幕間 カージョナ滞在記③ ~スピリット~ 破
山田悠太は暗中模索をしていた。
無理やり協力させられることとなった土地の立ち退き交渉。
居座る老婆は三番勝負に勝利すれば要求を呑むと言った。
ルール説明もされないまま、あれよあれよと三番勝負の準備が進んでいき、決闘の火蓋が切って落とされた。
競技の名は……『スピリット』というらしい。
競技開始の合図を皆で叫んだ後、芝生を焼いて作った円形のフィールドには二人の人影が対峙している。
ピンク髪のサキュバスと、全身銀の甲冑の太男、それぞれ腕に篭手を付けて、バスケットボール大の球を両掌で挟み込むようにして持っている。
見たこともない光景に、悠太は膝をついて顔を覆った。
「……一体、一体何なんだよ、スピリットって……」
現代日本の高校生が異世界生活を始めてもう一月が経過しようとしていた。
魔法に魔物に魔導具、いかれた仲間におかしな街、不思議なものは多々あるが、今はひたすらスピリットなる競技のルールが知りたかった。
かなり久々に思い出した異世界の孤独感が、どうしてか高校の授業で一度だけやった『アルティメット』というフリスビーを使ったアメフトを思い出させた。
「――スピリット」
絶望する悠太の隣、腕を組み戦況を見守る藍色の獣人が久方ぶりに口を開いた。
「両足で大地を踏みしめ行うその姿、スプリットがなまり今の呼び方になったとも、祭の際に神前で互いの魂の輝き、つまりスピリットを戦わせる様からそう呼ばれるようになったとも……語源はいくつか存在する」
誰に言うでもなくそう呟いて、マーロン・ポーチは再び口を結んだ。
厳しく顰めた視線が円内の二人を睨んでいる。
「……ルールは」
正直語源などどうでも良かった。
「……ふん」
「ルールは!?」
悠太は絶叫し天を仰ぐ。
何故か頑なに競技のルールを教えてくれない全員に対して、悠太の苛立ちは限界を迎えようとしていた。
「ユータ君、本当にルール知らないの?」
彼に声をかけたのは、円形のフィールドの中でボールを持つティカであった。
意識は目の前の甲冑太男に向け、流し目と言葉だけを少年に向けている。
「マイ篭手持ってるから知ってると思ってたけど……そういえば魔界でもない異世界から来たって言ってたわね、知らないのも無理ないか」
その言葉をここに来るまでの間に聞きたかった。
「ま、百聞は一見に如かずよ。見ててね」
結局教えてくれない。
競技中らしいので仕方ないがいきなり見取り稽古である。
言うが早いが両手でボールを持ったままの彼女は、大股で同じくボールを持つ重戦士に歩み寄る。
キカザは「でゅふ」と鼻息荒く、顎をぐんと上げて天を見上げた。
「き、昨日の僕の敗因は、君のその、むむむ、胸に目を取られてる内に不意打ちを食らったからだ」
サキュバスを思わせるティカの身体は確かに年頃の男子にとっては危険物であろう。
それを本人が惜しげもなく武器として使用しているあたり、タチが悪い。
「しかぁし! ここ、こうして天を見上げていれば、視線を奪われることはない! でゅふふ! さあどう崩すんだい!?」
偉そうに叫んでいるが、見上げていては自ら視界を塞いでいるも同然なのではないか。
現に彼は動くこともままならず、公園の真ん中でボールを持って仁王立ちしているだけである。
そう思いつつも、このスピリットという競技においてはこれもれっきとした戦略なのではないかと観察を続けた。
全てはルール説明がされていないせいだである。
ティカはボールが触れ合う位置まで近づいて、そのまま巨体の股下で屈んだ。
紫の瞳は、目前で「どうだぁ! 手も足も出まい!」と息巻く男の股間をじっと見詰めている。
そして両手を差し出し、男が唯一甲冑で覆っていない股座をボールで優しく擦り上げた。
「おうっふ」
聞きたくもない嬌声を上げて、巨体は身震いすると内股になり、力の抜けた両腕はボールを取りこぼし芝生の地面にポテンと落とした。
すると、戦況を見守っていた老婆の瞳がカッと光りホイッスルを鳴らした。
そして高らかに宣言する。
「『コラプション』! 『アセンション1点』赤チーム! 何やってんだいキカザ! 簡単に負けんじゃないよ!」
「何が!?」
少年は混乱した。何もわからなかった。
変態が変態の股間をボールで擦って、変態が身震いしてボールを落とした。
それだけだったからである。
勝者らしい彼女は、「ふうっ」とやり切った表情でボールを小脇に抱え戻ってくる。
「まず一勝ね」
「ふん、下らん決着だ」
言いつつハイタッチする二人の脇で、悠太は打ち震えた。泣きそうであった。
「大人は嘘つきだ……百聞は一見に如かずって」
「あははごめんね? ほら簡単に勝てそうだったからつい……次ちゃんとあたしが説明するから、じゃあ中堅はワンちゃんにお願いするわね?」
そう言って彼女はボールをマーロンの胸の前に差し出す。
藍色の獣の腕はそれを受け取って、鼻を鳴らした。
「ふん、説明の必要はない。三番勝負である以上、わんが勝利し、それで終わりだ。小僧の出る幕はない」
自信満々の様相で円に入る。
それもそうね、のような表情をしているティカを、悠太は涙目で睨みつけた。
「あ、あはは、わかったちゃんと解説するから……」
そして中堅戦が始まるのであった。
対戦カードは藍色の獣人と、サングラスの少年である。
◇◇◇◇◇
「レディ、スピリット!」
相変わらず意味の分からない号令と共に、対峙する中堅の二人がステップを踏んだ。
軽やかにつま先で身を弾ませ、間合いを測る。
その様子はボクシングに似ていた。
異なるのは、上げた腕に付けているのがグローブではなく篭手であること。
それから両掌で挟み込むようにして持つボールを掲げていること。
「スピリットは言ってしまえば、お互いが両手で持つボールを主に蹴りあって落としあう競技よ」
互いが持ったボールを、蹴り合う競技。
悠太は円内で間合いを取り合う二人の姿と、ティカの一言を噛み締めた。
そして、俯いて、眉間を揉んだ。
「それ、だけ? 魔法使ったり、とか」
「しないわ。使えない人が大多数だもん」
つまり、普通のスポーツなわけである。
「何で……」
溢れてくるのは、ただただ翻弄された自身への哀れみであった。
徒労への怒りであった。
「何で、どうして……その解説を一言、もっと早く言ってくれないんですか……!」
ボールは蹴りやすいバスケットボール程の大きめサイズ。
篭手は間違って蹴られやすいであろう腕の防具。
ただ一言の説明があればすんなり飲み込めていたというのに、それをスピリットだのレディスピリットだのディスワールドエリアだのコラプションだのアセンションだの。
「……股間は、あんたが撫でつけた太っちょの股間は、競技に関係あるんですか」
「……競技者はみんな親の股間から生まれてるわ。関係ないとは言えないわね」
「黙っててください」
「酷くない?」
酷くないことは明白であった、少なくとも悠太の中では。
「……ボールの落とし方は原則自由よ。さっきはたまたま股がお留守だったからそれを利用しただけ。まあ――普通は蹴り合いの勝負になるわね」
――円の中、少年が身を低く、それでいて左右に大きく揺さぶるステップを踏んで獣人に突進をしかけた。
獣人は揺さぶりに踊らされることなく仁王立ちで腰を落とし、肘を張ってボールを挟む腕に力を込める。
少年は真っ向勝負の意向を感じ取ると、フェイントもそこそこに一気に加速し、跳躍と共に足を振り上げた。
渾身のサマーソルトキックは獣の腕が持つボールにドウッと打ち付けられる。
そしてボールは、びくともしなかった。
「へぇ、犬さんやりますね……!」
少年は歯を見せて笑った。
しかし、その頬には一筋の冷や汗が伝う。
「ヒューム如きの力で、わんの球を取れると思うな」
高圧的に宣言すると、マーロンは巨体の身を仰け反らせ、反動と腹筋の力で一気に宙に身を置く少年のボールへと頭突きをかました。
「ちなみに、相手を場外に追いやっても勝ちよ」
――頭突きは少年が胸の前で持つボールに炸裂した。
少年の身体は確かに吹き飛ばされたが、その勢いは頭突きの勢いより軽く見えた。
「あの坊や、やるわね」
宙に弧を描いたミザリーの身体は、円の淵すれすれにふわりと降り立った。
「頭突きの勢いを殺した……?」
「ええ、頭突きの寸前でワンちゃんの肩を足場に自ら跳んだ。それプラス、わずかに力の向きを変えて上に向かって飛ばされるように仕向けた」
会話についていけている自分が何故か悲しくなった。
観客の少年が心のもやつきを感じている時、飛ばされたミザリーは着地姿勢から顔を上げた。
「いやぁ危なかっ――」
余裕を滲ませた声色の少年は、すぐに目前に迫る脅威への対応を強いられた。
天に掲げられた獣の太い脚が、ボールに向かって踵落としを見舞わんとしているのである。
円形のフィールドに逃げ場はなかった。
刹那――ミザリー・テザルの眼は、マーロンの体幹、筋肉の力み具合、表情筋から、この踵落としがフェイントでないことを見通す。
少年はスラム街で生まれ、横行する暴力の中で育った経緯から、人一倍観察力に優れる眼を持っていた。
「駄目だ――マーロン誘われてる!」
その眼の厄介さを知る悠太が叫んだのと同時にミザリーは自ら手に挟んだボールを、あえて攻撃に差し出した。
力任せの踵落としは、ボールにヒットする。
ズダンと芝にめり込んだ脚の持ち主は、目前の宙で激しく縦に回転する少年に驚いた。
少年は衝撃の瞬間、自らの身体を浮かし、踵落としの下向きの力を回転力へと変えた。
遠心力で吹っ飛んだサングラスが悠太の隣に落ちる頃――少年が返した回転踵落としが、獣人のボールを芝生に叩きつけた。
「コラプション! アセンション1点白チーム! よくやったねミザリーちゃん!」
単語の意味はよくわからないが、この勝負の結果が敗北であることはフィールドで固まっている藍色の獣人を見れば理解に易かった。
「……ば、馬鹿な、わんが、ヒュームの、それも小僧如きに……」
わなわなと震えるマーロンの横を小走りに、少年が悠太の近くに落ちたサングラスを拾いにくる。
それを両手でかけると、彼は敗者に振り向いた。
「いやいやおじさん強かったですよ? 俺如きの力じゃボール落とせませんでしたもん。
まあ、だからおじさんの力を使わせてもらったんですけどね」
完全敗北を喫したマーロンが肩を落とし、瞳孔を振るわせながら戻ってくる。
悠太もティカは苦笑いで迎えるしかなく、かけた「ドンマイ」の声に返答はなかった。
オレンジ髪の少年は「やりすぎたかな」と肩を竦め、傍らで呆けている悠太を見上げた。
斜に構えたサングラスの奥の眼が、物足りなそうで挑発的である。
「というわけでユータさんとの再戦はまたの機会ですね。
じゃ、大将戦頑張ってください。うちのイワザ兄、結構強いんで」
それだけ言い残し、ぶかぶかの袖をバイバイと振って陣営に戻って行く小さな後ろ姿。
次は自分の番。
改めて言われ、悠太の鼓動はワンテンポ速まるのであった。
 





