3-15 料理人ギルド “オーナーシェフ” イトネン・カーレムス
晴天の下の二時街。
オレンジ屋根の民家が建ち並び、普段は色とりどり花を咲かせ、香ばしい匂いに満ちる出店通り。
今は全ての出し物が仕舞われて、石色の背景に人影が二つしかない。
メダル争奪戦が開始された一時街からそう離れていないこの場所で、藍色の獣人はもう一人の人影へと語り掛けた。
「――貴様を倒せば、わんは最強に、同胞の宿願にまた一歩近づくわけだ」
屈強な肉体は、藍色で縮れた体毛に覆われている。
藍色の体毛は鎖帷子と褪せた皮のジャケット、木綿のズボンに覆われている。
上背は2メートル程もあり、身の丈程の大太刀を背に備えていた。
顔の輪郭だけが愛玩動物のようにフワフワモコモコであるが、宿す眼光はどこまでも鋭い。
首から下げた金色のメダルと肩に羽ばたく単眼のコウモリが、彼が冒険者ギルド志望者であることを表している。
獣人の名は、マーロン・ポーチといった。
その眼光の先で、糸目の女性が微笑んだ。
「あら可愛いワンちゃん、遊んでほしいのかしら? お手とかお代わりはできる?」
「ふん、低俗な挑発だな。さっさと抜け」
白のブラウス、茶絹のロングスカート、三つ編みの栗毛を物腰柔らかそうな顔の側面から肩に垂らしている。
見た目だけで言えば、妙齢の一般女性、町人A。
女性の名はイトネン・カーレムス。
その手に束ねたいくつものメダルだけが、彼女の異常性を伝えていた。
「まさか挑んでくるつもりなの?
ワンちゃんってもう少し嗅覚とか利くんじゃないのかしら? 実力差とかはわからないの?」
「わかるとも。貴様らが参戦してまだ数分――貴様らを避ける参加者が多い中でその数のメダルを奪っているということは……積極的に、かつ圧倒的実力差で狩りを行っているということだ」
「あらわかってるじゃない」
「……だが、それがこの通り、無駄な挑発をして時間を浪費しているということは、わんには迂闊に攻め込んで来れないということに他ならない。故に、実力差は感じていない」
言いながら、マーロンは背負った大太刀へと手をやる。
女性は肩を竦めて、持っていたメダルをロングスカートのポケットへと捻じ込んだ。
「ふーん、意外と考えてはいるのね。どうも的外れ感はあるけど」
一向に挑発を止めようとしない女性に、マーロンは大太刀を抜いた。
水晶のように透き通った刀身に似つかわしくない野性的な鋸刃が露わになる。
獣の目線と並行に突きを構えるそれは、仄かに青い光を宿していた。
「綺麗、魔導具ね。サラーサたちが探してる魔剣っていうのはそれのことかし……」
「『二十一尺――氷長巻』」
会話の途中――間合いも詰めずに繰り出された青い一閃が、一直線に栗色の髪を掠めた。
突き出された刀身に氷が纏わりつき、凍てつく刃として鋭く、長く伸びたのである。
糸目の女性は数本の髪の毛をハラリと散らしながら横にステップを踏む。
顔のすぐ隣まで達していた氷刃は、剛腕が薙ぐと栗毛を追いかけるように迫った。
彼女は澄まし顔で腰から一本、出刃包丁を抜いて氷刃を受け止めた。
「氷の刃を纏う刀……間合いは自由自在ってことかしら。
そのギザギザの刃は氷がすっぽ抜けない為の返しなのね。砥石いらないし……包丁によさそうね」
氷刃は砕け、再び鋸刃が露わになった大太刀に、再度青い光が集まる。
「御託ばかり並べてないで、攻めたらどうだ軟弱者――『一尺氷刃』」
今度の氷は先程より短めであったが、刀身を肉厚に覆った。
青い大剣と化したそれを下段に構え、藍色の身体が駆け出した。
「マナの充填が早い……いえ、マナ消費の少ない技が複数あるのね……魔導具の練度はなかなか、と」
糸目の目前に迫った二の腕が、石畳に火花を散らしながら氷刃を振り上げた。
斜め下からの剣閃を包丁でギンと受ける。
振り抜いた剛腕がくるりと刃を返したのを見て、息を吐くことを諦めた。
ギン、ギン、ギンと鈍い音が三度鳴り、薄い唇は不敵に笑った。
「剣閃も申し分なし。いいわ、鼻っ柱の折りがいがありそう。
殺す気で来ていいわよ。料理人ギルドマスター、イトネン・カーレムス、参ります」
彼女は再び自らを襲う袈裟斬りを見切って潜ると、間合いを詰める為に一歩踏み出した。
マーロンの大太刀は氷刃込みで二メートル程、イトネンの包丁は三十センチ程、射程には天と地の差がある。
故に彼女は間合いを縮めたいし、彼はそれを許さなかった。
剛腕だからこそ成せるあり得ない速度の薙ぎ返しを、包丁は真っ向から受け止めた。
剣閃はそのまま振り抜かれ、彼女の身体は間合いから宙に吹っ飛ばされる。
「逃がさん。『六尺――氷鎌』!」
刀身を覆う氷が形状を変え、続いて長さ四メートルもの大鎌を顕現させた。
柄を身体全体で薙ぎ払うと、イトネンは包丁を立て、柄を延長線上で受け止める。
鎌状になった氷刃が、彼女の後方でぎらついた。
マーロンは鎌を躊躇なく引いて、栗毛の下の項に狙いを定める。
イトネンは宙で半身を返して、信じられないことに、残った片手の指のみで後ろから迫る刃を摘まみ止めて見せた。
そのまま引き寄せられる鎌に身を任せ、マーロンへと迫る。
「魔導具の悪いとこね、技名でどんな攻撃かバレちゃう」
間合いに入られることを悟ると、マーロンは舌打ちして大太刀を、武器を手放した。
「あらいいの? 間合い、入ったわよ?」
「貴様こそいいのか? 獣相手に間合いを縮めて」
亜種族、特にデスプードル族の身体能力はヒュームを軽くしのぐ。
俊敏な反射神経に強靭な筋肉、厚い毛皮は、圧倒的に近接戦闘向きである。
双椀が鋭い爪を光らせてイトネンを襲う。
包丁の刃を立てて片腕を防ぐも、剛毛の鎧に刃はほぼ通らない。
薄皮を傷つけるのみである。
もう一方の腕は柔軟な体捌きで何とか避ける。
数多の手数の攻防を経て、イトネンはバックステップを踏み距離を取る。
マーロンの両腕は血こそ流しているものの、未だ筋骨隆々と闘志を漲らせている。
――ただし、両者の顔色には確かな差がついていた。
肩を包丁でトントンと叩き全く無傷のイトネンと比較し、マーロンには息の乱れがあった。
毛先からは冷や汗が滴り落ちた。
マーロンは口惜しさを抱えて分析した。
致命傷は受けていない、攻撃も受けられている。
対応できている――今の内は。
決して長い攻防でもないが、遠くない未来にこの拮抗は崩されるとの確信があった。
「……修行を欠かしたことはない。魔導具の能力に胡坐をかいたわけでもない。そして、たった数分もやり合っていない。
にも関わらず、何故、わんは劣勢にいる。何故軟弱なヒュームに、追い込まれつつある」
誰に語りかけるわけでもなく零れ落ちた言葉。
それに薄ら笑いのイトネンが答えた。
「腕力だけじゃ勝てないわ。それって真の強さじゃないと思うの」
聞き飽きた説法だと思った。
かつて力でねじ伏せた師も同じことを言っていた。
彼女も同じ域にいるのなら、勝てないわけはないと思った。
「貴方は脳みそが足りてない。あと悪意も足りない。所詮は犬畜生並み、全然ダメね」
それが説法ではなく、侮辱だということが判明して、全身の毛が逆立った。
そして彼らに向けられる侮辱は、いつも同じ言葉に帰結する。
「……流石は『負け犬』の種族といったところかしら」
鋭い眼光の奥で、プツリと糸が切れた。





