3-13 魔導師ギルド ガーネット・ファーレンフィード
――時は遡って、九時街。
魔導師ギルドが統治する街には、天を衝く荘厳な建造物がある。
ギルドが抱える魔法研究の最高峰『魔導学院』には、多くの学ぶ者と教える者が集う。
学ぶ者の服装は格式を重んじつつも慎ましやかな深い赤色の学生服である。
闖入者に騒めく魔導学院の女子寮。
白と黄色のジャスミンがフラワーアーチに咲く裏の庭園で、二着の臙脂色のブレザー服が相対していた。
「私、理解できませんわ。魔導師ギルドの入団祭出し物は『冒険者ギルド狩り』と、説明を受けましたでしょう?」
派手な金髪を巻いたガーネット・ファーレンフィードは苛立たし気に、立ち塞がった赤毛の少女を睨んだ。
「えっと、取り上げたメダルの数に応じて高位魔導師の指導を受けられる、だっけ。魅力的な話よね」
「魅力的とお思いなら、狙うべき相手は今しがた逃げましたあの田舎者の男ではなくて?
まったく、街門での私の忠告も無視して入団した挙句、狩るべき獲物を庇い立てするとは並外れた低能ですわね」
「あら、あなたこそ入団祭の説明聞いてたの?
メダルの争奪は早い者勝ち。
同じ冒険者を狙う者は競争相手だからお互い切磋琢磨しろと、ギルマスのお爺さんはそう言ってたわよ」
話し合いで通すつもりがないと見抜くと、ガーネットは腰に下げていた金細工の装飾が施された魔導書を手に持った。
「競い合うだなんて笑わせる。魔導書もない芋女が私を食い止められるとでも思って?
……いいですわ。あの生意気な田舎男の前に、貴女に……そうね、これはそう、指導。
世間知らずの芋女に、このガーネット・ファーレンフィードが自ら魔法の何たるかを指導して差し上げますわ」
開いた魔導書に描かれた幾何学模様がギラギラと光る。
「……ご教示賜るわ、先輩さん」
対する赤毛の少女――ライチ・カペルは腰袋の魔導符に指をかけた。
――さて、『魔法』とは。
『集歌』と『令歌』と呼ばれる二種類の詠唱により発動する超常現象である。
大気中に漂う極細の精霊であるマナの興味を惹き、集める歌が集歌。
集めたマナが魔法としてどのように動くか、命令する歌が令歌。
集歌で集められるマナの量と効率には個人差がある。
またマナは飽き性で、集歌を唱えていないとたちまち霧散してしまう。
「――精霊たちの飽き性を不便に感じた先人たちは、彼らを拘束する魔法を考案しましたわ。覚えておいでかしら?」
「街の入口で見せてもらったわね。
『待機』の魔法……集歌で集めたマナが霧散しないように待機させる魔法」
「ご名答。勿論、待機させたからにはいつでも使えなくてはなりませんわ。
では、街門ぶりの再会ですわね。マナ待機、解除」
金髪の巻き髪を揺らして、魔導書から解放された夥しい量の赤と青の光が散りばめられる。
「……コール『熱水ノ蛇』」
ページに記された魔導陣が輝く。
赤と青、二色の光が渦巻いて混ざり合い、蒸気を纏う透明な大蛇を形作った。
頭部の大きさはガーネットの身体と同じほど、宙にうねる胴は頭部の大きさに比例してどこまでも長い。
令歌は、本来「何になって、どこに、どのように、何をしろ」と具体的に魔法の指示を出す必要がある。
この過程を省略するべく、あらかじめ令歌の内容を文字に起こしたものが魔導書や魔導符に記される『魔導陣』。
魔導陣を『コール』の合図でマナに読み取らせ、令歌の代用とする方法がある。
「……『略令歌』ね。
うん、『待機』で集歌を省略したことといい、定石通りの初手みたいだけど?」
見上げる巨大な蛇に唾を呑みつつも、ライチは冷静に分析した。
赤毛の新入生は入団の手続きを終えてすぐに、あちこちに魔法のいろはを聞いて回っていた。
新人が多い時期ということもあり、諸先輩たちは優しく自慢げに色々なセオリーを教えてくれた。
魔法は強力だが、どうしても集歌でマナを集める手順がある以上、戦闘では初手が出遅れる。
その為、戦場に身を置く魔導師のほとんどが事前準備として、一つ目の魔法に使うマナをステイにより確保しておくのである。
金髪のガーネットが取った初手は、正にセオリー通りであった。
「偉そうに高説垂れてくれたわりには、つまらない幕開けじゃない?」
ライチの挑発にガーネットは眉一つ動かさなかった。
見栄と名誉が重要視される貴族の社交界に生きる彼女にとって、嫌味は挨拶ほどに日常的である。
「安い焚き付けですこと。さあ、水蛇よ……」
開戦の合図は、赤毛に向けられた白雪のような指先であった。
「――お行きなさい」
少しだけ低めた声色。
水蛇を模した魔法はシャッと鳴ると、長い胴をくねらせ狙いを定めた。
猛進する水の大蛇に対し、ライチの武器はいくつかの魔導符だけ。
槍も、雲鼠も、寮に残してきた。
分が悪い勝負。
劣勢を裏付けるかのように、蛇の速度と範囲は想像を上回った。
大蛇の突進を寸でのところで身体ごと横っ跳び、回避する。
通過する水しぶきが頬にかかって、魔法を理解した。
「熱っ……熱湯の、蛇……!」
まともに食らえば大火傷というわけである。
ライチは避けた後、躱してやったことを主張すべく術者を見返した。
「当たらないわよ」
散々挑発したのもそうだが、ガーネットの冷静さをできるだけ失わせたかった。
それは悠太を追わせない為であり、そして勝ちの目を出す為でもある。
ガーネットはさして気にした様子もなく、ただ「乗ってやってもよい」とでも言いたげに堂々と次の攻め手に移った。
「ふん――『靡く雫よ、忌み憎まれし小僧は大海知らずして』……」
「水の集歌……?」
あまりにも堂々と集歌を見せる姿に違和感を覚えた。
おかげでライチは視界の端、上空でうねり引き返してくる先程の蛇に気づくことができた。
舌打ちして飛び退くと、蛇は真上から勢いよく地面に激突して……辺りを包む湯気の霧へと散らばった。
「目隠し!? 熱湯の理由はこっち……?」
火傷やらのダメージだけが狙いなら素直に火の蛇を出せば良い。
わざわざ熱湯の蛇とした理由は、敵への目暗ましらしかった。
とにかく霧の範囲から逃げ出したかったライチに、霧の外から更に追い打ちがかけられた。
「ふふ、コール『氷柱ノ雨』」
濃霧の中、唱えられた略令歌が命じた魔法は、肩を斬りつける痛みとなってすぐに現れた。
「つららの、雨……くっ、霧で見えない」
白い闇に覆われた頭上から、今度は一際大きな氷柱が落下してきた。
氷の欠片が散らばる芝生を転げて回避しながらも、その先でまた小さな氷柱に斬りつけられる。
影や圧で接近を察することができる大きいものよりも、小さな氷柱の方が厄介であった。
「なるほどこの濃霧じゃガーネットからも私は見えない……だからこの霧の範囲全体を攻撃するって発想ね」
よく出来ていたのは、霧の外側ほどつららが激しく降ってくることである。
ライチは霧と氷柱の檻に捕らわれたことになる。
「さて如何かしら? 逃げ場のない霧の迷宮と氷の刃……おーっほほほ!
思い知りましたかしら! これが私がダブルソーサレスミストウィッチと呼ばれる由縁ですわぁ! おーっほほほほ!」
耳に悪い笑い声はご満悦の様子で勝利を宣言した。
痛々しい二つ名が自称か他称かだけは気になったが、構っている時間はない。
氷柱に眉をしかめながら、ライチは攻略法を考えた。
彼女の鼻っ柱を折る為に、霧が晴れた後、どうするべきか。
そうして耐える間にも着実に、氷柱の刃は支給されて間もない制服を切り裂き、その下の肌を傷付けていった。
「大丈夫、落ち着いて、私……明けない夜はないんだから」
ライチの頭は冷静であった。
魔法の効力も無限ではない。
精霊は飽き性。
一通り令歌の指示通り働けば、また大気中に散っていくはずである。
「霧は……必ず晴れる」
魔法は集歌を挟む関係上、連発はできないはずである。
勝機は霧が晴れた後の一瞬と踏んだ。
希望を見据えた言葉の通り、白霧と氷柱の雨は段々と薄まって、庭園の景色に輪郭がついていく。
――そして、ライチの視界に映ったものは、赤と青の光であった。
「ステイ『解放』、コール『熱水ノ蛇』」
二色の光が混ざり合って、再び水の蛇を創り上げた。





