5-37 ドローイング・インフェルノ
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襲撃の夜は最終局面を迎えます。
街では黄龍四師団が撃破され、南ではフェンリルが解き放たれ、残る舞台は北のみとなりました。
北の遺跡、ブランは同郷から自分を追ってきた兄、カーマインと激突します。
天使の力で抵抗するブランに対し、カーマインは『エルフの秘術』を用いて攻勢を強めるのでした。
――エルフ族とは。
森や山に住まう人間と似通った姿を持つ種族である。
彼らはヒュームより長く尖った耳を持つ。
見通しの悪い森や洞窟の中で生き残るため、聴力が発達した。
彼らはヒュームより長い寿命を持つ。
百歳で成人、長命な個体は千年を生きるとされる。
彼らはヒュームより魔法の扱いに長けている。
長い寿命を活かし、精霊への祈りの時間を多く捧げることで、個体の集歌効率を上げているのだとされている。
ヒュームの研究によれば、エルフはヒュームより魔物に近い存在である。
魔物が集歌や魔導陣を用いずに魔法現象を操るように、エルフも特定の条件を満たすことによりその身一つで魔法を使うことができる。
条件は、肉体を捧げること。
肉体を持たない精霊と同等の存在となると確約することで、身体が崩れ去るまでのわずかな時間、膨大な量の粒子を自在に操ることができる。
それは秘術と呼ばれ、古来より多くのエルフの戦士たちの最終奥義として使われていた。
◇◇◇◇◇
首都より北の森の中、遺跡の景色は――地獄絵図と化していた。
絵図を描いたのは二人のエルフである。
一人目は、貴族服に身を包んだ紅炎の髪と白肌のエルフ。
エルタルナ王族の長兄にして第二王子――『カーマイン・セレンディア・サマンサ・ユグドール・エルナ・エルタナ・エルタルナ』である。
彼は全身から赤いオーラを立ち上らせ、集歌も令歌も唱えることなく赤の粒子を自在に操る。
赤の粒子が変換されるのは、彼の持つ『竜炎の皇剣』が放つ熱である。
その魔導具の技である『熱圏』は、遺跡及び周囲の森の一体を高熱で覆う。
容赦のないサウナは、立ちはだかる逢王兵たちの鎧を熱鉄の牢へと変え、次々に断末魔を上げさせる。
全身に熱鉄が貼りつく、呼吸をすれば喉が焼ける、目を始めとする各器官の粘膜が蒸発して、全てが激痛を与えてくるのだ。
――そして、死による安寧は許されない。
地獄絵図作成の片棒を担ぐのは、銀髪の青年にしてカーマインの腹違いの弟――『ブラン・シルヴァ』であった。
天使の力で集めた膨大な量の緑の粒子、ブランはそれらに治癒魔法の『ヒール』を命じている。
マナの王に従順な粒子たちは、燃え尽きそうな兵士たちの命を絶命寸前で完治させる。
一方で、未熟な天使の力は暴走を伴う。
ブランの意思に反し、大地からはうねる木の根の化け物が聳え立ち、手当たり次第に周辺を叩き潰す。
敵味方の区別はなく、焼死寸前から治癒された兵士たちは、続けて木の根に叩き潰され断末魔を上げる。
――そして、やはり死による安寧は許されない。
「げほっ、げほっ、兄者! 兄者もう止めてくれ! 頼むこの者たちは……!」
焼ける喉をヒールで無理矢理治しながら、ブランは兄に叫びかける。
汗でびっしょりと貼りつくベージュのローブすらも、痛いほどの熱を持っている。
これと同じ要領で肌に食い込む鎖帷子の苦痛は如何ほどか、想像を絶するであろうことだけはわかっていた。
対するカーマインは、長い前髪に汗こそ滴らせているものの、表情には一つも苦痛を滲ませることがなかった。
「ふん、この者どもは兵士だろう? 王命に従い、守るために死んでいく。その覚悟の下にここにいるはずだ。私に何を止めろというのだ? 無駄に苦しむことが哀れというのであれば、止めるのはブラウーノ、貴様の方だ。
戦士の誉れ高い死を奪い、無駄に苦痛を与えている。貴様がその治癒を止めれば、この者どもは苦しみから解放されるのだぞ?」
挑発的な口振りであるが、事実関係は的確に捉えた言葉であった。
それでもブランは、ぐうの音も出ないままヒールを続けるしかできなかった。
「すまぬ、すまぬ皆……今しばらく我慢してくれ……そうすれば……!」
この苦痛が終わらぬものであれば、兄の発言にも一理があるのかも知れない。
しかし、ブランはこの苦痛に終わりがあることを知っていた。
気を強く持って、陽炎に揺らめく兄を睨む。
自分と同じ長い耳、自分と同じ赤い瞳。
自分と異なる赤い髪、自分と異なる白い肌。
その雪白の肌には――赤い亀裂が入り、一片二片と剥がれ落ちていく。
エルフの秘術の代償は、肉体の崩壊である。
秘術を発動した者は、例外なく身体がひび割れ、崩れ、やがて消滅して粒子に還るのだ。
故に、カーマインの魔導具による『熱圏』も、やがては彼の命の火と共に終わるはずである。
そして、だからこそブランにはわからなかった。
「兄者……何故、どうして秘術など」
秘術が己の命を捧げる奥義であることをカーマインが知らないはずがなかった。
そんなものを発動させずとも、兄の実力は自分たちを遥かに凌駕していた。
ブランは必死に、兄の意図を探ろうとする。
実は逢王兵やアシャラ老の奮闘が予想外だった?
実は自分の天使の力が予想以上だった?
カーマインの目的は、自分を捕えエルタルナに連れ戻すことのはずである。
自滅していては連れ帰ることもできまい。
やはりどのように考えても、今一つ腑に落ちなかった。
その理由は、兄が好意的にしろ悪意的にしろ、自分のために何かを差し出すことが想像できなかったからだ。
幼少の頃より、安全圏から自分を見下していた兄が、わざわざ自分のために、ましてや命を投げ出すことは信じ難い。
結局意図を解くことはできなさそうだと、ブランは思考を切り替える。
「……だが、秘術を使っていることは事実……ならばやはり、余がここでヒールを止めるわけにはいかない」
遺跡を赤く染める熱はいつか必ず、兄の命と共に終焉を迎える。
必ず終わりは訪れる。
その後で自分が何とか力を制御し、ネピテルの時のように治して終わることができれば、逢王兵たちは救われる。
「だからすまぬ……! 今は耐えてくれ……すまぬ……!」
「――そうして貴様はまた間違える」
トラウマの鍵である言葉に、ブランの鼓動が跳ねた。
「力を安易に扱い国を追われ、亡命先でも安易に使い居場所を特定され、結局はカージョンの民をも危険に晒している」
「それは……」
直接的な罵詈雑言よりも深く突き刺さるのは、単なる事実関係であった。
事態が大きくなるほど、そしてカージョンの民の優しさに触れる度に確かになっていく感覚――罪悪感。
「そもそも、貴様は最初から間違っている」
「最初から……?」
その感覚の始まりを――間違いだらけの物語の始まりが知りたくて、ブランはつい聞き返してしまう。
回答は、カーマインとブランの価値観の違いを痛いほどに表していた。
「そうだ、貴様の最初にして最大の間違い……それは生まれてきたことだ」
「な……」
「気高い『ライトエルフ』の血を、薄汚れた『ダークエルフ』の血で汚すこと。これは如何ともし難い過ちである」
エルタルナには、深く根付く血統主義がある。
王位を争う兄弟の中で、ブランがとりわけ厳しい立場にいた理由もここにある。
カーマインは、その考えようによっては国の根幹、考えようによっては国の課題である思考を、誰よりも色濃く受け継いでいた。
「――心配するな、間違いは誰にもあろう。くく、実はな、私も一つ、間違えたのだ」
「あ、兄者が間違えた……とな?」
◇◇◇◇◇
――エルフ族とは。
ヒュームより信心深く、頑固で、プライドが高く、血統を重んじる。
自分たちと異なる者の排除を徹底した結果、同じエルフの中でも勢力が二つに分かれた。
肌の白いエルフは、自らをライトエルフ、肌の黒いエルフをダークエルフと呼んだ。
肌の黒いエルフは、自らをディープエルフ、肌の白いエルフをシリィエルフと呼んだ。
ライトエルフと名乗る者たちは、首都を定め、エルタルナという国を築いた。
ディープエルフと名乗る者たちは、人の紛い事を始めた浅い者たちとは離れ森に暮らす。
互いに相容れない彼らが最も嫌うのは……混血であった。
純血は慣習となり、多くの者は慣習に縛られることとなる。
慣習を破って生まれ落ちた「褐色肌」は、どちらの陣営からも迫害され、悲惨な道を辿る。
そして――長い歴史の中、大手を振って慣習を破ることができるのが、王の特権であった。
ライトエルフの王がディープエルフの妾との間に作った子供は、褐色肌たちの希望であった。
国に新しい風を吹かせる機運の高まりは、王としても心地よく、待遇改善に乗り気であった時期もあった。
しかし王が妾に飽きると、持ち上がりかけていた混血の待遇の見直しはあっという間に白紙に戻る。
慣習は慣習のまま、混血は、今も、どちらからも、いつまでも、迫害を続けられている。
この一部始終を首を傾げて眺めていた子供がいた。
紅い髪を揺らして、子供は疑問を呟く。
父も宮廷の者どもも、何故大人たちは――このような見え透いた結末のためにいちいち騒ぐのか。
混血を排斥することなど、侍女が部屋の塵を掃き出すほど当たり前のことではないか。
◇◇◇◇◇
「今は、父の気持ちもわかる。一種の気の迷いだ、目先の力に惹かれたのだ」
数秒の思考の後、脈絡の繋がらない呟きを落としたカーマインは、ブランを改めて赤い視線で捉える。
「――貴様が王宮を破壊したあの日、私は王に誤った進言をした。
天使の力だけでも役立ててやろうなどと血迷ったことを、あの時私は力に惑わされ大事なことを忘れていた。
ライトエルフの国が、混ざり者が持つ力に支えられることなどあってはならない。ライトエルフの国の最高戦力が貴様などではあってならない……間違えは正さねばならない。そう悟ってから、父と私の見解は一致した」
そして周囲の温度がまた一段とあがる。
「私に課せられた王命は貴様を連れ帰ることではない。愚かな混ざり者が天使の力を他国に渡す前に消し去ること……抹殺だ」
赤い瞳が炎に揺れた。
実の兄から聞かされる抹殺命令、今までにない本気の殺気が全身を射すくめた。
皮肉にも、カーマインがブランに浴びせる視線は、今までの詰まらなそうに見下していた頃よりも情熱的である。
「そんな……父上、までも……」
元より待遇は最悪であった。
だから連れ帰られたなら酷い仕打ちを受けることも覚悟していた。
しかしたった今宣告されたのは、それすら必要がないと、偉大なる天使の力すら、自分の価値を補填するには値しないということに他ならなかった。
「そうして膝を折っていろ。頭も垂れておけ。切り落として持ち帰る」
思わず膝を落としたブランであったが、悠太やネピテルの言葉を支えに、視線までは落とさない。
「い、嫌だ、余は、もう間違えない……いや、この選択が間違えだったとしても、もう余の気持ちに嘘はつかない! 余の決断に責任を持ち、自分を貫き通すと決めたのだ!」
「言うようになったな」
まるで感情のこもっていない返しに、ブランは汗に濡れる魔導書を握りしめ、決意を改める。
「ヒールもやめぬ! 余はこの人たちを死なせない!」
決意の言葉に呼応するように、一帯を包む陽炎から、二つの影がカーマインに挟撃をかけた。
片や上部を開けたままの黒丸の鉄人、片や熱された鎧に焼かれながらも両の手甲剣を振るう巨躯の隊長。
「ぐぅ……! 言われずとも、まだ死になどしませぬぞ!」
熱されたレバーを握るアシャラ老が痛みを堪え、鉄球の拳を振り被る。
「護衛のしがいがある……!」
熱された鎖帷子が皮膚を剥がすのも構わず、キャスは渾身の手甲剣を振り下ろす。
カーマインは両の挟み撃ちへ、おもむろに両腕を広げた。
「黙れ下等種族ども」
両掌の先には獄炎の球体が浮かび、激しく爆ぜて二人を吹き飛ばす。
それは『エクスプロード』と呼ばれる上級魔法であり、エルフの秘術を発動している今、集歌も令歌もなく発動させることができる。
「二人とも! ……絶対に、絶対に守る! 死なせぬ!」
黒い塊となって吹き飛ばされる二人に緑の粒子が集って、命を繋ぎ止める。
そして、カーマインへと視線を戻すと、そこに希望が見えた。
カーマインの頬の皮膚が、大きく剥がれ落ちたのだ。
「……終わりだ兄者! 秘術の代償で、兄者の身体は滅びる……!」
最期まで秘術を使った意味はわからなかったが、ブランは確信する。
これで、もう皆苦しまなくて済むと。
――だから、絶望をすることになる。
「だから、貴様は無能だと言うのだ」
胸元から取り出したるは、高貴な貴族服に似つかわしくない装飾品。
禍々しい黒真珠を根で繋いだような魔導具――『蝮女樹の呪珠』であった。
「王より授けられた新たな力で、エルフは天使をも超える力を得た――『魔実転生・炎』」
それはこの襲撃の夜、三度使用された技において、最も洗練された魔物化であった。
呪珠は胸部に突き刺さり、カーマインの身体に緑の粒子で覆い、見る見るうちに巨大化をさせていく。
そこに混ざり渦巻いたのは赤の粒子であった。
悍ましい光景を初めて目にするブランは大いにたじろぐ。
「馬鹿、な、兄者が、魔物に……?」
――それは全てが炎で形作られているような姿であった。
広げられたのは、闇夜を照らす獄炎の両翼。
しなる竜尾は横暴に打ち付けられ、石床を砕く。
ブランはその姿を、かつて引きこもっていた時に読み漁った伝記の挿絵に見たことがある。
「『火翼竜』……」
大鎌首をあげた竜頭が、一帯に咆哮を轟かせた。
燃え盛る翼竜は、耳をつんざく一鳴きを終えると、その赤い邪眼に銀髪の青年を映した。
そして、流暢に言葉を操る。
カーマインもまた、身体の膨張に伴う激痛を耐え、意識を保ったままの魔物化を会得していた。
「――合点が行ったようだな。秘術の代償は肉体を捨て去ることだが、魔実転生であれば崩れ去る前に魔物として肉体を再構築することができる。
エルフの気高き精神であれば、この程度の痛みで心まで魔に落ちることはない。わかるか……我々は秘術の代償を克服したのだ!」
ブランは愕然とするしかなかった。
地獄絵図を描くことに加担したのは、終わりが見えていたからだ。
翼竜の炎により、周囲の断末魔は一層激しくなったように感じる。
死と再生を繰り返す中で行われる終わらぬ苦痛。
それは果たして、恩人たちに与えて良いものなのか。
幾度となく諦めを囁く心の弱さに首を振って、ブランは歯を食いしばる。
「余は、余は……諦めない! どのような姿だろうと、余が兄者を倒し、この苦痛を終わらせる!」
「口ではどうとでも言えよう」
翼竜は大口をガパリと開き、喉に赤の粒子を収束させる。
繰り出される技は、隠すつもりもなければ防ぐ術もない――広範囲を焼き尽くす火炎放射である。
啖呵を切ったところで、ブランにこの状況を打開できる策はなかった。
それでも諦めずに魔導書を構えた青年の尖った耳に――声が響いた。
それは何度も自分に手を差し伸ばし、勇気づけてくれた友の声であった。
「――よく言ったブラン!」
声の主は、崩れた遺跡の中から飛び出し、その脚力で赤と緑が飛び交う空中に高く高く舞い上がり、手の平をかざした。
集歌を唱えながら走ってきたのか、手の平の先には膨大な量の青い粒子が集まっていた。
「コール! 『コールドスミス・盾』!」
それは氷の盾を創り出す魔法。
出来上がったのは、直径二十メートルをも超える巨大な氷の円盤である。
熱に溶けながら落下速度をあげるそれは、炎の翼竜を圧し潰すに足る質量を有していた。
カーマインは鎌首を上げ、火炎の標的を上に向けると一気に吐き出した。
夜空に白の水蒸気が爆発的に広がり、激しい火柱が聳えた。
白霧が視界を遮るのを嫌ったカーマインは、翼を羽ばたかせて熱風と共に巨体を浮かせ、曇天へと舞い上がった。
入れ違いに着地した少年は、黒の学ランをなびかせると……がっつりあたふたし始めた。
「ったくドでかい龍の次は炎の竜かよ! 本当にファンタジーなのな本当に! つーかここ熱っつい! サウナかよ!」
そして、学ランをバタバタと仰ぐ中で、視線がぶつかる。
――随分と久しぶりに感じた。
「……ユータ、殿……」
その少年は平和な異世界から来たという。
平凡な背格好に地味な顔、そして普通な感性――だというのに不思議と――ブランは『山田悠太』が駆けつけてくれたことに勇気を得たのであった。
「ブラン、遅くなった」
差し伸べられた手を、褐色の手が力強く掴んだ。
「とりあえず、あいつを倒せばいい感じか?」





