5-44 攻撃力778、物理防御742、魔法防御790、敏捷845、集歌効率953、令歌変換率100%
世界の名前はエルナイン。
この世界では精霊が溢れ、魔法が行使され、魔物が跋扈する。
景色はどこか童話の中で見たような牧歌的で、猟奇的で、神秘的で、何より幻想的だ。
そんな妖精でも飛んでいそうな夜の森でぶつかり合うのは――二人の日本人だ。
赤毛の前髪の奥から、青い瞳がそれを見守っていた。
両手両足は縛られ、身を起こすこともままならない。
臙脂色の制服は泥だらけで、薬品を嗅がされたか身体に力が入らない。
「ユー、タ……」
届かない声量で、学ランをはためかせる後ろ姿に眼差しを向ける。
――あのマギという少年が口にした『ニホン』は、悠太との会話の中で何度も出てきた彼の故郷だ。
エルナインとは異なる技術が進化した世界、少なくとも彼を取り巻く環境は平和だったという。
いつか行ってみたいな、なんて声を弾ませると彼の顔がパッと明るくなったのを覚えている。
彼らは自分たちと同じように『コウコウ』という学術施設に通い、同じように友と学び合うらしい。
彼らは自分たちとは違って魔法ではなく『デンキ』や『ガソリン』で動く魔導車で移動するのだという。
彼には、自分たちと同じように、帰るべき家があり、そこには彼を待つ『家族』がいる。
そんな『ニホン』で彼らは、自分たちと同じようにそれぞれの本分に取り組み、支え合って日常を送り、そして――余暇には『ゲーム』等をして楽しむのだとか。
『ゲームの世界』と、茶髪の少年はエルナインのことをそう呼んだ。
何を言っているのか理解できなくて、信じる悠太に答えを求めてみたけれど、彼も答えてくれなかった。
いつものように、彼が振り向いて顔を見せてくれなかったことが――とても怖かった。
「それ、でも……」
惑わされないように、一度きつく瞼を結んで不安の涙を流し切る。
マギが何を言おうと――『ガクラン』という上着をはためかせて戦う後ろ姿は、今までと変わっていない。
ライチは彼のため、出来ることを探した。
「番う、焔よ――」
絞り出した声で唱える集歌。
九時街で友たちを助けるために覚醒したはずの天使の力は、反応しない。
「なんで、なんでよ……番う、焔よ、番う……」
元々不安定な段階の力、既に枯渇したのか、それとも身体が弱っているせいか。
焦り、縋るように悩み苦しむライチの首には、気を失っている間に巻かれた『響鸚鵡の首輪』があった。
魔導具『響鸚鵡の首輪』は、集歌の歌い出しが技名となり、発動すると以後の集歌にマナが反応しなくなる。
魔導師を捕らえた際に多く用いられる魔法無効化の魔導具である。
――それは同時に、マギが意識を取り戻した天使を嘲笑う為の細工でもあった。
首元は目で見ることができず、後ろ手に縛られていては首に触れることもできない。
ライチは自身の無力の原因を探ることすらできず、芋虫のように身体を捩る。
流し切ったはずの涙が、再び目尻から零れていく。
「こんなの、って……!」
彼が戦っているのに、自分にできることは無様に這いずって、少しでも距離を置くこと――足手纏いにならないようにすることしかない。
歯を食いしばる口には土の味、頬の涙跡には草露と泥の茶緑が付着した。
彼女はただ冷静に、限定された最善手を実行していく――ひたすら無力に打ちひしがれながら。
◇◇◇◇◇
▼やまだゆうた。
▼レベル37。
▼開放済機能、ステータス画面、イクイップ画面。
▼所持品、『大蔦豚の篭手』、詰襟の学ラン、補修されたスニーカー。
▼能力値、攻撃力778、物理防御742、魔法防御790、敏捷845、集歌効率953、令歌変換率100%。
◇◇◇◇◇
――攻撃を防ぐために浮かべたステータス画面に羅列された数値たちは、悠太の圧倒的不利を告げていた。
「逃げんで大丈夫? レベル、足りてないけど」
そう耳元で囁きが聞こえた頃、視界には目前まで迫った手刀の平突きと、伏せた手の平が輝く光景が迫っていた。
悠太と同じステータス画面を浮かべ、首を空間ごと両断しようとするのは茶髪の少年、マギ・アキトである。
ギリギリ身体を反らせて躱すと、視界に彼が浮かべる赤い画面に踊る『レベル60』の数値が飛び込んできた。
数値を隠すように手の平でその画面を押し、スニーカーは後方へと地を蹴る。
身を縮めてゴロゴロと転がり距離を取った。
顔を上げると、マギは嫌味ったらしく画面を浮かべたまま、獲物を観察している。
まるでゲームでも楽しんでいるようなニヤついた視線が癪で、悠太は吠えた。
「逃げねぇよ! レベルが何だってんだ、今までだって、明らかに俺より強い奴らと戦ってきたんだ……切り抜けてみせる!」
「何それウケる。ゲームの世界で精神論? じゃあ見せてもらおうか、俺より217も少ない速さでどう躱す?」
言葉尻だけが後方から聞こえ、背後を取られたと察する。
肌で感じるのは、今まで悠太自身が敵に向けてきたのと同じ――手の平をかざされる恐怖感。
ステータス画面の顕現先にいてはならない。
手の平の向きを変えようと、振り向きざまの裏拳でマギの腕を弾こうとする。
「俺より452も少ない力で?」
裏拳はマギの手首にしっかり打ち込まれた。
しかし手の平をかざすローブの腕はびくともしない。
そしてかざした手の平の先、十五センチ程の空間が光る。
「じゃ」
口元の笑みに死を予感し、悠太は打ち付けた裏拳に力を込める。
マギの腕を押し退けられないのなら、自分が避けるしかない。
反動を利用して前のめりの飛び込み前転、出現した赤いステータス画面から逃れる。
「ぐっ!?」
一部逃げ切れなかった二の腕が、ぱっくりと傷口を広げ、ドバドバと赤い血を流した。
歯を食いしばりながら地面を転がり、最大限に距離を取る。
接近戦はあまりに危険だと、身に染みた。
「だったら……」
肉弾戦では勝機が見えないと、悠太はマギへと振り返って負傷していない腕を突き出す。
照準をマギに定め、その前腕に装備した篭手に緑の光を集める。
「『四蔦縛』!」
篭手の表面から生えた四本のツタは、真っすぐにマギへと伸びていく。
四肢を絡め取ろうと迫るツタの動きは、マギには止まって見えた。
「何をする気だい?」
すいすいと半身を揺らして躱すマギが、少しの違和感を覚えた。
――どうも、この攻撃には姑息な裏がある。
悠太は手元に浮かべたステータス画面を脇に抱えこみ、ステータス画面の特性を利用し、身体を固定する。
同時に、四本のツタはマギの後方にある倒木に絡みついた。
『四蔦縛』は対象に絡みつくと、一気に縮小して引き寄せる技だ。
倒木はマギの背後から、凄まじいスピードで彼を轢こうと迫り来る。
「悪いけど」
ジャラリと、ローブの裾から伸びる鎖が舞った。
「魔導具も俺のが上。SR程度じゃ俺っちのSSRにゃ勝てないよ」
鎖は生きた蛇のように、ピンと張った四本のツタに振るわれ、全てを両断した。
反動で転ぶ悠太に目標を定め、マギは鎖の先端を後方で止まった倒木へと突き立てる。
技の名前は――『鎌風力士』。
すると鎖に纏わりついた空色の粒子が倒木に伝搬する。
鎖と倒木を包む暴風は、まるで超能力のように巨大なそれを宙に振るいあげた。
「難点は技名だっせーのよ」
倒木は軽口と共にフレイルのように悠太へと振り下ろされる。
暗雲をバックに迫りくる巨木の範囲からは、一足では逃れられない。
「ステータス……!」
咄嗟に画面で防ぎ、バキバキと舞い上がる土埃に乗じて更に距離を取ろうとする。
魔導具には充填時間があるはずで、この土埃の中ではそうすぐに追撃はできないはず、と考えた。
そして、その考えは甘かった。
「――『鎌風花火』」
土埃の煙幕の中、鎖の先端が空色の粒子を集める。
それは一瞬の内にパァンと爆発し、突風と衝撃波となり全方位に駆け抜ける。
煙幕は瞬時に晴れ、姿が露わになった悠太へと、マギが一直線に距離を詰めた。
「くそ……!」
悠太は手の平をマギに向け、ステータス画面を浮かべる。
万が一にもマギを傷つけないように、距離に余裕を持って。
未だ、悠太には容赦なくステータス画面を人間相手に叩き込む覚悟はなかった。
「見えてんだよ」
マギは悠太が安易に浮かべた画面の上淵を片手で掴み、飛び越えざまに倒立し蹴りを振り下ろす。
肩口に入った刺激にぐらついた悠太の眼前に、再びマギの手の平が向けられた。
彼の画面には、覚悟の迷いはなかった。
「がひゅっ!?」
良くない声があがったと、悠太自身も自覚した。
無理矢理に跳び退いたことで一刀両断は免れた。
しかし、学ランもシャツも裂いて胸に真一文字に入った傷は、どうも肋骨より内側……臓器の類に達していそうだ。
ボタボタと血液をまき散らし、崩れた体勢のまま駆けたり転がったり。
腕は追撃を振り払うようにがむしゃらにステータス画面を浮かべては消し、また浮かべた。
苦し紛れの対応の一方で、追撃がなかったのはマギの冷静さ故であった。
今は仕留め損ねたが、ステータス画面は深くヒットさせれば一撃必殺。
そしてこの画面だけが、自身と学ランの少年の力関係を逆転させる恐れがある。
力や素早さで勝ろうと、ラッキーパンチ一回で覆る。
仕様をわかっているからこそ、マギは危険を冒すことはない。
数値差、能力差で着実に追い詰めることを選ぶ。
何とか片膝をついて状態を立て直す悠太だが、既にその息は上がりきっている。
息苦しさの一因が胸から止まらない血だとわかるから、全身の冷や汗が止まらない。
横目には、がむしゃらに浮かべた自身のステータス画面。
HPの表現である棒状のゲージは、四分の一からじわじわを短くなり続けている。
これがゼロになった時――脳裏に過った不安に首を振る。
「……このまま、じゃ」
諦めるわけにはいかない。
しかし、一つ一つマギが実践する検証が、どうしようもなく悠太を追い詰めていた。
レベルで強化した身体能力も、使い馴染んだ魔導具も、唯一のオリジナリティであったステータス画面さえも、同じ土俵ではまるで敵わない。
また意外にも、あの軽薄な態度にも関わらず、それらの絶対的アドバンテージによる慢心がないことが最も厄介であった。
「窮鼠猫を噛むってあるからね、プレイヤーを仕留める時に近づくのは良くないんだ。だから、まずは動けなくなるまで弱らせる。丁度、今のユウタちゃんみたいにね」
悠太のHPは、マギからも見えていた。
「さて、終わりだよ」
マギは右手をかざし、ステータス画面とは異なる円形の板を浮かべた。
「く、イクイップ画面……!」
円形を十字に区切ったそれは、プレイヤーの装備を切り替える画面だ。
マギは手慣れた操作で、現在装備している『銀鎌鼬の鎖刃』に隣接する枠をタップする。
すると宙にうねっていた鎖が、またもパッと消え去る。
そして、今回代わりにマギの手元にパッと現れたのは――一言で表すなら勇者の剣――白銀の刀身に雷鳴を纏う神々しい刃であった。
「『サタン侵攻』イベント特典の『勇者の聖剣』。文字通り勇者プレイしたい人用のデザインなんだけどさ、まあ充填時間長くて取り回し悪いのよ、最装填に一日って燃費悪すぎよね」
そんなことを言いながらマギがその聖剣を掲げると、剣の切っ先から一閃の雷が天へと走った。
「けど、派手さと威力はトドメ用として申し分ないんだよね」
そして、五年前のイベントにて、今は亡きとある勇者と魔王との戦いで使用された技名が読み上げられた。
「行くぜ正義の鉄槌――」
一般的なロールプレイングゲームの醍醐味は、キャラクターへの成りきりである。
勇者マギは邪悪な笑顔全開で、学ランのバグキャラへと聖剣を振るった。
「――『天雷』」
暗雲にピシャリと黄色の亀裂が走り、大気を割りながら迫る雷光が、悠太の脳天を照らした。
「ちくしょ……」
――全く歯が立たなかった。
今までのどのイメージよりはっきりした死を突きつけられ、身体はすくみ上がる。
瞬きすらできない眼に涙が浮かび、蒸発した。
噛み締めた歯がかすかに震え、すぐさま痙攣に変わる。
そして、少年は地を割るほどの閃光に打たれる。
絶叫を掻き消す雷鳴が轟き、全身の血液が沸騰し、皮膚が、肉が、臓物が焼けるのを感じた。
激しく明滅する視界の中、ライチが、ネピテルが、ブランが――温かな家族たちとの食卓が――光に呑まれていった。
「……ご、め……」
衝撃が過ぎ去った後は、無音。
崩れ落ちる身体と、夜より黒く閉じていく視界。
暗転の間際、平然と浮かんでいる見慣れた画面に映っていたのは、黒ずんだ空っぽのHPゲージだ。
「――はいHPゼロ。ユウタちゃん死亡決定」
 





