5-58 We are revengers !!
二時街は料理人ギルドが治める居住地区。
平時はオレンジ屋根と華やぐ鉢植え、香ばしい匂いを石畳に乗せる街並みも……今はその景色を取り戻すために瓦礫を積み上げている。
ギルドマスターの店である『星天の薄亭』は復旧の寄り合い所となり、いつもは食事が並ぶ大食堂には、様々な計画図と工具が散乱していた。
客室は、大工ギルドの人員のために開放されている。
そのため、普段住み込んでいる個性豊かな三人の食堂バイトは、通りを挟んだこじんまりとした別棟に仮住まいしている。
◇◇◇◇◇
青い月明かりが射し込む木廊下の二階に、部屋は三つ。
一番奥、この三日間で一度も開いていない扉の中。
暗がりの部屋にはベッドが一つと、その上で壁に寄り掛かる少年が一人いた。
少年が虚ろな視線で眺めるのは、不気味に輝く光の板――『ステータス画面』であった。
画面には、激しく何度も殴りつけたことがわかる拳の血痕が付着し、ベッドのシーツは赤く汚れていた。
同じように血を滴らせる手を治療もしないまま、少年は茫然自失で画面を睨む。
やがて、乾いた血が剥がれ落ち、画面に届いたメッセージが露わになる。
▼レベル60に上がりました。
▼――イベント『王の誕生』をクリアしました。
視認するや否や、虚ろだった目が血走って、振り上げた拳をドチャリと画面に打ち付ける。
そのステータス画面は、世界の理を無視するものであった。
如何なる攻撃にも――レベル60にも達した山田悠太の拳にも、ヒビ一つ入ることはない。
それでも構わず殴り付ける。
何がレベルだ。
何がクリアだ。
脳内にフラッシュバックするのは、赤いステータス画面、チャラついた言葉、黒い大狼の最期、輝く大樹――そして、散り行く笑顔。
フラッシュバックは次第に速く、激しく切り替わり、連動するように鼓動も暴れ、拳を何度も、何度も何度も何度も打ち付けた。
拳の血が壁やベッドに飛び散って、赤が画面を塗り潰すと、ようやく少年は拳を止める。
そしてドカリと壁に背を預け、再び虚ろな目で赤い画面を眺めるのであった。
――この世界は、何なんだ?
『プレイヤー』を名乗るマギ・アキトは、この世界を作り物のゲームの世界と言った。
虫唾が走る軽薄な言葉は、悠太が見聞きした事実に裏付けられ、確かな説得力を持たされていた。
都合良く日本語が通じる、通貨の価値が同じ、衛生観念だけがやけに高く、しかし技術は進んでいない。
勇者を体験するにはお誂え向きのファンタジーワールド。
平和な現代日本で同じような設定のゲームや漫画を読み漁った悠太には容易に想像できてしまった――現実世界で、頭にコードの繋がったヘルメットを被せられ、VR空間で幻想に興じる自分の姿が。
そりゃ魔法も使えるだろう。
そりゃ強靭な肉体になれるだろう。
考えれば考えるほど、世界は虚構になっていく。
そして行き着く禁断の問い――では、ここに存在する人々は何なのか。
ゲームのNPCのように、全ての思考が仕組まれた、ただのキャラクターなのか。
マギとの戦いの最中に見出したのは、作り物であろうとなかろうと、自分を支えてくれた存在なのだから一生懸命に守らなくてはいけないという気構えだ。
あの時はそれで乗り切れた。
しかし、直後……一生懸命守らなくてはいけない大切な存在の命は、自分の手をすり抜けて消えてしまった。
だから、戦いに区切りがついた後、わからなくなってしまった。
今後もこの世界の人々に向き合うという時、自分はどうして良いかわからない。
……彼の死を、どう受け止めたら良い。
「ブラン……!」
長身で銀髪で、褐色な青年。
尖った耳はエルフという種族の特徴だと言う。
出会った当時、まだ異世界そのもの、あるいは風変わりな街や人々に翻弄されていた少年にとって、常識的な反応を返してくれる彼とのひと時は、とても居心地が良かった。
たった数日しか一緒にいられなくて、数日かけてやっと友達になれた。
そしてこれからずっと……友達でいられると思ったのに。
「ざけんな……!」
再び拳を打つ。
怒りが収まらない。
彼の死は何だったのか。
心に言い聞かす。
彼は平和を愛するエルフの王子で、優しく穏やかで、でも少し臆病で、時に逃げたり迷ったりするけど、ちゃんと自分の力に向き合う強さがあって、そして命と引き換えに自分たち全員を救って、笑って、消えていったのだ。
ブラン・シルヴァは確かに存在し、この手から零れていった。
それを……それを『クリア』などというたった三文字で表す奴がいるのなら、許すわけにはいかなかった。
これを「素晴らしいシナリオだったろ?」と自慢する奴がいるなら、「単なるキャラが死んだだけだろ」と笑う奴がいたなら……そんな奴らは、世界に必要ない。
そんな考えは間違えであったと、許されざることをしたのだと認めさせ、謝らせ、惨たらしく心臓を止めなくてはならない。
――殺してやる。
眼光に憎しみが溢れ出した頃――コン、コン、と扉が叩かれた。
少年は返事をしない。
放っておいてほしかった。
自分は、これから、こんなステータス画面を作り、こんな文字を仕込んだ奴を探さなくてはいけない。
さしずめ、逃げ出したあのマギ・アキトを見つけ、締め上げ、手掛かりを掴まねば。
コンコンコン、ノックは間隔を狭め、少し苛立った。
音の主は、わかっている。
黒い長髪の少女、ネピテル・ワイズチャーチだ。
昨日も一昨日も扉を叩いていた。
木目の隙間からスープか何かの匂いがする。
多分、食事を運んでくれている。
普段は奔放でそんな気回ししない癖に、どういう風の吹き回しか。
糸目の店主に言いつけられたか――それとも、そういう思考パターンのデータを組まれているのか?
至ってはいけない考えを潰そうと髪をかき乱す。
駄目だ、何にせよ今は誰とも話したくない。
きっと、今日ももう少しすれば、一言二言だけ置いて引き上げるだろう。
放っておいてほしい。
などと考えていた少年の耳に――バキっと明かりが射した。
「おいこら馬鹿ユータ、いつまで引きこもってんのさ」
瞳を緩慢な動きで向ける。
廊下の明かりが射し込む四角い枠には、蹴破られ揺れる扉と、丸いお盆を持った少女が立っていた。
少女はジトリとした金色の瞳で、室内の血や、少年の虚ろな目を確認すると、不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「人が折角『お米煮』運んでやってるのに、いらないなら食べちゃうからね。目の前で。美味そうに」
頓着のないものへの記憶力が著しく低い少女は、そう言って出入り口で胡坐をかくと、一切の遠慮なくお粥をスプーンでかきこんでいく。
そんな様子を目の当たりにしても、少年は空腹を思い出さなかった。
ただただ、少女の奇行を興味なさげに眺めるのみである。
「――ごちそーさん」
面妖な時間が過ぎ、食器をカランと降ろした少女は、じっとベットの上の少年を見詰め、そしてスプーンを突き出した。
「少しは、ボクの気持ち、わかった?」
座った声の問いを、少年は理解できなかった。
勝手に押しかけ、勝手に目の前でお粥をかきこむ奇行から、どんな気持ちを察せというのか。
考えるのも面倒な問いは無視してしまおうと黙る少年に、ネピテルはまっすぐな視線のまま続けた。
「……憎いんだろ、ブランを殺した奴らが」
初めて少年の瞳が動きを速めた。
「顛末だけなら、逢王兵やらギルマスから聞き出した。君が黙りこくってた戦いの全部。
ブランを狙ってた奴らが出した被害、ブランは命と引き換えにそれを帳消しにした。
奴らさえ来なければ……そう仕込んだ奴がいなければ、ブランが死ぬことはなかった……殺されたも同然だ」
少年は反応しない。
特に隠してもいない心境、言い当てられても何とも思わない。
「どうだい復讐の炎は、どうやっても消えないだろう?」
ネピテルは、少年と同じような淀んだ瞳を、水面の鏡に見たことがある。
「そうさ、そうだよ許せないんだ。大切な人を無碍にされて、そんな奴らが今も息して、笑ってるかも知れない。そんなの許しちゃいけないんだ。身に染みただろう」
どこか責めるような口調に、少年は拳を握り込んだ。
「君は、前にボクに言ったよね? ボクの『復讐を手伝う』って。ボク、ちゃんと君の思惑は見破ってるからね?
一緒に過ごす内に復讐心が和らがないか、一緒に過ごす内に別の幸せを見つけるんじゃないか、そんなお人好しな思惑」
「……あ」
少年は心に罪悪感を覚えた。
身に染みてわかるとは本当にこのことだ。
あの時も決して適当に提案したわけではないが……それでもやはり、わかっていなかったのだ。
殴るだけじゃ済ませたくない、惨たらしく、ブランが抱えた苦悩や苦痛の倍も百倍も与えないと気が済まない怒りの渦。
それを諦めろとか、他の幸せを探せだとか、本人からしたら溜まったものではない。
「ね、ボクの気持ち、わかったでしょ」
少年は、わずかに頷いた。
そして、かつての浅はかさを一言謝ろうと顔を上げたところで――ネピテルが言葉を続けた。
「ボクも……あの時の君の気持ち、少しわかった」
予想外の申告に、思考が止まった。
ネピテルは視線を床に落とし、瞳孔を迷ったように震わせ、言葉を落としていく。
「今までさ、能天気で、調子乗りで、優柔不断で、お気楽に笑う……そんなとこが、数少ない良いとこなどっかの馬鹿の目が濁ってさ、血だらけで眉間に皺寄せて、何日も食事も取らないで、ずっとずっと、人を殺すことを考えてる。そんなこと、あいつは絶対望んでないのに」
ズキと頭が痛んだ。
「思うさ、それが自分じゃないなら。
不幸しかない道になんか行くなって。幸せになった方が、ブランのやつは喜ぶって。
だから、復讐なんか、考えなくて、いいんじゃないか、って……」
「ネピ、テル……」
絞り出した名前の先――復讐者の少女は怒りと不安、悔しさを滲ませた顔で、再びまっすぐに見詰めてくる。
「……ボクに言えるのはここまで。ボクは、ボクの復讐を諦めるつもりはない。だから、君には何も、強制できない」
譲れない一線をしっかりと引いて、少女は少年を睨む。
「でも、今を伝えることはできる――君が今、しなきゃいけないこととか」
「俺が、今……?」
「ライチの奴もずっと、あの夜のことを引きずってる。
聞いてないでしょ、ニナって女が、敵の密偵だったこと、天使の力で戦った相手だったってこと」
「ニナ、が……?」
少年は目を見開く。
思い浮かべたのはゆるふわのボブカットに丸眼鏡が可愛らしい女学院生。
ニナはライチの学友で、ポニーテールのリズリーといつも三人でいた。
控えめで礼儀正しく、花のように笑う彼女が、ライチを裏切った?
「嘘だろ……?」
「本当」
そんなことはない、彼女らは友達だ。
ライチはただでさえ強大な力に戸惑い、攫われかけてショックを受けているはずなのに、更にそんな追い討ちをかけられるなんて――
「嘘だ!」
「疑う前に自分で行きなよ! 君の大切な人が打ちひしがれてるってのに、君は何してるのさ!」
声を荒げたのには、二つの悔しさがある。
一つは、自分ではライチ・カペルの傷を癒せないこと。
もう一つは、少年の傷を癒せるのも、自分ではないだろうことだ。
「ライチが……」
「もう一度言うよ。君が今、しなきゃいけないことは何?」
そんなの決まっている。
この世界で初めて出会った恩人。
異世界の孤独を埋めてくれ、この世界の命に説得力を与えてくれた彼女が崩れてしまいそうなら、支えないといけない。
――三日ぶりに、脚が動いた。
「い、行かなきゃ……」
固まっていた筋肉が痛みと共にほぐれ、鈍った平衡感覚が水平を狂わせる。
壁に手を付いて、ネピテルのいる出口へ。
すれ違いざま、悠太は、真っ暗闇を照らしてくれた相棒に声をかける。
まだ、笑顔は浮かべられなかった。
「……ありがと、な」
「ん」
相棒はそっぽを向いて、視線はくれなかった。
見慣れた捻くれた態度にどうしてか安心して、感覚が戻ってきた脚で駆け出す。
行かなくてはいけない――これ以上、大切な人を傷つけてはいけない――自分は……『プレイヤー』なのだから――?





