幕間 カージョナ滞在記② ~お疲れさま~ 1/4
ヤマダ・ユータさんですね?
「うわ目のクマ凄……どうした、の?」
ヤマダ・ユータさんですね?
「え、は、はい。何で初対面みたいな……この前、ライチとうちのお店来てた、よね?」
見たところ朝のバイトは終わったようですが?
「何でインタビュー形式? そんな口調だっけ?」
答えとけ。バイト終わったんか?
「……まあ、とりあえず何とか……相変わらず朝から忙しくて疲れ……」
本業の冒険には行くんですか?
「……いやええと、今日はクエスト受けない。というか昨日の夜に哨戒クエから帰ってきたばかりで疲れ……」
ではこの後は暇ですね?
「え、いやあの、この後は、部屋戻って寝ようかななんて、あはは、ほらだから俺、疲れてて……多分君に負けず劣らず目にクマできて……」
私の方が疲れてるんです。
「あはは……は?」
今日寝るのは私です。
ついて来て下さいますね?
「ちょっと待てなんだその縄! 返事する前から縛んな! この縄どこから出した!?」
ニナ、ちょいそっち持ってて、締めて。
「おいマジで! ちょっと二人がかりは……」
ほい手拭い、噛ませて、黙らせて。
「おい! モゴ!? モガァ!」
◇◇◇◇◇
――魔女と呼ばれた女生徒がいた。
首都カージョナの貴族階級が住まう『九時街』の一角。
フラワーアーチに絡む白と黄のジャスミンに彩られた庭園の中に、『魔導学院』の女子寮がある。
花の教えは「柔和」と「優雅」。
明るい砂岩タイルの建物の内部、中央のホールは大理石の床と柱、赤絨毯で装飾されている。
赤絨毯はホールから左右の渡り廊下へと続き、居住棟にまで伸びていた。
――居住棟の二階、廊下の突き当りの部屋の中。
居間の大きく開いた出窓から花の香りと日光を呼び込み、魔女は今日も山積みした魔法の教本に指を伸ばす。
今日は学院の休日、講義がない。
自分のペースで教本に目を通し、魔導陣を描き、思う存分に魔法の知識を深めることができる。
なんと素晴らしいことか。
浮きたつ心で茶皮の装丁の教本を開く。
しおりを取って木の机に置き、ゆるく着崩した白いワンピースの腰元、皺を整えて集中する。
昨日の続き。
集歌によって集められたマナは令歌による指示を与えなければ離散してしまうが離散速度は飽和密度が低いほど加速するため取り分け集歌効率の低い者は令歌及び略令歌若しくはマナの待機に属する指示を与える必要があるが……
「当然普通の令歌じゃ離散は進むし魔法を発動させても動員できるマナ総量のせいで満足な効果は得られない、となるとマナ総量の中で最大限の効果を得るには略令歌で離散の加速前に発動する必要があるけど魔導陣の回路を走る中でも離散は進むからできるだけ速度を出してマナを走らせなければいけない、そのためには魔抵抗が邪魔だから減衰方式を二つ、いや一般人を想定すればやっぱ三つじゃないと駄目、並列じゃ離散進むから直列は譲れない、でもああそうか増幅の直後に繋げて一気に駆け抜けさせれば……」
魔女の脳が没頭し始めた。
彼女はこの思考の海に深く潜っていく感覚が非常に好みであった。
しかし、思考が波に乗ってきた良いところで邪魔が入る。
魔女の個室の扉が叩かれたのである。
ドンドンドンと強めに、間隔を置かないガサツなノック。
赤毛の魔女にとっては知った響きであった。
魔女は「またか」と呆れ気味な声色で木彫りの扉に呼び掛けた。
「リズリー? 開いてるわよー?」
最近赤毛の魔女と呼ばれ始めた少女――ライチ・カペルの呼びかけに応えて扉がバンと開かれる。
入るなり、隣人のポニーテールが逆立った。
「ライっち! 今日こそお前には遊びに出て行ってもらうからな! そしてアタシの安眠を取り戻ーす!」
威勢よく叫ぶ少女はラフなショートパンツスタイルと肩を出したシャツ。
赤毛の少女同様に魔導学院に在籍し、同級生にあたる。
名はリズリー・バートリーという。
「ども、ライちゃんお邪魔します」
扉枠の影からひょこりと顔を出したのは眼鏡にゆるふわショートヘアの少女。
清楚なボレロに身を包んだ彼女もライチとリズリーの同級生であった。
名はニナ・マルムという。
部屋の主である赤毛の少女は一つ溜め息を吐いて、名残惜しそうに本を置くと居間からまっすぐの玄関口まで二人を出迎えに歩み出た。
「ニナも一緒なのね。にしても来るなり何よリズリー。
悪いけどお出かけのお誘いはごめんってば、もう少しで魔抗減衰方式を直列三個で組み込んだ陣が組めそうなの。これ組み終わったら夜おごってあげるから……」
やれやれといった雰囲気で腕を組むライチに、リズリーは腕を振るって抗議した。
「……って言い続けて早一週間! その間ずっと部屋にこもりっぱなしじゃんか!」
「ちゃんと講義には出て……」
「講義の時間以外!」
「……マグちゃんにも餌あげに行ってるもん」
「それ以外こもりっぱなしっつってんじゃ文脈でわかれ!
引きこもるだけならまだしも、朝から晩まで休みの日も、ずっと不気味な独り言だだ洩れで研究しおって、ライっちの声と実験の爆発でこちとら夜も休日も寝れやしない!」
悲痛な嘆きに後ろの眼鏡の少女は苦笑いを浮かべている。
言われた当の本人は、思案顔で記憶を辿り、素直に細い眉を下げた。
「え……あれごめん。
でも私もう、ほらこの前リズリーに注意されてから独り言はしないように気を付けてるよ?」
人は得てして、没頭している間の記憶は覚えていないものである。
「最・初・だ・け! 気を付けてくれてありがとね!
少し経って没頭具合が進むとやれ効率やら効果やらぶつくさぶつくさ、隣でずっと聞こえるのよ集歌より呪文っぽい独り言が!
あんた巷で何て呼ばれてるか知ってる? 赤毛の魔女よ! 入学早々噂立つってどういうことよ!」
「ご、ごめん……」
「だから今日は強制的に部屋空けてもらうかんね!
そんであたしは今日こそ自室で惰眠を貪るの! 泥のようにだらけた生活を勝ち取るの!
そのための手段だって持ってきてるんだから!」
魔女のしゅんとした態度にもポニーテールの少女は苛立ちを収めず、腕を払って眼鏡の少女に指示を出した。
「ニナ! 例のブツ出して!」
「ブツって……リズリーちゃん手伝ってよ、重いよ流石に」
リズリーが肩をいからせて扉枠の外へ。
首を傾げるライチの前、部屋の玄関に蹴り出されたのは、芋虫のようにぐるぐる巻きにされた黒髪の少年であった。
「ちょ、ユータ!?」
「モガァ!」
赤毛の少女は部屋着のワンピースやら櫛も通していない赤髪やらを手で隠して身を屈めた。
起き抜けの格好もぼさぼさ頭も見せたくなかった。
彼女の羞恥を考慮する余裕もないほどに睡魔に襲われているリズリーは、縄で縛られた悠太にゲシッと足を乗せ、縮こまる魔女に人差し指を向けた。
そしてもう片方の手に二枚の紙切れをピッと立てて宣言する。
「さぁ強制デートだライっち。
ここにアタシのバイト先の『大鯨浴場』の無料チケットが2枚ある。
あんたが行かないなら……このチケットは五時街の男食いって呼ばれるサキュバスに渡す。
ユータ君の貞操は確実に刈り取られ、肉欲に溺れるわけだが……それでいいのかな?
どうもそいつに食われた男は、誰も彼も翌日には目隠しレザースーツ猿轡を着て出歩くようになるそうだ」
話のデモンに心当たりのある悠太は、手拭いで封じられた口で必死にくぐもった叫びを上げ、変態ファッションは嫌だと顔をぶんぶん振る。
何ともみじめな少年の姿を憐れんで、赤毛の少女はしぶしぶ、その青い瞳を上目遣いにリズリーにやる。
「わ、わかったわよ……」
「よし!」
ひとまず安心の吐息を吐く悠太にライチも安心の溜め息を吐くが、尚も恥ずかしそうにリズリーに懇願する。
「わかったからさ、少し身支度に時間頂戴? ね?」
「ならん」
否定されるとは思ってもみなかった。
「髪だの何だのはひとっ風呂浴びてから整えなさい。そのためのお風呂だ」
「せめて着替え……」
頬をひくつかせる赤毛の少女を前に、リズリーの睡魔は限界を突破した。
「どうせ素っ裸になんだ着替え持ってさっさと行く! そんでアタシに寝かせろぉ!」
足蹴にされた悠太は強まった踏みつけに悲鳴を上げる。
蜘蛛の子を散らすように着替えを取りに行ったライチは、急いでタオルで頭を覆い、革袋を抱いて戻り、作り笑いを浮かべる。
それからクマのついた双眸は、叩き出した二人の後ろ姿を廊下に見送ると、肩を怒らせ隣室へと戻り、乱暴に扉を閉めて沈黙した。
残されたニナ・マルムは、困り顔の笑みのまま、ずり落ちそうな眼鏡を直した。
「不眠って、人の理性壊すんだなぁ……」





