3-16 負け犬の咆哮
デスプードル族の歴史は、敗北に次ぐ敗北の連続である。
――かつてヒューム族とプードル族は、地上の覇権を巡るあくなき戦乱に明け暮れていた。
数的不利にあったプードル族の主戦術は、闇に紛れた夜襲であった。
故に藍色の毛並みを持つ者は率先して最前線に立ち、剣と牙と爪と振るった。
彼らはヒューム族から恐れられ、いつしかデスプードル族と呼ばれるようになった。
そして戦いの軍配は、ヒューム族に上がった。
勝者は敗者を甚だ勝手なことに亜種族などと呼び、東の果てへと追いやった。
――かつてプードル族とデスプードル族は、東の果ての覇権を巡る戦乱に明け暮れていた。
数的不利にあったデスプードル族の主戦術は、プードル族のよく知るところであった。
ヒューム族の後ろ盾を得たプードル族は、野蛮で単純な藍色の毛並みたちを巧みに罠に嵌めていった。
そして戦いの軍配は、プードル族に上がった。
勝者は敗者が二度と立ち上がらないよう、魔物を生み出す『異界の門』が聳える北の最果てへと追放した。
――時は流れ五年前、デスプードル族はヒューム族と共に、『魔王軍』との戦乱に明け暮れた。
そして戦いの軍配は、ヒューム族に上がった。
勝者は共に戦った亜種族に、異界の門の守り人という誉れ高い称号を授け、戦果を掠め取っていった。
――現在、敗北の歴史に終止符を打つべく、デスプードル族は牙を研ぎ澄ましている。
恩着せがましく与えられた称号を、いつの日かの為に誇り高き使命としてあえて担った。
個体としての盛りを迎える成犬した若者は、世界に挑むべく旅立つことを義務づけられた。
全ては種族の宿願……「負け犬」の汚名を晴らすためにある。
◇◇◇◇◇
「全ては同胞の宿願のため……!」
藍色の両の腕から血を滴らせ、マーロン・ポーチは胸のメダルを握りしめた。
鋭さに力強さが加わった眼光が睨みつけるのは、糸目の女性。
「下らないわね。冒険者ギルドに入るのもそんなことのため?」
意にも返さないイトネン・カーレムスは首を傾げて頬に手を当てる。
「黙れ! わん共は一つでも多くの勝利を証明しなければならない!
冒険者ギルドはヒューム共の花形だ! わんはそこで頂点に立ち、真に優れた種族を証明するのだ!
その為にも……わんはこのような場所で負けるわけにはいかんのだ! 『一尺氷刃』!」
拾い上げた大太刀を氷の刃で強化し、マーロンは突進した。
待ち受けるイトネンは、出刃包丁を片手にポツリと呟いた。
「……男って皆同じなんだから」
藍色の剛腕が繰り出した唐竹割りは、僅かにずらされた細身にするりと避けられる。
すかさず跳ね上げられた逆風も、背後に回った彼女を捉えられずに虚空を斬る。
空振ったままの勢いで身を返し、再び刃を石畳に打ちつけるが、それも初撃と同じように躱される。
切っ先を彼女のブーツが踏みつけて、もう次の太刀筋は繰り出せなかった。
大太刀を振り下ろしたままの姿勢は、体格差のある互いの目線を丁度良く同じ高さにした。
マーロンの視界だけが、切らせた息と弾む肩のせいでわずかに上下する。
「そりゃこれだけ速さと威力に任せた攻撃してれば疲れるわよ。
負け犬って呼ばれるの本当に嫌なのね?
だったら負ける前に尻尾巻いて逃げたらいいのに。あ、それも負け犬に入るの?」
身体が芯から熱くなって、歯を割れそうな程に噛み締めた。
氷の刃を解除すると、切っ先に乗せられていた足から刀身が開放された。
マーロンは大太刀を力強く握りしめたまま、大きく飛び退く。
「あらやっと逃げること覚えたのかしら。良かった、種族の進歩ね」
憎まれ口を続けるイトネンを睨みつけ、マーロンは鋸刃の刀身を両手で天に掲げた。
「――『百一尺』」
青いマナが大きく渦巻いて、氷となって刀身へと次々にこびり付いていく。
メキメキとごつく、長大になる刀の影は、周囲の民家をも超えて競り上がっていった。
「『大、氷、斬』……!」
掲げ上げたのは、青空を覆うほどの氷山であった。
支える手足の筋肉は、はち切れんばかりに膨張し、腕の傷口からは血が噴き出していた。
大山鳴動――氷山はゆっくりと頂点を傾けた。
踏み込む足先の爪が、石畳にヒビを入れた。
それは、絞りに絞った極限の力で振り下ろされた。
「……人払いしといて良かったわね」
イトネンは覆う影から逃れてみようと、通りを駆ける。
なるほど通りの幅を埋める範囲攻撃ならば、横に避けることは難しいと感じた。
「同胞の侮辱は許さん! 報いを受けよ!」
氷山が出店通りに打ち付けられる瞬間。
イトネンはギリギリのところで確かに巨影の範囲外へと逃れることに成功した。
――しかし次の瞬間、轟音と衝撃が一帯を覆い、彼女はその細い目を見開いた。
打ち付けられた氷山が砕け、大小無数の氷塊となって襲い来るのである。
白い攻撃の実際の射程は、氷山の高さの倍以上にも及んでいた。
――オレンジ屋根と石造りの背景は、白銀に満たされた。
ガラス片のように散らばる氷を踏みしめて、白い靄を見詰め、マーロンは愕然とした。
靄から無傷の女が飛び出して、あっという間に懐にまで入ってきたのである。
「救いようのない駄犬。腕力だけじゃ勝てないって言ったのに」
渾身の一撃を繰り出した直後、腕はもう上がらなかった。
「こんな大技出したら流石にもうマナもないわよね」
前屈みの喉元を、包丁の柄が鋭く突いた。
顎が上がったところに、続いて胸へと膝が打ちつけられた。
弾丸のような勢いに負け、マーロンは自身の二分の一にも満たない体格に仰向けに組み敷かれた。
包丁の刃を喉に当てられ、大太刀を握る腕は、肘を踏みつけられて体重をかけられた。
「……何故、だ。がはっ、避け切れる範囲では、なかったはずだ」
「別に? 単に防いで、いなしただけよ。氷の塊の一つ一つを丁寧にね」
イトネンは哀れみの眼差しで見詰めると、包丁をマーロンの首元から離す。
そしてその切っ先で、彼の瞳に映る自身の姿を囲うようにくるりと円を描いて見せた。
「人が防がなきゃいけない範囲ってそんなに広くないのよ。
角度、距離、身のこなし、全てを使って自分の得物に隠れること。
力に劣る者が編み出した防御っていう小細工を愚直に使ったまでね。
それが戦いにおいて有効なのは、ヒュームが覇権を握る世界が証明してるでしょう?」
悔し気に強張る表情に、微笑みが優しく突き刺さった。
「さて、ここまでが優しくしてあげられるアドバイスよ」
――そして、微笑みは凶悪に歪んだ。
「ここからはシビアな現実の話。
今の技、貴方たちのことをよく表しているわ。
何故勝てないのか、本質を見極めもしないままに、ただ闇雲に膨れ上がった虚勢と力技で突き進むだけ。
逃げることと負けることの違いもわからず、ただただ遠吠えを繰り返す負け犬」
最高の技に下された最低の評価には、本来激昂しなければならなかった。
しかし胸板に当てられた手の平が、マーロンの命をどこまでも掌握して声を上げさせなかった。
「そもそものお話だけど、貴方、自分で思っているほど強くないわ。
力も技も頭も、何もかもが弱い。それで宿願がどうとか、笑わせるわ。
貴方程度じゃ冒険者ギルドなんか入っても犬死するだけ、止めておきなさいな」
糸目の嘲笑が雨のように降り注ぎ、誇りと自信をいとも簡単に穿っていった。
「レベル不足よ、ワンちゃん」
言葉の包丁がざっくりとプライドを抉って、勝負はついた。
それは、マーロンが味わう初めての完敗であった。
敗北を認めた表情に笑みを向け、イトネンは彼のメダルを引き千切って立ち上がった。
更に、既に握力も残っていない獣の手を蹴り付け、大太刀を放させる。
「な、何を……」
「貰っていくわ」
大太刀を拾い上げてにっこりと笑う彼女に、マーロンは絶望した。
手心を加えて貰おうなどとは思っていないつもりであった。
だが、祭でそこまでされることはないと甘く見ていたことは、認めなければならなかった。
今になって、覚悟が決まっていなかったと、関わってはいけない相手であったと思い知った。
「ま、待て……その刀は……」
「結構大きな魔物とか捌くのに良さそうね」
軽々と身の丈以上の刀を振るい去っていく彼女を追う気力は、既に残っていない。
仰向けに打ち倒された獣は、無念の雄叫びを上げた。
その様子を、単眼のコウモリが上空から見下ろしていた。
◇◇◇◇◇
二時街の様子を鏡面に映して、冒険者ギルドのサブマスターである地味な女性は眉を下げた。
「イトネンさん……本当に容赦してない。何もあそこまで心折らなくたって……」
隣で同じように画面を見詰める屈強なオカマは、リーゼントを整えつつ見守った。
「まあ、あの娘はうちのギルドには思う所あるからね。ああもするでしょ」
「思う所?」
首を捻る彼女に、オカマは肩を竦めた。
「ええ、昔ちょっとね。そっかシャチちゃんには言ってなかったわね。
この街のギルドは昔半分の数だったのよ。
料理人ギルドは、うちを抜けたイトネンちゃんが新しく作ったギルドよ」
「ということは……」
「そ、あの娘、うちの初代サブマスターなの」
道理で強いはずだとシャチは驚嘆の声を上げる。
同時にそれを今更聞かされたことに眉をひそめた。
このオカマには尊敬できる面も多々あるが、どうにも明かしておいてほしいことを教えてくれない節がある。
そこだけが不満であった。
用語解説
・大犬太刀
北ジェイクブ地方の永久凍土を駆ける凍大神フェンリルの脊髄を研ぎ澄ました太刀。
鋸のような刃に様々な形状の氷を纏い、自由自在な刀身を生み出す。
「技」は次の四つを確認している。「一尺氷刃」「六尺氷鎌」「二十一尺氷長巻」「百一尺大氷斬」
マナの容量が大きく、大技を除いて消費が少ない為、常に氷刃を展開して戦うことができる。
・一尺
約30センチメートル。
作内では東方にてかつて使用された長さの単位。





