3-6 まいごのゆうたくん(17)
「……迷ったか、な?」
せめてもの抵抗でつけた疑問符。
迷ってしまったかも知れないとの自負は、ある。
学ランをはためかせる少年は、石畳の道で汚れたスニーカーの脚を止めた。
旅行誌にでも載っているような西洋風の建物が並ぶ道を進んで、三十分くらいであろうか。
石造りと木造の街並みの物珍しさにもすっかり慣れてしまった。
宿場町で貰った地図曰く、冒険者ギルドは円形の首都内の北北東あたりに位置している。
悠太とライチが入った南側の街門からは真っ直ぐ北上ができなかった為、迂回して進むこととなる。
「一本、隣の道かな」
迂回しているのだから道がカーブしているのは当然なのだが、少し曲がりすぎているような気がして一つ隣の道に移った、のが間違いの始まりであった。
「今から戻るか……いや、ここからこっち方向に行けば、元の道と交わってるはず……」
とても身近なコンコルド効果。
素直に引き返すには、歩き過ぎていた。
気づけば立ち尽くすその場所は、もの寂しい資材置き場のような区画であった。
人影は見えない。
空き地に積まれた丸太や角材、樽、箱、それらが在るだけの静寂は、街の入り口の喧騒からあまりにもかけ離れていて、ようやく悠太は認める。
「うん、絶対違う」
今までの道程が無駄になる虚無感を溜め息で誤魔化して、少年はしぶしぶ踵を返した。
引き返すのは木箱と樽が散在する長いだけの裏路地。
――そこに人はいないと思っていたから、驚いた。
「迷子にゃ?」
「おわぁ!」
心臓が跳ねて一歩二歩、後退り。
こちらの驚きは意にも介していない様子で、その女の子は爛々とした瞳で悠太を見上げていた。
猫耳、のように角ばったナイトキャップと、青いパジャマ姿。
抱えた本は枕くらいの大きさ。
キャップから覗く青髪には、ぼさぼさの寝癖がついている。
これだけ眠そうな外見にも関わらず、見上げてくる表情からは眠気はまったく感じられない。
元気いっぱい、興味津々といった言葉が似あう。
「兄ちゃん、迷子だにゃ?」
もう一度尋ねられても、まだ鼓動がうるさく上手く回答ができない。
「いやあのええと、そうじゃなくて……」
「否定するあたり、舐められたくないっていう下らないプライドを感じるにゃ」
「何でだよ」
「さては兄ちゃん、田舎者にゃ? お上りさんにゃ? 地方民にゃ?」
繰り返される田舎者呼ばわり。
流石に先程出会った金髪のお嬢様から引き続きとなると、怒りの一つも込み上げてくる。
「うるさいな、ああそうだよ田舎者の上にいい歳して迷子だよ。悪いか」
大人げないムスッとした声。
対する少女の顔は、大輪の花を咲かせた。
「大歓迎にゃ!」
「へ?」
返された予想だにしない言葉に、今度は間抜けな声が漏れる。
女の子はくるんと回って、路地に転がる木箱にぴょこんと跳び乗った。
それをステージに見立てて、何やら熱い演説が始まる。
「――このカージョナは、それはそれは素晴らしい街にゃ! 世界一の街にゃ!
多分、こんなに賑やかで便利で綺麗な街は他にないにゃ!
みんなみぃんな、カージョナに住めばいいのにゃ!
……でも、世界にはあまりにも多くの人たちが暮らし過ぎてるにゃ……みんなはこの街に入りきらないにゃ。口惜しい。
この街に触れることなく生涯を終える哀れな子羊たちが、嗚呼、可哀想すぎにゃ……」
面食らい、まったく反応できない悠太は目をぱちくりさせながら演説を眺める。
ただただ、風変りな語尾だなとだけ考えていた。
「だからミーは一人でも多くの人にこの街の良さを知ってほしいのにゃ!
故に、田舎者のお上りさんは歓迎にゃ!
迷子になるくらい案内し甲斐があるなら大歓迎にゃ! さあ、どこでも案内するにゃ!」
短い腕を広げて、じゃん、と決めポーズ。
どうも釈然としないが、まずは冒険者ギルドに行かなくては元の世界に帰る手がかりも探せない。
そしてこの女の子の言い草からして、ギルドの場所も知っていそうではある。
であれば、素直に案内してもらうのは悪くない。
「うん」
悠太は頷いてから、一つだけ確認しておくことにした。
とりあえずステージに立って尚も低い彼女と、目線の高さを合わせる。
「君、お父さんとお母さんは? 迷子になっちゃった?」
「話聞いてたにゃ?」
聞いてたけれども。
「……まあ一応さ、常識から外れるには色々と確認が必要なんだよ」
案内してもらうのはいいが、元の世界の倫理観に照らし合わせて傍から見れば完全に連れ歩き案件である。
事案になりかねない以上、慎重にもなる。
「何かよくわからにゃいけど、結局どうなのにゃ? どっか行きたい場所があるんじゃにゃい?」
ひとまず敵意はなさそうだし、堂々とした振る舞いから本当に迷子ではないようである。
かなり流暢に話しているし、年齢も思ったより低くないのかもしれない。
ともかく、初めての街でこれ以上迷う余裕はないので悠太はありがたく好意に甘えることにした。
「うん、じゃあ案内お願いするよ。俺は山田悠太、君は?」
「ミーは『サマーニャ』にゃ! じゃあヤマダ、早速どこ行くにゃ?」
「……俺、冒険者ギルドに行きたいんだ。街の北の方らしいんだけ……」
「お任せにゃ!」
言葉尻を食い気味に胸を叩いて、サマーニャは抱えていた藍色の装飾がされた本を開いた。
――開いたページには、魔導陣が描かれていた。
――風の集歌。
揺蕩う風よ、古寺奔りて夜な夜な猛り、燈篭返し気楽な猛り、窮する童の目論見の、侮り蔑み撥ねつけ固まり、野風流れて童は三衣、天狗の長屋は大慌て、終の立木と頭垂れ、窮して乞いて詫びの歌、慈悲は三衣に言寄せて。
「たゆたえ! コール・エアクロークにゃ!」
一瞬の出来事であった。
悠太とサマーニャの周りを夥しい空色の粒子が囲ったかと思うと、突き上げられる感覚と共に視界が一転し、浮遊感に包まれる。
目の前に広がるのは、オレンジ色の葺屋根たちと地平線。
見下ろすと、路地は足先の遥か下だである。
「とと、飛んでる!?」
纏わりつく空色の風は、雲鼠に乗った時より激しい気がする。
そして雲鼠がわずかに身体を浮かせて地面を蹴るのとは違い、今回は本当の本当に空を飛んでいる。
「舌噛んじゃダメにゃ?」
「これ、君の魔法か……?」
略令歌を唱えていたからまず間違いないが、にわかには信じ難かった。
特に、彼女が唱えたあまりにも短い集歌が、あまりにも多くのマナを集めたことに驚いた。
「そうにゃ、『風ノ衣』は飛べるから便利にゃ!」
一言で片付けられてしまったが、少なくとも元の世界で飛ぶという偉業を体験するには、未だにそれなりのお金と手続きが必要である。
改めて魔法というものの性能の高さに驚いていると、身体に一層強い風が吹きかかり、堪えることも出来ずに吹き飛ばされる。
少々落ちないか怖い。
「まずはこっちにゃ!」
「まずは、って、おい!」
まずも何も、目的地は冒険者ギルド一択なのであるが。
しかし身体の自由は効かず、悠太の身体はサマーニャを追うように首都の空を飛ばされるのであった。





