3-22 魔王
斬り結んで、打ち込まれて、撃たれて、防いで――疲れて。
幾度目かの雷の大砲を、岩の障壁で防いだ悠太は、音が止んだのを確認して壁から出た。
なかなか隙を見せてくれないが、とにかく今は間合いを詰めて、砲雷を撃たせないようにしなければならない。
ゲームなら、そうやって追い詰めなければいけない。
にもかかわらず、悠太が立ち尽くして追撃を止める。
未だ剣を構える少女の包帯が赤く染まっていることに気づいたからである。
「君、それ……」
「『砲雷』」
会話を拒むような雷の大砲の宣言に、慌てて岩壁に戻る。
轟音が通り過ぎて、顔を覗かせると、彼女は未だに刀身をこちらに向けている。
悠太は半身だけ出して、鉄鎚を向けた。
「撃つなよ? さっきみたいに壁ぶっ壊しに来ないってことは腕が痛むんだろ? 硬直状態ってわけだ」
返答はない。
「少し、話をしないか? 剣下せよ。腕も、脚も、血、凄いぞ」
華奢な少女の身体にそぐわない大振りの大剣。
やはり本来は扱えるものではなかった。
それを無理矢理に魔剣の力で振り回していたのである。
少女の四肢に加わる負荷は計り知れない。
「は? 全然問題ないし」
包帯が吸いきれなかった血液が滴り落ちても、剣は下さない。
しかし雷を撃つ素振りも、今のところはない。
強がる言葉とは裏腹に取り付く島ありと判断した悠太は更に尋ねる。
「俺、君とサラーサさんの会話に全くついていけてないんだ。
訳ありなことくらいはわかるけど、ぶっちゃけ君が何でそこまで、身体を痛めてまで戦い続けてるのか、わからない。よければ聞かせてくれよ」
「聞いてどうするの?」
「聞かないとわからない。でも、俺も負けるわけにはいかないから、俺が挫くことになる君の信念を知りたい」
少女の細眉が不快そうにひそめられた。
「傲慢だね。まるで君の勝ちが決まってるかのような……」
「勝つよ、俺は」
眉に次いで、金色の瞳に怒りが滲んだ。
「勝って冒険者ギルドに入って、世界を渡る力を探さないといけない」
誤魔化しはしなかった。
本音で語らないと少女には届かないと感じたから。
「世界を渡る?」
「そうしないと、この世界にはいない家族に会えない」
ぴくりと少女の肩が跳ねて、刀身がわずかに逸らされる。
「君、『魔界』に家族がいるの?」
そういえば、この世界には魔界というものがあるらしかった。
悠太は取り繕うように首を振った。
「いや、その魔界ってとことも違う、と思う。もっとずっと、何ていうか、世界観が違う世界?」
「ふん、第二の異世界? なんだただの妄言か、やっぱ君には負けるわけにいかないね」
鼻で笑って、ネピテルはまた刀身に手を添える。
「やめろって! もう腕も脚もズタボロじゃねぇか!」
「そう言うなら退きなよ。ボクのためにさ」
「馬鹿言えその無茶するのをやめろっつってんだ! いつか壊れちまうぞ!」
ちっ、と舌打ちが聞こえた。
「一体何が君をそこまで……」
そして、次ぐ呟きには、感情が込められていなかった。
「――絵本」
投じられた単語が、悠太の二の句を抑えつけて、静寂を寄越した。
「絵本をね、読んでもらうのさ。教会の中で。
勇敢な若者が王様の命令で魔王を倒しに行くお話。
仲間と共に、竜を狩り、宝を手にし、姫と恋に落ちる。
やがて魔王を倒した勇者は、姫と結ばれ平和な世界で暮らすって、そんな話」
唐突な語り口に少年は戸惑う。
それは、どこにでもある英雄譚であった。
それこそ世界を越えて悠太のいた世界にも五万とある御伽話である。
「その絵本が閉じられると……次に絵本が開くまでは地獄だった。
どうやら憧れの勇者になるには、痛くて苦しい訓練に耐えなきゃいけないらしくてね。
本っ当に地獄だったよ。走らされて、殴らされて、殺されかけてさ」
「な……」
「後に知ったのは二つ、そこは教会じゃなくて兵士の養成施設だったってことと、絵本の勇者に憧れる子供ほど操りやすい駒はないってこと」
絶句した。
未だ幼さの抜けていない顔立ちの少女は、更に幼いだろう頃に少年兵として育てられていたという。
「北の果てには、魔物を生み出す『異界の門』がある――」
◇◇◇◇◇
北の果てに佇み、気まぐれに魔物を呼び出す遺跡。
――地理的に近い場所にあった北の王国は、大昔から魔物との戦いを繰り返してきた。
国民は幼少期から訓練を経て、成人して兵士になる。
誇り高い国民性が幸いし、そうした人生でも不満なく全うする人間は珍しくはなかった。
しかし、十数年前から魔物の攻勢が強まると、兵士の供給は徐々に足りなくなってきた。
早熟の兵士が求められ、国の為に少年少女が教育を施され、戦場に出向くことが増えた。
決定的であったのが五年前の『サタンの大侵攻』。
異界の門を抜けて拠点を構え、大きく攻勢に出た魔王サタンを討つ為、北の王国も前線を押し上げ全面戦争となった。
そこがネピテル・ワイズチャーチ、当時11歳の初陣であった。
属したのは剣士と武闘家と魔導師、精鋭三人だけの遊撃小隊。
ネピテルは最年少の医療兵――薬箱と食料を運ぶだけの子供――として四人目に加わった。
敵地を撹乱しつつ本隊を導き、少女たちは魔王の城と化した異界の門にまで足を踏み入れた。
その決戦の地で両軍の本隊が共倒れに壊滅して、生き残った者は進退を迫られた。
少女たちは、絵本の通りに進んだ。
敵味方の亡骸を漁り、残っていた魔導具で装備を固めた。
他に生き残った少年兵たちも同じように絵本の通りにして、ネピテルたち以外に生き残りはいなくなった。
そして――誰かの屍から拝借した聖剣で、魔王の喉笛は引き裂かれた。
◇◇◇◇◇
「――ボク達はサタンの角を持って凱旋した。
絵本の通り頑張って、絵本の通り魔王を倒したんだ。絵本の通り褒めてもらえると思うだろ?」
悠太には息を呑むことしかできなかった。
「……武闘家君は毒殺、魔導師は慰み者にされ、剣士は処刑されたよ。かわりに英雄になったのは小奇麗な王子様だったかな」
「そんな……」
「剣士が捕まる間際に庇ってくれたおかげで、ボクだけは逃げ延びることができた。いつかのために、サタンの角を盗み出してね」
少女の目的は、明らかであった。
「もうわかってるよね? ボクは止まるわけにはいかないんだ。
この魔剣と、どこかにあるっていう亡者を従える魔導具を持って、糞ったれのあの王国を滅ぼしてやる」
刀身が赤黒く光り、戦いを促した。
「それが、君の……」
悠太はというと、どうしたら良いのかわからなくなっていた。
絡まった糸をほぐすかのように、困惑する頭に答えを求めていた。
少女が嘘を吐いているようには見えなかった。
だから復讐を止めろだなんて、口が裂けても言えやしない。
ではメダルを譲って憎悪の道を歩ませるのか。
差し出がましかった、頑張って無念を晴らしてくれと、身を引くのか。
それはできない、絶対にできない。
理由は――強がる少女の手足に血だらけの包帯が纏わりついているからである。
このゲームのような世界で悠太自身が学んだ心構え。
未来はゲームのように。
遠慮なく大団円を目指していい。
「……なあ、その復讐、このやり方で成し遂げられると本当に思うか?」
少女は訝し気に眉をひそめた。
「どう見たって君の身体に負荷がかかりすぎてる。
その包帯からして、傷だって相当蓄積してるんだろ?」
「ボクの身体なんかどうだっていいよ」
「どうでもいいわけあるか。それじゃ復讐だって……」
「果たせるかどうか? うるさいなそれも関係ない。
成し遂げられなくたっていい、身体がぶっ壊れたって、道半ばで尽きたっていいさ。
ただこの怒りを押し殺して生き長らえるくらいなら、最期まで復讐に心を燃すって決めたんだ」
「……仲間に助けてもらった命なのにか?」
どこか自暴自棄な問答に投じた仲間という言葉。
一瞬だけ彼女の瞳が震えた。
そして、烈火の如く怒りを爆発させ、剣を悠太に向けた。
「ふざけるなよ! じゃあどうしろって言うんだ!
お前も無責任に復讐なんかやめろって、何もかも忘れて安穏と暮らせって、そう妥協しろって言うのか!
大事な仲間を踏みにじった奴らと同じ世界で、全部全部諦めろって言うのか!」
違う。
「んなこと言えるかよ!」
悠太の叫びは、少女の想定外の内容であった。
だから、彼女は表情を固めた。
「な……」
復讐は何も生まない。
彼女のことを大切に想っていた仲間の人なら、こんなことは望まない。
復讐者にかける言葉は、当の本人以外にとってはいつだって正論である。
「やめろだなんて簡単に言えるほど……この世界が甘くないのは知ってる」
理不尽に狙われる命、巨大な力に蹂躙される村……それらの恐怖をねじ伏せるために自分が奪った命を思えば、簡単に綺麗事は口にできない。
その上で、本心から少女を救いたいと訴えるなら、悠太にも相応の覚悟が必要であった。
それはそれは大きな覚悟で、それはそれは――お人好しな覚悟が必要である。
「だけど、このままのやり方を見過ごしたら、お前の身体が壊れちまう。だから……」
ごくりと唾を呑んでからの進言だった。
「――だから、手伝うよ。お前の復讐」
「……は?」
金色の瞳孔がキュッと縮み、開いた口は閉まらないようだ。
「独りで気張るからそういう自暴自棄なやり方になるんだ。
それにまだその目当てって言う魔導具も持ってないんだろ?
じゃあ二人で、もっと大勢で、探しに行こう。その方が早いし、確実だよ」
心の奥で家族に謝った。
この世界で協力してくれるという赤髪の少女にも。
どうも帰るのは遅くなる。
だが少女をこのままにして帰ったとして、多分罪悪感しか残らないと思うから、言葉に後悔はなかった。
「何を、言って……」
「何が何でも成し遂げたいなら他人を利用してでも諦めるなってこと」
「ボクは、ボクは諦めてなんか……!」
「ぶっ壊れた身体でどう復讐果たすんだよ」
反論に詰まったあたり、自覚はあるらしい。
「信じなくたっていい、馴れ合わなくたっていい、ただ利用してみろって。
……俺は今、据え膳だぞ。食わぬは何たらの恥だぞ」
熱くなりすぎて言葉のチョイスがおかしなことになってきた。
見開かれた双眸が、呆れるやら悩むやら……やがて、怒気が抜けていく様子がわかった。
「な? 独りで気張るよかいい案じゃないか?」
悠太は金鎚を下し、手を差し伸べた。
付け焼刃だろうと、問題の先送りだろうと、気持ちに偽りのない提案であった。
「ボクは……だって、そんなこと今まで誰も……」
瞳を震わせたネピテルは、剣を下して俯いた。
よく見れば、傷だらけの肢体は本当に限界間際であったようで、痙攣のような震えが至る所に見受けられた。
「……まったく、ああ、くそ、君みたいな優柔不断な奴に……こんなお花畑の、お人好し……」
そこが、少女の仲間たちによく似ていた。
「……あーあ、馬鹿だよ、君は」
憎まれ口をきいて視線を上げると、少年の黒い瞳が心底ホッとしたように細められた。
「うっせ、よし、じゃあまず傷の手当だけでも……」
わずかに微笑みも零れ、見守る誰もが安堵した――その瞬間であった。
黒い雷光が弾けた。
――『傀儡界雷』。
少女の微笑んだままの唇が動いて、再び黒い雷が血だらけの身体に走る。
「おい!」
説得は通じたと思っていた。
「え、え、なんで、違う今のはボクじゃなく、て……」
言葉は途絶え、ネピテルの発言権は奪われた。
傀儡界雷は身体を操る能力。
であれば、目鼻口を操ることも可能であるはずである。
問題は、誰が操っているのかであった。
悠太に思い当たる節が、一つだけある。
一人だけ、近くにいるのである。
ネピテルが傷付いて、もがいて、志半ばで力尽きることを見たくて仕方ない復讐者が。
少女自身も思い至って、二人の視線は、黒い大剣に注がれた。
素材の意思が宿る魔導具『魔王の大剣』に。
魔導具は使い手に時折語り掛ける。
魔導具の素材は、強力な魔物の部位である。
魔導具の素材は、いつだって生前の愉悦を渇望している。
その渇望を、傀儡界雷があるとすれば、まさかがあり得た。
「げ、は、は……」
絶望に染まった金色の瞳とはちぐはぐな、荒々しい笑い声が響いた。
「……復讐を」
「……マジか」
冷や汗が頬を伝って、悠太は左右に防御用の両画面を浮かべた。
もはや疑いようもない。
悠太の目の前にいる黒髪の少女だが、今はネピテル・ワイズチャーチではない。
魔剣そのものにして、いわゆるラスボスという存在であった。
「復讐を……愚者で復讐を……愚者に復讐を!」
少女を乗っ取った魔剣は、血に濡れた包帯の腕をまるで労わることなく、剣を構えた。
「げは、は、愚者が朽ちるまで……永久の復讐を!」





