5-49 彼の醍醐味
「マジ最っ悪」
息切れ気味のマギ・アキトが歯噛みする。
次いで癖の舌なめずりをすると、鉄の味がした。
敵の、「体力が減るごとに攻撃速度が上がる特性」だとか、こちらの攻撃を当てるタイミングが確率で隙潰しされるとか、そうした細かな理解がなければ勝てない部分が煩わしい。
また、理解していても、こちらが判断を間違えば即真っ二つのようなシチュエーションが多すぎる。
全くをもって糞仕様、糞ゲー、糞モンスター。
「――二度とやらんわ」
吐き捨てたのは、黒く凍てつく大狼フェンリルとの攻防、七ループ目。
後ろ脚に打ち込んだステータス画面が腱を切断し、よろめいた巨体が、ズンと横たわった直後であった。
目線の高さは、大きく息を吐いたマギの方が上となる。
「ったく手こずらせやがって……」
苛立ちの声を持って決着はついた。
片目を潰されたフェンリルは、無礼千万な襲撃者を残った氷眼で睨みつけたが、粒子は上手く集まらず、対象を凍らせるには至らない。
『集歌減退』――夜通し青の精霊を酷使してきた王たる獣は、ついに精霊に見限られた。
「さて、と」
しっかりそのことを確認したマギは、上がった息を整えると三日月のように口端を吊り上げ、王の全てを許した。
何故なら、今を持ってこの夜の真の王が決定したからである。
「んじゃ、お楽しみタイムと行こうか」
白のカットシャツの埃を払い、両手をポケットに突っ込んで、黒革のブーツで大股に。
地に伏すフェンリルの周りを馴れ馴れしく練り歩いたマギは、息苦しそうな腹部の前で止まり、その腹を容赦なく蹴り上げた。
レベル60の身体能力を持ってすれば、トラックより大きな巨体に放物線を描かせることなど簡単であった。
「まったくどいつもこいつも」
浮かせた巨体に一足飛びで追いついて、宙で弧を描いた足で蹴り落とす。
巨体は黒い体毛を散らし、「グッ」と堪えるような声を上げて墜落した。
ステータス画面を頭上に浮かべて腕で押し、直角に降下、両脚で更に巨体を踏みつける。
「雑魚の癖に手間取らせてくれちゃってさ」
踏みつけられた巨体の背骨が折れ、「ギッ」と声が上ずる。
そのまま宙返りで顔の傍に降り立ち、歯茎を剥いた怒り心頭の表情に足裏を向ける。
「おら犬っころ、悲鳴だけ上げとけ?」
容赦のない足蹴は、フェンリルの顔を何度も、何度も、潰れるほどに踏みつけた。
王としてのプライドだけでは堪え切れなくなった口から、ついに「ギャウッ」と犬のような悲鳴が上がる。
「あー、良い」
マギは満足して、足蹴を更に激しくした。
圧倒的な勝者の愉悦。
これが味わいたくてゲームをしている。
――マギ・アキトという少年は、ゲームにおける戦闘勝利後、リザルト画面が嫌いであった。
「result」の「結果」という意味のまま、その画面では「経験値がいくら入った」「獲得ゴールドはいくらだ」「誰それがレベルアップした」「どんなアイテムが落ちた」等と、ついさっきまで繰り広げていた戦闘の清算が行われる。
折角の命のやり取りなのに、スポーツのレフェリーの如く、システムに介入され、戦闘終了後の自由が数値に換算されてしまうのだ。
興覚めにも程があると、常々感じていた。
だからごく稀に、そのことをわかっているゲームがあると、一人ほくそ笑んでしまう。
少年は戦う過程より、勝負が着いた後の方が好きだ。
目前にはまさにまな板の上の鯉、自分の力に屈服した相手がいる。
何もしないでリザルト画面で済ませ、さっさとマップに戻るなど、勿体無くて我慢ならない。
屈服させた者が――それが魔物なら、サンドバッグにして爽快に技を決めるのが好きだ。
それが男なら、無様に命乞いをさせた挙句、衆目に痴態を晒させるのが好きだ。
それが女なら、貪り尽くして様々な悲鳴を上げさせるのが好きだ。
それが老人なら、それが子供なら、それが強者なら、それが弱者なら――楽しみ方は無限大である。
現実世界のように法に縛られているわけでなく、小説のように作者が描いたストーリーをなぞることしかできないわけでなく、自分の好きにできること、その全能感を味わえる体験こそ、ゲームの醍醐味である。
「――なあ、そうだろ」
脚を振り下ろしながらの問いかけに、相手はいなかった。
しかし、その声に反論するように、マギの耳には遠い日の声が届いた。
――えー? そうかなぁ?
「笑ってんなし。何がおかしいんだよ、そうなんだよ――そうだろ……なあ!?」
マギはどこかの誰かに叫び、足蹴を締めくくる大振りの蹴りで、フェンリルを軽々と蹴り飛ばした。
最早息も絶え絶えな獣は、地面に打ち付けられ、折れた木の幹に衝突し、力なく沈黙する。
マギは思ったより吹っ飛んだそれに楽しそうに頷き、気持ちを整えた。
そして、手をかざす。
「あー、すっきりした。そんじゃま偉大なる傾国級犬っころにもご退場いただこうかね」
腕を突き出し、手の平の数センチ先に浮かべたのは、赤いステータス画面。
その画面は、プレイヤーの魔導書として魔法の媒体とすることができる。
唱え始めたのは、火の集歌。
ちらりと、画面に箇条書きされた使用可能魔法の一覧を確認する。
正直、どれでも良い。
虫の息の獣など、レベルで強化された『集歌効率』をもってすれば初級魔法でも十分に焼き尽くすことができる。
――これで今宵の王は俺だ。
思えば、想定外のことは多かった。
ライチ・カペルはカペル村にいないし、運営の差し金も段取り通り進められないし。
何より、それらを狂わせたあの少年――プレイヤーでもないらしい謎だらけのバグキャラの真っ直ぐな目が、どこまでも不快であった。
――まあ、気晴らしは済んだ。
バグキャラはスカッと殺してやったし、残りの憤りはフェンリルで解消した。
この後ライチ・カペルでも嬲っておけば、良い気分で引き上げられるだろう。
「粒子はこんなもんでいいかね」
トドメの魔法には『フレイムランス』を選ぶことにした。
赤く舞い散る火花たちが、唱えられる魔法を気取り、渦巻いていく。
選考理由は、この魔法なら身体の内側から焼かれるフェンリルを眺められるからだ。
そんな拘りが――彼の公算を狂わせる油断となる。
だからマギは、自身とフェンリルの間に割って入った人影を信じられなかった。
「……あ?」
傷だらけのフェンリルを庇うように――あちこち破けた赤のスニーカーが大地を踏みしめる。
マギにとって懐かしい世界の衣装がはためき、かざした手の平が浮かべるは、白のステータス画面。
それらの持ち主が真っ直ぐ向けてくる視線のせいで、どうやら今日は気分良く終われない。
「お前さ……どういうことよ?」
そう言う笑顔のこめかみには、怒りの血管が浮き出る程の不快感が示されている。
「わからねぇの?」
立ちはだかるは、黒の学ランと特徴のないモブ顔。
その少年は、確かに消し炭にしたはずであった。
「ゲームとやらの醍醐味だろ、蘇生やら復活ってのは」





