5-33 ルベンディルの進化論 ~種の位階と特質について~
とある雪国の原生生物に『スノールースター』という鶏がいた。
エルナインの寒冷地に生息する彼らは、愛らしいひな鳥の姿からそう変化することなく成鳥となる。
羽毛は体温を守るために綿毛のようにふわふわで真っ白、雪原で目立たぬよう鶏冠は控えめ、「きよきよ」という頼りない鳴き声は庇護欲をかき立てる。
自然界ではウルフに襲われる役回りだからか多産で早熟、そして雑食性である。
――この愛くるしい鶏を、とある国の王がいたく気に入った。
カージョンより遥か北方、現在はジェイクブ地方と呼ばれる地には、『ルベンディル』という王国があった。
土地は大陸から切り取られた島国であり、少ない資源を奪い合う大陸の戦乱から隔絶され、穏やかな平和を与えられていた。
さて、平和の余裕が生むのは「拘り」である。
ルベンディルでは国王が代替わりする度、その王の拘りを反映させた独自の王令が発布される。
第八代国王は生き物に優しく、争いを好まない人柄であった。
そんな彼の拘りを反映して発布した王令は――「共生同権の定め」。
とある別世界の言葉を借りるなら、「生類憐れみの令」が近しい。
民草は傲慢な畜産と、野蛮な屠殺を禁じられ、食卓に並ぶのは野菜と、何故か庇護から外れた魚ばかりとなった。
中でも王の寵愛を受けた動物がスノールースターであり、国内のいたる場所に彼らの餌場が設置され、彼らを傷つけると厳しく罰せられた。
――結果として、元より多産早熟という性質を持つスノールースターはたった数日の早さで大繁殖をすることとなり、城下町では通りで大行進する鶏に道を譲る住民たちの光景が日常化された。
当然、民草の欲求不満は募り、敵意は王や貴族へと向きつつあった。
とある貴族屋敷の庭。
白雪と赤いポインセチアを囲む鉄柵から、年端も行かない娘が屋敷を睨む下民たちを観察していた。
糸のような美しい髪は、ポインセチアに負けない鮮やかな赤であった。
貴族娘は、柵の外に立つ警護の軍兵を見上げた。
ルベンディルの軍隊の兵装は、白の軍服である。
世界の主流は鎖帷子やプレートアーマーである中、雪国では体温を奪う鉄武装は好まれない。
そこにこれまた先々代の国王の拘りにより、平和なルベンディルで物騒な鉄武装をすることは禁じられていた。
貴族の少女は二人いる警護の軍兵の内、軍人と思えぬほどに痩せた一人を覗き込む。
槍がほぼ杖の役目になっているその瘦せこけた軍兵は少女に気づくと、どこか達観したような笑顔を向ける。
警戒の必要なしと決め込んだ少女は尋ねる。
「ねえ兵隊さん、どうして皆、スノールースターから逃げるの? 全然捕まえようとしないって不思議じゃない?
あんなにいっぱいいるんだから、少しくらい食べてもいいと思うのよね。私、お母様の作るソテーが好きだったわ、レモンと卵ソースをかけるやつ。
最近はお魚にレモン着けを乗せたのばっかり。うんざりしちゃってるわ」
「はは、お嬢さんはお魚が苦手かな?」
「いいえ、うんざりしていると言ったの。
お魚も大好きよ、お母様の料理は何でも美味しいもの。でもでも、代わり映えしない食卓って退屈でしょ? 好きなものを食べられないのは詰まらないものだわ」
軍兵は「そうだよなぁ」と同意を漏らしつつも、一応は王命に従う兵として、物を知らない貴族娘に今のルールを教えてやることにした。
「……確かに食卓は質素になったねぇ。でも、大好きな料理を我慢してもだ、お嬢さんはちゃんと生きているね? 腹ペコで死んだりはしない」
軍兵は諭すように続ける。
「でもお嬢さんが夕食に大好きなソテーを食べるには、一羽のスノールースターが死なないといけないのはわかるかな? 卵ソースをかけるなら二羽だね」
「そうなるわね、こう、キュッと首を絞めるのよね、見たことあるわ」
存外逞しい経験をしていそうな娘に、軍兵は頬を掻いて笑った。
「見たことあるならイメージしやすいね。
王様はそれじゃあ可愛らしいあの鳥が可哀そうだと思って、食べちゃいけないことにしたんだ。
ね、そうしたらお嬢さんもスノールースターも死なないで生きていけるだろう? 両方ハッピーってことさ」
少なくとも脳みそまで続く花畑でお茶会をしている王の中ではそういう解釈のはずだ。
自然の摂理に無頓着な思想に辟易として、軍兵はまた乾いた笑いで自分の心を誤魔化す。
「それは変よ兵隊さん」
意外にも、王の考えに反論があった。
見下ろすと赤髪の貴族娘が、その紫檀の瞳を大きく見開いて不満を露わにしていた。
「王様は私たち人間の王様でしょ? だったらスノールースターばかりに味方してないで、たまには私の言うことも聞いてほしいものだわ」
恐らくは深い意味のない言葉。
しかし軍兵は、この娘が自分の見解と同じ考えを、本能から理解しているのではないかと期待を持った。
確認のため、今一度首を傾げてみる。
「食事のために殺されてしまうスノールースターが可哀そうとは思わない?」
「可哀そうだわ。でもでも、ずっとお魚しか食べられないなんて、とても我慢できないじゃない?」
軍兵はまた笑った。
笑い声が目立って、気を悪くしたらしい貴族娘が頬を膨らませる。
「何故笑うの?」
娘の欲望に素直な姿を見て気を良くした軍兵は、語り口をやや落ち着けて――まるで学者のように――教えを説くことにした。
「――お嬢さんは賢いね。じゃあそんな賢いお嬢さんに良いことを教えてあげよう」
今度は娘が首を捻った。
「この世界では色んな生き物、つまりは種族の『位階』を決める生存競争が行われている」
「いかい?」
「優劣、順位って言おうか。一番とか二番とか、そういうのだよ。この世の生き物は皆、その一番を目指して競争してるんだ。
人間もエルフも、犬やゴブリン、スノールースターも、競争の参加陣営の一つに過ぎない。
そして自分たち人間はね、今その競争の中じゃ上位集団に位置しているんだ」
「何をもって上位なの?」
「色々とあるけど、まぁ種の安定性かな。
君が大人になって結婚して子供を産む、そうした種を紡ぐ行為がどれだけ確実に行われるか。
それは大きく位階に影響するね。その点じゃ捕食者で多産なウルフなんかも人間と同じ位階にいると思うよ。
逆に、いくら多産でも被食者のスノールースターは下位の種族だった。だからここ数年は数も減少気味だったのさ」
「ほしょ……ひしょ?」
熱の入った軍兵の話は、いつしか娘を置いて専門用語の溢れる講義へと発展していく。
「この位階の上位に昇り詰めるには種族の『特質』が必要だ。さて、人間の最大の強み、武器は何だと思う?」
「武器って? その槍とか?」
わかる言葉を拾って必死に食らいつこうとする娘の質問は、華麗にスルーされた。
「人間という種の武器はね、徹底した命の管理さ。
自分たちのみならず、同位や下位の他種族の命を管理できること……例えば木々や毛皮から服を作る、肥やして増やして食料とする、手懐けて移動手段や癒しとする。
本能に任せて食べ散らかしてはここまで発展できなかった。これが人間が生存競争に打ち勝つための武器なのさ」
「ねえさっきから何を言っているかわからない。まるで学者様みたいだわ」
「ああいいさ理解は後で構わない。自分が口下手なのはわかっているよ。
だから王宮でこの進言をしても理解してもらえず、研究衣から軍服に着替えることになってしまった。とりあえず、自分が君にわかってほしいのは一つだけさ」
軍兵は少女を優し気に見下ろす。
「今、この国は人間の特質を捨てた。武器を捨てた愚か者が自然界でどこまで通用するか」
そして大行進するスノールースターを睨んで呟くのであった。
「――さぁ、位階が乱れるぞ」
◇◇◇◇◇
――始まりは、城下町の優しい子供であった。
少年は優しさのあまりに強く物を言えず、他の子供たちからいじめられていた。
だから、人懐こいスノールースターに囲まれる午後の一時を楽しみにしていた。
餌場の雑穀を両手に掬って街外れまで、零れる穀を辿ってスノールースターたちが「きよきよ」と列を組んでついてくるので、ちょっとした王様気分であった。
列は、繁殖に併せて日に日に長くなる。
そしてある日。
少年は両手の餌を全て撒き切ると、「もうおしまい」と帰路につこうとした。
今までと異なったのは、帰ろうにも足元いっぱいに少年を囲むスノールースターたちのせいで脚を踏み出せないことであった。
「も、もうおしまいだってば」
両手を振ってもう餌がないことをアピールする少年に構うことなく、スノールースターたちは「きよきよ」と丸っこい嘴でズボンを啄ばむ。
たまたま啄ばみの一回が皮膚に引っかかって、少年は痛みを感じる。
それは少年に恐怖を自覚させるには十分すぎる痛みであった。
堪らず駆け出した少年は、一羽を踏んで地面に転ぶ。
それが悲劇のきっかけとなった。
頭に乗って「きよきよ」と、思ったより重く、思ったより爪が痛い。
背中に乗って「きよきよ」と、何が楽しいのか、彼らはほつれる服を執拗に突き回す。
群がって「きよきよ」と、起き上がれなくて「きよきよ」と。
「――助けてっ!」
助けを求める声を掻き消して「きよきよ」と。
スノールースターは雑食性である。
服でも、肉でも、口に入ればとりあえず啄ばんでみる。
スノールースターは多産である。
既に餌場の餌だけでは一団が満足する量に満たなかった。
翌日、行方不明の少年を探す街人が鳥の群れを退かせると――そこには赤い血だまりと、小さな赤い遺体が転がっていた。
それからしばしば、街中には羽毛を赤く汚したスノールースターが現れるようになる。
王が『共生同権の定め』を解いたのは……王族の娘が同じ目に遭ってからであった。
◇◇◇◇◇
――数か月後、すっかり街並みは元通りになった。
もう我が物顔で街を闊歩するスノールースターはおらず、人々は好きな食材を好きなだけ食べられるようになった。
変わった点と言えば、スノールースターだけが食卓に並ぶ機会を減らしたことである。
貴族屋敷の庭、鉄柵に掴まった娘がぴょんぴょん跳ねた。
「――兵隊さん聞いて、昨日、お母様がルースターのソテーを作ってくれたの。勿論卵ソースもついていたわ」
「それは良かった。街中では気味悪がって誰も人食いルースターの肉なんて食べたがらないのに」
「お母様もそう言っていたわ。だからおねだり三日目でようやくよ? まあ、おかげで私はいっぱい食べれたけどね」
「はは、やはり君は面白いね。ところで、昨日言ったことはそのお母様に伝えてくれたかい?」
「この国から逃げた方がいいってお話? してみたけど、ついにおかしくなったってお医者さん呼ばれたわ。心外よね。兵隊さんが言ったこと、そのまま言っただけなのに」
「自分に『言え』と言われた、とは白状しなかったんだね?」
「そんなことしたら兵隊さんと話せなくなるじゃない」
「そうか……うん、やはり局面を読める才があるな……君には是非生き抜いてほしいなぁ」
「でもやっぱり気になるわ。どうしてこの国から逃げなきゃいけないの?
人食いルースターのお話は終わりでしょ? 王様が一羽残らず、ルースターは皆みんな国から追い払ってしまったわ」
「んー……今更管理しようとしても、もう遅いって感じかな」
軍兵は遠く澄んだ空を見上げ、一つ計画を企てた。
それはエゴを剝き出しにした、とても自分勝手な計画である。
何やら企む軍兵に首を傾げた貴族娘は――その一年後に何者かに誘拐され、ルベンディルの国から姿を消す。
そして更に二年後――『ルベンディル』は歴史からその名を消すこととなる。
どうしてか大量発生したウルフが、次々に村を壊滅させ、国力を削ぎ落した。
求心力を失った王族と貴族は、自らの兵や民に討ち取られる。
反乱した兵や民は、海の向こうからやって来た『ジェイクブ』の軍勢に捕らえられ、取り込まれた。
◇◇◇◇◇
母国の凄惨な最期は、様々な脚色を経た噂として、荒れ小屋で横たわる汚れた軍服の男と、赤髪の少女の下にも届いた。
「兵隊さんの言う通りになったわね。凄いわ」
少女は言いながら、腹部を赤く染めた軍兵の手拭いを変えた。
「まあ、かくいう自分も……もう死にそう、なんだけどね」
「山賊の罠にかかるなんて、ドジな人」
「そう言わないでくれ、元はただの動物学者なんだ、昔から運動神経悪いんだよ」
元から痩せこけた身体であったが、今は輪をかけて身体にも言葉にも生気がない。
少女は軍兵の死期を悟って、それを拒否するように寝かしつける。
「――そろそろ、休んだ方がいいわ」
しかし、死期を悟ったのは軍兵も同様であった。
「いや、最期に語りたいな……悔いのない生き方の秘訣って奴を」
「これから死ぬ人が?」
「ああ、滑稽だけど、ためになると思うよ」
言葉には力が戻り、有無を言わさずに赤髪の少女を黙らせた。
それから軍兵が語った秘訣は、今に至るまで少女の根幹を支え続けることになる。
「まず、納得に妥協をしないこと。
どれだけ周りから浮いていると言われようと、流されて意見を変えないこと。
他人を信じるなと言うんじゃない、自分を取り巻く全てを……命を、人を、未来を管理する。
それが、この競争の世界で自分たちが持つことのできる武器、特質。
それが……きっと君の大切な人たちを守ることに繋がる」
――言葉を胸に。
変だと言われても、自分が格好いいと確信する白い軍服を着込んだ。
女には無理だと言われても、『調教師ギルド』で上を目指した。
冷徹だと言われても、畜産業を効率化した。
徹底して命を管理した。
例え嫌われても全体のために尽くした。
その結果、自分が死ぬことになろうと……なるほど確かに、少なくともサーバ・ベンディンガーに悔いは残らなかった。





