0-5 名探偵ネピテルと快適スローライフ
――夜の村は冷える。
黒髪の少女、ネピテル・ワイズチャーチは夜風の中、腕を擦りながら、カナリーの家の周りをぐるぐると回っていた。
少女は、一対一のコミュニケーションが苦手であった。
他人の感情に疎いことは自覚している。
その辺りをフォローしてくれる悠太と一緒の時は、慇懃無礼、傍若無人、自分本位に振る舞ってもフォローしてもらえる。
しかし、いざ一対一で他人と接すると、ある者は腹を立てて、ある者は呆れて、彼女の前を去っていくのである。
「くっそ、何て言ってドア叩けばいいんだ……普通にこんばんは? それともさっきはどうも? ていうか、あの人の名前何だっけ……」
恨めし気に家を睨みながら歯噛みするネピテルは、裏手の庭に不自然に置かれた鉄の板を見つけた。
「うーん、どうすれば……」
言い訳がましく挨拶を考えるふりをしつつ、興味に惹かれて鉄板に手をかける。
「……わお」
重たいそれをどけると、そこには地下へと続く石の階段があった。
「暗いな。なんか気になるな。会う前に調べていこうかな」
完全に興味を地下へと移したネピテルは、1本のマッチを擦り、投げ入れる。
わずかな明かりに照らし出され、暗闇の壁際に、灯具が取り付けられているのが見えた。
「ふぅん? まさかだけど……『三本灯し』、『二本灯し』、一本……お、二本で点いた」
ネピテルが唱えた言葉に呼応するように、階段の灯具は明かりを点けた。
「流石は火熊の村、こんな地味な場所にも『火熊の灯篭』使ってるのか」
階段を下りながら、ネピテルは灯具に手を当てる。
灯具の中には炎を灯す二本の毛が置かれていた。
『火熊の灯篭』。
火熊の毛の一般的な使用方法であり、この世界に照明器具として根付いた魔導具の一つであった。
「けっこう頻繁に使ってる部屋なのかな……だとしたら、怪しくなってきた」
階段は一直線で、下まで降りると正面に立て付けの悪い鉄扉があった。
蝶番を何度か双剣で叩くと扉が外れ、埃を立てて倒れる。
ネピテルは嫌な予感を胸に、躊躇なく地下室へと踏み入った。
そして、その奥の書斎机で見つけたモノによって、全てを理解した。
「……さて、どうしたもんだろ……挨拶」
――そう呟いた少女の後ろに、獣の呼吸音が迫っていた。
気配を察知したネピテルが振り向き様に双剣を構える。
「え」
飛びついてきたのは、無邪気な顔の犬であった。
「お前、馬鹿犬! だっ、ペロペロすんな! ちょっと、ちょーっと離れてくれる? ほら、ほら……うらぁ!」
最終的にぶん投げると、ラッキーは尻尾を振って階段を駆け上っていく。
少女は地下室の入り口まで戻り、階段の上を見上げた。
――頂には、月を背景に飼い犬を撫でるカナリーが佇んでいた。
「……ダメじゃない。挨拶もなしに」
「いや良かった、そっちから挨拶しに来てくれて」
月明りの逆光で表情は見えづらい。
しかし灯篭が照らし出す鳶色の瞳に宿った光だけはよく見えた。
「正直、ここを見つけるまでは、君のことは怪しくても白だと思ってた。ボクも大分悠太に汚染されてたみたい」
「そのまま、彼のように気付かなければ、全て上手くいったのに。
だって、後はアレだけ始末すれば、誰にとっても利のある環境が整うのよ?」
冷徹な口調からも、彼女が昼間とは違うことが伺える。
「……巨大火熊が現れたのは二週間前。噂になってるのはその後の死者の増加だけど、実は事件にはその前段階があった。『火熊の大量発生と、行方不明の冒険者たち』……」
ネピテルは双剣に手をかけ、月下のカナリーを睨んだ。
「さて、この地下室でその行方不明者たちのタグが見つかったわけだけど、説明願えるかな?」
少女が地下室で見つけたのは、クエストの結果報告を行っていない冒険者たちのギルドタグであった。
その名前は、彼女が記憶していたクエスト状況表の名前と一致する。
つまり、行方不明者から誰かがタグを奪い取って、この部屋に運んだことになる。
「だんまりなら、この名探偵ネピテルが推理を披露しよっか?」
推理はあくまで時間稼ぎのためである。
ネピテルは横目で周囲を伺い、状況の切り抜け方を模索した。
できれば消費の少ない方法でこの場を逃げたい。
しかし、地下室の出入り口は一つで、階段も一本道である。
「最初に変だなって思ったのは、村の成り立ちに噛んでるって自慢話を始めた時だ。
弟が消えて二週間、まだ大火熊も討伐されてないのに、あまり悲しくないのかなって、無神経な人なのかなって思った」
鳶色の眼光が鋭くなった。
「次に、馬鹿犬が持ってきたブレスレット、それが弟の形見だって言った時。形見ってことは、もう帰って来ないと確信していたわけだ。遺体の一部だって見つかってないのに。
それから、ブレスレットについてはもう一つ変だよ。形見の品なんて……肉親なら身に着けて然るべきじゃない?」
カナリーがポケットからブレスレットを取り出し、見せつけるように手首に付けた。
ざわざわと、不穏な夜風が栗毛を逆立てる。
「これらのおかしな点と、事件の経緯を踏まえるとね、何となく真相も予想がついてくるのさ」
思ったよりすらすらと話せることが楽しくなってきたネピテルは、眉間に人差し指と中指、親指を当てる。
「んー、まず大量発生と行方不明。これが人為的な事件だったとすれば、首謀者は君の弟だったんじゃないか? 弟は何らかの方法で、冒険者を襲い、火熊を増殖させていた。
そして君は、それを容認していなかった。もしくは容認できなくなった――だから二週間前、方針転換を行った。弟を始末した。その日を境に大火熊が現れ、冒険者を殺すようになった」
カナリーは相変わらず階段の上で仁王立ちをしたまま、冷徹な眼差しのまま、詰まらなさそうに口を開けた。
「……名探偵のわりに推理が雑ね。証拠もないし、どうやってそんなことをやってのけたか、方法すら見当がついていないんじゃない? 想像のまま作り話を披露してるだけ」
「まあ別にボク探偵じゃないしね」
悪びれもなく舌を出したネピテルに、カナリーの瞳が怒りを滲ませた。
「そもそも方法なんか見当つかなくて当たり前さ。不可思議な事件の種は大体が魔導具だ。
伝承だってびっくり仰天のチート仕様ばっかなのに、そんなの看破できやしないよ」
などと軽口を叩いて己の双剣を触る。
今は力を削がれているそれもまた、街一つを震撼させた魔導具であった。
「でもまあ、そうだね、例えば……そのブレスレットが、人を火熊に変貌させるような魔導具なら、この部屋のタグと冒険者の失踪、火熊の大量発生は簡単に繋がりそうだ」
「……凄いわね。あらかた正解よ」
「犯人のわりにあっさり認めるね」
「まあ別にバレても問題ないからね」
意趣返しのように悪びれもなくブレスレットを掲げて、カナリーは唱えた。
彼女に寄りそうラッキーが不安そうに鳴いた。
「――『炎魔執刀』」
月明りをシルエットに、ブレスレットの右手が変貌した。
鋭い爪を備え、剛毛に覆われ、赤と緑の粒子を纏った。
肘ほどまで変異が進むと、その獣爪が一閃。
――愛犬へと振り下ろされた。
目を見開くネピテルの前で、ラッキーは苦し気に呻きながら、ふらふらとよろめき、数滴の血を滴らせた後……激しい咆哮と共に火熊へと姿を変えた。
「一点だけ訂正よ名探偵、『熊母堂の腕輪』の効果は人以外にも有効。ま、少しサイズは小さくなるけどね」
小さいとは言うものの、ラッキーだったそれの体長は2メートル近くもある。
「大切な同居人だろうに……弟もそうやって熊にしたの?」
「まぁね、元使用者だったからか何故か大熊になっちゃって、手を焼いているわ。あれさえ駆除できれば私たちの……いえ、私の狩場が返ってくるのに!」
カナリーの瞳に狂気が宿った。
「狩場?」
怪訝そうに聞き返す少女に、鈍い眼光がニタリと歪んだ。
すぐ隣で今にも跳びかかろうとしている火熊の口元に手を当て、「ステイよ」と指示して、問いを投げる。
「ねえ幸せな暮らしって、何だと思う?」
脈絡のない問いかけに、返事はしなかった。
どうも勝手にベラベラと喋ってくれそうであったから。
「衣食住に困らないのは当然として……人間だもの、精神的にも満たされたいわね。適度なスリルと思いどおりの爽快感。加虐の為にも庇護の為にも見下す相手が必要ね。それから私だけっていう特別感も欲しいわ」
狂気の眼はうっとりしたり遠くを見たり、とにかく演技がかっていた。
「……この村での暮らしは、まさしく、思い描いた通りだったわ。私たちは支配者だった。ギルドの報酬で潤った暮らし、火熊狩りのノウハウも知らない駆け出し冒険者が憧れの眼差しを向けてくる。彼らを生かすも殺すも私たちのアドバイス次第。最高の狩場……最っ高のスローライフ!」
両腕を広げた彼女の表情は固まり、下品な笑みは消えた。
「でも、それは変わってしまった。火熊狩りが試験クエストに指定されて、一変してしまった。
どこにいたのかうじゃうじゃと、無駄に腕の立つ奴らが押し寄せやがって、私の知らない攻略法を編み出しやがって、私たち以上に頼られやがって……私の見つけた狩場だぞ! 命がけで見つけて、命がけで掴んだスローライフだ! 誰にも奪わせやしない!」
たったそれだけの為に、とは言わなかった。
他人からすれば取るに足らない事情も、本人は大真面目に抱え込んでいるものである。
「そんな時だった……旅の商人と名乗る男が、私たちの狩った火熊の亡骸を買い取って、代わりに一つの魔導具を売り渡してきた」
ネピテルははっと顔を上げる。その商人について聞けるとは思っていなかった。
その商人は、過去ネピテルにも禍々しい魔導具を与えた人物と同じ組織に所属している可能性が高い。
各地で、災禍の種を撒く謎の組織である。
「旅の商人……黒いローブ、羽と剣の紋章の?」
「あらご存じ?」
「そいつがこの村に……おい、そいつどっちの方角行った?」
カナリーは口を尖らせて、バフッと火熊に寄りかかった。
「そんなの覚えてないわよ。そんなことより私の話を聞いて。ねえ凄いのよこのブレスレット。ご覧の通り殺した相手を火熊にできるの。
火熊を狩るも人間を狩るも自由自在。まさにこの『火熊の碧洞』を統べる支配者に相応しい魔導具と思わない?」
「さぁね、興味ない」
「弟は狩場を荒らした奴らが許せなかったらしくて、過剰に冒険者狩りをしてたけど、そんなので火熊増やしちゃったから、大量発生だーって逆に馬鹿な冒険者どもが更に押し寄せてきたの。
ギルドに見つからない為にも、何事もほどほどに、クールにしなくちゃいけない。だから、熱くなりすぎた弟には、熊になってもらったわ。厄介にも大きくなっちゃったけどね」
発言に弟に対する情は感じられなかった。
彼女の中のそういう思考は、壊れてしまっているのであろう。
「さあ、後はあのデカブツさえ消えれば、私の静かな狩場が返ってくる……私の気に入らない奴は熊にして、私を尊重する奴はランク3に育てて送り出してあげる。この狩場で支配者ライフを送るの!」
飽きてきたネピテルは、一つ大きな欠伸をした。
「つまりチヤホヤされたいんだね」
茶化されて、カナリーも夢見がちな幻想から現実へと戻ってきた。
「そうね、チヤホヤされたい。だから、貴女みたいな生意気な目をした奴は邪魔なの。悪いけど死んでもらえるかしら」
獣化した手が火熊を促すように叩く。
その指示に従い、火熊は前腕を踏み出す。
名の由来である炎を、襟巻きのように身に纏った。
ネピテルは再度周囲を見回して、抜け道やら使えそうな物やらがないことを確認すると、諦めるように溜め息を吐いた。
「あっはは! 諦めた? さあ火熊の餌になりなさい!」
呼応して、火熊は吠えて階段を駆け下りてくる。
「……やれやれ」
ネピテルは黒い双剣を抜くと、二本を平行に突き出す。
射線に火熊と階段上を置いて、腰を低く反動に備える。
長く戦うつもりはない。一撃であった。
「……バイバイ、馬鹿犬」
並べられた刀身の間に、赤黒い電光が弾けた。
「貫け――『砲雷』」
魔導具には、それぞれ『御技』を発動させるキーワードとなる『技名』がある。
ネピテルの唱えた技名に従い、双剣は一直線に黒い轟雷を撃ち出す。
例えるなら荷電粒子砲、または極太ビーム。
いち早く強大な威力を感じとった火熊は回避行動を取ったが、狭い階段の壁がそれを許さなかった。
あっという間に黒雷に呑まれ、遅れてきた雷鳴が村一帯に轟き渡った。
――カツカツと、石の階段を上る。
途中には焼け焦げた瀕死の火熊が横たわっていて、少女はすれ違い様にその頭を撫でてやる。
「……あんな馬鹿飼い主の言うことも聞けて偉かったね。良い子だ。ゆっくりお休み」
かつてラッキーと呼ばれた熊は、どこか安心したように、息を引き取った。
階段を上りきると、脂汗を浮かべ失禁して尻餅をつく女が見上げてきた。
「……え、あ、何? 黒い、雷? 嘘、火熊を一撃なんて……それも、魔導具?」
驚嘆の目は今もパチパチと帯電する刀身に釘付けであった。
「そ、『魔王の双剣』って言うの。そんじょそこらの魔導具とは格が違うんだよね」
武器の名前を教えてやると、カナリーの表情からみるみる闘気が抜けていった。
「で、まだやる?」
剣の峰で顎を上げてやると、放心気味だった顔が青ざめて、彼女は「ひぃ」と逃げ出す。
無論逃がす気がないネピテルが追いかけようとした――その瞬間であった。
――ズン、と地面が揺れた。
にわかに、夜の村が照らされる。
橙色の光源を探して森の方向に目をやると、漆黒の森に立ち上がる巨大な一頭の火熊が見えた。
「わお……熊ってより、怪獣じゃない?」
流石に危機感を持ったネピテルをよそに、カナリーは誘われるかのように大火熊の方へと駆け出した。
「ああ、ああ、ウッド……ウッド!」
壊れた笑顔で、弟の名を呼びながら。