5-39 赤い月と緑の木槌 ~期間限定マナ増量中~
王は、誰にも弱みを見せてはいけない。
王の隙は国の隙となり、長き歴史と栄光ある未来に傷がつくから。
腹部にめり込んだ瓦礫の痛みは、ようやく呑み込むことができた。
「――慢心があった」
幼少の頃、哀れな混ざり者のそれは、地を這い、涙に濡れるばかりで刃を向ける気概もない。
弱みだらけの隙だらけ、混ざり者であることを除いたとしても、とても王の器ではなかった。
そのような者から……否、そのような者が変化したことを見抜けずに、一太刀を浴びた。
王と成る者としてあるまじき手落ち。
この責は、敵の殲滅と自らの身を赤い月で焼くことにより清算せねばなるまい。
「……なんだ、あれ」
聳える木の根に掴まって見上げる悠太の瞳は、赤く燃える火翼竜とその背後で鮮明さを増す赤い球体を映した。
球体の正体は、空高く大量に集められた赤い粒子の集合体らしかった。
それらは早く燃え盛りたい衝動を抑えつけられ、今は妖しく光りながら身を寄せ合っている。
太陽に準えるほどの光量はない、例えるなら――赤い月。
「兄者……」
降り注ぐプレッシャーに兄の変化を感じたブランは、次の手を考えながら銀色の前髪を貼りつかせる冷や汗を拭った。
地上の温度が、また一段と上がる。
そして火翼竜――カーマインは雄々しく宣告する。
「意思を持たぬ者は、血の汚さ以前にエルフとして扱うにも足らぬ愚者だ。当然、国の意思決定をする王宮にそのような者は不要だ。不要な者であるから、我々はその面でも貴様を蔑み、排斥した」
高圧さは変わらないが、どこか落ち着きを払ったような声であった。
やる気のない者は不要。
ある種正論だが、今のブランには、その意思が身に付いている。
「確かに、あの愚か者が随分と意思を強く持つようになった」
ブランを認めるような言葉を受けて、カーマインがどう繋げるのか、悠太は固唾を呑んで見守る。
だが、答えは残酷だ。
「そして、国の決定に反する意思の持ち主を反逆者と呼ぶのだ。
認めようブラウーノ……貴様は取るに足らん愚者ではない。国を揺るがす反逆者――私の敵であると」
カーマインの上空、赤い月が煌めいた。
するとなんと、月の一部が炎となって剥がれ、小型の翼竜を模る。
「国敵に裁きを……!」
赤い月に生み落とされた使者が、ブランへと鎌首を向け、急降下を始めた。
炎で作られた人間サイズの翼竜たちは、次々に月から生まれ、羽ばたいて地上を目指す。
標的となったブランは、怯むことなく集歌を唱える。
「反逆者……今は、それで構わぬ……コール! 『ソーンランス』!」
ブランは自身を狙って飛来する翼竜を茨の大槍で撃ち落とす。
そして天使の魔法に伴って地鳴りと共に聳える巨大な木の根に抱き着いて、上空のカーマイン本体へと接近を試みた。
見上げる先の竜眼は、真っすぐに自分を睨んでいる。
不覚にも、今はそれが少しだけ嬉しい。
ある種、兄の言うことは正しかった。
それこそ反逆すれば良かった。
挑めば良かったのだ、もっと早くに、天使などという力を持つ前に。
同じ王族だったのだから、幼き日に自分の価値観を叫べば良かった。
同じ王族だったのだから、自分が混ざり者の権利を叫べば良かった。
こんなに血生臭くなる前に、子供の喧嘩をしておけば良かったのだ――同じ兄弟だったのだから。
しかし、あの頃にはもう戻れない。
だからこそ、過去に戻れず、未来に後悔をしたくないから、今に本気になるのだ。
「行くぞ!」
木の根の競り上がりが止まった瞬間に、ブランは抱き着いていた腕を解き、足場を蹴る。
曇天に弧を描き、兄へと跳躍した。
高度はまるで足りていないが、少しでも距離を縮め、兄に攻撃を届けなければならなかった。
しかし、まだ幼い戦場知識が無茶をするのを見計らったように、カーマインの大口に火球が灯る。
同時に、まだ幼い戦闘知識に助太刀する声が響いた。
「そのまま突っ込めブラン! コール『エリアルバレット』!」
カーマインの斜め下から顎に炸裂したのは風の弾丸の魔法。
狙撃手は、根を足場にステータス画面を浮かべる異能の少年であった。
火球は閉じられた顎の中で爆発し、一瞬の隙が出来る。
「よっしゃあ! って……ヤバ」
サポートの成功を喜ぶ悠太の横顔が赤く照らされ、サッと血の気が引いていく。
突っ込んできたのは、赤い月から飛んできた翼竜を模った炎である。
悠太には物理攻撃ではない炎を防ぐ手はなく、迎撃の魔法も矢継ぎ早には繰り出すことはできない。
腕のガードを上げ、甘んじて翼竜の抱擁を喰らうと、全身に突き刺すような痛みが走った。
しかし助けは求めない、今が千載一遇のチャンスなのだ。
「熱っ! 構うな、決めろブラン!」
熱いで済むのは、レベルにより上がった防御力と、火傷を即座に治す天使の力があってこそであった。
炎に包まれ落下していく悠太を助けに行きたい気持ちをグッと堪え、ブランは集歌を区切った。
「ユータ殿……トドメだ兄者! コール!」
上空には顔から煙を上げる巨体の火翼竜。
挑みかかる天使の集歌は三フレーズ目まで進んでおり、巨体を一呑みにできる緑光が揃っていた。
――竜の眼が見上げたのは、切り株の戦槌。
魔法の名は『グリーンスタンプ』。
「届け! 余の全力だ!」
着地のことを考えていなかったブランの身体は、木の根の化け物が空中で受け止めた。
見届ける先、火翼竜を丸ごと覆う木槌に、赤い月から生まれた翼竜たちが次々に突撃する。
だが圧倒的な質量の生木はそう簡単には炎上しない。
それは火球でも火炎放射でも……今までの火力では防げないことを意味していた。
「ならば……火力を上げよう」
足りなければ足す。
端的な回答に至るまでに迷いがないのは、欲しいものを欲しいままにしてきた王族の絶対的自信に由来する。
迫る切り株の戦槌を前に、竜の口内に赤が点火される。
火は球体となり、小さく小さく集束していき、密度を上げる。
そして、接触の瞬間にキンと高音で鳴り、高圧の熱線と化した。
「そんな……」
見開かれるブランの目に、熱線に押し戻される戦槌が、次第に赤い光を孕み、膨れ上がって爆散する光景が届いた。
戦槌を退けた炎は、曇天を貫いて抉り、やがて糸のように細まって消えた。
「余の……ここまで、しても……」
泣きそうな視線と、ギロリと見下ろす竜眼が交錯した。
「貴様の全力とやら、退けたぞ」
――『今に本気になる』ということは、スタートラインでしかない。
そのような当たり前のことは、恐らく世の中の大半の人間が自然と行っていることである。
真に考えるべきは、自分の本気が通じなかった時にどうするか。
心の弱い者、本気になったばかりの者は、尽く打ち砕かれる限界に絶望し、呆然とする。
そこから心を立て直せるかどうかは……その者の心の強さや、仲間の存在による。
「危ない! 『四蔦縛』!」
必死な技名から伸びてきた四本のツタがブランの手首に巻き付いた。
蠢く根のギミックに掴まった若干焦げた少年が、ツタの繋がる篭手の腕を引き、ブランを一気に引き寄せる。
「ユータ殿……!?」
「ボーっとしてんな!」
悠太は早々とブランを小脇に抱え、根から離脱した。
次の瞬間にはガトリングのように降り注いぐ炎の翼竜が、ブランや悠太が足場にしていた根をハチの巣にしていた。
翼を持たない二人はドタリと着地して、再度曇天の空を見上げる。
そこには赤い月を後光に、炎の眷属たちを侍らせ、絶対的な存在感を放つ火翼竜が見下ろしている。
「くっそ、偉そうにしやがって」
未だ憎まれ口を叩く余裕のある悠太と対照的に、ブランは唇を震わせて、過呼吸気味に胸を抑える。
「まだ、これでも、兄者には届かぬ、のか」
何度も奮い立たせてきた心が限界を迎えつつあるのは、悠太にも伝わってきた。
生来争いを好まない性格のブランに、これ以上、人を叩きのめす術を考えろというのは酷である。
それでも周囲に響く苦痛の声をそのままにしておけないから、悠太は必死に考えを巡らせる。
「……諦めんな。必ず攻略法はある、何か、必ず……!」
どうしてそう確信しているのか、悠太にもわからない。
しかし今までの強敵には、間違いなく攻略法があった。
獣の王も、魔の王も、完全無欠ではなく、必ずつけ入る隙があったのだ。
――そう、闘いはゲームのように。
仕様を見極め、手持ちを組み合わせなくてはいけない。
今ある手持ちは……悠太の持つ画面。
宙を舞う相手に近づくことが困難だ。
ブランの天使の力や、悠太の『大蔦豚の篭手』。
いずれも、炎に木では劣勢だ。
「くっそ、ブランが火属性の天使なら……ん?」
知れずと零れた自分の呟きに、眉をひそめる。
どうして自分は今、火属性の天使なら、と思った?
記憶を辿れば、そう遠くないところに、黒龍と青い幼女の激戦があった。





