幕間 カージョナ滞在記① ~普通のこと~ 前編
本話からしばらくは幕間の単話の更新となります。
※読み切り0章に近い少しだけダークめな内容になりますことをご了承ください。
普通のことは、難しい。
普通の学ラン、に似せて仕立ててもらった上着はこの世界の往来ではやや目立つ。
普通ではない黒い篭手、のような武具を付けた人はこの世界の街角では珍しくない。
普通の高校生は、普通でないこの世界で冒険者を始めた。
◇◇◇◇◇
もはや、「かつて」と表現してかまわないであろう。
かつて、元の世界で、現代日本で、テレビゲームの中に見た建物と同じ内装。
時計盤のような首都の『一時街』に拠点を構える冒険者ギルド本部は、一言で表現するなら雑多な場所である。
木枠に石造りという構造だけが共通しており、内装は左、右、正面と三つの異なった雰囲気の区画となっている。
右手側を横目に捉える。
真昼間から騒々しい酒場の区画では、豪快な男たちが、快活な女たちが、樽酒を片手に肉を口に、笑ったり怒ったり。
左手側を横目で伺う。
背の高い書棚が並べられた区画では、地図をテーブルに広げた数人が眉間に皺を寄せている。
そして正面。
壁画のように巨大な大鼠の紋章。
その前に整然と並ぶいくつもの窓口と、黒のベストを身に着け美しく佇む受付嬢たち。
冒険者たちが殺到する『クエストカウンター』があった。
酒場のアルコールの臭いと書棚のカビた臭い、騒々しい埃の臭いの中。
学ラン風に仕立ててもらった上着を靡かせ、補修したスニーカーを踏みしめ……山田悠太はクエストカウンターに歩を進めていく。
視線の先には、美しい佇まいも何処へやら、窓口であわあわしている受付嬢と、彼女を問い詰めるようにカウンターに身を乗り出し突っ伏した少女がいた。
少女の長い黒髪は、包帯を巻いた脚と共にプラプラと揺れている。
「もー、いいじゃんかケチー、ちょっとぐらい上のランク受けてもいいでしょ? ランク5くらいのやつ!」
「ですから、ネピテル様はまだランク1なので、それより上のクエストは……」
「そこを何とかするのが君の仕事じゃないのかな?」
「そ、それは……普通に違いますぅ」
カウンターまでやってきて、悠太は机上で短パンに包まれた小さな尻を、ペッシーンと平手で打った。
「あだっ!?」
「ご迷惑かけんなし」
包帯の腕が机を押し返し、黒髪と薄紫の外套がバサッと渦巻く。
捻りを加えて飛び降りた少女――ネピテル・ワイズチャーチは金色の瞳に怒気を滲ませた。
「いきなり何すんのさ馬鹿ユータ!」
お尻を抑えて威嚇の八重歯を向ける少女に、悠太も退くことなく不機嫌を表情に出す。
「そりゃこっちの台詞だ。食堂の掃除すっぽかしやがって、連帯責任で俺とマーロンが厨房まで掃除させられたんだぞ」
少年と少女は、とある詐欺まがいの事情で莫大な借金を負った。
その為、今は返済と節約を兼ねて冒険者として活動しながら、料理人ギルドでバイトするという二足の草鞋を履いている。
なおバイト先の食堂付き宿屋には、聖母のように微笑む鬼店主がいる。
「いいじゃん好きなんでしょ掃除。嫌いだったらボクみたいに抜け出すもんね。好きなこといっぱいできて良かったんじゃない?」
少女の思考は常に身勝手である。
「独特な解釈はいいけどよ、次の掃除はホールも外も全部お前にやらせるって、イトネンさん言ってたぞ」
糸目の店主は料理人ギルドのマスターである。
組織の長だけあって、下の者から不満が出ないように、不公平にはしっかりと帳尻合わせを行う。
「……ふん、また抜け出してみせ……」
「イトネンさんマジで言ってたぞ。真顔で。てか普通にキレてた」
店主は必ず帳尻合わせをさせる。
これが絶対であること、そして絶対的な武力に基づいていることは、少女も身をもってわかっている。
顔から血の気が引いていくくらいには、わかっている。
「……ふ、ふーん? そ、それは置いておいてさ、まあ今は、冒険者ギルドの仕事に専念するとしようよ。そうしよ」
どうやら少女は後の悪夢については後で考えることにしたらしい。
後悔するくらいならサボらなければいいのにと、悠太と受付嬢は思った。
やんちゃな少女が丁度いい具合に意気消沈したので、悠太は受付嬢に向き直ってクエスト受注の手続きを開始する。
少しだけ慣れた様子で詰襟に刺繍してもらったギルドのタグを見せる。
すると受付嬢がカウンターの下から紙の束――クエストの受注票を取り出し、いくつか見繕ってくれる。
「ユータ様とネピテル様は今回2回目のクエスト受注になりますね。
前回の『哨戒クエスト』は難なくこなして頂きましたので、今回はオプションを付けてみましょうか。
少し急ぎでお願いしたいクエストがございます。ええと確かこの辺に……」
バサバサと資料をめくる受付嬢、この光景を見るのは2回目となる。
首都に入り、冒険者ギルドに入団して一週間が経つ。
その間に一度だけ、今回と同じ哨戒クエストというものをこなした。
記念すべき最初のクエストは、近くの森を調べる内容であった。
過去の哨戒で蓄積したデータの書類を持ち現地に赴き、地形や植生、魔物の種類に変わりがないかチェックするだけの仕事である。
言葉にすれば……あるいは悠太が元の世界で遊んでいたゲームに照らし合わせれば、簡単な部類のクエストにあたるはずだったが、実際に挑戦してみれば思ったより大変なことが多いと気づかされる。
現地ではウルフやゴブリンといった魔物が常に襲ってくるし、相方の少女が難易度が低いとやる気を出さないし、相方の少女が食糧を初日に食べ尽くすし等々。
何よりも想定外であったのが、日数であった。
行きに一日、現地で一日、帰りに一日。
調査対象はそこまで大きな森ではないにも関わらず、それでも丸三日を要した。
元いた世界のゲームみたいに、クエストを受ければすぐにロード画面に移り、現地でスタートするような配慮はない。
ーーそう、ここはゲームのような世界であっても、ゲームの世界ではないのである。
「お二人に急遽、処理いただきたいのがコルピ村近辺の『コルピス樹林』の哨戒クエストです。
以前は『ポイズンウルフ』の棲む危険な森とされていましたが、半年前にそれらは討伐されて、今は比較的安全とされています。
その上でですね……お二人にはここでオプションとして遭難者の探索もお願いしたいのです」
「遭難者の」
「探索?」
「はい、詳細は……あ、まだいらっしゃいますね」
首を巡らせた受付嬢の視線が酒場エリアで止まった。
悠太とネピテルがその先へと振り向くと、そこには酒場のテーブルで酒をかっくらう中年の男性がいた。
整った口髭や町人風の身なりからして、冒険者ではない。
「六時街で商店をやられている『ゲルマル』さんという方です。商人ギルドの所属で、今お話しした半年前のコルピス樹林の狼狩りを依頼した人物でもあります」
「商人さんが狼狩り?」
「まあそんな変でもないでしょ。金になる行商ルートなら安全に通りたいだろうし」
なるほどと手を打つ悠太に頷いて、受付嬢は話を続けた。
「ええ、それに彼のご息女も商人ギルドの所属で、そのルートを使われるようですから、娘さんの安全を思ってのことでしょう。更には毎回傭兵も同行させる念の入れようです」
そういった受付嬢は表情を曇らせ「ただ……」と声を潜めた。
「その娘さんが三日前にコルピ村へと行商に出たそうです。今回も信頼できる傭兵を雇ったとのことですが……」
歯切れの悪い言葉が、少し不穏であった。
「……今朝、本人から救難要請の伝鳥が届いたようです。
彼は逢王宮で救助隊を手配した後、一応私共にも捜索をお願いしたいとのことで、お越しになったそうです。
それで、お受けいただけますでしょうか? 勿論継続して人員は募集しますので、追って応援は向かわせます」
それが哨戒クエストのオプションだという。
更に詳細な部分は本人から聞くようにとのことだったので、悠太たちはひとまずクエストを受け酒場の男の話を聞くことにした。
◇◇◇◇◇
冒険者たちがせわしなく行き交うギルド内をツカツカと、酒場の端、酒瓶を望遠鏡のように覗いて残りの数滴を確かめるせせこましい男の傍らまで近づいた。
男は二人が受注票を見せると、酒酔いも醒めた様子で悠太の両肩に縋りついた。
「あ、あなた方が! あなた方がシーガナを、娘を助けに行ってくださるのですか!?」
「え、ええ、そうです、そうですけれども少し落ち着いて!」
前置きもなく揺すられる肩に目を回す悠太を尻目に、ネピテルは受注票に目を落として冷静に話を進めた。
「大方の事情は受付の人から聞いた。森から救難要請あったんだよね? 『コルピス樹林』で間違いない?」
「はい! 娘は三日前、傭兵ギルドのヴィクティナ嬢とコルピ村へ経ちました。
本来は二日程で村まで着く予定だったのですが、村から飛ばすはずだった伝鳥は届かず、その代わりに今朝……」
救難要請の伝鳥が届いた。
「今朝ってことは、飛ばしたのは昨日の夕方になるね。地図的には、今から森まで雲鼠飛ばせば半日……暮れには着けそう。それでも伝鳥飛ばしてから丸1日か……」
「お、お願いです急いでください、嫌な予感がするんです!」
引き続き揺すられる肩のせいで悠太は会話に入れなかった。
助け舟を出すつもりもなさそうな少女は顎を撫でて思案する。
「まあ遭難だの滑落だのならまだ助かるかもね。娘さんの特徴は? 服とか髪色とか」
「はい何でもお教えします! 娘は焦げ茶色の髪で、空色の染色をしたワンピース、皮のブーツを履いています。荷運びにはヤギを連れておりましてでして」
わたわたと送り出した姿を説明する男は、自分の声に後押しされるように混乱していった。
比例して肩を揺する勢いが強くなっていく。
「それから、娘は、娘は……!」
「娘さんは……?」
男は思い出したように悠太の肩を抑えて止めた。
「娘は、おっぱいが大きいのです! 妻に似ました!」
「は?」
ネピテルが殺気立つ。
悠太は首を痛めた。
「顔は丸顔で幼さが残っておりまして、こう童顔というか、ロロ、ロリ巨乳なのです」
どうやら混乱が臨界点を突破したようであった。
首を摩りながら、悠太は窘めるように男に声をかけた。
「ちょ、お、お父さん何を……」
「傭兵のヴィクティアちゃんも、切れ長の目とすらりとした長い美脚の持ち主でして!
幼い頃からの付き合いです! その頃は街のお人形さん姉妹だなんて評判で……」
「おっさん何言って……」
「ですからきっと……山賊に慰み者にされているのです!」
「ちょっと!?」
挙句とんでもないことを言い出した。
「嗚呼、私が迂闊でした! 魔物を討伐したことで山賊が住み着いたのですよ!
きっと娘がつけ入られて、人質に取られました! 少しおっとりしているところがあったのです!
そのせいでヴィクティアちゃんも腰の剣を抜くことすらできず男たちの腰の剣を相手にすることとなり……」
「何言ってんだ! あんた自分の娘のこと……」
再び肩を掴まれ揺すられる。
「あああ、相手は熊やオークのような大男でしょうか!
頭領が女の可能性もありますね! 女同士の悦びなんてのも知ってしまったかもしれない!
今頃は山小屋で、嗚呼、それともし孕んでいたら子供はどうするべきでしょうか!?」
必死に訴える眼差しはぐるぐると回っていて、完全に我を失っているようであった。
娘の救助に向かわせようとしている癖に、無事ではないことを前提に話している。
とても普通の状態とは思えなかった。
「普通に最低……駄目だこりゃ、ユータ行こ行こ」
これはまともに話を聞くことができないと判断したネピテルはさっさと踵を返して歩いていく。
丁寧なヒアリングはできなかったが、一応、行方不明者の特徴は聞いた。
「娘を! 娘を!」
未だ縋りついてくる依頼者を「落ち着いて下さい」と引っ剥がし、悠太は肩を掴み返して励ましの言葉を残す。
「大丈夫、きっと娘さんは無事ですから! 落ち着いてここで待ってて下さい!」
言葉を聞いた男は糸が切れたように大人しくなり、ドスンと酒場の席に腰を落とした。
放心した様子の男を心配そうに見返して、入口で待つネピテルに追いつく。
そうして二人はギルドを出発するのであった。





