3-14 The night is long that never finds the day.
――コール『熱水ノ蛇』。
やっと霧が晴れた庭園にまっすぐ立つ金髪の令嬢。
彼女は再びその身を囲んで浮遊する二色の粒子を混ぜ合わせ、水の蛇を創り上げた。
ボロボロの学生服に身を包む赤毛の少女は肩を上下させ、その光景に眉を歪めた。
「……明けない夜はない。
下賤の者たちが希望に縋る為によく使う言葉ですわ。
確かに、この魔法が晴れるように、明けない夜はないでしょう。
ただし、そこに希望が待ってるなどというのは大間違いですわ」
再度出現した水蛇が威嚇音を奏でる。
本来はいちいち集歌でマナを集めなくてはいけない関係上、魔法の連発はできない。
しかしどのようにやったのかは、ライチが持つ知識の及ぶ範囲内であり、彼女は想像力に欠けた自分に腹を立てた。
一手、蛇に追わせる間に水の集歌を唱え、霧の発生と同時に氷柱を降らせる魔法を発動。
二手、獲物が逃げ回っている間に、蛇の『合集歌』を唱え、『待機』しておく。
三手、そして霧の効力が切れると同時に、再び水蛇を召喚する。
「……魔法の効果時間をよく把握してるのね……後は繰り返すだけってこと、かしら?」
「おーっほほほ! 夜明けに希望などありませんの! あるのは、確かな身の丈に合わせた変わらぬ世界だけですわ!」
「回りくどいわね、何が言いたいのよ」
「分をわきまえなさい。諦めなさい。生まれ持った身分と才能で決まった人生は、覆せないのですわ!」
横暴な持論を叫んで指先で合図、水蛇を猛進させ、「『靡く雫よ』――」と続く水の集歌を唱え始める。
青い光が集い、氷柱の雨を用意する。
同じ絶望の繰り返し。
これほど人の精神を害する攻撃はない。
いつ終わるとも知れない恐怖は、いずれ人を屈服させる。
ガーネット・ファーレンフィードはそうして多くの歯向かう者共を屈服させてきた。
その経験から来る自信のせいで――ライチ・カペルが浮かべた笑みの意味がわからなかった。
「上等じゃない」
額から伝う血を口元で拭って、赤毛の少女は青い瞳に強い光を宿す。
そんな者は、ガーネットの前に現れたことがなかった。
赤毛の少女が吠える。
「『靡く、雫よ』!」
凛とした声色でライチが叫んだのは、対峙相手と同じ水の集歌であった。
唱えながら、猛進する水蛇へと一歩を踏み出すも、歯噛みして今回は前進を諦めた。
また横っ飛びに水蛇を避ける。
「『忌み憎まれし小僧は』! 『大海、知らずして』……」
庭園の芝を転げながら集歌を唱える少女を見て、ガーネットは同じ歌を唱えながら安堵した。
田舎女の集歌は、その歌の進行に比べ集まる青い粒子が極端に少ない。
集歌により集められるマナの量は、生まれ持った才能による。
マナに愛されなかった者は、歌を唱え終わっても微量にしか粒子を集められない。
マナに愛された者は、たった一言で大魔法を行使できるほどの粒子を集める。
それが誰もが身を置く、確かな身の丈に合わせた変わらぬ世界である。
――早口で先に集歌を終えたのはライチであった。
先程同様に上空から再接近する水蛇を睨み、彼女は腰袋から魔導符を取り出した。
「コール! 『氷ノ鍛冶師・短剣』!」
片手の平に収まる程度の青いマナが、ポンっと氷のナイフを形作った。
それはガーネットが何本も落とす氷柱の一本よりも小さく、彼女の失笑を誘った。
堕ちる熱湯の水蛇は回避される。
されど地に激突したそれは再び辺りを包む濃霧の迷宮へと姿を変えた。
「ふん、コール『氷柱ノ雨』」
霧全体を覆う氷柱の雨は、その中から獲物を逃さぬ為、外側ほど激しく降るように魔導陣を組んでいる。
霧の牢獄の中から聞こえるのは、キン、キン、と氷柱を弾く音。
赤毛の少女が出した氷のナイフでは、その程度の場しのぎにしかならない。
あの不敵な笑みも、自分を挑発して戦法を狂わせたがっているに過ぎない。
実力の差は歴然である。
何も変える必要はない。
ガーネットは再び水蛇を準備するべく詠唱を始めた。
霧の中から叫ばれる田舎女の気高い声を、煩わしく感じながら。
「ねえ! あなた言ったわよね、夜明けに希望なんかないって!」
煩わしい。
声色が、口調が気に入らない。
「あなたの言う通りと思うわ!」
煩わしい。
そう言うなら早々に諦めればいい。
「何度も、何度も絶望の夜を過ごしたことがあるわ。その夜は何度も明けはするの。
でも、お日様は希望なんか用意してくれなかった。知らん顔で沈んで、また絶望の夜を連れてくるだけ」
煩わしい。
もう蛇の準備はできた、また絶望をくれてやる。
「……助けてくれたのは、同じ絶望の夜で迷ってた人だった。
その人は夜の闇にも負けずに輝き始めて、私たちの希望の光になってくれた!」
煩わしい。
そんなもの、自分の時にはなかった。
「彼を見て気付かされたわ!
明けない夜はない……本当の意味でそう願うなら、自分自身が希望の光になって夜を照らさなきゃって!」
煩わしい。煩わしい。煩わしい。
「煩わしいですわ! ステイ『解放』、コール『熱水ノ蛇』!」
霧が晴れた。
庭園のアーチに絡むジャスミンの花が、貼りついた露の一滴を落とした。
赤毛の少女は三度迫り来る水蛇へと立ち向かって駆ける。
「自暴自棄ですわね!」
「そうでもないわよ」
ガーネットの真紅の瞳が見開かれた。
田舎娘が地面に身を擦って滑り込み、熱湯の蛇の腹下をくぐり抜けた。
「マナは飽き性……! 先輩の蛇さん、少し小さくなってるわよ」
「く、『集歌減退』を……!」
――これもライチが諸先輩たちに聞いた知識である。
集歌で呼び寄せられる精霊たちは、常に従順なわけではない。
何度も呼びつけられれば、その一帯のマナは段々と術者への興味を失っていくのである。
動員できるマナが少なくなれば、魔法の規模もその分だけ小さくなる。
そしてやがて、とある別世界ではMP切れと呼ばれる魔法を使えない状態になる。
――水蛇の減退は、現時点では微々たるものであった。
希望を捨てずに観察した者だけが気付くことができる活路を通り、青い瞳は真紅の瞳へと間合いを詰める。
「小癪な……!」
水蛇はライチを追尾し、上空から降下してくる。
赤髪の健脚は、避ける素振りも見せずぐんぐんと距離を縮めた。
「ここまで近づくのにあの一瞬が必要だった。もう蛇は落とせないわね?」
両者に大火傷の恐れがある距離。
ガーネットは苛立たし気に歯噛みして、蛇を庭園の奥に落とした。
その手間に使った数秒が勝敗を分けた。
「芋女が無駄な足掻きを……接近戦なら勝てるとでも? 『靡く雫よ』! 『忌み憎まれし小僧は大海知らずして』!」
唱え、魔導書のページをめくるガーネットの目前に、ライチから一枚の魔導符が突き付けられた。
「お探しのページにはこの魔導陣が描かれてるのかしら?」
それは氷で武器を創り出す魔導符であった。
集歌は、たった今ガーネットが唱えた分がある。
「コール『氷ノ鍛冶師・槍』!」
青い光はライチの握る魔導符へと横取られ、氷の槍を創り出した。
「この、芋女ぁ!」
怒り心頭のガーネットから飛び出したのは鋭い蹴りであった。
本当に接近戦にも自信があったらしいことが覗えたが、長年槍で魔物を相手にしてきたライチが制するのは容易かった。
柄で蹴りを受け、潜り込ませた石突で軸足を撥ねる。
完全にバランスを失ったガーネットの上体を小突き、尻餅を付かせる。
切っ先を顔に突き付けて――勝負あった。
「……この、私が……」
敗北の証を見詰める瞳孔は酷く困惑していて、唇はわなわなと震えていた。
少なくとももう逃げた悠太を追いかける気力はなさそうだと、ライチは一息だけ吐いて早々に槍を引いた。
「じゃ、私行くね」
多く言葉をかけることはしなかった。
多分打ちひしがれているから。
「……お待ちなさい」
だから、呼び止められたのは意外であった。
振り向くと悔しそうな赤い双眸がライチを見上げていた。
「……何故、私が土を付けられていますの?
私の魔法は完璧だったはずですわ、だのに……それを魔導書も持たない田舎者に、納得いきませんわ!」
段々と調子の戻ってきた姿に少しだけ安心して、ライチは頭を掻いた。
「はあ……じゃあ、言うけど、あなたの敗因はその驕りじゃないかしら?
勝手に私が絶望すると思い込んで、折角用意してた接近戦への対応が遅れた。
貴女の価値観を通して見た才能のない私は、繰り返される水蛇に絶望して逃げ惑わなくてはならなかった……まったく、冗談じゃない」
ライチとしても言いたいことがなかったわけではないので、ここぞとばかりにずばずばと感じたことを投げかける。
「魔法の才能がないのは認めるわ」
集歌を唱えても、ほとんどマナを集められない。
そんなコンプレックスは出身の村を荒らした化け物、大蔦豚の前で何年間も苦悩していた。
そして、彼と出会って、苦悩し続けて……諦めずにいて良かったと心から思った。
「……ただ、私は才能如きじゃ何も諦めないわよ」
ガーネットの瞳が震えて、彼女はがくりと肩を落とした。
今度こそ勝負ありと、踵を返して去ろうとしたところであった。
◇◇◇◇◇
――霧の晴れた庭園の空に、大音量の声が響いた。
「――ど、どうも! お騒がせしてます!
冒険者ギルドです! 参加者さんが街中に散らばってるのでこういう形でのご案内をご容赦ください!」
ライチは身を竦めて上空を仰ぐ。
「わっ、な、何なのよ?」
へたり込む金髪の少女は、何もかもどうでもよくなった様子で虚ろな瞳を天に向けた。
「……風の魔法、『空ノ伝声』。そういえば去年も気球飛ばして空から喚いてましたわね」
どうやらこの声は冒険者ギルドの運営者によるアナウンスらしい。
もしかしたら悠太の助けとなれる情報があるかも知れないと、ライチは耳を傾けた。
「ええと! 只今、入団祭の開始から約一時間が過ぎました!
なので! 今年もボーナスチャンスとしてギルマス有志の方々が参戦されます!
参戦されるギルマスさん五名は、それぞれメダル十枚相当のボーナスメダルを所持しています!
我こそはという方は是非挑戦してみてくださいね!」
なるほど、文字通りボーナスステージというわけである。
「参戦されるギルマスさんを読み上げます!
料理人ギルド、“オーナーシェフ”イトネンさん!
武器職人ギルド、“大鍛師”サラーサさん!
大工ギルド、“大棟梁”ハンサさん!
調教師ギルド、“クイーン”サーバ様!
魔導具ギルド、“名誉博士”アシャラ老!」
狙い目はわからないが、それぞれがどういった相手なのか、それを調べて悠太に報せることは悪くないサポートと思い、ライチは情報収集に走る。
ボロボロの制服の田舎女を見送ったガーネットが、ぼんやりと呟いた。
「……本当に、無知ですわね。
ギルドマスターたちは正真正銘、貴女たちなど足元にも及ばない。異次元の存在ですわよ」
――大空に響くアナウンスを合図に、ある者は静かに、ある者は乗り気で、ある者は欠伸をかみ殺して……牙を剥くことにした。
「なお! 各ギルマスさんも積極的に参加者さんを狩りに来るのでご注意を!」
用語紹介
『集歌効率』
集歌を全て詠唱した際に集まるマナの量から測定される術者のマナを集める効率。
『令歌変換率』
術者が一度の令歌で魔法として働かせることができるマナの量。
『集歌減退率』
術者が集歌を繰り返し唱えた場合に減少するマナの割合。
初めてがっつり主人公以外のやり取りを描写しましたので、ご感想など頂けたりすると大変励みになります!





