5-41 急変
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エルフの国の王子、カーマインの目的は、弟であるブランを天使の力ごと抹殺することでした。
ブランは支えてくれた皆の命を繋ぎ留めながら、友である悠太の声に助けられながら、見事に兄を打ち破ります。
一件落着、勝利の喜びを分かち合うブランでしたが、喜びも束の間、その胸は背後から凶刃に貫かれてしまいます。
晴れることのない雲の帳の夜――襲撃者は概ね敗れ去った。
しかし、彼らの残していった爪痕は深く深く、首都を傷つけた。
民衆たちの心は、夜の深さに比例して、不安を増していくばかりである。
――十一時街の中心地寄り、和風な外観の建物が並ぶ通りを、一頭の雲鼠が疾走する。
雲鼠の名はマグレブ――魔導学院の女生徒ライチ・カペルのパートナーである。
しかし現在、熊ほどもある体躯の背に乗せているのは、その赤毛の主人ではない。
「マグちゃん、こっちに何があるのかしら……?」
周囲の様子に気を配りながら、糸目の女性――イトネン・カーレムスは、夜風に暴れる三つ編みを抑えた。
あちこちを怪我し、汚れ切った雲鼠は、二時街で救助の指揮を執るイトネンの下に押しかけ、必死にロングスカートの裾を引っ張ったのだ。
のっぴきならない様子に料理人ギルドマスターは、救助の指揮権をサブマスターに預け、雲鼠の背に乗った。
その後マグレブは、必死に走ってきた道中を、必死に走って引き返した。
彼もまた、この夜の激闘に身を置いた戦士であった。
九時街で氷の大狼と対峙し、危うい力に目覚めた主人を残し、主人の学友二人を避難所まで運んだ。
そして、風変りな出で立ちの少年を連れて主人の下に戻ろうとして、その瞬間を見た。
白いローブの二人組に担がれ、連れ去られる主人。
少年は、二人組の追跡を自分に任せ、功夫服の襲撃者を引き受けた。
それからは付かず離れず追跡を行っていたが、十一時街で事態は急変する。
白ローブたちの前に立ち塞がったのは、只者ならぬオーラを放つ忍装束に般若面の男。
どうやら味方らしいその男と白ローブの男が交戦を始め、戦況が進む内に、雲鼠は一つの判断を強いられた。
――この街で、最も強い人を連れてこなければ。
思い浮かんだ人物は無事に連れてくることができたが……戻ってみれば十一時街はやけに静かだ。
スピードを落とし、注意深く進む彼らは、路地を曲がった先で、無残な彼の姿を目にすることとなった。
普段は全く表情を乱さない糸目の店主が、ヒュっと息を絞ったのがわかった。
「――アハディオ、君……?」
砕けた石壁に寄り掛かるように俯いて、顔は見ることができない。
傍らには、真っ二つに砕けた般若面と、残骸となった義手義足が散らばっていた。
イトネンは素早く駆け寄って屈み、首元に手を当てる。
冷え始めた首筋に走る頸動脈が、微かに拍動する。
「まだ息はある……マグちゃん手伝って、彼を運ぶわ」
鋭く指示を飛ばしながら、イトネンは胸騒ぎを仕舞いこんで雲鼠に彼を乗せる。
思考は速やかに最悪を想定し、次の行動を組み立て始める。
「トドメを刺してないのは時間的余裕がなかったから……とすれば賊には、まだ目的を達成する勝算がある……?」
狼に襲撃者に龍……視認してきただけでも三手は返り討ちにしているが、まだ次の手があるらしいことに、イトネンは眉をひそめた。
「いずれにしろ、警戒は解かないよう周知しなきゃね。何かいる……まだ、得体の知れない何かが……」
そう、今宵の襲撃者は、まだ残っている。
カージョナ最強の傭兵を下すほどの何者かが、暗躍している。
◇◇◇◇◇
「――いやー、おとぼけ般若仮面に絡まれたのは不運と思ってたけど、こりゃ丁度いい時間調整になったね」
耳障りな声が何を言っているのか、悠太にはゆっくり認識できるほどの精神的余裕がない。
再び味わう無力感に暴れる鼓動を抑えるのに必死で、一歩たりとも動くことができない。
火翼竜との熱戦を終え、静けさを取り戻したはずの遺跡。
炭化した倒木と瓦礫に囲まれ、各々が勝利と生還を噛み締めている中の衝撃的光景は、切り取られた一枚絵の如く時間を止めた。
友の胸から飛び散る血液はまるで溢れ出るルビーのようで、夜風に乱れた銀髪は上質な絹のように月明かりを反射した。
何もかもが綺麗な中、ただ一つ、友――ブラン・シルヴァの瞳だけが光を失っていた。
時間が動き出したのは、背後からブランを貫いた鎖状の武器がジャラリと引き抜かれ、ローブの長身が石床に倒れ込んだ後であった。
「ブ、ラン……?」
ベージュのローブに赤が広がっていく。
ブランは、とても頼もしくなった。
優しさという強さの下で臆病を克服し、天使の力を制御し、兄という試練を乗り越えた。
彼の物語はこれから始まるはずであったのだ。
それを――
「これで目的二つ目達成、さっさとずらかりますか」
どうしてそんな軽い態度で踏み躙れるのか。
赤く濡れた鎖を辿った先は、白いローブの袖。
頭巾から零れるは伸びた茶髪。
チャラついた前髪の奥からは、人を小馬鹿にしたような流し目が笑っていた。
年の頃は悠太とそう変わらない軽薄そうな少年は、足を止めることなく場を突っ切って、更に北に広がる森へと逃げていく。
視線を追わすと、視界の端からもう一人の白ローブが合流した。
そのもう一人の肩には、見慣れた赤毛の制服姿が担がれている。
「ライチ……!」
嗚呼、奪われる。
このままでは、大切な人も、大切な友も、奪いつくされてしまう。
しかし、脚が動かない。
ライチを追えば誰がブランを救うのか。
ブランを救うなら誰がライチを追うのか。
どちらも大切過ぎて――二律背反、ジレンマの呪縛に捕らわれた少年に、動く術はなかった。
呪縛を解いたのは、短い吠え声であった。
「行け! 行くのじゃユータ君!」
声の主はいつの間にか駆け寄り、ブランの身体を抱きかかえるプードル族のご老体だ。
「アシャ、ラさん……?」
「彼奴らが担いでおったのはライチ君じゃろう!? 君が追わないでどうする! ブラン君は任せなさい! このワシがギルドマスターの名にかけ助けよう!」
普段好々爺な彼から出る鋭い指示。
それは老人自身がその生涯の中で数えきれないほどのジレンマに立たされて育んできた判断力によるものだ。
悠太にはない経験の差が、悠太の背を強く押した。
「ブランを、お願いします……!」
スニーカーが森の方角を向いた。
そして、石床にヒビが入るほどに踏み込まれる。
まだ視界から白ローブ共は消え切っていない。
その背中を追って、追いかけて、学ランを棚引かせる。
夜は、終局に向けて駆け出した。
狼が唸り、刃が交わり、龍が舞い、巨人が轟き、大樹が暴れ回った夜の大トリは――
「逃がさない……絶対逃がさねぇぞ『マギ』!」





