3-17 大工ギルド “大棟梁” ハンサ・ガウディオ
艶やかな唇を弾ませて。
「あ、いたわ一位の人だ。ねえ! 一位の人!」
――五時街。
大工の資材倉庫が並ぶ一角。
煉瓦を積み重ねた高い天井の材木倉庫に向かって、気さくな声が向けられた。
声の持ち主はピンク色の癖毛を人差し指で弄びながら、ぽっかり開いた搬出口から踏み入った。
呼びかけた先にいたのは、頭にタオルを巻いたタンクトップの逞しい後ろ姿であった。
壁に並んだ材木を数える指を止め、ニッカポッカと足袋の下半身が振り向いた。
「あん? 一位って俺様のこと……」
無精髭に三白眼の顔が目を見開く。
「ぶほっ! おおう! すげぇのが来たな!」
男は訪問者の豊満な胸を見るや否や鼻息荒くガッツポーズで叫んだ。
女の服装はカジノディーラーのようなベストにパンツスタイル、露出は控えめながら流線形のボディラインが雄の視線を釘付けにした。
頭部の巻き角、先の尖った尻尾……デモンと呼ばれる種族の特徴には目もくれていない。
性への興味を包み隠さぬ反応に、女は豊かに実った二房の果実を腕組みで締め付け、満足気に頷く。
「うんうん、健康的でよろしい。屈強な筋肉で顔もまあまあ、とっても良いわぁん。
特に、ギルマスなところが最高ね。ね? ハンサさん、アタシと遊びましょう?」
「うん! ……うん? お前さん何で俺様の名前……それに」
ハンサと呼ばれた男は一度鼻息荒く頷いたが、その後で「ギルマスなとこ?」と少し首を傾げる。
女が谷間からメダルを摘まんでチラつかせると、一気に嫌そうに顔を歪めた。
「何だよ姉ちゃんも参加者なのかよ。
あ? てことはよ……遊ぼうってのもウキウキウハウハムラムラパヤパヤな方向じゃ、ねぇのか?」
太い眉を下げて諦め悪く虚空を揉みしだく男に、女はチラリと舌を出してトドメを刺した。
そしてしなやかな腕をおもむろに差し出すと、パチンと指を鳴らした。
――どこからか降って沸いたのは、黒光りのレザージャケットと腿丈のレザーパンツに目隠し、猿轡の太っちょ男。
ずしんと立ち塞がる所謂変態を見て、ハンサは顔のパーツを更に一層嫌そうに寄せた。
その様子に苦笑した女は、唇に妖艶な笑みを浮かべて持ちかけた。
「ま、貴方がアタシの手籠めになって、メダルもくれるって言うんなら、うふ、すぐにでもパヤパヤでもパフパフでも、パカパカでもポコポコしてあげるわよん?」
「パ、パカパカも、ポコポコも、だと……!」
誘いの隠語に一筋、鼻血が垂れた。
男前に親指で拭って見せたが、流れは留まることを知らない。
「今ならスコスコもしてあげちゃう」
「スコスっ……! ふぅ、そいつぁ、魅力的な提案だな。
魅力的な提案だが、俺様にも面子だの部下だの色々あるんでな、魅力的な提案とも思うが、これでも一応ギルマスとしての誇りってのもある。
大分めちゃくちゃ魅力的な提案だがよ……お断りだ」
「おー、めっちゃ揺れるのね。ふふっ、面白い人」
言いながら、女は従える下僕の顎を撫でた。
するとハードなレザースタイルの図体が身構え、倉庫内の殺気の濃度を上げた。
その様子に呼応して、ハンサも腰元に下げた鉄棒に手をかける。
長辺と短辺を支点で曲げた鉄の棒、『バール』と呼ばれる工具であった。
「貴方の武器ね。うん、調査通りだわ」
「リサーチだ?」
「ええ、これでも方々で情報屋もやってるのよ。
この街でも何日かしっぽり夜を明かしたら、貴方の情報も沢山揃っちゃったわん」
言いながら女が佇まいの軸足を変える。
ただ体重移動をしたそれだけで、揺れる果実が、くびれた腰が、鼠径部の衣服の皺が色香を振りまく。
なるほど情報屋にはうってつけの武器を備えていると、男の鼻の下が伸びた。
だがだらしない表情は、すぐにまた嫌そうに歪むことになる。
「――名前は『ハンサ・ガウディオ』。
生まれはノームの炭鉱町、孤児でドワーフに囲まれた男臭い環境で幼少を過ごす。
その反動か、首都に来た初日に女に騙され全財産を溶かし、喧嘩に明け暮れる毎日を送る。
落ちぶれた中、先代の大工ギルドマスターに拾われて大工職人としての道を歩む。
そして、先代の死に目に指名され、ギルドのマスターである大棟梁に襲名。
襲名した次の日に女に騙されギルドの財産を溶かし、ギルドメンバーから袋叩きに合う。
個人としては建築から解体まで、魔物の蔓延る辺境でもバール一本でやってのける異色の大工職人。
愛用のバールに付けた名前はエクスカリバール」
「酔った勢いで付けた名前まで赤裸々に……ちっ、誰だ口割った奴」
「まだまだ情報はあるけど……どう? なかなかよく調べてるでしょ?」
「ふん、まぁな……だが一つだけ、間違ってるぜ情報屋」
得意げに肩をバールで叩く男に、情報収集に絶対の自信があった女は眉をひそめた。
「俺様は、女に金を騙し取られたことはねぇ!
キャサリンちゃんはな、お婆ちゃん想いの良い娘だったんだ! だから治療の為にあの金は譲ったんだよ!」
どうやら情報屋のプライドは保たれた。
「流石、一位なだけはあるわ……」
「あ? そういやさっきから一位一位って、俺様は何が一位なんだ?」
「ふふっ、うーんとね」
間合いを計りがてらの軽口、そのどうでも良い問答が火ぶたを切った。
「これもリサーチの一環ね。
街角調査曰く……ちょろそうな男と、勝てそうなギルマス、それからこの街きってのお馬鹿さんランキング、全部まとめて一位ですって。
ここまで軽んじられてるギルマスさん知らないわ。おめでと」
カチンと来たらしい。
「おう、そりゃ……あんがとよ!」
大人げなく青筋を浮かべて、ハンサは跳びかかった。
鉄槌の如く振るわれたバールは、レザー男が屈強な両腕を交差してがっちりと受け止めた。
「このハンサ・ガウディオ様を随分と舐めてくれてるじゃねぇか……!」
「あはっ、改めてよろしくね? アタシはティカ。『ティカ・オ・ダーユイン』よ」
互いの名乗りをもって、資材倉庫はコロシアムと化した。
「――『番う焔よ』」
早速艶やかな唇が集歌を唱えた。
レザー男の後ろで集まり始める赤い光を阻害するべく、ハンサは後方に跳んで距離を取る。
ポケットから数本の釘をぽいと放って、バールでカキンと撃ち出した。
標的の女は感心した表情を見せつつも集歌を止めなかった。
並行して指をまたパチンと鳴らすと、レザー男が彼女を抱えて釘の弾丸から逃れた。
「――『紅蓮の海に授かりし』」
レザー男の頭をぽんぽんと撫でて、彼女は更にもう一度指を鳴らした。
その音に反応して男はハンサへと再び猛進する。
「なるほどな、野郎が前衛で魔法の時間稼ぎか」
「そして逆も然りよ。コール『炎ノ爪痕』」
たんまりと集まった赤い光が白い腕に描かれた紋様に反応し、翳された五本指に炎として灯る。
炎は即座に火球となり放射状に撃ち出された。
「なるほどな、身体の紋様が魔導書代わり……っておい! ここ火気厳禁だぞ!」
五つの火球それぞれがハンサ目がけて飛んでいき、振り回されたバールの風圧でかき消される。
「熱っ、くそっ、この……ふん!」
材木に燃え移らぬよう、しっかり五つの炎を消して、武器を肩に担いで、ゼェゼェと息を整えたところで、ハンサは背後から羽交い絞めにされた。
「おう?」
レザーの太っちょ男はがっつりとハンサの脇下に腕を差し入れ、反り返すように締め上げる。
「でかしたわアガワ君! そのまま……」
アガワと呼ばれたレザー男が頷いたのと同時に、ハンサの口端が上がった。
「――俺様とタイマンで力勝負か? いいねぇ、力には力、受けて立つぜ」
めきめきとパンプアップする胸筋と二の腕が、太っちょの巨体を背負い持ち上げ始めた。
「あらら馬鹿力……でも、本当に単純で助かるわ。いいかしら、力には数、こっちが正解よ」
言いながらまたパチンと指を鳴らす。
――すると、何ともう一人、レザーに身を包んだ細身の男が現れて、ハンサの腕関節を狙って絡みつく。
絶妙な関節技により羽交い絞めが完成し、バールが地面に落ちた。
「もう一人、いやがんのかよ……!」
「ご苦労様イガワ君。アガワ君も腕放さないでね? そのまま、そのままよ」
立ったままの拘束姿にツカツカ近寄る女が妖しく微笑む。
涙痕のような頬の紋様に淡い光が宿った。
「さあ、これで貴方もアタシの奴隷……」
目と鼻の先、ハンサの頬に赤いネイルが引き立つ指が触れた。
ティカの眼球から涙のように赤い光が漏れ出て、彼女と彼を包むように舞い散った。
「――数には技、ってのはどうだ?」
ムーディな雰囲気をぶち壊したのは、不敵に笑うハンサの一言であった。
「わ、野暮な人」
慌てて飛び退くティカを掠めて、ハンサが足先に引っ掛けたバールが振るわれる。
遠心力を利用して足袋に吸い付くように振るわれた鉄棒は、レザー男たちの拘束をも払いのけて彼を抜け出させた。
「あらよっと、おっとそこから動くなよ?」
距離を取って警戒する二人のレザー男を手に持ち替えたバールで牽制し、ハンサは視線だけを女に向けた。
「大体わかったぜ。お前さんのその眼、魔導具だろ?
恐らく相手を魅了する能力、この変態共もそうやって操ってるわけだ。
ああ、あれだなさっきからやってる指パッチンが指示だろ」
「……見たまま言ってるだけじゃない」
楽しそうな憶測は真理を突いており、突かれた女はつまらなそうに口を尖らせた。
「そうとわかりゃやることは簡単だ」
そう笑って再びティカへと猛進するハンサに、彼女は舌打ちしつつ指を鳴らした。
「一辺倒ね……!」
「今のが『寄れ』の合図だろ?」
ティカが驚愕の表情を浮かべる。
正直、男にはそこまで見通せる頭はないと考えていた。
彼はくるりと振り返って、一直線にティカへと向かうレザー男たちの顎先をバールで一閃、二閃し、沈めた。
「……なんで、って、きゃあ!」
信じられないと立ち尽くす彼女へと、あっという間に跳びかかったハンサは華奢な身体を押し倒し、その細い両手首を大きな右手で締め上げた。
互いの吐息がかかる程の至近距離。
筋肉質な身体に組み敷かれた肢体が逃れようともがいたので、股下に深く膝を挟み込んで抑えた。
「これで指も鳴らせねぇし逃げれねぇな?」
「あん、ちょっと、盛り過ぎじゃない?」
石床にピンク髪を散りばめ、頬を上気させる彼女の耳元で、彼は得意げに攻略法の続きを囁いた。
「おう、散々馬鹿にしてくれたが、本当に見たまんまだったな。
おっ始めてから最初に指を鳴らした直後が攻撃。次に鳴らすとお前を助けた。んでもう一回鳴らすと俺を攻撃してきた。
そもそも指パッチン如きで高度な指示が出せるわけねぇんだ。だから命令は二種類、『行け』と『寄れ』だけだ」
こそばゆいのか気恥しいのか背けられた顔を逃がすまいと、残った武骨な左手が顎をクイと上げる。
「……この街きってのお馬鹿さん一位の座が危ういわよ」
「いらねんだよんなもん!」
「大声出さないでよ怖ぁい」
ハンサは違和感を覚えた。
彼女の表情は、余裕というほどでもないが、焦りを浮かべている様子もない。
――まだ、勝負を諦めていない顔。
その要因は、背後で起き上がる変態たちにあった。
「……う、僕たちは……」
腕をつき頭を振るレザー男たちは、猿轡を外し、困惑の声を上げた。
その様子にハンサは安堵する。
「ふふん、さあどうする、安い洗脳の変態さんは正気に戻ったようだぜ」
「そうね、癪だけど、アタシの洗脳は一度意識が途切れると解けちゃうのよねぇ」
あっさりと認めた言葉に、背筋がぞくっと凍った。
ハンサは急激に膨らむ不安の原因を探した。
下僕は正気に戻った、魔法も唱えさせない、身体も抑えつけた。
何故悔しそうな顔をしない? 何故あっさりと種を明かした? 本当にこれで勝利確定か?
――洗脳が解けた変態共は、何をする?





