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2-2 戒律の村と不穏の調べ


 坂の上に辿り着くと、独特の匂いが漂ってきた。

 夏の雨上がりのような、腐葉土(ふようど)に……油が混じったような匂いであった。


 発生源は方向からして、坂に沿()うように広がる段々畑(だんだんばたけ)からなのだと推察できた。


「残ったもう一つの畑。村長の……茶畑よ。少し臭いけど、その内慣れるわ」


 茶畑が臭い?


 どうも得心がいかずもう一度段々畑に目を向けると、斜面の手前には、いくつかの瓶が並べてある。

 茶の栽培に油など使うのであろうか。

 茶摘みではないのでそこまではわからない。


 先のやり取りが尾を引いているのかライチは詳しい解説もくれずに、頂上の大きな家へと歩を進めた。


 集会所は木造の質素な外装であった。

 二、三段の階段(ステップ)を上がり玄関へ。


 観音開(かんのんびら)きの扉は開放されていて、覗ける内部は寄合(よりあい)用のスペースになっていた。

 数人の老人が座っているのが見える。

 一人、最奥(さいおう)書簡(しょかん)を読む老人がいた。


 先程のカーレ老人も悠太からすればかなりの年配に見えたが、その老人は輪をかけて年老いているように感じた。


「村長、お邪魔します」


 ライチは遠慮する様子もなく、村長と呼ばれた老人に歩み寄る。

 ここでも歓迎はされていないようで、集会所の雰囲気がぴりついたのがわかった。

 彼女は村長と呼んだ老人をかなりの至近距離から見下ろし、はきはきと話しかけた。


「配給日に申し訳ございません。魔導師を連れて参りました」


 話をややこしくすることを避ける為、悠太はあくまで魔導師ということで通すことにした。


「この方と今度こそ、バビルーザを撃退してみせます。しばらく村に置かせてもらいますので、ご挨拶まで……」


「……良い」


 (かす)れて、高く、弱々しいが、はっきりとした声であった。

 村長が呟くと、ライチは言葉を止める。


「余所から来た者は、表を通り挨拶に参じること、参じさせること。若い者の間ではとんと守ることのなくなった戒律(かいりつ)じゃが、ライチ、お前さんは律儀に守っておるのう」


 顔や声の調子からだけでは男女の別はわからない。

 書簡を伏せた指元に輝く指輪からして、女性であろうか。


「ライチよ――カペルの古き戒律を守るのは、この村を愛しておるからじゃな」


「はい」


「ならば新しき戒律も守っておるな。狩りの獲物は」


「その全てを村に納めること。先に広場に運ばせました」


「報酬は」


「求めません。配給に従います」


「良い。此度(こたび)の配給、(わし)から渡そう。持っていきなさい」


 差し出されたのは、しなびた野菜の一束、それから米であろうか、ザルが一皿。

 思わず「え」と声が漏れる内容であった。

 こんな量など、切りつめても三食で尽きてしまう。

 仮に一日分の配給だったとしても少なすぎる。


「こ、これだけ? だって広場の人たちはもっと……」


 まさかライチの配分はこれだけなのかと問おうとして、当人に手で制される。

 村長は言いたいことなどわかっているといった様子で、淡々と続けた。


「配給は年齢に応じた割合によること。蔦豚(つたぶた)が出てから、畑はみるみる減ってしまった。荒らされた畑は老いた者には戻せぬでな、皆の総意で戒律に定めたのだ。ライチも同意した、のう?」


 これにはライチの方が何か言いたげであったが、有無を言わさぬ雰囲気からか発言は控える。


「すまぬが客人に振る舞う余裕はない。ライチの配給から馳走(ちそう)になると良い。それを(あわ)れと思うなら……去ると良い」


 感情の見えない声と顔から宣告された言葉。

 周囲の老人たちは刺すような視線で同意を示した。


「お主もじゃ、ライチ。如何(いか)に取り入ろうとしようと、戒律の配分は絶対じゃ。譲歩(じょうほ)はないこと、ゆめゆめ忘れるな」


 待遇の改善はない。

 彼女は重い表情で押し黙ったままである。


「蔦豚は倒せんよ。彼奴(きゃつ)強靭(きょうじん)さ、そして狡猾(こうかつ)さはお主も知るところじゃろう。全身を覆うツタは鎧でもあり、触覚でもある。領兵の剣を通さず、狩人の罠も回避した。領主は震え上がり、兵を護衛に引き上げた。そして、魔導師……」


 ちらりと悠太を見やって、村長は少しだけ声色を恨みがましげにした。


大枚(たいまい)(はた)いて雇った魔導師。一撃で仕留めきれなかったあの者を責めはしない。憎むべきは魔物の狡猾さじゃ。勝てぬ相手がいるとわかれば、何日でも森に姿を隠し、機会を伺う。

 人の警戒心も、金も、有限であると心得ておる。滞在を乞う持ち金が尽きて、魔導師が去り――その翌日、彼奴が村への襲撃を再開したのを忘れてはおるまい」


 労力には対価が必要。

 世知辛さは元の世界と同じようであった。


「そんな……じゃあどうやって」


「どうもせんよ。老い先短い我々は、村共々滅ぼされるのみじゃ」


 これ以上話すことはない。

 そう言いたげに村長は伏せていた書簡を手に取り、また目を通し始めた。


 その時――チリン、チリンと、鈴の音と青い羽が舞った。

 一羽の鳥が集会所へと飛び込んできて、足に括りつけた鈴を鳴らしたのである。


「――来た」


 村長のよく通る声を合図に、部屋内がどよめいた。


伝鳥(ツィックル)の報せ……そんな、まだ半月なのに……期間が短くなってる」


 もはや何が来たのか、疑問に思う余地はなかった。


 槍を構えたライチに続いて悠太が集会所を飛び出すと、丘の下には一筋の白煙(はくえん)が立ち昇っていた。

 のっぴきならない状況に呆気にとられていると、一陣の風が吹いて、白く大きな鼠が駆けつけた。


「マグちゃん、ありがと……今日こそ」


 飛び乗ったライチは決意を口にして悠太にも視線を送るが、青い瞳は迷ったように下を向いた。

 その迷いは、村を救いたい願望と、戦闘経験のない悠太を会敵させる後ろめたさの葛藤(かっとう)であった。


「えと、ユータは、ここで……」


 待っていて。

 そう言い切らせてはいけないと思った。


「いや行く。行くよ、手伝うって約束したし」


 何故そう言ったのか、悠太自身が理由を定められなかった。


 死にかけたばかりなのに。

 戦いはおろか喧嘩の経験もほとんどないのに。

 にも関わらず進言したのは、ゴブリンを退けたことで調子に乗ってしまっているからであろうか。

 少年にはまだわからない。

 だから「行く」と言った瞬間、心臓が早鐘(はやがね)を打ったようにうるさくなり、嫌な汗がふき出した。


 本当は、心の準備だけでなく物理的にも(そな)えさせてほしい。

 折角ゲームのような世界なのだから、もっと沢山の話を聞いて、レベルも上げて、集歌も覚えて……悠太自身とライチ、村全体の手札を理解して、攻略の算段(さんだん)を付けたい。

 しかし、ゲームのようなこの世界は、ゲームのように万全の体制を取らせてはくれないらしい。


 格好つけた物言いの割りに情けないが、よたよたとマグレブに上り、華奢(きゃしゃ)な腰に手を回す。

 彼女は「ありがと」とだけ呟き、煙に向かうため、手綱(たづな)を握った。


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