3-18 デモン・バール・ラブ・サンセット
――洗脳が解けた変態共は、何をする?
「おい貴様……」
「ティカ姐に……」
デモンの女を組み敷くハンサ・ガウディオは舌打ちして、振り向き様に床に置いたバールを拾う。
「触れるなぁ!」
変態どもの咆哮。
ハンサは勢いそのままに、駆け出す下僕たちへとバールをぶん投げた。
その鉄棒はブォンブォンと風を切って飛んだ。
変態共の動きは更に素早く洗練されており、投擲をステップで避けるとあっという間に迫り来る。
回避されたバールは、煉瓦の倉庫の片隅にめり込んで虚しく埃を上げる。
「うふ、力より数より技より愛。やっぱ愛は最強ね。
アガワ君にイガワ君、そのままアタシごと抑えつけて? 皆で密着しましょう?」
抑えつけられたティカ・オ・ダーユインは男の下で大股を開き、筋肉質な腰へとがっしり巻き付けた。
「しまっ……」
退避が遅れたハンサは捕らわれ、続いて太っちょレザー男に押し潰され、がりがり男に腕の関節を締め上げられた。
「ティカ姐、重くない?」
「こんな奴と密着して大丈夫? 汗臭さとか、移らない?」
「大丈夫よ。むしろこう、組み敷かれてる重さとか、男臭い香りとか……最高ね、いいわぁん」
「くそ、何だこの変態サンド……」
冷や汗の垂れる頬をひくつかせるハンサの顎を、今度はティカがクイと指であしらった。
「二人とも洗脳で無理やり操ってると思った? アタシそんな野暮じゃないわよ。
きっかけは洗脳でも、ちゃんとその後の関係性を築いてる。
いくつもの逢瀬を重ねて、心も身体も繋がって、初めて信頼は生まれるんだから」
「へっ、の割りには洗脳で操ってたじゃねぇか」
「そう思わせたから隙ができたでしょ?
馬鹿そうに見えても現場では切れ者。その対応力を先代ギルマスさんは絶賛していた。
ハンサ・ガウディオについて詳しく調べておいて良かったわん」
「ちっ、なるほどな、俺が洗脳を解くとこまで想定してたわけか」
「そゆこと」
軽口の裏でもがく抵抗も虚しく、女の眼から再度赤い光が零れた。
涙跡のような紋様が妖しく煌めく。
「それじゃ、貴方も恋の炎、燃やしましょう?
――『一夜の恋人』」
赤い光はあるいは紫、あるいは桃色に移り変わりながら彼と彼女を包む。
光の中、目を離せない男の意識は、女の瞳に吸い込まれていった。
予期する快楽の前に、ギルドとか祭とか、その他の雑多なものは邪魔者でしかなくなった。
――数秒間、光に身を任せて男と女は見つめ合った。
発光が終わって、レザー男が一人、二人と離れる。
虚ろな目をしたタンクトップの男が立ち上がって、横たわるティカに手を差し伸べる。
「うふ、ありがと」
手を取って立ち上がった彼女は、彼の屈強な身体のあちこちをまさぐって、ニッカポッカのポケットからメダルを取り出した。
「十個分相当のメダルゲット、おまけにギルマスまで手籠めにできるとはね。案外アタシの夢も……」
――ギシィと。
古木の軋む音がした。
「……嘘」
勝利の余韻に浸る彼女たちの周囲――倉庫壁面の煉瓦が波打ってボロボロと崩れ始めた。
支える柱も梁も音を立てて傾き、しなり、蠢いた。
立てかけられていた材木がバラバラと倒れて、長年の埃を舞い上げる。
崩れていく四方を背中合わせに眺める三人が顔を上げると――どうやら、倉庫の天井が倒壊を決めたようであった。
「うっそぉ!?」
搬出口は遠い。
ティカは屈んで腕を上げる。
「ティカ姐!」
「危ない!」
当然に彼女を守ろうとするレザー男たちは身を挺して覆いかぶさる。
「二人とも駄目!」
愛する彼氏たちを案じる声もついには打開策を口ずさむことはできず、ガラガラと崩れる騒音に紛れていった。
――程なくして、五時街の一角が土埃に包まれる。
埃が晴れ、まず射し込んだのは茜色の西日であった。
腰を抜かしたティカと下僕の二人が、恐る恐る瞼を開く。
痛覚は、何も伝えてこなかった。
その理由は三人を庇うように仁王立ちする影にあった。
大量の瓦礫を背に、血まみれで彼女らを守りきった男の姿。
身に着けたタオルもタンクトップも、夕日とは異なる朱が染みを作っている。
「痛てて……おう、本当に洗脳解けるんだな」
にべもなく放たれた一言に、びくりと肩が跳ねた。
「あは、あはは……大丈夫?」
空笑いの声に男は「へっ」と笑うと背負った瓦礫の山を跳ね除け、血も気にせずに肩を回した。
「本当に洗脳、解けて……どこから、この展開を……?」
「あ? わざわざお前さんが洗脳解く条件を喋った時だよ。
あの状況でそれを口にするのは、俺様を油断させるか動揺させるかのため以外にはあり得ねぇ。
実際、見事に動揺しちまって反応が遅れた。その時点で一度は洗脳される覚悟ができた」
「そんな、そんな土壇場で? じゃあこの倉庫の仕掛けは……」
ハンサは親指で瓦礫の山に突き立った一本のバールを示した。
「仕掛けなんて小細工しねぇよ。お得意の調査とやらで言ってたじゃねぇか」
――建築から解体まで、魔物の蔓延る辺境でもバール一本でやってのける異色の大工。
「弱いとこに投げ込めば、まあ、この通りだ」
「……たった一撃、バール投げ込んだだけで建物を……? 滅茶苦茶だわ。もう少しで死ぬとこだったわよ」
「それもお前さんが言ってたことだろがよ……確かに、愛は最強だったな。
心配せんでも俺様がお前さんに惚れ込む洗脳をされたなら、この身を犠牲にしてでも庇って守るに決まってら。
そしたら衝撃で洗脳も解ける。つまり俺様は天才ってことだ」
初めて突き付けられた洗脳への解答に、ティカは全身の力が抜けていくのを感じていた。
「……あはは、完敗。眼の力、もう使えないわ」
魔導具の再使用にはマナを充填する準備時間が必要。
アガワもイガワも虚を付けなければ、実力は到底目の前の男に及ばない。
ピンク髪の彼女は観念して、メダルを差し出した。
男は返されるメダルをじっと見つめて、言葉を落とした。
「おう、お前さんの夢って、何だよ」
「え?」
思ってもない問いかけに、彼女は戸惑った。
「洗脳されてても聞こえてたぜ。俺様が下僕になると近づける夢があるんだろ?
そいつにはメダルも必要なのか? ならよ……別に持って行って、いいぜ?」
あっけらかんとした様子に、ティカの言葉は出てこない。
「別に誰にでもやるわけじゃねぇ。
ただよ、お前さん悪い奴じゃねぇようだしな……っていうか、その、わりかし良い女だ。
俺様ぁそう、思う」
視線を逸らして、頭をポリポリと掻きながら申し出る仕草に、ようやくティカは理解した。
こいつ、普通に恋しやがった。
事実、ハンサは生来惚れやすい気質で、ティカとの軽口や戦いに心地よさを感じ、洗脳時の密着による吐息やら匂いやら感触やら何やらで完全に好きになっていた。
そして彼は、惚れた女には尽くすタイプであった。
数々の男を手籠めにしてきたティカは、そんな彼の気質を見抜いて、そんな彼に負けた自分が滑稽で、そんな彼が興味深くて、思わず笑みを零した。
「……ふふっ、本当に面白い人。いいわ、アタシの夢は……ねぇ、『子は鎹』って言うでしょう?」
◇◇◇◇◇
デモンの出身地は、魔界と呼ばれる異次元の別世界とされている。
山田悠太の住んでいた世界とは異なるもう一つの別世界。
その世界には悪魔や魔物が住み、古来より、エルナインへと頻繁に干渉をしている。
北の果ての『異界の門』など、魔物が出現する場所は複数存在し、それらは魔界と繋がっているとされていた。
また五年前には異界の門を起点に、魔王と呼ばれた悪魔の侵攻があった。
迎撃するヒューム族とデスプードル族との戦いの果て、魔王は四人の精鋭に討ち取られた。
その後、新たに玉座についた魔界の女王はエルナインに友好を持ちかけた。
女王は惜しむことなく理知的な悪魔を親善大使としてエルナインへと送った。
彼らの努力は程なくして実り、侵攻の対象であった北の国以外では、知能を持った魔物はデモンという種族として市民権を得られるようになった。
そして調停を結んだ直後、女王は疲労から床に伏した。
彼女を支えたいと、彼女の意思を継ぎたいと考えた一部のデモン達は今も、それぞれが最良と考える活動を続けている。
◇◇◇◇◇
傾いた茜色の日差しが伸ばす男女と二人の変態の影。
ヒュームとデモンが真に繋がるために必要な大人なコトを、彼らは長く語らい合った。
用語解説
・夢魔の恋眼
魔界の古城に住まう夢魔が自ら抉り取った魔眼の魔導具。
見つめ合った者の意識を眠らせ、意のままに操る催眠効果を持つ。
「技」は当該催眠効果の「一夜の恋人」が確認されている。





