幕間 カージョナ滞在記② ~お疲れさま~ 4/4
「ねえ、私も持つってば。足元ふらついてるわよ」
「いいんだって」
よろめいて九時街。
学ランの少年と赤毛の少女は魔導学院の女子寮にまで帰還を遂げていた。
前が見えないほどの魔導符の束を抱え、えっちらおっちらとホールの赤絨毯を抜け、渡り廊下へ。
視界が塞がっている悠太が迷わないように隣を歩くライチは、意固地になっている少年を呆れた目で見上げならエスコートしていく。
「ほらこっち、階段、気を付けてね?」
赤毛の少女の部屋は居住棟の二階の最奥にある。
昼間に連行されてきた際はそれどころではなかったが、少年の鼓動はかなり高鳴っていた。
予想外の大荷物のおかげで、自分は想いを寄せる女子の部屋の前まで来ているのである。
建物の格式高さを損なわないように造られた木彫りの扉の向こうには、ライチ・カペルの部屋がある。
別に何を期待しているわけではない。
何のきっかけもなしに関係を進展させる度胸がないのもわかっている。
自分など、へたれのもやしであると自覚している。
「……何か、ちょっと落ち込んでる? 疲れてるだけ?」
それでも不思議そうに赤毛を傾げる表情が可愛いから、ここに来たことには意味があった。
クエストやバイトの疲れを押してでも、今日一日付き合った甲斐はあったのである。
「今鍵開けるね。それ適当に玄関に下ろしちゃっていいから」
ついに女子の部屋に、少年は自らの足で踏み込んで……歩を進めた。
「ちょ、ユータ駄目! 居間は……」
「大丈夫大丈夫、奥まで運んだ方がいいだろ?」
玄関先に置いても後で運ぶのに手間取るだろうという気配りのつもりであった。
悠太は居間まで進んで、壁際に魔導符の束をドサリと置いた。
屈めた腰を伸ばす際、息を吸って感じる部屋の香り。
柱や梁の木の匂い、裏庭の見える窓から香るジャスミンの匂い、ところ狭しと詰まれた本の山の少しかびた臭い。
比率として一番多いのは、かびた臭いであろう。
見渡せば、居間は本当に本だらけであった。
壁際の本棚は既にいっぱいで、入りきらなかった本たちはうず高く、天井まで届く柱になってあちこちに配置されている。
どれも古臭く分厚く小難しそうな蔵書ばかりである。
この部屋にいわゆる女子っぽさは、ない。
「あぅ……お恥ずかしながら、魔導図書館が借り放題っていうからつい目ぼしいものを片っ端から……」
だからって天井に届くまで積み上げるであろうか。
悠太は本の柱に挟まれた手頃な本を、ジェンガのパーツのように引き抜こうとした。
その背表紙には『異界の門に関わる転移仮説』と書かれており、首都に辿り着いた時の少女の言葉が、悠太の脳裏に蘇った。
――転移の大魔法を見つけ出して、元の世界に帰してあげる。
あの言葉を覚えていてくれたのだなと嬉しくなって、ますますその本の内容が気になった。
「あ、こら! 女の子の部屋をジロジロ見ないの! き、今日は楽しかったわ、だからまたね!」
部屋を見られるのが気恥ずかしいのか、視線を逸らしたままの少女が少年の背を押して追い出そうとしたものだから……ジェンガの本が引き抜かれて、本の柱がバランスを崩した。
「え」
「へ?」
ゆっくりと、しかし漏れた声が悲鳴になるより早く、うず高く積まれた本たちが雪崩を起こした。
金細工の本や分厚い本と、当たれば少し痛そうなものまで落ちてきたものだから、少年は力を振り絞った。
「危なっ、ライチ!」
――刹那の瞬間。
少女が感じたのは、想像以上の力できつく抱き締められる感覚であった。
少年が感じたのは、想像以上に華奢で、柔らかすぎて壊れそうな感触であった。
時の流れが通常に戻って、ドサドサドサと――部屋に埃が舞い上がった。
「んん……」
眉を顰めた少女は、己の身体を押しつぶす重みを払いのけようとして、耳元にかかる黒髪のくすぐったい感覚に気づいた。
「え、あ、ユータ……?」
「……ライチ」
自分を押しつぶしている、というか押し倒しているのは本日デートをしていた少年で、こと誠意においては彼女が絶対の信頼を寄せている相手であった。
しかしその相手が今は、散らばった本の中で自分を組み伏せ、身じろぎしても退く気配がない。
浴場の時のように、のぼせて気絶しているわけでもないのに、である。
「あ、ありがと、ね? 庇ってくれて……私もう大丈夫だから、さ」
感謝を述べても、少年が熱を感じる距離より遠くに身を起こすことはなかった。
「だ、大丈夫? 頭とか、打ってない?」
いつもと違う様子の少年に、少女の青い瞳は真意を探しあぐね、おどけた眼差しを向ける。
だが黒い瞳は獣のように鋭く、いつもの優しく頼りない視線を返してはくれない。
「ライチ……わるい」
床と腰の間に差し込まれた腕は、くびれをきゅっと抱き寄せる。
「あ、やだ駄目だって」
後頭部を守るように伸ばされた手の平は、触れる赤毛を通してぬくもりを伝えてきた。
そして、出会いの時よりも端正になった彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
「我慢できない」
「あ、あは、は……あれ?」
言い渡された処刑宣告めいた言葉に、まず少女の身体が諦めた。
何故か、男の胸を押す腕に全く力が入らない。
次いで聴覚がいかれた。
ドクンドクンドクンと自分の鼓動の音しか聞こえなくなった。
畳みかけるように嗅覚が、少年の匂いしか捉えられなくなった。
そして、最後に視覚が、来たるべき瞬間に向けて瞼をきつく閉じた。
「もう限界、だ」
その言葉の後――長らくライチは暗い世界で感触を待った。
だが卑怯にも、彼は首筋に不意打ちを放った。
黒髪の毛先でくすぐったくなぞり、吹きかけられた吐息。
「ひゃあっ、ん」
ぞくりと来る感覚と自ら上げたあられもない声が、少女の視界を再び開けさせた。
眼前に、少年の顔はなかった。
しかし身体はしっかりとのしかかられていて、彼の頭部はライチの顔のすぐ横で、力尽きていた。
再び記憶が蘇る。
そう古い記憶ではない。
本日中の出来事の記憶で、ついさっきも思い出した記憶である。
あれは、大浴場。
確かあの時、話の途中でいきなり密着してきた少年の真実は、翡翠の湯にぷかりと浮かんで暴かれた。
「まさ、か……んっ」
再び吹きかけられる息、今度は声をこらえる。
規則正しく責め立てるそれは……すこやかな寝息であった。
――山田悠太は、疲れ切っていた。
「嘘でしょもう、我慢とか、限界とかって……ああ、嗚呼もう信じらんない!」
さっさと起きろとばかりにあげられた声にも、少年の呑気な寝顔が歪むことはなかった。
気持ちよさそうに、抱き枕の感触を楽しんでいるようである。
「あっ、く……最っ低、変態、馬鹿、阿保、間抜け、助平、変な服、変な服、変な服……」
呪いを呟きつつ、少女は彼の胸を押していた手を下ろして、覆いかぶさる学ランの裾を指先で撫で、摘まんだ。
寝息は相変わらずこそばゆく、男一人分の重さに胸が苦しさを覚えたが、どうにも、押し退けることはできそうもなかった。
その理由は多くあるが、どうやら一番都合をつけやすそうなのは、少年を右に倣うことであった。
――ライチ・カペル自身もまた、連日の読み漁りと夜更かしで疲れ切っていた、ことにした。
「だから帰ってもいいって言ったのに。そんな眠いなら付き合わなくていいって、言ったもん……ああもう……もう――お疲れさま」
◇◇◇◇◇
解説のニナ・マルムさん。
「解説じゃないよリズリーちゃん。インタビュー方式気に入ったの?」
我々は今、重大な風紀違反を目の前にしていると思いますが如何でしょうか。
「それは……否定できないけど」
ですよね、そうだよな、女子寮に野郎連れ込んで鍵もかけないで抱き合って寝てるって……ライっち結構破廉恥。
「まあこの光景はね……えと、どうする? 起こす?」
ご飯食べましょう。白米が進みそうです。
「……意味わかんないよ」
まあここまでなっといて告白もまだってのは大分面白いからな。
このままにんまり見守っててやろうや。
「悪趣味だなぁ……でも」
でも?
「ふふ、なんか幸せそうじゃない?
どれだけ疲れてても、もう少し、もうちょっと一緒にいたい人って、いるよね。
きっと二人ともそう思いながら、疲れながらデートしてたんだろうなぁ」
的確な解説をありがとうございました、ニナさん。
「ふふ、それでは今日はここまでにしましょうかリズリーさん」
折角ノってきたとこだが、そうしといてやるか。
今日はアタシもよく寝れたし。
「それじゃライちゃんとユータさん、おやすみなさい」
……ま、お疲れさま。
◇◇◇◇◇
▼ライチ・カペルとの親密度が上がりました。
▼ライチ・カペルは『幻想ノ霧華』を覚えました。
用語解説
・ライチ・カペル
魔導師ギルド所属の少女。
魔法オタク。疲れてくるとやや大胆になる。
・山田悠太
冒険者ギルドの少年。
最近過労気味。疲れていれば何をやってもいいと思っている節がある。
・リズリー・バートリー
魔導師ギルド所属の少女。
不眠症手前。疲れてくると苛立ちやすくなる。
・ニナ・マルム
魔導師ギルド所属の少女。
疲れている。
・リフ(通貨)
カージョン連合国共通通貨。
1リフ硬貨、10リフ硬貨、100リフ硬貨、1000リフ紙幣、10000リフ紙幣がある。
硬貨には全てリフレマイト鉱石から抽出されるリフレマイトが使用され、表面の刻印で価値を判断する。
リフレマイトは耐火性能が高く、逢王宮専任の魔導師のみが共有する魔導陣による超高温でしか加工ができない。
加工難度そのものにより偽造防止をしており、紙幣にも同様に細かく加工したリフレマイトが散りばめられている。
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