2-9 救世主だなんてそんな、謝礼だなんてとんでもない
悠太の目が覚めたのは、日の入りの頃。
目覚めを迎えてくれたのは医師の老婆であった。
シト老人という彼女によると、バビルーザの討伐からは丸一日経過した後だという。
身を起こすと窓の向こうには茜色と藍色の空が広がっていて、広場では慌ただしく老人たちが作業していた。
その中には、赤毛の少女の姿もあった。
号令をかけあって一緒に働いている姿に、彼女の話した昔の村の光景を想像することができた。
表情を緩めた悠太に、部屋の入り口から声がかかった。
「良い、頃合いでしたの」
見ると木の杖をつく村長が、付き人と共に迎え入れられたところであった。
「あ、ええと、すいません」
確か戒律とか何とか、物腰より厳しい人だった気がした。
思わず謝って、ベッドの上で居住まいをどうにかしようとする。
正座とかしておいた方が良いだろうか、などとあたふたしているところをやんわり制された。
「良い。そのまま楽にしてほしい。かしこまるのはわし等じゃろうて」
決して大きくはないがよく通る声に悠太は動きを止め、ベッドに胡坐をかいた。
なるべく目線の高さを合わせようと背が丸くなった。
「まずは礼を。長年……本当に長く感じた。思えばたった五年だったと言うのにのう。村を脅かす悪意を退けたこと、心から感謝申し上げまする。貴方様は村の救世主ですじゃ」
元の世界で誰一人救ったことのない悠太に向けられた賛辞と救世主という言葉、嬉しさ誇らしさより前にこそばゆさが勝った。
「いやそんな、救世主は言い過ぎかなって……それに」
謙遜の言葉を探して視線を迷わして――窓の向こうの光景――そこに溶け込む少女の姿が目に入った。
「それに、本当に凄いのはライチです。何年も、ずっと諦めなかった。彼女と巡り合えなかったら、彼女がどこかで諦めていたら、俺は行き倒れて死んでましたし、バビルーザも倒せなかった。戦いの中でだって、何度も助けてもらいました。だから救世主はきっと、彼女なんです」
「……ええ、わし等に誇る資格はないが、出来た子です。あの子を救ってくれたことにも礼を言わねばなりませんの」
結局褒められて、こそばゆさは取れない。
話を逸らそうと外の村人たちへと視線をやる。
「あれは皆、何をしているんですか?」
「バビルーザの解体ですじゃ」
あまり逸らせそうになかった。
「広場に横たえておくわけにもいかぬで、ああしてバラすことにしております。魔に侵された肉は食用にはできませぬが、血と油は魔除け火に、皮や骨は魔導具の素材に、行商との取引に使えますでな、相当な稼ぎとなりましょう」
倒した敵から獲れる部分を装備の素材なんかに使うゲームは数多くあったが、やはりこの世界でもそう活用するらしい。
素直に感心の声を上げると、驚きの言葉が続いた。
「さて、では、どのように報酬を受け取られますか、ユータ殿。あれは貴方様のものでございますが」
「どのようにって……え、俺の……あれが!?」
まるで考えていなかった提案に、悠太は目を白黒させた。
「左様、貴方様が倒した獲物にございます。聞けば記憶喪失の身とのこと、持ち金は多い方が良いでしょう。行商との交渉であれば代行致しますが……」
「きゅ、急に言われても俺、そういうつもりで戦ったわけじゃないし……」
非常にありがたい申し出であった。
このまま無一文というわけにもいかないというのもある。
ただ、それでも首を縦には振れなかった。
「……やっぱ、貰えません。俺がバビルーザに立ち向かったのは、ライチとの約束があったからで、その約束はもう、守ってもらいましたから」
この世界の色々なことを教えてもらい、孤独から助け出してもらった。
それだけであの怪物に立ち向かうには十分であった。
悠太は窓越しに荒れた村と頑張る村人を眺め、頬をかいた。
「もしバビルーザの素材が役に立つなら、その、村の復興とかに充ててもらえると、俺としても嬉しいかな……なんて」
格好つけすぎであろうか。
「なんと寛大なことか……」
長い眉に埋もれていた目が見開かれて、村長は驚きを隠せないようであった。
「……ああ、重ねて感謝を申し上げまする、救世主様」
丸い背中を更に丸めて老人は礼を言った。
救世主は慌てるばかりであった。
お金というものの価値に少々無頓着だったかも知れない。
ただ、この選択の正しさは、窓に映る景色が保証してくれたから後悔はなかった。
仲睦まじそうに作業する姿に、少しだけ元の平和な世界の景色が重なる。
それは幼少の頃の家族団らんにも見えたし、小学校の休み時間、中学校の部活時間にも見えた。
「ユータ殿は、これからどのようになさるのですかな。滞在なら歓迎しますぞ」
少しホームシック気味な今、じゃあお世話になりますとは言えなかった。
結局は元の世界に戻る目的についての進捗は少ない。
わかったのは、ここが確実に自分のいた世界ではないことだけである。
ならば次は元の世界に帰る方法を探さねばならない。
そしてそれは多分、この村に留まっていても見つけることはできないのであろう。
「ありがとうございます。でも俺……明日には村を出ようかと思います」
環境に慣れることやバビルーザを退けることに必死で後回しになっていたが、悠太がこの世界に来てもう一週間が経とうとしている。
元の世界から自分だけが消えていたとすれば、家族や友人はかなり心配しているかもしれない。
「……早く、自分の、ええと、記憶を見つけに行かないと」
表向きにはそういうことにして、悠太は旅立ちを決めた。
そして村総出でお見送りするとの提案にまたしどろもどろした。
――その夜の炊き出しは、やはり味が薄く具の少ないシチューであった。
その味が絶品であったことは言うまでもない。
◇◇◇◇◇
――遠く、カペル村から遥か北方の雪山地帯。
曇天に溶け込む山々の峠、吹雪で見通しは効かない。
佇む人影は二つ。
たなびく黒いローブを抑え、一人の男が呟いた。
「……おや?」
男の腰には鞭のような蛇腹の剣が携えられていた。
その柄に嵌め込まれたいくつかの宝玉、その内の一つが、ひび割れて散っていった。
「……バビルーザが逝きましたか。五年……まあ、大して役に立ちませんでしたね」
さして気にした様子もなく、落ち着いた様子で独り言を終えると、男は吹き荒ぶ吹雪を見上げて、喋りかける。
「丁度いい。席が空いたようですよ」
風向きが変わった刹那、吹雪の隙間に――獣の吐息と獰猛な眼光が現れる。
「貴方は、さぞかし役に立つのでしょうね?」
吹雪に映る巨影を前にして、男たちの眼光にもまた、獰猛さが宿った。
用語解説
大蔦豚バビルーザ
蔦豚の突然変異種である大型の魔物。
体高4m程。頭から背を伝い尻までにツタのたてがみが生え揃っている。
ツタは木のマナを実体化させたものであり、長さは自在に操ることができる。
本能のまま暴れるより加虐を楽しむことを好み、長年カペル村を苦しめていた。





