幕間 カージョナ滞在記④ ~ぴーぴんぐ~ seen3
黒髪の少女を追って――オレンジ色の屋根瓦をカンカンと歩きながら、鈍色の石畳を見下ろす。
『一時街』。
トーチとロープをバックパックに括り付けた冒険者たちが集う街。
体格の良い男たちの間を縫って、華奢な少女は冒険者ギルドに立ち寄り次のクエストの資料を受け取った。
前受注者の哨戒時に確認した地形や魔物、原生生物と植生が記載されているパルプ紙の束を肩から下げた大カバンに仕舞い、ギルドを出る。
――遠くから見守る学ランの少年のバツが悪くなった。
「なんつーか……あいつ意外としっかりしてるんだな。俺、覗……監視なんてしてていいのかな」
いつもクエストでは少女から情報を享受するばかりで、準備日に準備もせずにふらふらしている自分が急に恥ずかしくなってきた。
「気をしっかり持つのにゃヤマダ、監視は忍耐が大事にゃ。自分の存在価値がわからなくなるくらい頭ぐちゃぐちゃになるまで続けていれば、その先に色んなものが見えてくるはずにゃ」
「いやあいつの私生活しか見えてこないと思うわ」
◇◇◇◇◇
遠い会話など露知らず、少女はその後、時計盤のように区分けされた首都の中心部を横断し、意外な場所に向かった。
鉄柵に囲まれた敷地に大きな屋敷が建ち並ぶのは、貴族と富豪の街、『九時街』である。
――少女はこの区画が、嫌いであった。
魔導師ギルドの管轄に身を置き、魔導師たちに守られた安全圏でのうのうと暮らす富裕層。
彼らに恨みはないが、彼らによく似た環境に身を置く者共には晴れることのない復讐心を植え付けられているので、どうしても姿が重なって気に食わない。
それでも足を踏み入れたのは、復讐の必需品――更なる強さを手に入れるためである。
「……この方向は」
遥か後方の街路樹の上で、悠太は少女の進む先に見覚えのある煉瓦色の寮を見つけた。
――魔導師ギルド所属魔導学院女子寮。
ネピテル・ワイズチャーチが目指す部屋は、その居住棟の二階、どん詰まりに位置していた。
されど少女は建物内には入らず、渡り廊下をすり抜けてフラワーアーチの並ぶ庭園側に回り、外壁の砂岩タイルの凹凸に指をかけ、足をかけ、あっという間に二階の出窓へと到達する。
「よ……っと」
――人には思いがけない付き合いがある。
開放された窓からひょっこり現れた珍客に、コーヒーカップ片手に立ち尽くした部屋の主はさして驚いた様子もなく溜め息を吐いた。
「呆れた……『よ』、じゃないわよネピテル。入る時は表からって前に言ったじゃない」
所狭しとそびえる本の山の部屋で、赤毛の少女……ライチ・カペルは淹れたてのコーヒーを席に持っていく最中であった。
講義終わりかはたまたこれから出向くのか、服は臙脂色のブレザーに黒のスカート、魔導学院の制服姿であった。
「だってここ、部外者だと手続きだかで色々書かないと入れないんだもん面倒くさい」
まるで悪びれず真顔で答える少女に、ライチは溜め息を置いて踵を返すと、食器棚からカップをもう一つ出して黒い液体を注いだ。
黒髪の少女はひらりと部屋内に下りると、読みかけの教本の散らばるベッドに腰かけ足をパタパタと振った。
「見つかった後のが面倒なの知ってるでしょ? まあ、午後は守衛さん大抵昼寝してるから大丈夫でしょうけど」
「ほらみろ問題ない」
「結果論じゃない……はいどうぞ」
「ん」
コーヒーカップを受け取ったネピテルは舌先で温度と甘味が自分の基準値であることを確かめる。
ぬるめ、ミルク多め、砂糖多め。
過去に一度だけしか好みを伝えていないにも関わらず、完璧なバランスであった。
少女は大人の味をグビッと流し込んだ。
その様子を微笑ましく眺めながら、ライチも窓際の椅子に腰かけ、無糖のそれに口を付けた。
香り高い匂いと極上の苦みが舌の上に広がり、体内に染み渡る。
夜通し研究をしていたライチにとって、一番眠くなる午後の時間帯にキメるコーヒーは格別なものであった。
「で、今日はどうしたの?」
言葉とは裏腹に、ライチの青い視線はうずうずと先程まで読んでいた教本の続きを求めている。
やるべきもてなしは終わったとばかりに机に広げられた魔導符と向かい合う彼女に、今度はネピテルが溜め息を吐いた。
「君そういうとこあるよね……ほらこの本、今日返しに来いって言ってたのそっちだからね。だからわざわざ来たのに」
そう言うと少女はお腹に抱えていた皮のバッグから茶皮の装丁の本を差し出した。
「そうだったっけ? そうだった、わね? まぁありがと」
記憶が定かでない彼女が受け取った本には『はじめての魔法』とストレートな銘が打たれている。
そのタイトルを一瞥して、ライチはポンと手を叩く。
蘇った記憶は、貸し出した当時の好奇心を連鎖的に思い出させる。
かつてライチは思った、この捻くれた面白い少女は、どんな魔法を使えるのだろう、と。
「で、この本どうだった? ちゃんと読んだ? 魔法の入門には丁度いいと思ったんだけど」
物静かな声色のまま、されど口早に、瞳はサファイヤのように輝かせてライチは尋ねた。
どこか雰囲気の変わった彼女に、少女は若干気圧される。
「ま、まぁなかなかだったかな。最初のマナに祈りを捧げましょうだの何だのは読んでて眠くなったけど」
「あそこは当たり前のことしか書いてないものね。でも魔法を使う上では大切な心構えよ」
言いながら手元の本をパラパラとめくり、約半分に及ぶ禅問答のような内容に「確かに長いな」と苦笑する。
――その様子を遠く単眼鏡で覗く少年がいて。
彼はよく知る二人の意外な関係性にぽかんと口を開けていた。
覗きスポットは寮の敷地の外側、街路樹の上。
距離のせいで話している内容こそわからないが、あの捻くれたネピテルが素直に接し、ライチがどこか楽しそうに接しているのは十分に伝わってきた。
「いつの間に……」
仲良くなったのか。
どちらも自分に向ける表情より穏やかな顔で、しばらくは開いた口が塞がらなかった。
別に悠太に不都合がある関係性ではなく、むしろ人間不信気味だったネピテルにとっても、田舎から移り住んで友達の少ないライチにとっても良い影響があるだろうとは思ったが、かすかに覚える疎外感が少年の小さな心をチクリと刺した。
「ヤマダー、ミーにも見せてにゃ、見せてにゃー」
隣からねだるように手を伸ばす幼女にも頑なに単眼鏡は譲らず、彼は部屋を監視し続けるのであった。
「ちょっと食い入るように見すぎにゃ、覗き魔みたいにゃ、きもいにゃ」
――遠くでよく知る少年が悶々としていることはさておき、少女たちは本だらけの部屋で魔法談義に花を咲かせていた。
二人の関係の始まりは、女子寮の周囲をぐるぐるとうろついている不審な黒髪の少女が守衛に捕まり、それを赤毛の少女が説得し解放してあげたことからであった。
ライチが何故うろついていたのかを問うと、ネピテルは本心を隠して「魔法を習うため」と答えた。
本当は未だ伝えられていない入団祭での介抱の礼がしたかったのだが、少女の性格上素直は叶わないので仕方がなかった。
ネピテルにとって予想外であったのが、建前に対するライチの食いつきであった。
最近赤毛の魔女と呼ばれ始めたその少女は、魔法を習いたいと言質を口走った少女を拉致してみっちり魔法の魅力を熱弁した。
その熱の持続時間に辟易としたネピテルが「続きは次の機会に」と逃げる内に、時折本の貸し借りや世間話をする関係性になった。
「それで、ネピテルの得意属性はわかった? この本にもある『試歌』を唱えてたら把握してると思うけど」
「まぁね、けど、ちょっとなぁ……」
「いいじゃない、折角だし『試歌』唱えてみてよ」
形だけやれやれと首を振って黒髪の少女は、ライチから再度受け取った本に目を落とし、記された言葉の羅列を詠みあげた。
その歌は、周辺の全属性のマナに呼びかけ、適正を知るための歌であった。
詠唱が進むにつれ、ネピテルの周囲に赤、青、緑、橙、空色の光が煌めいた。
比率としては橙色の光が一つ抜けて多く、それが相性の良い属性とされている。
「綺麗な橙……ネピテルは地属性のマナと相性がいいみたいね」
「どうせならボクの華麗なイメージに合った火や風の適性が良かった」
口を尖らせる少女に頬を緩ませた彼女は、少女が更に魔法に興味を持つようにフォローを入れる。
「こればかりはマナの好みだからね……それに、実は地属性って希少で玄人向けだって言われてて、使いこなせると一目置かれるって話よ?」
玄人、希少、といった特別感を想起させる言葉に釣られ、ネピテルの背が一段階二段階と正される。
「きっと冒険中、ユータも頼ってくれるんじゃないかしら?」
脳内に希少な地属性の玄人魔法を求めて拝みひれ伏すボロボロの少年が思い浮かんで、ふふんと満足気な鼻が鳴る。
「ま、そうだろうね。偉大で希少なるガイアが囁きかけるとしたらボクだろうさ」
上手く乗せられた少女に「ちょろいな」と思いながら、ライチは次なる提案に出た。
「ね、折角得意属性もわかったんだし試しに行かない? 学院が使ってる訓練場がいくつかあるの、そこなら試し撃ちもやり放題よ」
ウインクして彼女が差し出したのは、九時街周辺が描かれた地図であった。
首都の外壁を出た郊外には、火や水、地などを想起させる記号が打たれたポイントがいくつか描かれている。
――罪悪感もどこへやら、覗きに夢中だった少年が単眼鏡から目を離した。
「お、二人共どっかに移動するみたいだ。追うぞサマーニャ」
「いつの間にか凄い乗り気にゃ。ミーはヤマダのいけない性癖を一つ解放してしまったのかも知れないにゃ」
◇◇◇◇◇
円形のカージョナを、九時街のある西門から出ると外は街道の敷かれた小高い丘陵となっている。
赤毛と黒髪の少女たちは、丘の麓にある坑道の入り口のような木の枠を潜ると、暗い洞窟の中へと足を踏み入れていった。
入口の立て看板には、『魔導師ギルド所有・地の鍛錬所』と書かれていた。
階段を下って、下って、下った先の地下で、ネピテルの視界が開ける。
「……おお、何ここ地下なのにすっごい広い」
少女が見上げたのは、ドーム状に広がる岩だらけの地下スペースであった。
中心には巨木の幹と見間違う岩の柱がそびえ天井を支えており、自分たちのいる場所がドーナツのような空間になっているとわかった。
天辺には採光のための穴が開けられており、日の光がオーロラのように射し込んでくる。
「うちの魔導学院がすっぽり入るくらいの広さなんですって、すごいでしょ。
とりあえず入り口だと他の人の邪魔だから少し奥に行きましょうか」
コツコツとローファーを鳴らし、赤毛の少女は奥へと向かう。
足取りは軽く、声色は上機嫌である。
「マナにはそれぞれ集まりやすい場所があってね、水のマナは泉の近くとか、風のマナなら丘の上とか。学院は訓練用にそれぞれマナの集めやすい場所を用意してくれてるの」
「なるほど? だから地のマナは洞窟の中なんだね」
「そういうこと、この場所なら実技で沢山の学院生が魔法を使ってもすぐには『団的集歌減退』起こさないし『誘引変換』も沢山発生するから『令歌変換率』も……」
「あのさ! も、もうここら辺でいいんじゃないかな!」
赤毛の少女の悪い癖が見え始めたところでネピテルは慌てて立ち止まり、両手を広げて自分たちのいる位置が訓練場所として申し分ないことをアピールした。
作り笑いは折角の実技の時間を講義で潰されないように必死である。
以前、日が沈むまでひたすら難しい話をされたことがあった。
「ねえボク早く魔法使ってみたいな! 昔に適正ないって言われてから試したことなかったからさ、楽しみなんだ!」
「そう? そうね……習うより慣れろって言うし、そうしましょうか」
黒髪の少女は素直さ半分、安堵半分のガッツポーズをした。
「じゃあまずこれ、『岩ノ鍛冶師』の魔導符よ。
水と地はスミス系の魔法で自分の『集歌効率』と『令歌変換率』を把握するのが一番なの。ちなみにここじゃ『誘引変換』が起きるから使ったら『変換係数』分の……」
「オーケーわかったまずやってみたいな!」
また小難しく傾いてきた話を遮って、ひったくり気味に魔導符を受け取る。
使い古された羊皮紙には、橙色の簡素な魔方陣が描かれていた。
少し物足りなそうなライチはしぶしぶ腰に下げていた真新しい魔導書を取り出し、ページをめくってネピテルに渡した魔導符と同じ魔導陣が描かれたページを探した。
「それじゃ地の集歌、唱えてみましょうか。暗記してる?」
「まだ最後までは無理」
「じゃあ私に続けて唱えてみて……語らう大地よ――」
地の集歌。
語らう大地よ、氾濫苦難、飲まれし命を失いし、柱は堤を、民と穿て不屈の岩戸、再び三度迫るは黒波、柱は背負いて大岩に、全霊賭して要地蔵、灯りなき夜に寺へと参る、納る道中、童は立ちて、荘厳華厳山手の御業。
岩肌から染み出るように集まってきた橙色の光が、二人の少女の持つ魔導陣へと集まっていく。
集まる光は二人ともハンドボール大の量に留まった。
――集歌を全て唱え終えて、ライチが青い目をネピテルに向ける。
「唱えるわよ。コール――『岩ノ鍛冶師・短剣』」
「こ、コール!」
緊張気味にネピテルも略令歌を唱えると、橙の光はギュルリと逆巻いて光量を増す。
そして「おお!」と見開かれた金色の瞳の前で……ポフっと石器のナイフを生み出した。
「お、おお……?」
確かな感動とほんの少しの肩透かしが混じった視線を手の中のナイフに落とした。
唱えたのはその名の通り、石の短剣を作り出す魔法。
手の上のものを見るに、とりあえず魔法は成功したわけだが、どうも手の上のそれは粗い造りで、成功の実感が湧いてこない。
「やったわねネピテル」
隣から聞こえてきた淀みない声にネピテルは不満そうな視線を向ける。
「ねえこれ本当に成功な……」
「成功よ。あなたのは」
赤毛の少女の手には、もはやそこら辺の石を拾って砕いただけだろうと言いたくなる石の欠片たちがバラリと乗っていた。
手の平サイズの惨状を見て黒髪の少女は異世界の少年から聞かされていた話を思い出す。
ライチ・カペルはどうやらマナに愛されていない。
それでも誰かのために頑張るところが良いとか何とか、惚気に脱線するので話半分に聞いていたが、どうやら話は本当かつ想像以上であった。
「……違うの」
もう一つ聞いていたのが、ライチ・カペルは冷静なようでいてかなりの負けず嫌いであるということ。
これまた途中で惚気話へとシフトしていくのが不快だったので適当に聞き流していた。
「いやえっと……」
何が違うのか聞き返す暇もなかった。
目前の赤毛の少女は光を失った瞳でネピテルを見つめている。
表情が動かないまま口だけ動くので割と怖かった。
「一般の人が魔法唱えればこんな感じになるのよ、うん、絶対。私の適正は水と木だから地は適正がなかったし、まあそれでもこの場所でなら形になるかななんて思ってはいたんだけど想定は想定よね。それに集歌効率はそこまであなたと変わらなかったと思うし、ただちょっと令歌変換率が足りなかったのが計算外と言うか、私も一つ勉強になったわ」
「だぁ寄るな! 何と戦ってんのさ!」
徐々に近づいてくる顔を腕で突っ張って遠ざける。
「ねえネピテルもう一回やりましょう私また集歌唱えるから、それで今度はあなたが先に令歌してよ、声色とか抑揚も効率に少し影響するって講義で聞いたの」
「うざいうっざい! わかったから少し離れろって!」
◇◇◇◇◇
――中央の巨大な岩の陰。
じゃれつく姉妹のような二人を、顔だけ覗かせて眺める二つの頭部があった。
「ああなるとライチ止まらないからなぁ」
苦笑する悠太の顔を見上げて、サマーニャは笑顔を向けた。
「ヤマダ、また嬉しそうにゃね」
「ん、まぁ、そうかもな。
特にネピテルの奴はさ、最初の内はあんまり他の人に話しかけないし、全員に対して喧嘩腰だったから少し心配してたんだ。
だけど今日一日見てたら、何だかんだちゃんと街に馴染んでるんだなってわかって、安心したというか」
「とてもさっきまで嫉妬してたとは思えないにゃ」
「いや別に嫉妬はしてな……」
否定しようとしたところで、少年の耳にその音は届いた。
彼らの背後から聞こえるのは、カッカッという高圧的な足音。
「あら、このような所に不審者の田舎者が」
カカッと足音が止まり、上ずったような耳に響く高音で呼び掛けられる。
さて、と悠太の脳が困惑した。
何となく記憶の片隅で覚えているのだが、多分声の主とは初対面で啖呵を切ったきり、話したことはない。
さりとてその強烈な個性のせいで、声を聞いただけで姿も鮮明に思い出すことはできる。
ボリューム満点の金色の巻き髪と、強気で鋭い真紅の瞳、物語の中でしか聞かないような高笑いのお嬢様。
ブリキの人形のようにぎこちなく振り向いた先に、想像と寸分違わぬ女性が腕を組み仁王立ちをしていた。
「あ、あんたは……」
自然と身構えて、サマーニャを背後に庇う。
派手な金髪、ライチと同じ臙脂色のブレザー、スカートから伸びる長い脚は黒いタイツに包まれて黒のローファーへと繋がっている。
腰の皮ベルトに下げられている金細工の装飾がなされた魔導書が、生まれの裕福さを示していた。
年齢は悠太と同じくらいか少し上ほど。
ナチュラルに他人を見下す赤い視線の少女は――ガーネット・ファーレンフィードと名乗っていた。





