2-1 枯れ木色の村とよそ者
雲鼠は少年少女を背に駆ける。
木々の視界が風とともに開けて、穏やかな日差しが照らす小高い丘へと出た。
丘には緑の絨毯が広がり、麓の盆地には、川に寄り添う集落が見て取れた。
それこそがライチの言う村なのであろう。
マグレブと名付けられた雲鼠はスピードを落とさずに丘を駆け下りる。
あっという間に眼前に川が迫り、架かる木橋にさしかかると、眼下には透き通った流れが見えた。
橋を渡りきると、マグレブが纏っていた風が止み、久しぶりに思える重力が身体にのしかかってきた。
「マグちゃんありがと。荷物は広場、小袋は私の家に運んでおいて。中のカシューアップル、一つだけなら今日食べてもいいわよ」
槍と腰袋だけを持って飛び降りた赤毛の少女は、よしよしと友達の頬を撫でる。
その間に悠太は背中から降りようとして、振り落とされた。
「何してんの?」
「いや、今……」
何となく悪意があったような気がして白毛の魔物の顔を見る。
つぶらな瞳は可愛らしいが、感情は読み取れない。
「どんくさいわね、ほら立って」
気のせいと思うことにして、ライチが差し伸ばす手を取ろうとしたところで、間に割り込んで白毛の顔が擦り付けられる。
「あら、どうしたの今日は。やけに甘えるじゃない。二人も乗せたら疲れちゃった?」
悠太を引き起こすことは何よりも優先されることではない。
当然、その手はマグレブを再度可愛がった。
埃を払いながら立ち上がり、もしやと獣の顔を伺う。
つぶらな瞳は可愛らしいが、どうも勝ち誇ったような感情が読み取れた、気がする。
ひと通り寵愛を受けて、再び風を纏って走っていく雲鼠の後ろ姿を見送り、改めて目前の村へと視線を向けた。
――ここまでの緑の丘や透明な川、清々しい自然の中にあるにも関わらず、村はどこか枯木色のどんよりとした雰囲気だった。
悠太も幼少の頃に母方の田舎へと連れて行ってもらったことはあるが、その際に見た田園風景と比べても、この村が寂れているのは間違いなかった。
具体的にどこが寂れているのかわからないまま、首を巡らせる。
まず目を引くのは、川沿いに巡らされた細く高い木の柵。
細木同士は糸で繋がっており、糸には鈴が吊るされている。少し曲げれば折れてしまいそうなあたり、強度は高くなさそうである。
「この柵で村を囲ってるの。バビルーザの襲撃をいち早く察知する為に鈴もつけてね。鈴の音は伝鳥で村中に広めるの」
「つぃっくる? ……まあ、なるほど、危険を知らせるって目的だからこんな細い造りでもいいのか」
疑問と感心を素直に述べると、彼女はそれ以上の解説は寄こさずに表情を曇らせる。
「……来て。村の決まりで客人は村長に挨拶しないといけないの。村の真ん中、坂の上に集会所があるわ。ついでに、村の中も見せてあげる」
覇気のない案内の誘いに、悠太は首を傾げて従った。
◇◇◇◇◇
草色と藁色の村の中を歩く。
まばらに木屋根の民家が並ぶ田舎道を進むと、古びた石畳の広場に出た。
広場の真ん中には麻袋や、束にまとめられた青野菜、樽に詰め込まれた果実が見える。
露店のようなその周りには何人かの老人が集まっていた。
「あれは?」
「配給ね。畑を荒らされた人は食い扶持を失うから、今はああして備蓄をまとめて分配してる。マグレブに運んでもらった鹿肉も、いずれ干し肉として並ぶわ」
悠太はなるほどと唸った。
生活が苦しくても村は一丸となって頑張っているわけである。
これは自分もバビルーザの退治を頑張らねばなるまい。
ふんすと鼻息を荒くする悠太に比べ、ライチは眉間に皺を寄せて彼らを眺めていた。
その様子が不思議で、何か変わったことでもあるのかと改めて広場を見渡す。
そして、悠太はあることに気付いた。
――村に、若者がいない?
全く人がいないわけではない。
しかし隣の少女以外、遠巻きにこちらを眺めてくる人影は全て老人であった。
そして、どうも視線のきつさやひそひそ話の仕草から、歓迎されているというムードではない。
「あ、あれ? なあ、ライチ。俺、来ちゃって良かったのか?」
心細くなってかけた一言、彼女の返しに驚いた。
「いいのよ、文字通り腰の抜けた爺さん婆さんたちだもの。何もしてきやしないわ」
歩みを再開しつつ下した村人への評価は刺々しい。
村を想いバビルーザの退治を依頼した先程の態度と、どうも温度差があるように思えた――その時であった。
「言ってくれるじゃねぇか」
歩み出てきた老人は、鍬を杖のように広場に突き立て、悠太たちの前に立った。
年季の入った農夫の服装に泥で汚れた髭、伸びた眉から覗く眼光は鈍くこちらを見据えている。
「こちとら数十年ここに住んでんだ。『よそ者』にとやかく言われる筋合いはねぇぞ」
いきなりの横柄な挨拶にも面食らったが、気になったのは「よそ者」という言葉であった。
よそ者である悠太には、とやかくを言った覚えがなかった。
老人の視線、言葉の脈絡からして、それはライチに向けられた言葉のようである。
「よそ者って……?」
老人は立ち塞がったわけではなかったが、ライチはすれ違い様に足を止めて、斜に構えて睨み合う。
険悪な雰囲気に悠太も自ずと従って立ち止まり、老人から突き刺すような視線を浴びる。
「で、またどこぞの馬の骨拾って来やがったのか。今度は何だ? 臆病領兵に狩人崩れ、一月前に拾ってきた行商人も、もう逃げちまったぞ」
「あなた達がいびって追い出したんでしょ。あの人からはもっと沢山の魔導符を仕入れられたはずだったのに」
腰袋に手をやって答える。
道すがらに見せてくれた魔導符という羊皮紙。
その仕入れ先は既にこの村を後にしたようであった。
「二束三文のボロっちい紙切れで何が変わるかよ。領兵も狩人も……魔導師の先生すらどうにもできなかったんだ。いい加減諦めな。お前さんの悪あがきが村の被害を大きくしてるのがわからねぇか」
「そういう諦めこそ、バビルーザの増長の原因じゃない。そういえば、次の生贄はもういよいよカーレ爺ちゃんの果樹園だったわね」
失礼にも指差して挑発する。
老人の名前はカーレというらしい。
「村で二番目に広いとか自慢してた癖に、あっさりあの果樹園も見捨てるわけ? あなたのとこが踏み荒らしたらもう村長の畑しか残ってない。そこすら潰されたらこの村はお終いよ!」
「黙れ!」
髭から覗く顔に怒りの色が滲んだ。
「勝てぬ相手に挑みかかって何人が犠牲になった! 村の終いが見えるなら出ていけ! 留まるなら余計なことはするな!」
息が詰まりそうなムードは老人の恫喝で締め括られた。
ライチは赤毛をぞわぞわと逆立て老人と睨み合うと、やがて「行くわよ」と呟いて隣をすり抜けた。
小走りについていくと、すれ違い様に舌打ちが聞こえた。
この村怖い。
魔物に襲われているとはいえ、ここまで険悪な空気が蔓延するであろうか。
ここまで残った村人同士なら、もっと結束が固くてもいいのではと思う。
「……昔は、こうじゃなかった」
集会所とやらに至る上り坂へと差しかかると、肩を怒らせて歩くライチが呟いた。
「お爺ちゃんもお婆ちゃんも優しくて、頼りになる働き手もいて、小さな子がいる家族も沢山あって……皆大らかだった。そんな村だったからこそ、私みたいな捨て子も受け入れてくれて、これまで育ててくれたんだから」
「捨て子って……それで、よそ者か」
「そうよ、よそ者よ! たまたま村に拾われた小汚い子供! 親の顔なんか見たこともないし、生まれた場所だってわからない!」
何となく脳内で繋がったのは、ライチが初対面の不審者を信じた理由であった。
色々と理由を並び立ててはいたが……「自分がこの世界の何者かわからない悩み」を悠太が抱えていたことが大きかったのであろう。
その底知れない不安を彼女自身も抱いていたからこそ、同じ不安を抱え自らに縋ってきた悠太に手を差し伸べたのである。
「でも、自分の出自がわからないからこそ、この村は私の全てなの。だから、好きにさせない。自暴自棄なお爺ちゃんたちにも……こんなことになった原因のバビルーザにも」
語気荒く意気込むと、坂の途中で彼女が振り返る。
青い瞳は後方の悠太の更に背後へと向けられていた。
つられるように振り返ると、村が寂れていた理由がわかった。
区分けされた畑が、どこもかしこも荒れ果てている。
背景の山々の緑を見るに、本来なら何かしらの作物が実っていておかしくない季節だろうに。
そんな景色の中で一区画だけ、緑黄色の見受けられる果樹園があった。
その傍らには鍬を杖代わりに佇む老人。
佇まいや先の話から、恐らくあの一画ががカーレ老人の畑や果樹園なのであろう。
「私は必ず、バビルーザを倒してこの村を元の姿に戻す」
ライチは振り向かず、そう残して細道を上へと登っていった。





