1-7 思春期と、モンスターハムスター
茂みの暗がりから競り上がる影。
思わず仰天の声をあげ、手を前に構える。
またゴブリンだろうか? 上手く対応できるであろうか。
手札はステータス画面だけであるが、昨日と同じようにやれば大丈夫であろうか。
否、今日は一緒にライチがいる。彼女を守りながら戦えるであろうか。
いや今朝の槍捌きを見るに彼女は心配ないかも知れない。
ぐだぐだと考えを巡らせるだけの悠太の耳元に、呑気で嬉し気なライチの声が届いた。
「マグちゃんお待たせ! 良い子にしてた?」
少し幼げな喋り方を向けた相手、茂みから歩み出るそれは明らかに悠太たちより巨体で、丸みを帯びていて……影が晴れると、もふもふの白い毛が露わになった。
「……ハム、スター? いや熊か?」
多分、姿はハムスターに近い。
そしてサイズは熊に近い。
二本足で立ち、つぶらな瞳が無感情にこちらを見詰めている。
全く警戒することなく近付いたライチは、顎を差し出すその獣を擦りながら、こちらを振り返る。
「そっか、あなたは『雲 鼠』も見たことないのよね」
「ハハッ」
「何笑ってるのよ」
森に魔法にファンシーな獣、加速するファンタジーな世界に、思わず乾いた笑いが出てしまった。
呆然と立ち尽くす悠太をよそに、ライチは一通り白い毛を愛で終えると、少年の前に獣を進ませた。
四つん這いになったそれを改めて見ると、背中には人が乗るための鞍、両脇に大きな革袋を下げている。
「紹介するわ。雲鼠のマグレブ、私の子供の頃からの友達よ。マグちゃんって呼んであげて」
「あ、ああ……あの、よろしく、お願い、致します」
近くで見るとリアルに輝く鋭い爪や出っ歯が、力の序列は相手の方が上だと告げている。
「怖がらなくて大丈夫よ。魔物って呼ばれる動物たちも、皆が皆凶暴なわけじゃないの。あなたを襲ったゴブリンだって穏やかに暮らしてる種もいるわ。マグちゃんたち雲鼠はね、昔から生活のパートナーとして人に寄り添ってきた種族なの」
なるほど、この馬のように扱われている熊のようなハムスターはこの世界にとって犬のような存在ということであろうか。
「……噛まない?」
「本当に情けないわね。いいから早く乗りなさい。途中までマグちゃんに運んでもらうから」
スカートも気にせず、鞍にひょいと乗りながら言う。
途中までという言葉に少し引っかかったものの、悠太は促されるまま側面に回った。
正直、ハムスターの表情が乏しくて乗るのが怖い。いきなり牙とか剥いてきそうである。
悠太は意を決して鞍に跨った。
いつも見る景色より視線が高い。
触れる白い毛の感触、体温と拍動に、飼い犬のポッチーが頭を過った。
鞍は二人乗れるスペースはあるが狭く、ライチの背中が近い。
現代日本水準の暮らしはしていないだろうに、何故だか香ってくる良い匂いにできるだけの距離を取った。
「ちょっと、振り落とされるわよ。ちゃんと掴まって。あ、毛は掴んじゃ駄目よ八つ裂きにされるから」
手綱を握る彼女が物騒な言葉をくれる。
ではどこに掴まれば良いのかとの疑問に、彼女はこちらを向いて、事もなげに自らの腰を示した。
山田悠太は聡明なる頭で考えた。
いきなり腰は、有りだろうかと。
物事には順序がある。ゲームの主人公だって、ほとんどはスライムを倒してからドラゴンに挑む。
お手てを繋いでもいない自分めが、お腰に手を回すことは、酷く不誠実なことなのではないか。
「ねえ、早く」
苛立った声に後押しを得る。
思春期が抱える凄まじい葛藤の末、悠太はおずおずと腕を回させていただいた。
華奢な腰は力を入れすぎると壊れてしまいそうなほど細い、背中が本当に近い。絶対に柔らかい。力加減に戸惑う。
「ち、ちょっと、変な触り方しないで。もう、本当に落ちても知らないからね? マグちゃんお願い」
そう言うが早いが、視界が仄かな空色の粒子に染まった。
そして、全身に感じるのは涼やかな風、そして、不安定な浮遊感である。
「う、浮いてる!?」
視線の高さはそこまで変わらない。
しかし地に足が付いている感じはしない。
飛行とは違う浮遊といった表現が似合った。
「雲鼠は風のマナの祝福を受けてるって言われてるわ。この子たちに限らず、マナの祝福を受けた動物はこうして魔法みたいにマナを操れるの。だから『魔物』」
感心して口を開けたままにしていたのが不味かった。
「行くわよ」
ライチの合図で駆け出したハムスター、その初速が思ったよりずっと早くて、舌を噛んだ。
さっきまで悶々と感じていた思春期の葛藤は文字通り吹っ飛ばされ、とにかく振り落とされないように必死にライチの腰にしがみつく。
「し、しゅごい……」
巨体のせいか荷物のせいか、完全に飛んでいるわけではない。
トーントーンと、後ろ足が地面を蹴る度、十数メートルの景色が後ろに流れていく。
「昔から人はこうやって、荷物や人を雲鼠に運んでもらってたの。魔物たちの力は、味方にすれば心強いものよ」
友達の頭を撫でながら得意げに語った後、ライチは一転して声を神妙なものにした。
「――だからこそ、この力が敵に回った時は脅威になり得るの。特に強大な力を持った魔物が凶暴化すると……村一つ壊滅してもおかしくないんだから」
昨日の光景が思い出され、生唾を飲み込んだ。
あれだけ手こずったゴブリンでさえ、魔法は使っていなかった。
魔法を行使する魔物が村を襲えばどうなるかは、ゲームでも漫画でも散々描かれてきたことだから想像くらいはできる。
そして悠太は、少しずつ胸に鳴り始めた警鐘に確信を得る。
「なあ、ライチ」
「何? 他にもまだ気になることある?」
「そろそろさ、ライチの村について教えてよ。それから、俺を助けた当初の理由、とか……」
人生においてカマをかけたことなどなかったので、発言は徐々に勢いを弱める。
風の中、肩越しに意外そうな青い瞳と視線を合わせる。
ライチは悠太を助けた当初、状況整理もそこそこに村へと戻ろうと提案した。
悠太を村に連れて行こうとしていた。
それがいつの間にか、途中まで送るような話にすり替わっている。
「……馬鹿。何も自分から首突っ込まなくていいじゃない」
「だってライチには色々と教えてもらったし……魔導師とやらじゃないけど、出来ることがあるなら、手伝いたい」
「それ、魔物と戦うことになるって、わかってて言ってる?」
ややあって悠太は、頷いた。
先の凶暴化した魔物についての見解からしても、彼女の村が魔物絡みの問題を抱えているのは明白であった。
「……ありがと」
正直、安請け合いをしたとは思った。
自分はゲームや漫画の主人公ではないのだ。
ゴブリンにすら手間取るのだから、村を襲う怪物になど手も足も出ないのかもしれない。
今度こそ、命が危ないかもしれない。
しかし、悔いが残ることは何より辛い。
恩人の抱える問題を見過ごしてまた何も知らない世界で独りぼっちに戻る、それは単純に嫌だった。
ライチは視線を前に戻して、手綱をギュッと握った。
「……最初、あなたのことは魔導師と思っていたから、介抱してあげたことを取引材料に、ある魔物の討伐を手伝ってもらおうとしたわ。
弱みに付け込む嫌なやり方でしょ? でも、なりふり構ってる余裕なんかないの。あいつを倒すには一人でも多くの協力者……戦力が必要だから」
あいつと呼ぶ魔物への憎悪を鋭くした眼に表現して、彼女は言葉を紡ぐ。
「……そう、あいつもマナを操る。ただの獣を狩るのとはわけが違う。あいつのせいで私たちの村は……」
悔しさからか怒りからか、涼やかな声は震えていた。
「お願い手を貸して――『大蔦豚・バビルーザ』の退治に」
用語解説
・ミルキーマウス(雲鼠)
エルナインのカージョン地方に生息する中型・獣型の魔物。
風の魔法を操る大きなネズミ。風を纏いその身を浮かすことで長距離の移動が可能。古来より人間の生活に深く関わってきた。
比較的懐きやすいが、野生の個体と遭遇した際は爪や前歯、風の刃による攻撃に注意。
・カペルの森
エルナインのカージョン地方南西の森林。カージョン連合所属ヴィレッズ国領。名称は非公式。
温暖湿潤な気候で、広葉樹が多い。南方にはディリブロ海が広がり、夏季は季節風により塩害が発生する。
生息が確認されている魔物は、ゴブリン、ウルフ、バット、ツタブタ、ミルキーマウス等。
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