3-25 Morning
チュンチュンと、囀る小鳥がパタタと飛んだ。
朝の陽ざしが瞼の裏に浸透してきて、シーツを握って目を開ける。
意識を浮上させながら最初に思ったのは、気絶にも慣れたなということであった。
一方、楕円形に広がる寝起きの視界がとらえた光景は、全く慣れるものではなかった。
すぴー、と呑気な寝顔の黒髪の少女。
「……え」
誰だったかこいつは。
睫毛が長い。
乱れた黒髪が艶めかしい。
病院の検査着のようなぶかぶかのシャツから覗く肌が白い。
小さな肩幅に収まった鎖骨が気持ちよさげに寝息と連動を取る。
「ネ……」
腕の包帯が、綺麗に巻き直されている。
「ネピ……」
その少女は、ネピテル・ワイズチャーチと呼ばれていた。
「ネピテ……」
声は半ばで止まる。
事態を呑み込めていなかった。
気絶には慣れたものの、気を失う前の記憶は未だおぼろげであった。
しかしながら、身体で、痛みで覚えた感覚だけははっきりと残っている。
このヤバい女と流血沙汰の戦いをしていたことは間違いない。
「ネ……」
それが何故、同じベッドに。
どうも背景は宿の一室のようであるが。
一応男と一応女が同じ部屋、同じベッド。
夜にまで一戦を交えた覚えはない。
覚えがあったら大変である。
コンプライアンスを求める声は日に日に大きくなっている。
少女の見た目からして、多分年齢的にもNGであろう。
こんな子供に手を出したとなれば、自分は魔王以上に邪なる悪の権化ということになる。
「や、違、だいじょぶ、間違えはなかった、はず……」
徐々に覚醒しつつある頭が潔白を支持した。
とりあえず裏付けのために、自らのシーツの下も確認する。
ネピテルと同じく検査着のような衣服を着ている、何よりである。
「けど、なんで、こいつが……」
パニックが抜けかけたところで――大きな目が開き、金色の瞳と視線が合う。
「……ふぇ?」
無感情な瞳の虹彩は、悠太の頭から下に向けてじっと移動していき、改めて目を合わせた。
ぱちくりと、息も時も止まって――たっぷり十秒後であった。
二人は同時にベッドから飛び出した。
「お前ぇ! ボ、ボクに何を……信じてたのに!」
「待て、落ち着け誤解だ!」
「何が誤解だってのさ!
同じベッドで男女が朝チュンしたら昨晩はお楽しみだったろうが!
うわーん最悪だ! こんなのにお楽しまれちゃった!」
「人聞き悪いこと言うな! そのお楽しみ思考やめろ!」
こんな子供っぽかっただろうか。
いや見た目的にはむしろしっくり来ているが。
「じゃあこの状況をどう説明するのさ!」
「俺にもわかんねぇよ!」
「クソぅ、なんだかんだ甘いこと言って、結局はボクの身体目当てだったんだなこの淫乱馬鹿淫魔!」
「目当てなわけあるかド貧相! 話聞け!」
「ドひ……戦争だ馬鹿ぁ!」
「だから話聞けぇ!」
拳を振りかざした少女と、両腕のガードを上げた少年。
しかし、攻防は成立することなく二人の身体がピキリと強張る。
それぞれの身体に残った戦闘後の痛みが走り、各自悶える。
「痛……ぐ、とりあず、状況整理だ……」
「あたた……い、いいだろう受けて立つ」
状況整理とはいつから受けて立つものになったのか。
「ええと、まず、俺は悠太、山田悠太ってんだ」
「変な名前」
「うるせぇ。んで、お前がネピテ……何たらちゃっちぃ、みたいな」
「誰がちゃっちぃか! ネピテル・ワイズチャーチ! 人様の名前を適当に覚えんな!」
自己紹介に変な名前と即答する奴に言われたくない。
「そうネピテルだ。で、確か、俺たちは入団祭で戦ってて……」
「ボクが、圧勝してて」
「圧勝……ん? 捏造すんな。お前が魔王に乗っ取られて」
「自力で覚醒して……」
「してねぇわ! それで、ああ、魔王の剣を壊して」
「賠償してくれるって」
「言ってねぇ! ちょいちょい記憶の改ざんすんな!」
悪びれもせず舌を出す仕草が憎たらしい。
「で、そうだ、その後ギルマスだかが沢山湧いてきて……」
追憶を進め、悠太が思い出したのは、冒険ギルドのマスター、ワヒドマという屈強なニューハーフである。
「オカマッチョ……」
辿った記憶は、その大男に四人ほどまとめて抱き上げられ、締め上げられたところで途絶えていた。
「……聞け」
戦慄した面持ちで少年は言った。
「俺たち、オカマッチョに抱かれたんだ」
「……大惨事だ?」
お楽しみ思考の少女もまた慄いた。
いち早く気絶中だった少女には、少々言葉が足りなかったかも知れない。
――かくかくしかじかと説明して、一応身体の調子とかも聞いて、照れくさそうにそっぽを向かれて、ひとまず二人は休戦協定を結ぶことにした。
「とりあえず、まずはここがどこかだね」
見渡す部屋は、木目の床と壁、扉。
どこまでも普通の洋室で、二人の寝ていたダブルベッドからして宿屋の一室に思えた。
枕元の木枠の窓から覗く景色はオレンジ屋根の民家たち。
二階か三階か、首都から離れたわけでもなさそうである。
「まあ、危険な雰囲気もないし……よし、部屋出てみるか」
悠太は真鍮のドアノブを回して、扉を開いた。
すると視界には藍色の縮れた毛。
廊下に作務衣姿のムキムキプードル人間がいるのが見えた。
「む、起きたか主ら――」
扉を閉める。
「どうしたの?」
「危険だここは。扉一つ向こうに魔物が放し飼いにされている」
「マジか」
扉が蹴破られる。
「誰が魔物だ!」
「うおぁ! 危ねぇ……って、あんたは、確か」
改めて藍色の毛並みに目をやると、その姿には見覚えがあった。
その時は作務衣姿ではなかったが、確か入団祭の始めに会話した亜種族の剣士である。
「そう、わんは誇り高きデス・プードルの戦士、ヘイルストーム・デス・プードル……」
そう言えばやけに長い肩書を持っていた。
「……改め」
改めた。
「今は世界の広さを知った故に修行中の身、料理人ギルドの末席に身を置くホールスタッフ・デス・プードル……マーロン・ポーチである」
決め顔で名乗り終えたが、何やらおかしなことになっている。
一旦黒髪の少女に視線をやる。
こっちに振るなと腕でバツを作られた。
「……え、と、料理人ギルド? あんた確か冒険者ギルドに入るって」
記憶の限りマーロンは、豪胆な態度で、誇り高そうで、それに見合った実力を持っているように見えた。
故にてっきり、早々に冒険者ギルドへの入団を決めているものと思っていた。
「世界はわんの想像より大きく、掴みどころなく、強固であった。
いずれ真なる冒険に出られるよう、今は世界を掴むための爪を、牙を研ぎ澄ますことにしたまで」
「えーと、つまり?」
「メダルはわんの指先をすり抜けていった……」
「回りくど。つまり試験落ちたんだね、ご愁傷さま」
初対面だろうに無神経なネピテルを「こら」といさめる。
というか、落第については彼女も悠太自身も十分危うかった。
「ふん、軟弱なヒュームのガキにはわかるまい。
人生とは上手くいかぬのだ。そこに深みが出るのだ!」
「うーわ大人げない負け惜しみ。
失敗を深みとか、じゃあ挫折まみれの冴えないダメダメ野郎の人生ってのが一番深いわけ?」
「き、貴様ぁ!」
「何だよ」
見上げる金色の瞳と、グルルと唸る白い牙。
傍の悠太は出会って数秒で喧嘩寸前まで険悪になれるネピテルの煽りに感心しきりである。
睨み合う二人に割って入ろうか迷っている時であった。
どこからかカンカンカンと金属を打ち鳴らす音が聞こえてきた。
垂れた耳をピンと立て、いち早く反応したのはマーロンであった。
「む、召集だ。お主らも来い! 起きたら連れて来いと言われている」
「誰に?」
「どこに?」
「問答無用! 遅れれば命はない! 参るぞ!」
全く要領を得ない悠太とネピテルを小脇にひょいと抱え、獣人の彼は廊下を駆け、階段を下り、主の下へと急いだ。
◇◇◇◇◇
香ばしい木の香り。
無人の大衆食堂――目の前に広がる光景を一言で表すならそうであった。
体育館ほどもある大きなホールには、所狭しと円形のテーブルが並ぶ。
年季の入った木の柱や壁にはメニューが貼られており、正に大衆向けといった雰囲気である。
「うふふ、着替え終わったわね? じゃあ説明するわ」
三つ編みの栗毛を肩にかける糸目の女性は、人差し指を立てた。
白のブラウスと焦げ茶のロングスカートという出で立ち。
町民Aといった風な普通さは、モヒカンやら包帯やらのファッションに見慣れてしまった悠太にとって逆に新鮮であった。
そんな彼女の前に三人並ばされた悠太たちの衣服はというと、紺色の作務衣にエプロン、三角巾。
食堂に通されてすぐに和装の居酒屋ユニフォームのような服に着替えさせられていた。
「何でボクがこんな格好……」
納得しきっていない狂犬少女すら眼力一つで着替えさせたのだから、糸目の彼女は多分只者ではない。
「貴方たちにその格好をしてもらったのはね、今日から朝のホールスタッフを任せるからよ」
「御意!」
「御意くない!」
「ちょっと待って下さい」
さらりと言い渡された内容には心当たりがなく、流石にすぐさま御意はできなかった。
バイトの面接など受けた覚えはない。
せめて経緯はしっかりと説明してほしかった。
「すみません俺たち昨日の入団祭から……その、気を失ってて、さっき起きたばかりなんです。
だからできれば、もっと最初から話してもらえるとありがたいんですが……」
しどろもどろで懇願した悠太を見て、女性は意外そうに開いた口元に手を当てた。
「あの?」
尋ねなおすと「あらやだ」と言葉を探し始めた。
「ごめんなさい、まさか冒険者ギルドに入ろうなんて子から、まともな言葉が出てくるとは思わなくて……」
酷い言われようである。
だが、隣の二人を含め入団祭の顔ぶれを思い出せば、さもありなんといったところでもある。
「いいわ、ちゃんと会話してあげる。私は料理人ギルドマスターのイトネン・カーレムス。
えーと、ユータ君にネピテルちゃんね、ワヒドマさんから聞いてるわ。二人とも入団祭からもう三日も寝てたのよ?」
「三日も……」
「気を失ってた貴方たちをワヒドマが運んできてね、この街にいる間、うちで預かることになったの。
朝のホールスタッフに使っていいってことと引き換えにね。
あ、別に料理人ギルドの所属になるわけじゃないからそこは安心してね」
「は、はあ……でも、この街にいる間?
すみません俺、色々とギルドでやらなくちゃいけないことがあって……勿論、泊めてもらった分は働きますけど、その後は拠点の、冒険者ギルドの近くで部屋を借りようと思うんです」
「そうですこいつがボクの分もしっかり働くのでボクはもう出てきます」
頭が叩きやすい場所にあったのでペシっと打っておく。
糸目のイトネンは少し意外そうに首を捻った。
「あらいいの? 宿代と食費がかからないのはメリットよ? 貴方たちの手持ち多くないでしょう?」
悠太の所持金は村の出がけに村長から預かった分だけである。
正直まだ買い物らしい買い物をしていないので、お金の価値がよくわかっていない。
「わんの見た限り、貴様らの貧弱な財布では1週間と生活が持たぬぞ」
「勝手にボクの財布見んな。それに、別にいいし、ボクはさっさとクエストで稼ぐ。宿代なんか報酬さえ入れば……」
「入って来ないわよ?」
それは聞き捨てならない。
「どういうことですか?」
「端的に言えば……貴方たち、街を壊し過ぎたの。
ユータ君は民家に魔導女子寮に公共の鉄柵、ネピテルちゃんは一時街から五時街にかけてのあちこち。
それから二人して六時街の大通り壊滅させてるもの。修理代で街一つできちゃうわ」
悠太は耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待って! 入団祭の修理費は冒険者ギルド持ちって……!」
言っていたのは傭兵ギルドのトンファー少年なので、もしや嵌められたのかと焦った。
「ボクもそう聞いた! そうじゃなきゃあんなに暴れてない!」
後者は疑問であったが、とりあえずネピテルも同じ認識で安心した。
「ええ、冒険者ギルド持ちよ? で、貴方たち、もう冒険者ギルドのメンバーでしょ?」
――理解が、追いつかない。
「被害の復旧費用は冒険者ギルド持ち、その分壊した者の報酬から天引き、毎年募集文に書いてあるわよ。小さく」
「……詐欺では?」
「情弱」
そもそも行きがかり的に参加した悠太は募集文など見てもいないのだが、恐らくそんなことは考慮してもらえないのであろう。
「んな理不尽な!」
諦めムードの悠太の隣、黒髪の少女が噛みついた。
こういう時に自分の主張を突き通そうとする姿勢は心強い。
「ボクは認めない! 支払いも働きもするもんか!」
「駄目」
少女の頬を包丁が掠め、壁にピンと突き立つ。
目前にいてなお投げた動作は見えなかったが、糸目の女性の仕業であることは疑いようもない。
ネピテルの主張は儚い抵抗に終わった。
鋭く重いトーンの声色が異論を認めなかった。
「私はもうこの時間に貴女たちを使うと決めているの。
これは絶対よ。理不尽でも論理がある内に納得しなさいな」
殺気は、安穏と暮らしてきた悠太でもはっきりと感じられた。
殺伐とした逃避行を続けてきたであろうネピテルにはどのように伝わったのか。
ひとまず膝から崩れ落ちたあたり、敵わないことは理解したようだ。
続いて糸目の顔が悠太に向けられる。
普通に怖くて身を竦めた。
「悠太は理性的そうだし、もう少し言い方変えてあげる」
口調だけは穏やかに戻っていた。
それでも有無を言わさない迫力はある。
「――二人は放っておくと国家間の面倒事に発展しかねない保護観察対象。
少なくとも街にいる間はギルマスの監視下に置くべきと判断されて、私にお鉢が回ってきた。これで納得なさい」
答えはYESの一択しかなかったので激しく頷くより他になかった。
そしてある種の納得と、一抹の不安を覚える。
元より魔剣のせいで国家から追われていたネピテルだけでなく、悠太も監視対象となっている理由。
思い当たる節は、ふと視線を落とした手の平が浮かべることができる。
しかしこれ以上の詮索はなく、一転、イトネンは笑顔を取り戻した。
「さ、モーニングの時間が始まっちゃうわ!
じゃあユータ君にネピテルちゃん、お客さんを空いてる席に通して、注文取りと配膳ね、あとお勘定もお願い。
わからないことは犬に聞いてね。犬、頼んだわ」
いきなり説明もそこそこにやらされるのかとか、勘定しようにもお金の単位がわからないとか、色々と思うところはあった。
しかし、悠太とネピテルが真っ先に考えた違和感はもっと簡単であった。
「さあ、開店よ」
――犬って、呼ばれてるの?
「御意!」





