞ」
――そして、老兵は青年の首を手刀でトンと叩く。
「じ、い、や……」
力なく頭を垂れる青年の身体。
エアクロークの風に包まれ浮遊する腰元を優しく押す。
身体は荒れる大海原の空へと滑り出していく。
船首の向かう方角へと、老兵は希望を託して、強く願い、送り出した。
風の衣は嵐の中へと、徐々に速度を上げて遠のいていく。
「これだけしかできぬ爺をお許しくだされ……かの地ならきっと……良い出会いを」
穏やかに主を見送った老人の肩を、氷の槍が貫いた。
ショートソードを握る右腕を、火球が弾き飛ばした。
血の滴る左腕を、風の刃が切り落とした。
口に広がる鉄の味を懐かしんで、両の手を失った老兵は再び暗殺者たちに向かい合う。
――まったく、誰も彼も……詰めが甘い。
「……下手くそヒューム共。老いぼれの頭など、エルフの子なら一里先からでも射貫くことができる」
なおも強い光を宿した双眸が、一歩ずつ彼らに迫る。
その身体からは赤い血と、夥しい量の赤い光が溢れだしていた。
白装束の暗殺者たちは一様の白頭巾で表情は見えないが、逸る集歌から焦りがうかがえる。
満身創痍のはずの老人に叩き込んだ魔法の数々は、あるいはふらりふらりと躱され、あるいは闘気のように立ち昇る赤いマナに弾かれた。
一歩、一歩ずつ進むにつれて、熱せられた血液が雨に溶け、頭は冷静になっていく。
かつて数多の戦場に身を置いた老兵は、駒の使い方を心得ていた。
己という駒は、王の壁となり、敵の駒を数多く破壊することが最善の使用方法である。
全ては老兵の意図した通りの展開であった。
しかし、この最期の日に、老獪に想定外が生じる。
まさか単身で追いかけてくるとは考えていなかった――暗雲と雷雨の夜に、獄炎の翼が広がる。
それは全てが炎で形作られていた。
煌々とうねる竜尾、咆哮を轟かせる竜頭は、夜空を転げるように方向を変え、老兵たちの帆船へと迫りくる。
商業帆船の半分程もある翼竜の巨体は、ついにメインマストをへし折って乗船をした……その下の甲板にいる大勢の白装束共を灰塵に帰して。
――まったく、誰も彼も。
老兵は歩みを止めなかった。
両腕を失った身体を赤く輝かせながら、頭部を上げる炎竜へと立ち向かう。
直後、蜥蜴に似た炎が突如として豪雨を受け入れ、歪んだ。
細かく雨粒に弾けて消えていく竜の中から――赤いローブマントの男が歩み出た。
目元は見えない。
ブーツで雨に濡れた灰を踏みつけ、魔導書を片手に、唇を真一文字に結んでいる。
「あの愚か者はどこだ?」
その実直そうな輪郭を、老兵は知っていた。
「不遜、ですな。いくらかの地位はあろうと、年上は敬うべきですぞ」
言葉の応酬はそれきりで、白くしなやかな腕が間髪入れず距離を詰め、あざけた老兵の首を捕らえて締めた。
フードの男の強さも、老兵にとり想定外であった。
「傲慢なダークエルフが。宮廷を追われた者に払う敬意など持ち合わせていない。問いに答えろ」
一瞬の攻防の中で、老兵は若者の認識を改めざるを得なかった。
避ける気でいた自分をいとも簡単に捕らえることは、一朝一夕の鍛錬では成し得ないことである。
そして、船に残った二人の男に荒れた潮風が吹きつけて、その顔があらわとなった。
紅焔の髪、雪白の肌、吊り上がった赤眼……長く尖った耳。
――まったく、誰も彼も、敵ばかりだ。
「ぐ、残念、ですな。商船を……買い上げたからと言って、王子まで、乗り込むとは限りませぬぞ」
唯一の幸運は、守るべき青年がこの船に乗っていた事実を、まだ男が確信していないだろうこと。
後は、この船が進む方角がわからなくなれば、しばらくは時を稼ぐことができよう。
心残りは、青年が戴冠する姿を見ることができなかったこと。
その日へと導く役割を、自らではなく他者に任せる他にないこと。
希望は、西方には様々な小国家や多様な種族が共存する『カージョン連合国』があること。
――老兵の纏う光が強まり、頬が赤くひび割れた。
「『秘術』か……忌々しい、無駄な足掻きを」
男に慌てる様子はなかったが、ただ大いに苛立っていた。
冥土の土産には丁度いい痛快な表情に、老兵は最期の笑みを浮かべた。
「よくよく覚えておきなされ。絆の結束なしに、エルタルナに栄光はないと」
老兵から立ち昇っていた赤い光が、一気に眩い光となってその身に収束した。
――若、ご武運を。
「――コール『終ナル赫炎ノ爆発』」
嵐の夜。
荒波に揉まれる一隻の帆船が、その全長を覆って余りある爆炎により消滅した。
雨も波もかき分けて発生した大海原のクレーターは、直後にはいとも簡単に暗黒の海に埋め立てられる。
藻屑すら残さない水面を一瞥して、一頭の炎が天空へと駆け登っていった。
やがて翼竜の姿となったそれが、そこから西を目指すことはなかった。
◇◇◇◇◇
――遠ざかる炎の竜の更に上空に広がるは、嵐を生み出す黒い乱気流。
――稲光が一閃、暗雲を駆けた。
刹那照らし出されたのは、雲の中を悠然と蛇行するもう一頭の巨大な龍影であった。
用語解説
・リチア海
西方のカージョン地方と東方のスー・フェイ地方の間に広がる大海。
沖合及び北の断崖絶壁は海風に荒れ、航行は不可能とされている。
多くの商船は潮の流れの穏やかな南側の迂回ルートを辿る。
ある日スー・フェイの港で一隻の商船が買い上げられた。
その船はたった二人を乗せて最短の横断ルートへと漕ぎ出し、永遠に消息を絶つのであった。





