3-26 バイトするならカージョナル♪ 使って潰されこーしゅーにゅー♪
――『星天の薄亭』
6時から9時、朝の時間帯のスタッフを募集しております。
朝の隙間時間に、ゆったりと働いてみませんか?
アットホームな職場で、自分だけの仕事の幸せを見つけられます。
初心者歓迎、資格不要、優しい先輩スタッフが丁寧に仕事を教えてくれます!
時給:1,200リフ
待遇:まかない・食事補助有り、泊まり込み応相談
◇◇◇◇◇
求人情報誌『カージョナル』。
開店前――出入口から壁に沿うように並べられた待合の椅子の一つに置いてあったパルプ紙の束にはそう銘打たれていた。
折り目と印のついたページに記された店の名は、悠太が表へと運び出した立看板の店名と一致した。
ただし一致したのは店名のみであり、実際の労働環境はというと、募集文とはそこそこ異なる。
「ご来店ありがとうございましたぁ!」
更にいざ仕事が始まると、少年は紙に記載された内容と現在進行形の職場には、天と地ほどの差があると思い知らされたのである。
「43番ご案内しましたぁ!」
まだ朝の六時半だというのに。
大挙して押し寄せる客の波を席に通して、また次の客を通す。
食堂前の行列は途切れることなく続いており、終わりはまったく見えなかった。
客層は十人十色だが大食漢が多めの印象である。
普通の住民や家族連れもいるが、冒険者やら傭兵やら大工やらといった出で立ちが多い。
体力仕事前の腹ごしらえ目当て故、運ぶ料理は重く、注文に暇はない。
「はい只今ぁ!」
思い返せばここは料理人ギルドのギルドマスターの店。
人気店でないはずがない。
朝の隙間時間にゆったり働くなどというレベルで済むはずがないのである。
てんてこまいのきりきりまい。
その上、この忙しさに拍車をかける輩までいるのだから堪まったものではない。
「は? 水? んなもんボクに言ってないで自分で汲んできなよ」
「ふん、頼んだのはA定食だと? フライとスクランブルの差程度ではないか。
腹に入れば同じだ。そんなことを気にしているからヒューム共は貧弱になるのだ」
「申し訳ありません! こちらお冷です! あとそっちはすぐA定食にお取替えします!」
仕事を教えてくれる先輩などいない。
いるのは接客経験どころか丁寧語で話した経験すら危ぶまれる少女と獣人。
数百歩譲ってネピテルは今日が初めてなのだから理解はできる。
藍色のプードルは何なのであろうか。
働いて三日目だと聞いたが、なぜ基本どころか常識すら怪しいままなのか。
こんなことで膨大な量の客を捌けるのか。
という当然の疑問を浮かべるべき状況ではあるが、どうも視界の端に映る光景によるとその限りでもない。
ギルドマスターである糸目の店長が、厨房から嵐のような轟音を響かせながら次々と料理を出しつつ自らホールで注文取りと配膳もこなしているからである。
普通に残像とか見える。
分身とかしてるかも知れない。
「ま、またのお越しをぉ!」
これ以上の観察や思考は混沌に心を晒す行動だと悟り、悠太は脳を止めた。
現代日本のファミレスで学んだバイトの経験が身体を動かしてくれると信じ、彼もまた嵐のようにホールを駆けるのみであった。
入団祭の傷が痛んだが、時折マーロンとネピテルがイトネンから受けている拳骨のほうが痛そうなので、歯を食いしばった。
◇◇◇◇◇
三日間も寝ていた身体にはきつい数時間が経過した。
客足が少なくなってきた頃、悠太はボロ雑巾のようにテーブルに突っ伏していた。
同じようにダウンする残り二人の頭には、たんこぶの山が築き上げられている。
「お客さんは減ってきたけどまだ仕事の時間よ。だらけてないでテーブル片付け回ってきなさい」
息も切らさないで言う店主に従い、重い腰を上げる。
丁度その時、行列を解消した出入口にまた新しい客が訪れた。
もはやこの頃には、身体が勝手に客へ向かうようになっていた。
「いらっしゃいませ。何名様で……」
常套句で案内しようと顔を上げ、固まる。
大工職人風の三人組。
さっきまでも見かけた客層ではあるが、紅一点の女性には見覚えがあった。
女性はピンクの髪にサキュバスを彷彿とさせる角、胸やら脇が強調されたタンクトップ、それからだぶだぶのニッカポッカ。
後ろに従える太い男と細い男も、ニッカポッカを穿きぱっつんぱっつんのTシャツを着ている。
「あら? わお、君起きたのね。ちょっとした筋じゃもう有名人よ、ユ・ウ・タ・君」
妖艶な声は、やはり入隊祭の前に聞いた覚えがあった。
「あれ? そうですよね? 会ったこと、ありますよね、入団祭の……」
もにゅんと、二の腕に絡む柔らかな感触。
悪魔の抱擁が更に悠太の言葉を遮った。
「やーん嬉しい! 覚えててくれたのね! アタシ、ティカよ。ティカ・オ・ダーユイン。改めてよろしくね!」
「っす、うっす」
免疫のなさを露呈する返事をすると、ティカが引っぺがされて、後ろにいた男二人にがっつり握手される。
「アガワだ」
「イガワだ」
「あ、はい、山田悠太、です。その節はどうも……」
片方は、前に会った時は確かレザーパンツに目隠しに猿轡の変態ルックであった。
普通じゃないのは知っているので、少し警戒をしておく。
「にしても……随分と、その、雰囲気変わってて、驚きました」
適当な席に案内しながら、素直に述べた。
ニッカポッカのズボンなど、とび職くらいしか普通は穿かない。
サキュバスに似合わない衣装としては最高峰ものである。
「うふ、わかる?」
纏わりつくように顎をくいと上げられる。
いちいちボディタッチが多い。
「アタシもね、あの時は冒険者ギルド入ろうって思ってたの。
その方が世界各地屈強な男に巡り合えると思って」
指を離すと彼女はくるくる回って、たわわな胸の前で手を結んだ。
「でもね、間違っていたわ。灯台下暗しとは良く言ったものね。
この街にはとっても素敵な職人さんたちがいっぱいいる。
特に大工さん、木材を運ぶ僧帽筋、石材に落ちる汗、嗚呼なんて淫靡なの……」
うっとりとしたまま宙を見上げている内に、アガワとイガワを席に座らせる。
「だから入ったの、大工ギルド。男漁りのために!」
「動機、不純じゃない……?」
「あら人様の夢を不純だなんて言わないで。男漁りにもちゃんと意味があるのよ?」
「意味? それに夢って……」
「うふふ、ユータ君も魔剣の女の子と一戦交えたなら聞いてるんじゃない? 人間界と魔界の諍いについて」
はっとして後方のテーブルに突っ伏したままの少女を見やる。
ティカの種族はデモンといい、故郷は悠太の世界とはまた別の異世界――魔界である。
魔界が人間界に侵攻したこと、大戦の末に魔王が討ち滅ぼされたことはネピテルから聞いたところであった。
だから現在も人間界と魔界には多くの課題が残されているだろうことも、容易に想像できた。
「アタシの夢は、人間界と魔界をもっと自由に行き来できるようにすること、グローバル化よ」
彼女は悠太の勧めで席に着くと、虚空の先の未来を真っすぐに見つめた。
奇抜なファッションと言動、下僕に目を瞑れば、意外と夢はまともそうで、悠太はティカを見直した。
「ティカさん……」
「そのためにもね! デモンに友好的なヒュームを増やしたいの!
なら身体で釣るのが手っ取り早いじゃない?
餌の身体は健康的であるべきじゃない?
健康のため、午前の現場のため、朝ごはんは質のいいものを食べておかなきゃいけないの!」
「三名様ご案内しましたー」
やっぱり感情を殺してオーダーを呼ぶことにした。
疲れているのだ、話のテンションは一定で頼みたい。
阿保らしくなって立ち去ろうとしたところ、ティカが付け加えるように囁いた。
「あ、そうだ、アタシ情報屋もしてるの。正確さには自信あるから、気軽に買いに来てね。
それ以外の用事で来てくれてもい・い・け・ど」
渡されたのは一枚の紙きれ、番地と合言葉らしい言葉が書かれている。
「ああ、ありがとう。その内、行かせてもらうよ」
もはや丁寧語すら忘れて笑う。
取って食われそうなので多分行くことはないと思った。
「――いつまで無駄話をしている。さっさと注文しろ」
いつの間にか脇に巨体が立っていた。
接客とは何かを考えさせる口調でマーロンが尋ねる。
「あらワンちゃんおはよ。今日も下働きご苦労ね」
「ふん、連日来るとはよほど暇と見える」
「暇じゃなくても来ちゃうわよ、ここのご飯美味しいもの。面白い子も、いっぱいいるしね」
狩人の視線が悠太を貫き、貞操の危機を報せた。
「……うふ、んじゃアタシはDのサバの鯖折り定食、レアでね」
残り二人も同じものを頼み、始まる談笑をよそに、悠太はそそくさと持ち場に戻った。
◇◇◇◇◇
忙しさに追われるのとは別の意味でも疲れ切って、げんなりした顔で迎える次の客。
今度は揃いの臙脂色の学生服に身を包む三人の女生徒たちであった。
その中に、赤毛の知った顔を見つける。
「ライチ……」
「……おはよ、って言うべきかしら、それともお疲れさま?」
肩の上で大雑把に揃えられた赤髪と、大空もしくは雫を思わせる澄んだ青の瞳。
学生服のスカートから伸びる長い脚を隠すように学生カバンを持っている。
困ったような眉を下げた笑顔が母性的で、どうにも見入ってしまう。
朝っぱらから濃い連中とのやり取りばかりしていた悠太にとって、やはり彼女は清涼剤であった。
「情けない顔、どういう表情よそれ……まあ、無事そうで何よりだわ」
「いや悪い、ちゃんとした会話するのが久しぶりで……」
熱くなる目頭を押さえ感傷に浸っていると、ライチの両脇にいた眼鏡の女生徒とポニーテールの女生徒がズズイと前に出て、悠太を値踏みした。
「こここ、この人が、ライちゃんの……」
「彼氏君? にしちゃ抜けてそうな顔してっけどな」
なかなか失礼なご挨拶に、ライチは「ちょっと」と前に出て溜め息を吐いた。
「だから違うって……悪いわね、逐一否定してるんだけど全然聞いてくれなくて」
何も逐一でなくても。
「いや全然大丈夫、大丈夫……案内します」
割りと恋愛感情に自覚のある悠太はそこそこのショックを受けながら三人を連れる。
少ししょぼくれた背中を、ポニーテールの女生徒が遠慮なく叩く。
「あっはは、しょげるなしょげるな。改めて、アタシは『リズリー・バートリー』。よろしくな」
「『ニナ・マルム』です。よろしくお願い致します。私たち、ライちゃんと同期で魔導師ギルドに入ったんです」
馴れ馴れしいリズリーと礼儀正しいニナで覚え、悠太は着席を促しつつ名乗る。
「よろしく、俺は……」
「ヤマダ・ユータだろ? ファーストネームがユータな。ライっちに沢山惚気られたからさ、覚えちったよ」
席にドカリと座りながらまたも茶化すポニーテールの隣で、ライチはやれやれと首を振る。
「だから惚気てなんか……」
「だって新入生の抱負発表で『いっぱい助けてもらった大切な人の為に』ってモガ」
リズリーの口が塞がれる。
「一昨日も昨日もはるばる朝ここ寄ってユータさんの身体拭いてモガ」
ニナの口も塞がれる。
塞いでいる本人の頬は、トマトのように真っ赤である。
「……だ、誰もそういう、身体拭くとかやってくれてなかった、みたいだから……」
配膳の通りがかりに糸目の店主がトドメの言葉を置いていく。
「あらライチちゃんが進んでやりたいって。私が合間にやるって言ったんだけどね」
もう塞ぐための手はない。
「……だ、だって、イトネンさん、忙しそうだったから……」
震える声は耳まで赤い。
つられて悠太まで頬を染め、視線を逸らす。
「え、と、ありがと、な……」
――気まずい沈黙を破ったのは、ドンと置かれたコップであった。
「ほれ、水。混んでるんだ、さっさと注文してくれる?」
ちなみにもう混んでいない。
「ネピテル、めっちゃ水零れてるぞ」
黒髪の少女はふんすと鼻息荒く、乱暴に水を配っていく。
店員としての態度はともかく、ライチにとっては渡りに船であったようである。
これ幸いと話題を逸らす。
「あ、あなたも起きたのね。元気そうで何よりだわ」
動きを止めたネピテルは、ライチの前にメニューをドンと置いて、睨みを聞かせた。
「は? 誰だい君は」
確かにネピテルからしたら初対面かもしれない。
「ラ、ライチ・カペルよ。よ、よろしく……」
なお初対面相手に喧嘩腰は良くない。
客なら尚更である。
思い出したようにネピテルを呼んだのは、厨房に戻ったイトネンであった。
「あ、ネピテルちゃんお礼言っておいた方がいいわよ。
その子、貴女の世話もしてくれてたんだから。身体拭いたり包帯変えたり大変そうだったわよ」
「いえ別にそんな……」
謙遜する赤毛の少女を、ネピテルは自らの包帯と交互に見比べる。
そして、消え入りそうな声で呟いた。
「……別に、頼んでないし」
「こいつライっちに世話になっておいて!」
あんまりな物言いにポニーテールの友人がテーブルを叩いて立った。
気持ちは勿論わかるが、少女の背景を知っている悠太は非難しきれなかった。
「まあ抑えて。おいネピテル、お前ももう少し素直にだな……」
「うるさいな、ほらさっさと選べって! ご飯食べに来たんだろ!」
バンバンとメニューを叩く態度にリズリーは更にヒートアップしたが、何とか抑えさせて注文を取る。
剣呑な空気の中、ライチは苦笑いで、ニナは脅えながら、注文を指を差した。
それらをさっさとメモするとネピテルはすたこらと走って戻っていく。
「何だあいつ!」
「ごめんな、悪い奴じゃないと思うんだが……」
「ええ、あの子の背景は冒険者ギルドマスターから聞いてる。
多分、まだ、普通の人との関わり方がわからないんじゃないかしら。
話し相手になってあげてよユータ、同じギルド、なんでしょ?」
「簡単に言ってくれるなぁ」
慣れた様子で掛け合う二人を眺めながら、「夫婦?」「熟年っぽいです」との密談に花を咲かせ、友人らは料理を待った。
◇◇◇◇◇
――トテトテと、駆けて厨房のカウンター。
ネピテルは料理を置く棚に注文のメモをバンと置いた。
「ねえ、糸目」
「言葉に気を付けなさい」
手元にはバターナイフが突き刺さっている。
「……ち、注文、取ってきた」
「ええ、スクランブルが2、フライが1ね。すぐできるわ」
ジュワジュワトントンと良い匂いが立ち込め、彩鮮やかに料理が組み立てられていく。
その過程を眺めながら、少女は戸惑った様子で声をかける。
「ねえ、イトネン」
「なあに?」
「……あいつの、あの赤毛の料理さ……大盛りにしてやってよ」
厨房の主の細い目は意外そうに見開かれ、そして穏やかに微笑んだ。
――悠太は遠巻きに見えた厨房の光景に首を捻って、また次の客を迎えた。
「おぃーっす。おう元気そうじゃねぇか」
金髪バンダナの女。
「はぁい♡ 良い朝ね」
リーゼントのニューハーフ。
「ふむ、若いと回復も早くてええのう」
老いたプードル。
どこまでも異世界は濃かった。





