3-23 ふざけんな
夕日に熱されるように、首都のオレンジ屋根たちは赤みを増していく。
戦況を見守るギルドマスターたちは未だ、傍観を貫こうとしている。
赤毛を更に茜に染めるライチ・カペルは、腰に巻いたボロボロの制服をギュッと締め直し、雲鼠の手綱を引いた。
「――様子がおかしいわ」
我慢の限界を迎えつつある細身の肩に、筋肉質で太い小指と薬指が乗せられた。
「待ちなさい」
野太さのわりに女性っぽい声。
ライチの青く凛とした瞳が振り向いてキッと睨みつける。
「離して! わかるでしょ、何か淀んだマナが渦巻いてる!
黒髪の子の様子もおかしい! 二人を助けないと!」
睨まれた冒険者ギルドマスター、ワヒドマ1世は腕同様に太いリーゼントを振り、冷たく突き放した。
「あれくらい自分たちで何とかできないと、ギルドに入ってもすぐ死んじゃうわ。うちとしてもそんな子たちは要らない」
「そんな……!」
「ふふ、冷たい? でもね、ギルドは慈善事業じゃない。
うちの年間死者数は何百人にもなる……時には数を追えるだけで千人も超えるわ。
未踏の地、未知の敵が相手だもの。命の保証してちゃ何もかも足りない。そこは自己責任よ」
「それじゃ何のために……」
何のためにギルドやマスターという存在があるのか。
ライチは文句を呑み込んだが、言わんとするところは顔に表れていた。
「……アタシが守るのは、そうして命を懸けた子たちが持って帰ったモノよ」
言い切ってワヒドマは遠く、低空に夕日を浮かべる地平線を見据えた。
「かつて冒険者を最も多く虐げていたのは、モンスターでもダンジョンでもなく人だったわ。
画期的な魔導具の素材、その在り処の秘境……持ち帰ったモノは各国を始め、大きな組織に接収されてばかりだった。時には武力も用いてね。
折角命を懸けて世界に挑んでも、後ろから同胞に掠め取られて撃たれるんじゃ、まったく堪ったもんじゃねぇ」
思う所があるのか、彼は一度言葉を切ると、決意するように語気を強めた。
「冒険者ギルドの役目は、彼らが命を懸けて持ち帰ったモノを死守すること。
相応の報酬、地位を保証して、国にも他のギルドにも、誰からも不当にむしり取られないように枠組みを管理することよ。
命知らずで好奇心旺盛な子たちが――いずれ世界を解き明かす子たちが、安心して命を懸けられるように」
悠太の入るであろうギルドの実情、その一部を垣間見て、ライチは複雑な心境に俯いた。
考え方を理解することと、許容することは違う。
「ま、それとは別に、『逢王議会』に街中じゃ死者出すなって言われてるからね。
もしもの時が来たらちゃんと助けるわよ。命だけなら、二人ともアタシたちで助けられる」
言い方が気になって、不安は大きくなった。
「でも命は助けられてもね……例えばネピテルの心は体制側じゃ助けられない。そういう背景を持った子なの。
だからあえて、入団祭への参加も認めた。素敵な出会いを願ってね。
……心が壊れてちゃ世界どころか何にも挑めないわ。まずは心を助け出さないと」
ライチの脳裏を過ったのは、立ち塞がる真っ暗闇を切り裂いた少年の勇姿であった。
「そのためにちょっとだけ――彼に頼らせて。
彼は、人の心を助けられる、そういう目をしてるわ」
肩に添えられた指が離れる。
少女は駆け寄りたい気持ちを抑えつけて、祈るように手を合わせた。
◇◇◇◇◇
帯電した長髪はぶわっと広がって、血の滲む包帯の四肢にも黒雷が纏わりついている。
「げ、は、は……復、讐、を」
ノイズがかったような声。
魔王と呼ばれた存在にしては言葉が拙い。
魔王そのものが降臨したというよりは、魔導具に残った意識の残滓に乗っ取られているように思える。
いずれにせよ奴の目的は、悠太の推測から大きく外れていなそうである。
密かに、長らく、ずっと続いていた魔王の復讐は、かつて彼を討ち取った一味であるネピテル・ワイズチャーチ自身の自滅により果たされるらしい。
「ったく、色んな意味で冗談きつい2ラウンド目、だな……」
ついさっきまでの少女との熱戦に疲れ果てていた悠太は、泣きたいあまりに笑ってしまう。
だがこの世界で泣き言が誰かを救ってくれたことはないので、努めて冷静に状況を把握することにした。
石畳の大通り、岩の槍やら雷の大砲であちこちが砕け、めくれている。
修理費用を全て持つと豪語しているらしい冒険者ギルドが破産しないかが心配である。
少女を説得する際に盾にしていた岩陰は、たった今、橙色のマナに解けて散っていった。
もう一度『岩障壁』を繰り出すにはどれほどの充填時間が必要か……とりあえず銀の長鎚を握りしめる。
これで悠太を守るものは、あらかじめ左右に浮かべておいた不可視の盾。
ステータス画面とイクイップ画面のみである。
「心もとない、ってのは贅沢か」
「げは」
笑って――俊足の斬撃が石畳を打ち砕いて踏み込んだ。
黒の横一閃が壁として浮かべておいたステータス画面にぶち当たり、メキと音がする。
ステータス画面は壊れることのない最強の盾。
つまり軋んだのは、操られた黒髪の少女の身体である。
ネピテルの理性が指揮を取っていた先程までとの大きな違い。
それは宿主の身体が痛めつけられたまま、至近距離で繰り出される連撃であった。
回転して振り乱される黒髪。
放たれた返しの薙ぎも、逆方向のイクイップ画面が受けてくれた。
大剣は即座に振りかぶられ、兜割りに下される。
ギン――と。
画面を置かなかった正面は自力で守るしかないので、大鎚を横に柄で受ける。
ひしゃげそうな程の威力に圧され、悠太はバランスを崩した。
魔王は少女の顔で邪悪に笑った。
縦の剣閃は不思議な壁で防がれない。
そう解釈したらしい魔王は、ぐるんぐるんと身体を縦回転させながら連続して剣を振り下ろす。
ギンギンガンガン、と。
滝壷にいるかのような怒涛の乱打。
潰されてしまいそうで細胞の一つ一つが悲鳴を上げる。
相変わらず目で追えない剣速であったが、一方向から同じリズムで叩かれるなら、タイミングの合わせようもある。
何とか半身を返していなす。
と、打ち下ろされた大剣は大通りの地面を叩き割ってめり込んだ。
まともに当たっていれば骨折どころではない。
当然のことながら、試験のルールなど知りようもない魔王が命に手心を加えるわけがない。
肝を冷やしつつ、反撃のために大剣へと手を伸ばす。
大剣さえ壊してしまえば。
射程は15センチ程――ステータス画面は既にそこにある物体を引き裂いてでも定位置に現れる。
しかし――悠太の視界にガクンと衝撃が加わった。
包帯の膝がこめかみを打ち抜いた。
突き立てられた大剣を軸にした飛び膝蹴りは、悠太を意識ごと吹っ飛ばす。
石畳にワンバウンド。
打った頭が意識を取り戻す。
ツーバウンド。
受け身を取って、四つん這いで慣性にブレーキをかけた。
意識のない中、金鎚を手放していない自分を褒めてやった。
だが一瞬でも意識を失ったこと自体は非常によろしくなかった。
既に目の前には大剣。
石畳を割りながら迫る斬り上げ。
「やっち」
まった。
武骨な刃が袈裟懸けに沈みこむ感触。
骨が割れ、内臓が圧し潰される感触。
もっと切れ味の良い剣であれば間違いなく真っ二つになっていたであろう一閃。
――諸に食らって、ホームランボールよろしく宙を舞った。
全身がバラバラになりそうな痛みと、どこか気だるい感覚には覚えがあった。
あれはそう――異世界に迷い込んですぐ、ゴブリンに襲われ死にかけた時の感覚であった。
HPゲージが風前の灯火である時の感覚である。
もうふっと息を吹きかけるだけで死にそうな命だというのに――なぜ眼下の少女は雷の竜巻を起こそうとしているのか。
「……そりゃ、オーバーキルだって……」
「げは、は、『円、環――」
振り抜いた大剣に勢いそのまま遠心力を加えると、剣先から黒雷が迸る。
岩の槍壁を作り出す金鎚は持っているが、ここは空中、地面が遠い。
これも、以前に同じようなことがあった。
カペル村――狡猾なツタの支配者が、獲物を宙に投げ出しトドメを刺そうとしたことがある。
あの時はどう逃れたか。
「――渦、雷』」
作り出された黒い雷が渦巻いて、巨大な竜巻と化して迫り来る。
宙で身を屈め、足元にステータス画面を浮かべる。
案の定、悠太の残りの命を表すだろうHPのゲージは、もうわずかしか残っていない。
苛立たし気にその足場を踏みつけて跳躍。
暴風の範囲外へと飛び込んだ。
背後に稲妻の轟きを聞きながら、回避に成功した悠太は大地にベシャリと着地した。
この衝撃ですら致命傷になりそうである。
大金鎚を杖代わりによろよろと立ち上がり、睨みつけた先――勝ち誇った笑みと狙いを定める切っ先があった。
切っ先からは恐らく、また雷の大砲が撃ち出される。
悠太は睨む視線を和らげて、ぼんやり呟いた。
「はは、がふっ……なんかもう、疲れちったな……」
息は上がりっぱなし、喋れば胸には激痛。
ああもう。
対応が面倒である、防御すら億劫。
身体が痛い、重い、だるい、眠い。
どこかのベッドに飛び込んでひたすら寝たい。
一旦、終わってしまいたい。
例えばゲームみたいに、戦闘に負けたら事前のセーブポイントまで戻されるというのはどうであろうか。
それで済むならそうしたい。
明らかに実力が釣り合っていない、背伸びした相手である。
そもそもレベル20程度で、自分は何故魔王など相手にしているのか。
もういいや、ゲームの世界である。
一度くらい諦めたっていいであろう。
リトライして頑張るから、今回はもう許してくれ。
「……って、思ってんだけどさ」
黒い髪、血だらけの手足、金色の瞳。
その邪悪な笑顔の頬を、涙が流れているから。
「なに泣いてやがんだよ」
諦められやしない。
「――『砲、雷』!」
「くっそぁぁぁ! 『岩、障、壁』!」
ピリついた静電気が、自分が射線上にいると告げていた。
突き出された大剣が刀身に宿した黒雷を増幅させ、極太のビームのように撃ち出した。
受けて立つは、悠太が痛みを堪えて石畳に叩きつけた金鎚。
橙のマナが大地から分厚い岩の槍を競り上げ、悠太の四方を囲った。
岩肌の向こうに轟雷が衝突して、爆音と振動が響き渡る。
壁の内側が暗い、日没が近い。
すぐさま唯一の出口である真上を見上げたことに理由はない。
しいて言うなら、いち早くネピテルに手を差し伸べたかったからであろうか。
その行動が、勝負を大きく分けた。
岩の壁に切り取られた茜色と藍色の空に踊る人影。
「……お前じゃねぇよ」
刀身を真下に向け、跳躍した少女がそこにいた。
――相手の技は一択、逃げ場はない。
やけにゆっくりと流れる時間の中で、悠太は必死に考えた。
ツタが欲しいと思った。
しかし『大蔦豚の篭手』は金鎚を手にした時に、何故か消失してしまった。
何故か。
直感的にイクイップ画面を浮かべた。
円盤の画面には、四分割された枠。
一つ目の枠には『岩窟像の鉄鎚』とあり、もう一つの枠には『大蔦豚の篭手』があった。
――推測できたのが、装備の切り替え。
悠太自身に対する不可思議は、とかくゲームに準えられたものが多い。
キャラの使用武器が固定化されているゲームは少ない。
好みに合わせて、ボスに合わせて、属性や武器種の異なる装備を持ち込むのはRPGでもアクションでもお馴染みの仕様である。
画面の『大蔦豚の篭手』の枠に触れる。
確かめる間もなく腕を真上に構える。
真上からも言葉が落ちてきた。
「『始源――砲雷』」
「『四蔦縛』!」
長鎚がパっと消えて、両腕に篭手が戻った。
ピリリと赤黒く、頬に雷の前兆が走って、篭手から伸びた緑のツタが岩の壁の先端へと巻きつく。
一瞬にして数多の思考処理の果て――どす黒い天雷が壁の内側に落ちた。
今までの比ではない威力。
耐え切れずに粉砕された岩の破片が飛び散り、ガラガラと土埃を上げる。
――だが、間に合った。
崩壊寸前で岩壁の先端に巻きついたツタに引き上げられ、悠太の身体は黒雷の少女と同じ目線まで跳躍していた。
茜空と星空の境界に舞い上がった少年と少女の影。
それと血と、汗と、涙。
「げは、素晴ら、し」
空中で大剣が上弦に弧を描き、振られる。
少女に向けて差し伸べた手が、パシッと刀身を掴んだ。
魔王と悠太、合意の上での攻防であった。
互いに「捕まえた」と確信した。
「は、は、『傀儡、界雷』」
黒い稲妻が悠太の身体を走り、手を離せなくなった。
身体の自由が奪われた。
そして全身には、激しい雷撃の痛みが循環していた。
ずっと、少女はこの痛みと共に戦ってきた。
大人に裏切られ、宿敵に惑わされ、利用され、それでもその他に自分の形を保つ術がなかったから、文字通り、復讐に身を焦がしてきたのだ。
「げ、はは、これで……」
「これで何だよ」
不遜な物言いが、初めて魔界の王たる者を驚かせた。
さて。
これで、何もできまい?
これで、復讐は果たされた?
これで、新しい駒が手に入った?
これで……少女は用済みだ?
「――ふざけんな」
いずれの言葉にも納得などいかないから……これで、終わりにすることにした。
「我、ハ……」
「ステータス……オープン!」
漆黒の大剣にひびが入り、白く眩い光が漏れだした。
どれだけ支配の雷が激しくなろうと関係はなかった。
身体の自由など必要なく、念じるだけで現れるその画面は、世界の理に一切囚われない。
故に、事もなげに、例外なく、容赦なく顕現する。
手の平が当てられた先――邪悪なる『魔王の大剣』を内側から粉砕して。
「馬鹿、ナ!?」
パァンと、黒い結晶が散った。
周囲で見守っていた全ての人間が、黒剣の破壊に目を見開いた。
「魔王の剣を……」
「けけ、いいねぇ!」
誰もが信じざるを得なかった。
当の魔王が「ギャアアア!」と断末魔をあげたからである。
「馬鹿なァ! 我、我がァ!」
黒髪を振り乱し、頭痛の走る頭を抑えて落下する少女を掴み、抱き寄せる。
そして大きく震える金色の瞳に向かって叫んだ。
「戻って来いよネピテル!」
断末魔を邪魔だと言わんばかりに押しのけた叫びは、金色の瞳の奥に達した。
少女の記憶の影に重なったのは、大勢の兵士たちに取り押さえられながら叫ぶ剣士の姿であった。
――行け! ネピテル! 君だけでも、逃げろ!
ああ、どうしてこうも、お人好し共はボロボロの癖に、他人ばかり助けようとするのか。
ずるいだろ、そんなことされて信じなかったら、まるでこっちが悪者である。
そんなのずるい、ずるいけど、なんでか温かいから、まあいいかと絆されてしまう。
やっぱり、こっちがいいと、絆されてしまう。
魔王の声が絶望し諦めたように停止して、少女の身体はぐったりと力を失った。
悠太は安堵しつつ、着地のことを思い出して焦った。
「マグちゃんお願い!」
ボフッと白い毛が受け止めてくれて、ゆっくりと降下していく。
もふもふの毛並みの中、今度こそ、悠太は安堵した。
今度こそ、身体は限界である。
ああ、疲れた。
あとは、沈み往く太陽を見送って、この祭りは終わりである。
――その太陽を背に、うねる鞭としなやかな影が舞った。





