5-40 あいつに一票
記憶に未だ鮮明に残る風の天使の大魔法。
あれが天使の能力なら、賭ける価値があると思った。
希望を持った傍から――ハッとした時には目の前に火球が迫っていて。
悠太は咄嗟にブランを突き飛ばし、自身もその反動で飛び退く。
直撃は回避したが、地表で爆裂した熱と風が二人を吹き飛ばす。
流れる地面に肩から落ちて、スニーカーのつま先を何とか地につけ、指で石床を掴んで四つん這い。
睨み上げれば赤い月と炎の翼竜たち、そして巨大な火翼竜。
それらが見下す地上に視界を戻すと、遠く、尻もちをついた銀髪の青年がいた。
ブランの口は強く歯を噛みしめ、踏ん張らなければならないと闘志を留めている。
一方でその目は、瞳孔が縮まり細かに震え、格の差への絶望を滲ませていた。
――戦況は、敵の目を見ることで把握ができる。
この戦いで何度か交錯したカーマインとブランの視線。
現時点の交わりをもって、上空のカーマインは深く息を吐いた。
「……貴様にその気があろうとなかろうと、王族に生まれた者はすべからく王たる者の資質を問われ続ける。命尽きるまで、絶えなく」
そして、心を折るべく問いかける。
「王たる者は、国敵を薙ぎ払う矛として、誰よりも強くなければならない」
貴様はそこまで非情になれるか。
「王たる者は、国政を支える柱として、先人の紡いできた歴史の重圧に耐えねばならない」
貴様は逃げずに堪え切れるか。
「王たる者は、国民を庇護する盾として、決して折れることのない鋼の意思を持たねばならない」
貴様は自分の意思を貫き通せるか。
――否、何一つ成し遂げられまい。
怯え切ったその瞳が証拠だ。
「覚悟なき者は消えろ」
火翼竜が獄炎の翼をバサリと広げる。
竜の眼前には、再び凝縮されていくあの炎――熱線の兆候――が浮かぶ。
格付けが決まるその時を祝うように、眷属たる翼竜たちが無数に飛び交った。
ギャアギャアと五月蝿い鳴き声と、答えることのできない兄の問いが、ブランの心を締め付けていった。
興味のない振りをしても、逃げ出しても、生涯消えることのない『生まれ』という義務。
現に、国から逃げ出して尚、自分はその義務を背負っている。
逢王兵たちやアシャラ、悠太――守るべき者がいる限り、王の責務からは逃れられない。
戦い、守る責務を放棄できない。
そして、ぶつかり合って理解できた。
臆病な自分が逃げ回っていた間も王の責務と向き合ってきた兄には、やはり敵わないと。
「……余の、せいだ。余が、もっと、早く、ちゃんと、逃げずに……」
本気になっていたら。
後悔も虚しく、最期の時は着実に圧縮されていく。
そして――その時に『待った』がかかった。
「王様ってのも大変だな。生まれた時から色々雁字搦めでさ」
不躾な進言をしたのは、ブランを庇うように立ち塞がった少年であった。
学ランをはためかせる後ろ姿は、今も毅然と赤い月と竜を睨みつけている。
「そういう難しいことから逃げないで、ずっと背負ってきたから、あんたは強いんだと思う」
素直な感想であった。
王族のプレッシャーは、ブランに寄り添っていれば少しは想像がつく。
わからず屋であるし、共感もできないが、賞賛すべき部分がある相手と思った。
だが、その上で、拳を突き出して言う。
「でもさ、その言い分じゃ……あんたが倒れたら国も壊れちまうんじゃないか。それって、強い国なのか?」
「下等種族が……知った口を利くな」
「そうやって人を下に見る王様、俺なら支えないね。あんたが倒れそうな時、誰か助けてくれるのか? 倒れちまった時、家族や仲間として支えてくれる人はいるのか?」
竜の眼前に集束する炎が、その陽炎で瞳を苛立たし気に歪ませた。
「……愚問だ。私は倒れん」
「いいやぶっ倒れるね。俺とブランが、ぶっ倒す」
そして、悠太は肩越しにブランに笑いかける。
肩で息をする銀髪の青年は、幾度となく支えてくれたその笑顔に報いるため、脚に力を入れる。
もう一度だけ、もうひと踏ん張り、あと少しだけ頑張る気力――この少年はそういう勇気をくれる。
「ブラン――勝とう」
赤い瞳を震わせて、ブランは尻もちの腰を上げた。
反逆者が瞳に力を戻したのを確認するや否や、カーマインは凝縮した熱線を解き放つ。
合図は、高圧の炎が弾かれるキンと甲高く響く音。
その音に合わせ、悠太が突き出した拳が開き、かざした手の平が輝く。
「――ステータス・オープン!」
そのステータス画面は、世界の理を無視するものであった。
少年にしか見えず、しかしそこに存在し、どんな攻撃にも傷つかない光の板。
面積に収まるほどに圧縮された熱線は、その表面に直撃するや否や獄炎となって四方八方に飛び散った。
しかし画面の後方には、火花一つ通らない。
「また面妖な……!」
天使の魔法すら退けた熱線を防ぐ少年に、カーマインの分析は追いつかない。
熱線は細まり、好機と見た悠太はブランへと手短に指示を飛ばす。
「ブラン! 集歌だ! 集歌をフル詠唱してくれ!」
未知の試みに、ブランは一瞬だけたじろぐ。
ひとフレーズで街の一角を覆うほどの粒子が集まる。
それを完全詠唱などをしたら――とても制御しきれる自信がなかった。
そんな不安を先回りするように、悠太が続けた。
「魔法を使う必要はないんだ! 集めるだけでいい! 早く!」
見上げれば、カーマインは再び熱線の準備に入り、赤い月の翼竜たちが次々に滑空してくる。
ブランは悠太を信じ、覚悟を決めた。
「――相分かった!」
魔導書を閉じ、両手を広げる。
右手の先には、崩れ去った瓦礫の山。
左手の先には、今も熱に苦しみ、のたうち回る逢王兵たち。
「皆を守る力を、余に……!」
『気高き尊よ――』
悠太は翼竜どもの注意を引くべく、再び乱立する木の根に跳び乗り、夜空へ躍り出た。
『連れ子と流れ、烏兎流れ、藍の模様は奉公日和――』
煩わしそうに羽ばたく獄炎の翼が、眷属たちに指示を与えブランへと標的を絞った。
『赤子のくぐる大輪の、天に昇る厳かさ、惑い迷いて赤子は何処――』
「く、戻るか……!?」
狙われるブランへと引き返そうとしたスニーカーの足だが、目に映る光景にグッと留まる。
その理由は、真っ黒焦げになりながらも翼竜たちを切り伏せる大鎧の隊長『キャス』と、ボロボロの魔導書を片手に氷魔法で翼竜を撃ち落とす老プードル『アシャラ老』の姿だ。
『亡失果てては後の祭り、血の祭り――』
頼もしい応援に背を押され、再びぐんぐんと迫ってくる少年を視界に入れながらも、カーマインは地面を覆いつくし始めた膨大な緑に気が付いた。
弟に制御しきれるはずもない粒子の量、暴走前提の大魔法を行使することを予期した火翼竜の頭は、熱線の射線を真下に向けた。
「――貴様は守り切れるか」
カーマインは大きく羽ばたき、熱風で悠太を吹き飛ばすと、真下へと熱線を放射する。
圧縮された熱のレーザーが大地を抉って貫き、尚も火力を上げていく。
そしてチラリと……竜の眼が南方に見える首都を見やった。
嫌な予感がした。
例えばカーマインがこのまま首を振り上げれば、首都は熱線に両断されることになる。
悠太と同じくカーマインの狙いに気づいたブランの身体は、勝手に駆け、首都を庇うように立ち塞がった。
「させぬ……! 『見返り枯れ木の示す道、牙より守れ――」
カーマインは哀れんだ。
貧相な身体で街を庇いきれるはずもなく、如何に天使とはいえ、集めたのも緑の粒子では、自身の最大火力を受け止めきれるはずもない。
所詮は混ざり者であったと、一思いに熱線を振り上げた、その時であった。
「――向後に、紡げ』!」
叫ぶような集歌と共に、ガクンと、片翼と視界が傾いた。
状態を崩したまま振り上げられた熱線は、大地を裂き、首都のすれすれを掠め、曇天を赤く一閃した。
「何、だと……!?」
急転する状況に見開く竜の眼が、木の根の足場から飛び上がって同じ高さにまで到達した少年を映す。
少年が白い歯を見せているということは、自身が何かしらの策に嵌ったことを意味する。
鍵は、悠太が同席を許された天空の決戦に隠されていた。
曇天の首都上空にとぐろを巻いた黒龍と、風の天使サマーニャ・ヒューバートはいくつもの技の応酬の末、東の大河で決着をつけた。
サマーニャは、完全詠唱で黒龍の巨体が纏う風の粒子を引き剥がし、自分の魔法に変換していた。
それと同様に、緑の粒子を統べる天使が集歌を最後まで唄ったとすれば、どうなるか。
火翼竜が纏い、操っているのは炎。
緑の粒子を引き剥がしたとして意味はあるのだろうか。
――否、纏っているのは炎であるが、それを可能としているのは――『蝮女樹の呪珠』――魔物の身体を構成する緑の粒子である。
火翼竜の燃える身体の下から、緑が浮き出し、興味を失ったように剥がれていく――ブランの下へと集っていく。
さながら、数万、数百万の民が真に認める王に集うように。
そう感じてしまったカーマインは激しく憤る。
獄炎の翼も、炎を吐く頭も失い、ただ落下していく一人のエルフは、破けた貴族服の腕を地上の弟へ伸ばす。
「――待て……! 馬鹿な……その者ではないだろう……!」
「いやあいつに一票だ」
声は上空から。
いつの間にか真上に位置していた悠太が、自由落下していくカーマインに狙いを定める。
拳を振りかぶる少年に向き直って、エルフの姿に戻ったカーマインは宙で剣を抜き、吠える。
「黙れ下等種族が……! 『番う焔よ』!」
一声叫べばでその身を覆うほどの赤い粒子を呼び寄せる。
王族由来の恵まれた集歌効率は、魔物の身体を失っても健在であった。
「その剣……!?」
悠太の脳裏に過ったのは、街中で刃を交えた黒龍の青年だ。
彼が持っていたのは、目下でカーマインが構えるのと同じ『刀身に魔導陣が彫られた魔法剣』。
奥の手を最後まで隠していたカーマインに対して、悠太にはもう殴りかかる以外の選択肢はない。
そのままでは返り討ちに遭うことが見て取れたから、マナの王は命じた。
「頼む! 皆よ、我が友に力を!」
迷いなき一声に、精霊たちは渦巻いて従った。
ざわりと緑が舞い上がり、悠太たちを中心に取り囲む。
決着は、嵐のように吹き荒れる緑光の中でつく。
「これは……!? く、コール『フレイムジャベリン』!」
片や巨大な炎の三叉槍で突き上げる魔法。
熱線の威力は、下回る。
対するは、天使の完全詠唱に後押しされた膨大な粒子をつぎ込んだ技である。
技名は、イクイップ画面に記載されている。
「『乱・蔦・縛・成――」
それは悠太が魔導具『大蔦豚の篭手』の中に見出した新技の二つ目。
振りかぶった篭手からあふれ出た無数のツタが筋繊維のように絡まり、曇天の空に緑の巨掌を振り上げる。
悠太が拳を握りこむと、連動するようにツタの五指が握り込まれ、拳を造り出す。
そして巨大な拳が――赤い月を月食のように隠した。
「――緑帝拳』!」
振り抜かれる篭手に導かれ、純粋な質量の塊が隕石のようにカーマインへと襲いかかった。
炎の三叉槍がその巨拳を焼いて、焦がして、かき消されて……勝負あった。
けたたましく大地を砕いて沈み込んだ巨人の拳は、まるで雄々しく茂る大樹のようであった。
土が雨のように降り注いだ後、その洞には、白目を剥いて気絶したカーマインが絡めとられていた。
一撃の轟音と地鳴りが収まる頃には、曇天に浮かんでいた赤い月が霧散し、暗夜にかかっていた赤いフィルターと熱が薄まっていく。
首都の北に広がる炭化した倒木だらけの神殿跡。
瓦礫の隙間を、季節相応の涼やかな風が駆け抜け、倒れこんだ逢王兵の肌を撫でた。
無限に続くものと思っていた灼熱地獄に終わりが訪れ、仰向けに倒れていた兵士の眼に、蒸発することのない涙が戻った。
◇◇◇◇◇
緑に解けていく巨大な拳の傍らに、銀髪の青年がへたり込んでいた。
視線は、ピクリとも動かない紅炎の髪のエルフから離れない。
「……兄者」
「ったく、丈夫な兄貴だよ、おかげで思いっきりぶん殴れたけど」
歩み寄っていつものように手を指し伸ばすのは、未だ呼吸が整わない学ランの少年であった。
絡まっていた大樹の拳が光に戻り、気絶したカーマインは力なくクレーターに横たわる。
ボロボロになった貴族服の姿には、緑の粒子が集って傷を塞いでいく。
その様子に、ブランは安堵の息を吐いた。
「……起きたら、今度はちゃんと話せるだろうか」
「頭硬すぎって伝えといてくれよな」
軽口にふわりと笑って、ブランは赤い瞳をやっと悠太に向けた。
「……勝った、のだな」
悠太は差し伸ばしていた手で拳を作り、ずいと突き出した。
「へへ、どうだ、一緒に立ち向かえば……何とかなったろ?」
笑ってやると、ブランは何とも頼りない褐色の拳を、悠太のそれに合わせた。
「……うむ、うむ――その通りであったな」
勝利の余韻を確かめた二人は、共に立って周囲を見渡す。
瓦礫と炭の転がる遺跡は、暗い夜を取り戻していた。
命を繋ぎとめた逢王兵たちは、よろよろと立ち上がる。
火傷は天使の力で癒せても、心の傷や失った体力までは戻し切れていない。
そんな彼らがしっかりと肩を貸しあえるのは、自身も疲れているだろうに陣頭に立って指揮をする隊長、キャスの存在が大きいのだろう。
少し視線を巡らせると、彼らから少し離れたところに、瓦礫に背中を預けるローブ姿がある。
傍らに沈黙した鉄塊を置くのは、プードル族のご老体、アシャラであった。
視線に気づいた彼は、犬らしく舌を出したまま、毛むくじゃらの手を振って無事を伝える。
「皆……良かった。良かった……!」
涙ぐむブランの鼻啜りが聞こえるくらいには、夜は静かになった。
街の方角からも、轟音は消え、立ち昇っていた煙も細くなってきた。
悲劇続きの夜に、区切りがついてきた。
学ランの少年は色んなものに「もう大丈夫だな」と安堵して――つま先をブランから外した。
「――ユータ殿? 何処へ行くのか?」
事態を把握していないブランは首を傾げるが、この夜、悠太には絶対に救い出さなくてはいけない人がもう一人いる。
あれは街中で目撃した光景。
白ローブの二人組に連れ去られた赤毛の少女。
肩に担がれ、意識がないようだったライチ・カペル。
「ああ、急がなきゃ……」
急ごうにも彼女を連れ去った二人組がどこにいるか、悠太にはわからない。
首都を北上したらしいのは見届けた。
この場所は都合よく北に位置しているが、タイムロスを鑑みるに、既にもっと遠くへ逃げられてしまっただろうか。
「くっそ」
苛立ちが先走って、拳を握る。
何とか追いつかなくてはいけなくて、悠太は事情をブランに話すことにする。
頼れる友人となら、きっとまた上手く行くと思った。
「ブラン、実はライチが……」
「ライチ殿が……っ?」
何故か、視界に赤が飛び散った。
首を傾げる銀髪の青年の胸が、銀色の鎖に突き破られている。
褐色の表情は衝撃に追いつけずに穏やかなままであったが、血飛沫は、確かに悠太の頬を濡らす。
「ラッキー♪」
耳に届いたのは、どうしようもなく気に入らない、軽薄な声であった。
お読みいただきありがとうございました!
お時間いただきましたが、ブランの兄、カーマイン戦に区切りです。
天使の力はございましたが、悠太とブランコンビのどちらかと言うとルーキー寄りのキャラでの撃破となりました。
次回、本章クライマックス突入となります!
少しでも面白いなと感じられましたら、評価、ご感想等お聞かせください!
とっても励みになります!
今後ともよろしくお願い申し上げます!
用語設定
『火翼竜カーマイン』
ライトエルフの王子カーマインが魔物化した姿。
燃え盛る巨体の翼竜で、炎を自在に操る。
巨大な翼で熱風を吹かせ、口からは火球、火炎放射、熱線を使い分ける。
大量にストックした火の粒子から眷属の翼竜を次々に生み出す技は、彼の持つ魔導具『竜炎の皇剣』の素材となった竜王のもの。
『大蔦豚の篭手』
山田悠太が装備する篭手型の魔導具。
素材となった魔物『大蔦豚バビルーザ』が得意としたツタを使う技を受け継いでいる。
現在悠太が使用可能な技は以下の三つ。
四蔦縛:篭手から四つのツタを伸ばし、対象を絡めとると縮む。防御不能にして殴りつけたり移動に使ったりと汎用性がある技。
四蔦縛成:篭手から伸びた四つのツタを絡めて武器を作り出す技。剣と叫べば手甲剣の形状となる。
乱蔦縛成・緑帝拳:周囲の緑の粒子の分だけツタを伸ばし、巨大な腕を作り出す技。作り出した腕の動きは、使用者の腕と連動する。





