3-2 初めてのイクイップ画面、初めての装備、初めての夜
多少軋む宿の廊下を歩いた先。
「本当に、今夜はお楽しみではないのですか?」
黒髪おさげの頭にオレンジの三角巾、エプロンをかけた宿屋店員が……さっきからずっと信じられない声をかけ続けてくる。
恋に恋した少女のような大きい瞳は、不満げにライチへと向けられていた。
「い、いいえ、ですから結構です。隣の部屋、ユータに割り当ててくれたんですよね?」
「むー、そうですけど……お若いお二人が同じ屋根の下で一泊……もったいない」
エントランスに二人で入った瞬間からこの調子であった。
少なくとも悠太のいた世界の接客業からは絶対に聞けない台詞である。
通された部屋は茜色の差し込む質素な個室。
正面には木枠の腰窓、その手前にベッドが配置されており、壁際には鏡台と椅子が置いてあった。
天井には電球が吊るされていた。
三人で入ると窮屈、二人だと少々手狭であろう。
多分隣には同じような間取りの一室がある。
「青春は一度きりですからね? 私、一度でいいから言ってみたいんです。昨晩はお楽しみでし……」
最後までしつこい店員を「はいはい」と追い返して扉を閉めると、ライチは盛大に溜め息を吐いた。
「なんか、出がけからこんなのばっかね?」
「あはは、気にしてたらキリないな……えーっと、まずはカーレ爺さんから貰った荷物の整理するんだっけか?」
内心のどぎまぎを押し殺して、悠太は話題を逸らした。
後に部屋を引き上げるとはいえ、散々恋人扱いされた相手と同じ部屋にいるのはきつい。
夕日が顔の熱さを隠してくれるので、多分顔色はバレていない。
「そうね、とりあえず中身は確認しておかなきゃ」
提案に乗ったライチは入り口に纏めた大きな革袋の一つを抱え、ベッドに腰かけた。
手持無沙汰の悠太は元から自分に宛がわれた荷物を引き寄せ、退散の準備だけ進めておく。
「ええと、カーレお爺ちゃんのことだから役立つもの入れておいてくれてると思うの」
そう言ってガサゴソと袋を漁る彼女が、早速何かに気付いた様子で腕を止めた。
「これって……?」
引き抜いたのは、一対の黒い篭手であった。
覗き込んでみると、それには何の装飾もされておらず、結び紐すらなかった。
「ごめん持ってて。手紙もあるわ。あなた宛、村長からね」
手に取った篭手は革製品のような質感で、そこまで重量はない。
「ええと、ユータ殿へ……」
――貴殿、村の長年の憎しみを断ち切ってくれたことを感謝申し上げます。
早々に旅立つとのことで、大恩を返しきれませぬことをお許しください。
せめて旅の心願成就を祈りたく、餞別の品に『大蔦豚の篭手』をお送りいたします。
拳で大敵に立ち向かう貴殿の旅にお役立て下さい。
「……ですって」
感謝の言葉と共に綴られていたのは篭手の出自と、悠太への見解であった。
「俺、バビルーザを殴り倒したことになってんのか」
「まあ、傍目にはそうよね。それで篭手を作ってくれたみたい」
「それにしても大蔦豚の……って、じゃあこれあいつの?」
「ええ、マナの波動を感じる。多分、魔導具って呼ばれる類のもの、になると思う」
「まどうぐ? 魔法の道具ってか?」
「うん……確か、大物の魔物の素材を使った道具よ。
私も詳しくはないんだけど、『大鯨の天蓋』くらい有名なやつなら話は知ってるし、灯具みたいな魔導具なら昔は村にもあったから……」
言いかけた彼女が見上げたのは、部屋の天井に吊り下げられた電球であった。
「あ、これも多分魔導具の一種よ」
一見して何の変哲もないそれを改めて見ると、悠太の知る電球とは少し異なっていることに気づく。
雫のような形状は同じだが、ソケットはなく、中には金属線の代わりに、赤い短毛が一本だけ留められていた。
「外も暗くなってきたし、点けてみよっか。これは……『一本灯し』、かな」
あまり扱ったことがないのか、自信のある呼びかけ方ではなかった。
しかし、彼女の言葉に呼応するように、灯具の中の毛が赤い粒子を集めた。
その粒子には見覚えがあった。
ライチが戦っていた時、悠太がレベル上げをした時――集歌という詠唱を用いて集めた光……マナである。
感嘆する視線の先で、その魔導具はポッと中の毛に光を灯した。
光量は保安灯より少し明るい程度――温かくて優しい明かり。
同室内で顔を判別するのに苦労はなかった。
「おー、点いたわね」
「すげぇ、これって……魔法?」
「うーんと、マナの力を借りる点は魔法と同じはず。
ほら魔物って集歌もなくマナを操れるでしょ? だからか、とりわけ強い魔物は死んだ後の素材もマナを纏うんだって。
魔法と違うのは、使う人自体はマナに愛されてなくてもいい点と、特定の言葉での呼びかけに決まった反応しかしないから、令歌や魔導陣みたいにしてほしいことを指定できないってことかしら」
話し方に伝聞や疑問の表現が混ざるあたり、カペル村ではあまり一般的ではなかったのかも知れない。
それを裏付けるかのように、彼女は篭手をじっと不思議そうに見つめる。
「でも……武器や防具の魔導具はすごく珍しいって、私も見るのは初めて。これが……あいつの」
ライチの顔が曇ったのは、多分この篭手を通して村の宿敵が脳裏を過ったからだであろう。
彼女は少し顔を俯かせてから、こちらに視線を向けた。
「つけてみてよ。きっと役に立つと思う」
「いいのか? その……バビルーザのだけど」
「恨みは、忘れないと思う。でもお爺ちゃんたちの顔見たら気は晴れちゃったもの。それに、ユータなら力の使い方も間違えないだろうし」
「……そっか」
きっと言っていることの百パーセントが本音ではない。
ただ彼女はそう在ろうとしている。
ならばあえて拒むこともないだろうと悠太は篭手を前腕に嵌めた。
「でもこれ、結ぶ紐がないから何かで固定しないと……」
肘から手の甲を覆う篭手は、支えないとすぐにずり落ちる。
どんな武具も、装備できなければ使えない。
これはゲームでも定番の鉄則である。
不思議に思っていると、不意に篭手が緑色に輝き、黒い表面に緑に蛍光するラインが入った。
「うおっ」
怯んで篭手を手放すも、縁から伸びたツタが勝手に腕に巻きつき、悠太は半ば強制的に『大蔦豚の篭手』を装備することになった。
「すげぇなこれ……ちゃんと外れるのか?」
「ま、まあツタを切れば外れそうだけど……それより、どう? 何か技とか、使えそう?」
「えーっと、期待にお答えしたいとこなんだけど……」
生憎、悠太もこの篭手の使い方など知る由もない。
適当に力を入れてみたり振り回してみたりするも、特に不思議な力は発動しなかった。
誰が悪いわけでもない沈黙が居心地悪くて、何か手がかりはないかと思いを巡らせる。
そして思い出したのがすっかり武器として使っていた『あの板』であった。
「そっか、ステータス見れば何かわかるかも」
なんだかんだ危ない代物なので戦い以降は村の中でも出すことはなかったが、本来のステータス画面とは、こういった初めて加わった仕様を確認する為にあるはずである。
ライチを退がらせて、ステータス・オープンと宙に念じて光の板を浮かべる。
すると、無機質な画面に見慣れないメッセージボックスがポコンと浮かんだ。
「んん? なんだこれ、何か書いてある」
「どうしたの?」
画面を視認することができない彼女はその場で首を捻った。
悠太も初めてのことなので疑問符を浮かべたまま、文字を読み上げる。
「ええと、『イクイップ画面が解禁されました』……『ライ……が、仲間に、なりました』……なんだよ、これ」
無機質に浮かぶメッセージは触れると消え、次のメッセージが表示される。
二つ目の『ライチ・カペルが仲間になりました』というメッセージで少しもやっとし、三つ目のメッセージは、声に出すことが憚られた。
――カペル村をクリアしました。
クリアした?
まるでゲームの一面のボスを倒したかのようなあっさりとした文字に、酷い憤りを感じた。
確かに、悠太自身もこの世界の出来事や魔法をゲームと重ねることで困難を切り開いてきた。
だがそれはここに元の世界と同じように息づいている人がいて、彼らを助けたいと願って、困難に立ち向かう為の気構えが必要であったからである。
なのにこれでは、彼らの、彼女の苦しみや悲しみが最初から用意されていたようではないか。
泥臭く頑張って何とか掴み取ったあの勝利も、用意された攻略法の一つのようではないか。
まるで……本当にただのゲームのようではないか。
「ユータ?」
覗き込んでくるライチに驚いて、飛び退いた。
「大丈夫? 何か変なこと書いてあったの? 顔色悪いわよ」
「いや、何でもない。全然大丈夫」
目の前の彼女すら作り物である可能性。
そんなことを疑っていたら何もできなくなる。
いちいちメッセージに踊らされる必要はない、やることは変わらない。
元の世界を目指す。
そして、そこにやりたいことが追加されただけである。
――帰る過程で、もしもこのメッセージの差出人がいたなら、絶対にぶん殴ってやる。
「さ、さて! 篭手の使い方だったっけ。説明らしい文言はないけど……」
密かな誓いを悟られないように、悠太は話題を篭手に戻した。
「さっき何たらが解禁されたって言ってたけど、何かできることが増えてるんじゃない?」
そういえばと思い出してステータス画面のあちこちを探して、触ってみる。
確か表示されたメッセージは、『イクイップ画面が解禁されました』。
イクイップ画面は直訳で装備画面。
この篭手は、いわば初めて手に入れた装備品である。
武器の入手をトリガーに新しいコマンドが使用できるようになることは、気に食わないが、ゲームではよくあることであった。
ステータス画面に答えがなさそうなので、何となくもう片手を宙に翳して念じてみた。
するとそれは、当たり前のように現れる。
「え」
出現のさせ方はステータス画面と全く同じであった。
手を翳し、イクイップ・オープンと念じる。
すると手の平の数センチ先に光り輝く板が現れる。
ただし形状は四角とは異なった。
その丸い光の板は、虚空に留まって文字を浮かべていた。
悠太を驚かせたのは、それがステータス画面と併存して浮かんでいることであった。
今まではステータス画面を二枚浮かべようとしても、前の画面が入れ替えに消えてしまうので叶わなかった。
ステータス画面とイクイップ画面は別物、故に併存が可能ということであろうか。
とにかく、それは最強の矛であり盾である『画面』を出せる上限が二枚まで増えたということを意味していた。
「すげぇ……ライチ、ええと、板、俺、もう一つ出せるようになった」
予想外の戦力増強に言葉が上手く繋げない。
ライチは息を呑んで口元に手を当てた。
「あの力を? 見えないからあまり実感は湧かないけど、その力の凄さは理解してる。出せる数が増えたのなら、多分、役に立つ、のよね?
……だけど、やっぱり不思議だし不安よ。あまりにも破格すぎる性能だもの。身体とか、大丈夫?」
彼女の主張はご尤もである。
この世界には魔法という概念があるが、何でもできるわけではないし、代償に詠唱時間がある。
集歌も唱えずに高性能の盾と矛を操れることは信じ難い仕様なのであろう。
悠太もそうは感じてはいたが、実のところそこまで不安視はしていなかった。
「多分、デメリットはそこまでない。この力は俺のいた世界の……なんていうか、御伽話みたいなのによく出てくるんだ。
本来の使い方は戦いの為じゃないけどさ。でも、回数制限とか身体に負荷を与えるタイプのデメリットはないんじゃないかと思う」
ゲームでステータス画面を封じられる場面は稀有である。
基本的にはいつでもどこでも何度でも出すことができる。
この力もゲームに準えているなら、制限はないと考えていいと思った。
「ならいいんだけど……うん、じゃあそれで、新しい板には何か書いてある? 篭手に関係ありそう?」
促されて頷いた。
丸い盤上は十字に区切られており、三区画は空白、残る一つに『大蔦豚の篭手』と書かれており、説明がつらつらと記されていた。
「なになに、大地の力が宿る不思議な篭手、ツタを自在に伸ばして戦況を引き寄せる。あとこれ、技名なのかな……し、ちょう、ばく?」
――『四蔦縛』。
悠太の唇がその音を奏でた瞬間であった。
声に呼応するように、篭手が妖しく光る。
光るや否や、いきなり篭手の表面から四本のツタが飛び出し、それらがライチの手足にギュルギュルと巻き付く。
「ちょっ、何よこれ!?」
「なっ!? わるい! ごめん! こいつが勝手に……」
ツタは彼女の四肢を縛り上げ、吊り寄せて、悠太の目前まで運ぶ。
そして、微かな頭痛と共に、篭手が呼び掛けてくる――たった一言、「貪れ」と。
「何だ、声が……」
こめかみを押さえ、何を貪れというのかと視線を這わせ、鼓動が跳ね上がる。
すっかり見慣れた拘束姿であるが、意識の上で改めて見ると……やたら艶めかしい。
肢体を拘束された体勢のせいで無防備に投げ出された丸いやら大きいやら細いやらの部位が、もがくほど揺れる。
悠太の顔は一気に熱を帯び、堪らず視線を逸らした。
「んっ……ちょっとぉ……」
弱気な声は更に煽情的に響くので止めて頂きたい。
声色に痛みはなさそうなので、バビルーザが以前彼女にやろうとした残虐な仕打ちの恐れはなさそうだが、それでも色んな意味で早急に開放してやらねばならなかった。
「その、ごめん、すまん、面目ない。本当に申し訳――」
色んな謝り方をしながら、視線を顔ごと逸らしつつ手探りでツタを求めていた時であった。
バタンと扉が開いて、血相を変えた宿屋の女店員がモップを手に駆け込んできた。
「如何なされましたかお客様! 夜盗ですか! 魔物です……か?」
物音へ迅速に駆け付けた店員が目の当たりにしたのは……あられもない体勢の女性と、その拘束をしたと思われる男性。
通常ならドン引きどころか通報ものである。
しかし、店員は引くどころか助けることすらせず、瞳をキラキラ輝かせて満面の笑みを浮かべた。
「わぁ……お楽しみですね!」
「違ぇし!」
「隣のお部屋、キャンセルします!」
「せんでいい!」
悠太の叫びも虚しく、バタンと扉が閉まって、足音はパタパタと遠ざかる。
「だあもう!」
破れかぶれ、悠太は顔を逸らしながらツタを捩じ切っていく。
その度に視界の端で揺れる彼女に意識を向けないよう、少年は頑張った。
切られた後のツタは光にほどけて消えていった。魔法と同じだ。
「……ええと」
四本目のツタを切って解放した後も、彼女の顔は見られなかった。
いっそ間髪入れずにビンタでもしてくれた方が気まずさはなかったと思う。
その願いとは裏腹に、顔を叩く衝撃はいつまでも来ず、代わりに無感情な声が届けられた。
「なるほど。イクイップ画面とやらには魔導具を操る特定の言葉……『技名』が書いてあるのね。そしてその魔導具の技は篭手からツタを伸ばして対象を拘束することができると」
まるで抑揚のない声に、思ったより恥ずかしくなかったのかなと様子を盗み見る。
――耳までトマトのように赤い。
涙目で口元と胸元を物凄く隠している。
細腕に押さえられ窮屈そうな果実が逆に目の毒であった。
「でもそれじゃあ画面を持たない人はどうやって技名を知るんだろう。魔導具は語り掛けてくるなんて噂なら聞いたことがあるけど、何かしらの使い手と意思疎通をできるということかしら」
「あの、ライチさん?」
若干視線が泳いで、声が上ずった。
青い瞳がぐるぐると混乱していく。
「は、発動してから、篭手のラインの光が淡く弱まってる。多分また一定量のマナを集めなきゃいけないのね。つまり次の発動までにインターバルがあるということ……」
布で包んだ槍に、手が伸びた。
「壊すなら今」
「ライチさん!?」
「やっぱり憎いわバビルーザ、死して尚も私を辱めようなんて。
このままじゃユータもその破廉恥な篭手に乗っ取られてしまうかも知れない。
さあ手を出して、外せそうにないなら……腕ごとも止む無しと思うの」
「ライチ落ち着こう頼むって、な? 謝るから、ごめん、本当にごめんなさい。ほら一応お爺さんたちが好意で作ってくれたものだし、もうライチの前で使わないから、な、な?」
皮肉にも彼女の混乱気味の解説は的を射ていて、使い方を誤れば、というか頭に呼びかけた篭手の意思ままに使えば大変なことになるのは想像に易かった。
ただ、使い方さえ解れば色々と役立ちそうだし、何より初めて手に入れた装備を壊すのは流石に名残惜しかった。
まるで拾ってきた捨て犬を庇うかのような懇願がしばらく続き、ライチはようやく槍を降ろした。
「……もう!」
顔はまだ赤い。
怒りをぶつけるかのようにちゃっちゃか荷物の整理をしていく彼女に一喝されて、悠太は部屋のキャンセルをキャンセルするべく、宿屋の店員の下へ急いだ。
その夜はもう言葉も交わさず、若者たちはそれぞれ悶々と夜を明かした。
◇◇◇◇◇
――翌朝。
「おはようございます! 昨晩はお楽しみでしたね! ……きゃっ、言っちゃった」
などとほざく宿屋を、二人して寝不足の視線に殺気をふんだんに込めて震え上がらせる。
ただ一頭、潤沢に睡眠を取ったマグレブの背の上。
口数は少なく、距離は最大限に遠い。
二人が調子を取り戻すには、そのまま丸一日を要した。
用語解説
『魔導具』
突出した強さを誇る魔物の素材から作った様々な道具。
素材自体が常に大気中のマナを集め蓄積している。
技名を叫ぶことで蓄積したマナを消費し、魔法のような現象である『御技』を引き起こすことができる。
技名及びどのような御技となるかは、魔導具ごとに決められている。
技名は魔導具を使い込む内に、素材に残った魔物の残滓が頭に語り掛けてくることで判明するケースが多い。





