2-10 旅立ちの朝
翌朝、澄み渡る青空の下。
木橋で振り返った旅立ちの少年は、地図を胸に握りしめる。
「それじゃ村長さん、皆さん、お世話になりました」
貰ったのはカージョン地方の地図だという。
大雑把に例えれば、北海道のようなひし形の平野であった。
違うのは北東に続くのが海ではなく険しい山脈の絵である点。
現在悠太のいるカペル村は、この領域を治める『カージョン連合国』の南西の端にあった。
話によると『カージョン連合国』は小国家が連なることで成り立っているらしく、多彩な民族、文化が入り乱れているのだという。
文化の特色は職業の専門性となり、各小国家はそれらの技術を『ギルド』という形で相互に提供し、交易しているそうであった。
村長は旅立つ悠太に様々な助言をくれた。
「ユータ殿、『首都カージョナ』は、道なりに隣町を目指し、そこから更に北東に向かうと良いでしょう。別名ギルド街と呼ばれておるほど、あそこには多くの人間と情報が集まりまする。記憶を探すには良い」
本当に村総出のお見送りをしてくれた村長が、そう言って山の向こうへと顔を向けた。
「ギルド街、ですか……」
ギルドは一般的には中世の職業のあっせん所だが、しばしばゲームの用語としても使われる単語でもある。
ゲームの中では、ジョブチェンジなどと言ってキャラの職業を変えたり、クエスト受注などと言ってゲームのステージ選択ができる施設としてお馴染みである。
「春先はギルドの勧誘が最も勢いづく頃と聞いておりまする。先を急ぐということであれば、都合が良いかも知れませぬな」
未だに帰還への糸口は掴めない。
その焦りもあってやや不安ではあるが……とりあえず、絶望してても何も進まないことは身に染みてわかってきたところなので、悠太は首都を目指すことにした。
「……隣町まで、マグレブと送ってあげるわ」
白く大きなハムスターの鞍に荷物を括りつけながら、赤毛の少女が笑顔を向けた。
穏やかな笑顔に微かな寂しさが混じっているように見えた。
「ライチ……ありがとう」
ついて来てほしい。
悠太の正直な望みはそれであった。
ゲームであれば、最初の仲間として加わってくれるような展開なのであろう。
しかし、この世界の人々はゲーム上のキャラクターデータではない。
ちゃんと一人一人の人生がある。
悠太も孤独に戻るのは、当然嫌であった。
しかし彼女は五年間、孤独に加えて、家族に等しい人たちとすれ違う苦痛を耐えてきたのである。
それに比べれば自分の寂しさなど嘆くことも許されない些細なものに思えたから、無理強いはできなかった。
――彼女はこれからまた村の一員に戻って、家族のように一緒に暮らしていくべきだ。
そういう目的も含めてバビルーザを倒したのだから、引き離しては本末転倒もいいところであろう。
「じゃあ、行きましょうか」
――ライチ・カペルは名残惜しくならないように、言葉数を少なくしていた。
ついて行きたい。
自分は心の底から悠太に救われた。
だから今度は自分が彼を救いたいと、強く願っていた。
それに、今回の一件を受け、彼女なりに考えた将来もある。
だから、ついて行きたい。
一方で、未だ廃れた村の復興を他の皆に任せることも躊躇われた。
村を抜けた人が戻って来る保証もない今、復興に若い働き手が必要なことは明白であった。
――互いに言葉少なく、マグレブに乗ろうとしたところで皺がれた大声がかけられた。
「ラァイチ! おらよ、忘れもんだ!」
驚いて振り向く二人に、大きな革袋と槍が投げ渡された。
槍を投げるのは危ない。
革袋を抱いたライチは驚いた様子で、痛む肩を抑える老人を見返した。
「ちょ、カーレお爺ちゃん、これ……」
「痛たた……ふん、わし等からだ。旅に必要なもんは揃えてある」
「旅って……」
カーレ老人は村長に目配せをすると、歩み出て諭すように続けた。
「おうライチよ。今更かも知れんが、わし等はお前を娘のように想ってきたつもりだ。大蔦豚の件でその在り方が長らくできなかった分、これからは更に強く、家族としてお前を支えたいと思う」
「じゃあ、なんで……家族って言ってくれるなら、一緒に村を……」
不安に揺れる青い瞳を慰めるように、今度は村長が穏やかに言葉を引き取る。
「共に立て直し、共に暮らす。それも家族の在り方じゃろう。しかしの、いつまでも共に留まることが家族ではない。
時には送り出し、想いを馳せ、温かく迎えてやる。心さえ共にあれば、どこにいようと、家族じゃと胸を張って言えよう」
少し赤みを帯びた表情のライチは、困惑したように視線を迷わせ、革袋を抱き締めた。
「でも、村の復興は、お爺ちゃんたちだけじゃ……」
言い切る前に、見計らったようなタイミングで一羽の伝鳥が飛来して、村長の片手に爪に掴んだ書簡を届けた。
「また一通、これは隣町からかのう。バビルーザ討伐の報せは領内に飛ばしておる。まだ一部じゃが、それを受けて帰ってくるという報せが来ておる。家族を、子供を連れてな。
……大丈夫じゃライチ。お主の守ったこの村は、必ず息を吹き返す」
戒律の引き締めに伴い村を去ったという若者たち。
しかしライチ曰く、そのほとんどは老人たちの想いを理解していたという。
その中にバビルーザの討伐を機に戻って来たいという者がいても、そう不思議ではなかった。
呆気に取られている彼女に、カーレ老人が問いかけた。
「この通り心配事には根回ししておいたぜ。後はお前次第だ、ライチ。わし等の娘よ、お前は本当はどうしたい。
もう我慢しなくていい。帰る家があるんだ、どこへでも出かけられる……それとも、もうわし等を信じちゃくれねぇか?」
赤い髪が左右に激しく振り乱された。
そして、想いを確かめるように、一つ一つの言葉を呟いた。
「……私、私は……ユータに、ついて行きたい。私の大切なものを救ってくれた恩人だから、ちゃんと最後まで、手伝いたい。彼がそうしてくれたように」
見返す彼女の横顔は、俯き加減ではあるが、真っ直ぐに未来を見据えているようだった。
「それにね……強くなりたいの。ユータの旅路を支えられるように、もしまたバビルーザが現れても、ちゃんと皆を守れるように、私自身が強く、沢山のことをできるようになりたいの。その為に、ギルドに入って、沢山勉強したい」
我慢をしなくていいと言われて出てくるのが誰かの為の行動であるあたりが彼女らしかった。
ライチの思いの丈を心地よさそうに聞くと、村長は皺に覆われた唇で弧を描いた。
「……良い。行ってきなさい、ライチ。次戻る時までに、復興した村と具沢山のシチュー、ウバ茶を用意しよう。のう皆よ」
「皆……」
――抱えた革袋をギュッと掴んで微笑む。
噛みしめるように瞼を閉じ、数拍の後、少し気恥し気な青い上目遣いが悠太を映した。
「あの……お許し、得ちゃったみたい。ユータはその、いい?」
鮮やかな赤毛を撫でつけた風が、悠太の頬を掠めて、拒否権を奪い去った。
「勿論……勿論、こっちこそ、助かるよ!」
まだ一緒にいられることに、心が歓喜の声をあげる。
不確かだがそれは、孤独を回避できた喜び、だけではなさそうである。
「ほほ、ユータ殿も、武運長久お祈り申し上げます。行ってらっしゃいませ」
落ち着く送り出しの言葉に、二人で顔を見合わせて「はい」と頷いた。
新たな旅立ち、そこには獣臭さも血の匂いも、不安も迷いもなかった。
送り出してくれるのは屈託なく笑う村人たち、隣には頼れる仲間。
これで終われば非常に爽やかな旅立ちであったのに……最後にカーレ老人が余計なことを言った。
「別にガキこさえて帰ってきてもいいぜ。いつでも顔見せに来な」
二人揃って吹き出した。
押し寄せるあらあらまあまあの囃し立てに、ライチは顔を逸らせて、咳き込みながら否定する。
否定されると、それはそれで少しもやっとした。
結局たった一人の老人のデリカシーのない発言から、出立は慌ただしく、気まずいものとなってしまった。
◇◇◇◇◇
風を纏い、丘を駆け登る白い巨大ハムスター、その背は決して広くない。
しかしいつかのように彼女の腰に腕を回すことは、心情的に不可能であった。
双方の手で鞍の両淵を掴み、少女に触れぬよう疾走の振動に耐え続ける。
指の負担がつらい。
手綱を握る彼女の表情はもう久しく見ていない気がする。
とりあえず背後からでも見える耳に差した赤みが消えるまでは、絶対に触れまいと誓った。
「……ごめんね? 狭い世間だから、年齢とかでほら、すぐその、そういう風に持っていきたがるというか」
「あはは、そっか、そうだよな、そういう風にしたがる人っているよな。ま、まあ気にせず行こう。これから……その、よろしく」
何と返していいかわからず、探り探りの返答。
言ってはいけなさそうなことを避けた結果、結局良くない言葉になった気がする。
彼女は「よろしく」と返して沈黙した。
気恥ずかしさから顔を背けるついでに振り返る。
――すると、遠ざかる村の俯瞰の景色が見えた。
見た目は変わらない。
生い茂る緑の中で茶色い荒廃した村である。
しかし何となく、いつか取り戻す鮮やかな緑と木目色の姿が、重なって見えた気がした。
「なあ、ライチ」
返事はなかった。
「村の復興、きっと上手くいくよ」
「――うん」
穏やかな声で、二人は始まりの村を旅立った。
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