2-4 レベル上げの実情
――満月が、青く丘を照らしていた。
学ランを靡かせる夜風は涼やかで、昼の死闘が嘘のようであった。
大蔦豚の去ったその夜、悠太は村の外、小高い丘に登って、眼下の村と、天上の星空を交互に眺めていた。
元いた世界でも都会住みであったわけではなく、それなりに綺麗な星空を見ることはできた。
それと比較にならない大量の星は、はっきりと大地を照らしていた。
「ライチ……」
独り呟く。
――村の被害は、今までを思うと軽度であったという。
カーレ老人の畑は守りきれなかったが、その他に壊された家屋などはなく、何より、退くことなく戦い抜いて、誰の犠牲も出なかったのは初めてのことらしい。
大蔦豚がライチにやろうとしたことを思うと、ぞっとしない話であった。
彼女は至近距離で爆発に見舞われたことと、ツタの一撃を受けたことにより、軽い火傷と打撲を受けていた。
『治癒』をかけようと慌てる悠太を、村の老いた医者は静かに窘めた。
魔法による治癒の多用は寿命を縮める。
迷信かどうかはわからなかったが、その言葉で多少冷静になった頭で我慢するしかなかった。
彼女は夜になっても目覚めることはなく、医者は精神的な負担によるものと推測していた。
「……五年間か」
それが、彼女が頑張ってきた期間だという。
改めて、村長に話を聞くことができた。
聞かされたという表現が正しいかも知れない。
悠太の空腹を見抜いた村長は、空き家だという民家に少年を招き、広場で炊き出したシチューを振る舞った。
木の器に納められた薄味で具の少ないシチュー。
味は現代日本のレトルト品にも劣ったが、終始スプーンを握る手が止まることはなかった。
その後、大蔦豚を退けた一撃が評価されてか、ライチにすら聞かせていなかったであろう真意も教えてくれた。
――突如魔物が現れたのは五年前、当時は村の若者も多く、自分たちの故郷を守ろうと奮闘していたらしい。
村は太く高い杭の塀で守りを固め、武器を持った男衆が果敢に挑みかかったそうだ。
しかし、二回、三回、血の雨が降ると、村を逃げ出す者が現れ始めた。
それで良い。
老人たちはそう考えた。
村の存続は誰もが望む所である。
しかし若者には未来を紡ぐ義務がある。
どこかで生き長らえてくれるなら、それが何よりであると。
しかし、村想いの若者の大半は、意に反してなかなか出て行かない。
だから老人たちは新しく厳しい戒律を追加した。
配給を渋り、無気力に振る舞い、意地悪くいびり、愛想を尽かさせた。
その真意を知ってか知らずか、ただ目論見通り、村人は一人、また一人と去っていった。
そして最後の一人として残ったのが、赤毛の少女ライチであった。
何をしても村を出ようとしない彼女を、老人たちは戒律で縛り、よそ者と罵り……今日まで心配してきた。
彼らがどれほど彼女を想っていたか、それは戦闘後の慌てぶりでも見て取れたが、何より、軽くないであろう村の長の頭を、床にこすりつけて頼み込んできたことが衝撃的であった。
――ライチを連れて、村を出てほしい。
首を縦に振れなかった。
ライチにとってカペル村は唯一の居場所で、老人たちは全員が家族と考えているはずである。
見捨てろという判断が、彼女の為になるという確信が持てなかった――後に彼女から責められる覚悟を持てなかった。
結局、頼みを聞き入れることもできず、かといって具体的にどうすれば良いかもわからず……不義理にも飯の恩も返さずその場を飛び出した。
「……助けたいに決まっている」
いつか見た物語の主人公たちのように、見事な一閃で敵を退け、自分を受け入れてくれたライチを、彼女が大事にしている村を、ハッピーエンドへと導きたい。
「俺は……」
改めて満天の星空を見上げ、思う。
もはや疑う余地のないゲームの世界、自分のいた世界とは理から違う世界。
魔物が闊歩し、魔法を行使でき、命のやり取りがある。
そんな世界で、物語の主人公でもない自分に何ができるのか。
言い訳のように考えて数時間。
途方に暮れながら、少年はかつてプレイしたゲームの記憶を反芻していた。
「……来た」
丘の先に広がる広い森。
茂みの中で爛々と光る双眸が、いくつかあった。
思い至った。
主人公でない自分であるが、ゲームの中では沢山の主人公たちを操ってきた。
自分が迷い込んだ世界が彼らの世界に似ているのであれば、彼らに倣えばいいのではないか。
――さて、ゲームの主人公は、勝つことのできない相手が現れた時、何をする?
ある者は装備を整えるであろう。
手持ちの道具一つにまで拘り、考え得る最高の知識を振るいに行く。
ある者は相手を研究するであろう。
攻撃のパターンを覚え、弱点を探し、熟考した経験を試しに行く。
そして、ある者は自らを鍛えるであろう。
レベルを上げ、敵を上回る力で戦いに行く……地道ながら、確実な方法である。
――確実な方法なら、この世界でやらない理由はない。
茂みから踊り出た影は四つであった。
ゴブリンが一体、同じくらいのサイズの巨大蝙蝠が二匹、獰猛そうな狼が一頭。
見晴らしの良い丘の上に一人。いつまでも残っていれば襲ってくると思っていた。
腹が減っているのか舐められているのか、魔物たちはすこぶる直線的に迫り来る。
やはり怖気づきはするが、先陣を切ってきたのがゴブリンだったのは好都合であった。
もうこいつを相手にするのは三度目である。
手の平を前に翳し、念ずる。
――そのステータス画面は、世界の理を無視するものである。
見えない壁として、無敵の刃として使うことができる。
画面を浮かべて一歩の後退。
案の定激突し、よろめいた隙にゴブリンへと踏み込んだ。
トドメをと思ったところで、ゴブリンの後ろから二つの翼が追い越してきて、頭上から強襲してくる。
「うあ! ……くっそ!」
バサバサと視界を覆われ、半ば混乱してやみくもにステータス画面を出しまくる。
甲高い悲鳴と熱い液体が降りかかり、バット達が地に落ちる。
片や真っ二つで絶命、片や翼を切断されギィギィと悶えている。
――その命の灯に気を取られた。
既に棍棒を振り被ったゴブリンが目前にいる。
咄嗟に抱きつき胴にステータス画面の一撃を加え、何とか倒す。
それで精一杯だったので、狡猾に背後に回り込んでいたウルフの攻撃には対応できなかった。
振り返りざま、片腕を思いっ切り噛みつかれる。
「痛ぃぃっ……!」
眉をしかめつつも、痛い程度のダメージで済むことに驚いた。
即座にウルフの首にステータス画面を打ち込み、沈黙させる。
血濡れのステータス画面は「山田悠太Lv.4」と改められ、HPゲージは三分の一程しか削れていなかった。
腕の調子を見ると、牙を突き立てられた痕は痛々しく残っており、血も流れている。
しかし、初日ゴブリンに皮も肉もずたずたにされたことを思えば大したことはない。
そう考える自分自身に、また驚いた。
――肩で息をして、自らが手を下した惨状を眺めると、吐き気が込み上げてきた。
頭からどす黒い血を被り、両手の指先まで真っ赤っか。
腐臭と熱気は、夜風だけではかき消しきれない。
「……ゲームなら、ゲームらしくあってくれよ」
ここはゲームのような世界であっても、ゲームではない。
倒した相手がコインになって消えるなんてことはない。
死体も血も、散らかしたままの状態で草の絨毯の上に残っている。
故意に命を奪った。
改めて芽生えた実感に、吐き気は我慢できなくなった。
――未だ森から送られてくる爛々とした眼差しの反応は、二通りであった。
ゴブリンは多少知恵があるのか、パタリと襲ってくることはなくなった。
代わりにウルフやバットは血の匂いに従順であった。
また二頭と二匹。
退けて、次は三頭と二匹。
叩き伏せて、今度は一頭と四匹。
月下の丘で、おびただしいほどの獣の血を浴びた。
途中で逃げる者は追わず、襲ってくる者のみを払い除けたが、それでも血を浴びるたびに、自分と大蔦豚の違いが不明瞭になっていった。
これ以上は心が持たないと感じたのは「Lv.7」に至った瞬間であった。
血を浴びてもレベルが上がらなくなった。
一つの命を奪っても、得られる経験値はなく、言い訳として掲げた大義すら成り立たなくなった。
そしてその頃には、積極的に襲ってくる敵もいなくなっていて、悠太は再び夜空を見上げた。
先程までとの違いは、少年の立つ丘が赤黒く染まっている点である。
「……夜通し、やるつもりだったんだけどな」
それをやったら人間として大事なことを全て失くしてしまうと確信していたので、やらずに済んだことには奇妙な安心感を覚えた。
ただ同時に、今夜その大事な一部を確実に捨ててしまったとの喪失感が、酷く虚しかった。
◇◇◇◇◇
――レベルアップの効力は、主に身体的な性能に表れた。
月下、悠太はその両腕のみで丘に穴を掘った。
土を直にかき分けた指は傷一つ付かなかった。
二メートル程掘った縦穴も、たった一度の跳躍で抜け出すことができた。
数多の魔物の死体を、墓穴へ軽々と運ぶことができた。
まだまだ長そうな夜の中、悠太は内ポケットにしまっていた羊皮紙を取り出した。
「『番う焔よ』――」
魔導符ではなく、集歌をメモしたものであった。
村までの道すがらライチに貰ったもので、火と木属性の歌を書いてもらった。
所々都合のいいこの世界だが、用いられている言語が日本語であることはとりわけ都合がいい。
いい感じに作り物染みていて、自分のしたこと、これから起こりかねない悲劇を俯瞰から見る言い訳に使えそうであった。
「――『常世に祭れ』」
集まった赤い光は悠太の胴くらいの量で、明らかにライチが集めたものよりは多かった。
これを見たら彼女はすねたりするのだろうかと苦笑して、ステータス画面を浮かべる。
スキル欄の『火ノ玉』の文字は、赤く光っていた。
「コール、『火ノ玉』」
ステータス画面は、魔導符や魔導書の代用とすることができる。
悠太が魔法を行使できる条件は、マナを集めることとステータス画面を浮かべていることの二つであった。
火球は墓穴の亡骸たちに当たり、爆ぜると一気に燃え上がった。
星空に昇る一筋の煙を見送り、土を被せてやる。
虫のいい供養を終えて、村へと戻ることにした。
その際にもう一度、ステータス画面を呼び出した。
スキル欄には、「Lv.7」を迎えた時にもう一つ呪文が追加されていた。
緑色に文字が光っていることから、『治癒』と同じ木属性の集歌が必要だと推測した。
「……『帰還』、か。ゲームだと、ワープ的なあれ、かな」
広大なマップのRPGゲームでは、しばしば時短用の魔法としてワープが用いられる。
攻撃用の魔法ほどわかりやすくないので、説明が欲しいと文字を長押ししてみた。
するとご丁寧に説明ウィンドウが開かれる。
『帰還』――直前に訪れた街、村へと一瞬で戻ることができる。
物は試しとメモを片手に緑のマナを集めて、悠太は月明りに照らされる村、守り抜いてみたいと思った村を見据えて唱えた。
「……コール、『帰還』」
唱えた瞬間に視界がぐにゃりと歪んで、奇妙な浮遊感と圧迫感に見舞われる。
景色の輪郭がはっきりと定まると、説明の通り、悠太は村の入り口に立っていた。
――木橋の脇から河原に下り、返り血を清めた。
元々黒い詰襟とズボンはさして変わりないが、Yシャツはどれだけ洗っても桜色よりも薄まることはなかった。
村に戻り、あてがわれた民家へと入る。
持ち主は既に村から逃げ出したそうで、村にはいくつもこんな空き家があるという。
お世辞にも柔らかいとは言えないベッドに身を投げると、眠気はすぐに襲ってきた。
窓から見える空は未だ星空であったが、遥か遠くに見える山の峰が光っており、夜の帳がそろそろ終わるのだと告げていた。





