5-38 sorry. uh...we have different values.
今では無残な瓦礫の山でしかないが――深い森にひっそりと残されていた遺跡は、元神殿であり、同時に要人たちの緊急避難施設でもあった。
故に、首都のいたる所から秘密の地下道により辿り着くことができると――地味なボブカットの、こじんまりと地味なお浸しのような、地味な女性が言っていた。
――その冒険者ギルドのサブマスター、『シャチ』から話を聞いた学ランの少年は、スヤスヤと眠る青い幼女を預け、地下道を突っ切ってやって来た。
そして、地獄絵図の中で必死に踏ん張っていたブラン・シルヴァの褐色の手を引いて、暗夜を見上げる。
周囲は夜の暗がりに赤いフィルターをかけたような異様な光景で、途絶えることなく悲鳴が上がっている。
「逢王兵の皆は、余の力で何とか命を繋いでいる。しかしこの熱を何とかせねば……!」
悔しそうな赤い瞳は、上空を向く。
「……『野生のドラゴンが襲いかかってきた!』ってんじゃないんだよな?」
黒い曇天に紅炎の奇跡を描いて旋回したのは、全身を真っ赤に燃やす火翼竜であった。
その体躯は、商業帆船ほどもある巨体だ。
身体の周囲は陽炎に歪み、そのむせ返るような熱が一帯を覆っている。
デカい奴も強い奴もうんざりだとげんなりする悠太に、並び立ったブランが申し訳なさそうに口添えする。
「すまぬユータ殿……あれは……余の兄だ。何やら、不気味な数珠の魔導具であの姿に」
決して広く知られる名ではないが、悠太は既に二度、その魔導具による魔物化を見ている。
「『蝮女樹の呪珠』……またあの魔導具かよ……ってか、お前の兄ちゃん? てことは……お前の、国の?」
「ああ、余と同じ王子であるな。序列はずっと上だが……」
それからブランは宝石のような瞳を伏せ、事情を伝える。
「父……いや王が、余の抹殺を企てていた。エルタルナは純血主義、余のような混ざり者が天使の力を持っていることが望ましくないようだ」
自虐的な口調に、悠太はかける言葉に迷う。
「だがそんなことは、どうでも良いのだ」
しかしブランの声には、以前のような弱々しさはなかった。
「ユータ殿、アシャラ殿や逢王兵の皆が危ない。兄はこの熱で余たちを皆殺しにする気だ。だから、皆を助けるために、余は兄者を倒す」
汗だくのローブを握り、震える手で魔導書を構える姿は、悠太の知るブランより数段逞しかった。
言葉に迷いがないのは、それまでに沢山葛藤したからだろう。
導いてくれたのは、彼が助けたいと言ったアシャラや逢王兵たちだったのだろうか。
とにかく、ブラン本人が心を決めているのなら、兄と戦う覚悟だのを確認するのは野暮というものである。
「そのために、力を貸してくれ」
「……おうよ、あたりきしゃりきだ!」
拳を手に打って並び立ってくれる友に礼を言い、ブランは魔導書を構え直すと効果時間の迫る治癒の力を――天使の力を再発動させた。
「……精霊たちも、今しばらく力を貸してくれ。『気高き尊よ』!」
異常集歌効率者の唱える歌は、ひとフレーズで遺跡を緑光で満たす。
それらに魔法『ヒールサンクチュアリ』を命じることで、高熱にのたうち回る鎖帷子の逢王兵たちの命を繋ぎとめる。
同時に、制御しきれない膨大な粒子が、地を突き破る木の根の化け物となって聳え上がった。
ここまでは、悠太が駆けつけるまでと同じ挙動であった。
異なる点は、先刻まで見境なく襲いかかっていた木の根の化け物が――ブランが振り上げた腕に扇動されるように、上空の火翼竜――カーマインに襲いかかったことであった。
見下ろす竜の眼が訝し気に細められた。
「力を従えた――?」
友が駆けつけてくれた、その事実がブランの精神力を大いに支え、ぎこちないながら天使の力の制御を可能とする。
極太の木の根はぐんぐんと競り上がり、カーマインを撃ち落とさんと振り回される。
カーマインは翼の火力を上げ、錐揉みに二回転、正面から振り抜かれる木の根を穿ち抜いた。
燃え落ちる根とすれ違うように、また別の根が競り上がる。
同じように焼き払おうとしたカーマインが、木の根を駆け上ってくる少年を見つけた。
その少年は荒れ狂う根の表面を器用に疾走し、炎の翼と同じ高度まで来たあたりで、身を夜空に投げ出し跳びかかる。
迎え撃つカーマインは、蜥蜴のような大口を開けて火球を吐き出した。
悠太は虚空の足元にステータス画面の足場を創り出す十八番の回避術で、火球を二段ジャンプし抜き去る。
学ラン姿が身を縦回転させ、遠心力を蓄え、燃え盛る額に蹴り下ろしを見舞う。
「ふん、矮小なヒューム如きが……」
この強靭な肉体に人間の一蹴りが入ったところで、如何ほどのダメージになろうか。
故に、カーマインに回避する気はなかった。
故に、燃え盛る竜の額に蹴り落とされる異常な脚力が、衝撃であった。
竜の瞳がガツンとぶれる。
「熱っちぃ! けど、まず一発!」
「馬鹿、な……!?」
『レベル』という悠太だけが持つ概念からくる超人的な身体能力は、驚愕に足るものであった。
カーマインの視界が真下へと切り替えられ、身体も墜落に向かう。
矮小な人間が繰り出す体技など弾き返して当然、そもそもヒュームの身体など、炎の鎧の前に接することなく燃え尽きるはずであった。
だが、実際に全身を走ったのは稲妻のような衝撃。
それらはエルフとして認めることができない出来事であった。
しかし、戦士としては認めねば死に繋がる事実でもある。
カーマインは、一瞬の内に思考の混乱を収め、認識を改める。
落下の刹那、少年は再び木の根に足をつき、反動をつけこちらへと跳躍してくる。
炎の翼を大きく羽ばたき体勢を戻すと、カーマインは熱風を送りながらもう一段上空へ。
『風の衣』のような飛行ができるわけではない悠太は、吹き飛ばされながら足元に手をかざし、再びステータス画面を足場に宙に留まった。
「卑怯だぞ降りてこい!」
お門違いの非難はすまし顔で躱し、カーマインは異質な少年に問う。
「……貴様、ただの人間ではないな。何者だ」
「俺は山田悠太! お前の弟の、ブラン・シルヴァの友達だ!」
「名や続柄を聞いているのではない、その見かけに不釣り合いな肉体と奇妙な能力は何だと聞いている」
カーマインは問答の意図を掴んでいない少年に苛立ちを抱える。
同じように悠太は、友の兄が持つ理解不能な思考に大いに苛立っていた。
だからビシリと指を突き出して言ってやる。
「知るかそんなもん! お前こそ、ブランの兄貴なんだろ! なんでブランを狙う!」
「国から抹殺命令が出ている」
「そういうこと聞いてんじゃねぇよ! 何でそんな命令に従ってんだ! 兄弟だろ!?」
少年はブランの人畜無害な性格を知っているから、歩み寄れば上手くいくことを想像できるから、それらを試そうともしない兄の気持ちがわからない。
「だからどうした? 貴様、まさか兄弟は無条件で慣れ合うものだと思っているのではあるまいな」
「思ってるよ、少なくとも俺は」
悠太ははっきりと答えた。
兄はいないが、姉が一人いる。
仲は良くも悪くもない。
物はよく取り上げられたし、女物のお下がりは心底嫌だったし、いい子ぶって命令してくるし、ちょっと嫌いだったまである。
ただ、看病してやったりしてくれたり、受験の応援したりされたり、気が向いた時に優しくしてみたりされたり……とにかく、二度と会えないなんて絶対に嫌だ。
「比較されたり飯取り合ったり喧嘩もする、いつだって仲が良いわけじゃないし、いつも一緒にいるのは御免だ……それでも大事な時は応援し合ってきた。心の奥底では繋がってる。
家族って居場所でできる最初の仲間、それが俺にとっての姉弟だ。お前は、そうありたいって思わないのか?」
「貴様の陳腐な家庭と一緒にしてくれるな。王族の兄弟は、貴様の言葉を借りるなら家という場所でできる最初の敵だ。潰せば潰すほどに王位が近づく。妨げにしかならん足枷だ。
そこの愚か者も同じように思っているだろう? だからこそ、天使の力に目覚めた後、王宮を訪れた――我々を一網打尽にするために」
ギロリと見下ろす視線の先、銀髪の弟は激しく首を振った。
「違う! 余は何も、そこまで……余はただ認められたくて、馬鹿にされていたのを、見返し、たくて……」
しかし言葉は尻すぼみに勢いをなくし、やがて黙り込む。
兄の見解を完全に否定することはできない。
心の奥から問いが聞こえる。
何故、自分は天使の力をひけらかしに王宮へと赴いた。
「立場の逆転を望んだのだろう? 強者として弱者を蔑みたかった。貴様も我々と同じであったわけだ」
言い返すことはできなかった。
数少ない理解者だった老兵や侍女は、それを見透かしていたから制止してくれたのだろう。
愚かな自分はそれを振り切った。
「……あの時は、もしかしたら、そういう気持ちも、あったのかも知れない」
「ブラン……」
「だが、今は違う。余は、兄者に認めてもらい、そして、共に国に……!」
「悪いが私は貴様のような下らん価値観は持ち合わせていない。消えろ」
翼竜は再び大口を開き、ブランに狙いを定める。
今度は木の根の化け物も届かない上空から。
「あんたなぁ!」
歩み寄ろうとする弟に対する兄の言葉に、悠太の額に怒りの四つ角が浮かんだ。
わからずやへの怒りを制したのは、地上のブランであった。
「良いのだユータ殿! 余とて、言葉一つで今までのいさかいが消えるとは思わない……」
そして、再び魔導書をめくった。
「だから兄者を超えていく! 一度やりたかったのだ! 兄弟喧嘩というものを! 『気高き尊よ』!」
「笑わせるな、そもそも混ざり者と兄弟とみなされること自体が不愉快だ。消し炭となれ」
竜の口が再び巨大な火球を撃ち出す。
迎え撃つは――茨を束ね、深緑の大槍を創り出す魔法である。
「コール『ソーンランス』!」
ブランが魔導書をかざすと絡みあった大槍が顕現し、一直線に火球を迎え撃つ。
閃きの後、正面衝突したそれらの勝敗は、炎に上がる。
魔法を焼き尽くした火球がブランに迫り、やがてローブで半顔を覆う彼の下に着弾した。
「ブラン!?」
悠太が叫ぶ先、もうもうと立ち込める土煙に、またも緑の光が押し寄せていく。
――煙の中で、更に魔法を唱えている?
「まだ諦めぬ! コール! 『ソーンブラスト』!」
続いて唱えられた魔法は、茨を毛玉のように絡み合わせた砲弾を撃ち出す初級攻撃魔法。
土煙を振り払って膨れ上がったのは、竜の体躯ほどもある茨の塊であった。
普段穏便な青年の咆哮と共に、砲弾は上空目掛けて撃ち出される。
「同じことだ」
とんでもない質量をこの高度まで届ける天使の力は改めて興味深いが、使い手が未熟では脅威足りえない。
飛んでくるのが槍であろうが砲弾であろうが、茨で構成されているなら属性相性で焼き尽くすまで。
カーマインは火球より持続性のある火炎放射を浴びせかけ、砲弾を焼いていく。
そして、自らが吐き出す炎の中に――燃え尽きることのない巨大な影を見た。
地上で、銀髪の下の口角が上がった。
「余だって、やれるのだ!」
秘策は、あらかじめ土煙の中で茨の砲弾に包み込んだ瓦礫の塊。
天使の莫大な粒子だからこそできるトリックプレイは、確かに火翼竜の胴にめり込んで、その巨体に弧を描かせた。
「余も……まず一発だ!」
雄々しく拳を上げるブランに、木の根に掴まって見守っていた悠太はホッと息を吐き、そして親指を立てた。
二人が喜びのアイコンタクトをする一方。
上空、再び身を翻し、墜落を回避するカーマインが、牙を噛みしめた。
――あってはならないことが起きた。
高貴なるライトエルフの王族たる自分が、劣等種族どもの攻撃を一度ならず二度までもその身に受ける。
異様なヒュームからの攻撃は、百も二百歩も譲って認識を改めることはできよう。
しかし、混ざり者の、愚か者の弟から一撃を受けたことだけは、どうしてもまかりならなかった。
カーマインは上空に炎の翼を広げ、歯向かう者どもを見下ろして呟く。
「王たる者は……誰よりも……」
人知れずの声の後、巨体の更に上方、曇天の背景に――『赤い月』がうっすらと浮かび上がる。





