5-31 摂氏100℃
黒鉄の機械人形が放ったメガトン級パンチが、赤髪の剣士に炸裂した。
鉄球の拳に殴りつけられた剣士は一直線に吹っ飛び、遺跡広場の石柱を貫き、森の木々を折って夜の闇に投げ出される。
振り抜かれた黒腕が、排気筒からプシィィと噴き出した蒸気を合図に構えを解いた。
重量感あふれるその魔導具を複合して組み込んだ人形は、この場の全員を呆気に取らせた。
面食らっていた銀髪のブランから、ようやく驚きの声が上がる。
「み、見事……凄まじいパワーだ……」
ギルドマスターという存在が只者ではないことを重々承知している青年だが、まさかアシャラのような小柄な老人すらもエルタルナ最強の兄に通用するとは思わなかった。
「気を抜くな、陣を立て直せ! マナ待機を備えよ!」
同様に、爆発に吹き飛ばされようと即座に次の準備を整える逢王兵たちも、想像を超えて鍛錬されていることが伺い知れる。
もしやという希望に、ブランの褐色の手がじっとりとした汗を握りこみ、鼓動が早まった。
「これなら、兄者を退けられる、のか……?」
しかし、そんな甘い妄想を焼き尽くすように――赤髪の剣士が消えた森が発火した。
夜を照らす燃え木を背景に、一歩一歩、茂みを踏みつける人影が歩み出てくる。
「なるほど、貴様らの力はあらかた理解した」
まるで息切れをしていない言葉が一帯の緊張感を締め付ける。
石板の床にコツンと、ブーツが戻ってきて、切れ長の紅い視線は自身を包囲する逢王兵たちに向いた。
「部隊は二人一組、後衛の魔導師が魔法を放つ間に、前衛が大盾に隠しこそこそと集歌を唱え、連続して魔法を使用できるようにしている。マナに乏しい人間の創意工夫というわけだ」
紅眼は鼻を鳴らし、構えを正す逢王兵たちに見切りをつけると続いて駆動音を高める鉄人にも視線をくれた。
「鉄屑の案山子の方は……魔導蒸気機関に加え内部に風の魔導具を仕込んでいるな。だが『精神浸食』に耐えうる程度なら連発も難しかろう」
黒鉄の鉄人は返答の代わりに蒸気音を上げ、腰を落とす。
まるで採点をするような論評を終えると、剣士は赤髪と同じ色の刀身を逆手に突き出す。
そして冷たく周囲の全員を見下した。
「哀れでならない」
苔のついた石床に切っ先を向ける赤い剣が、一瞬だけ揺らめいて陽炎に包まれたように見えた。
「戦術を練り、小細工を組み立て、数を連ねる……全てが愚かで哀れな弱者の足掻きだ」
侮蔑に吠えたのはブランの傍らに立つ鎧の隊長、キャスであった。
「ほざけ! 第二班前へ! 照準!」
彼の号令にジャラリと鎖帷子が鳴り、十組の逢王兵が踏み出し、大盾と魔導書を構える。
有象無象を一瞥した赤髪の剣士は、ひたすら冷たい声色で、赤い刃の魔導具に命じた。
「不敬な蟻共が。さぁ、思い知らせろ『竜炎の皇剣』――」
竜の王と呼ばれる魔物の喉笛から打たれた剣は、その偉大なる力を受け継いでいる。
それは三日三晩山を焼いた炎の力であり、広大な湖を干上がらせた熱の力でもある。
そして剣士の唇の動きに合わせ、赤の粒子が刀身へと逆巻いた。
「『熱圏』」
魔導具は常に、素材の生前の愉悦を求めている。
剣士の脳に、魔導具の、竜王の甘言が響いた。
――反逆者の頭を垂れさせよ、焼いて、溶かして平伏させよ、と。
技が宣言されると、刀身に凝縮された赤の粒子は、炎になるでもなく爆発を起こすでもなく消え去って、一陣の熱風を吹かせた。
吹き付ける風に顔を覆ったブランは、直後に吸い込んだ一呼吸に思わず咳き込む。
「げほっ、熱っ……!?」
喉が焼ける程に熱い。
肺が一気に暖められ、顔がカッと熱を持つ。
ローブにも熱が籠り、露出した肌には日差しもないのに炙られるような痛みが差した。
青葉の暗がりであった遺跡の視界は、薄く赤いフィルターが重なったように染まる。
「ぐ、これは……? 温度が……」
一瞬で噴き出した玉のような汗。
それが単なる熱さのせいか、それともその先にある不安に対する冷や汗か判断がつかなかった。
ブランの頭に過ったのは――広く親しまれる娯楽の中にある、熱気浴であった。
締め切った部屋に暖炉を置き、汗を流して新陳代謝を上げる入浴法。
そこで感じる非日常的な熱は快感となり、あるいは体内の穢れを流すため、あるいは忍耐力の鍛錬のため……人々を魅了する。
さて、良い汗を流した後、冗談にもならない冗談を思いつくことがある。
例えば、もし外へ出る唯一の扉が、ビクとも開かなかったら?
例えば、扉の外にまで熱の世界が広がっていたなら……人の身体はどうなってしまうのだろうか。
脱水症状? 熱中症? 何より恐ろしいことは――
――魔導具の技の狙いに感づいて、鉄人の胴の上部が開く。
「……こりゃ不味い」
操縦席のプードル顔の老人が蒸し焼きを回避し、舌を出したのとほぼ同時――逢王兵たちから悲鳴が上がった。
「痛ぁっ!? があぁ! 熱、熱いぃ!?」
視線を向けると、彼らは大盾を捨て、魔導書を手放し、整然と組んでいた隊列を乱し、誰もが踊り狂うように苦しみ出したではないか。
一体何が起こったのかとしきりに見回すブランの隣、唯一精神力で傷みを耐える隊長のキャスが、歯を食いしばり自らの兜をはぎ取った。
「ぐぅ……!」
ガランと転がった兜に、血液と皮膚が付着していた。
ブランが見上げた先、キャスの頬から額にかけて――兜の淵が触れていた部分の皮膚は、赤く焼け爛れている。
――キャス隊の標準装備は兜に鎖帷子。
特にチェインメイルは、細く伸ばした鋼の線を編み合わせた言わば鉄の衣である。
さて、鉄の熱伝導率は通常の布生地の衣服を遥かに凌ぎ、周囲の温度に容易く従う。
まずは装備の端部から、熱は着実に広がっていく。
そして熱された鉄を着こむことは、煮え立つ鉄釜に押し付けられるに等しい。
「ぎゃあああ!?」
脱ぎ去ることは困難である。
鎧は戦場ではぎ取られることを避けるために何箇所も結び紐で留められている。
急いで結び紐を解くころには、脱ごうとした鎧に貼りついた皮膚まで共にめくり上がる。
悲鳴に歓喜するように、樹木の擦れ合った葉が発火し、背景は一気に炎に囲まれる。
温度が一段と引き上げられる。
陽炎に歪む遺跡に立つ赤髪の剣士は、自身も炙られる身でありながら涼しい顔であった。
その透かした態度が許せなく、岩のような鎧を着こんだ大男が両腕の手甲剣を振りかざして突進した。
「き、貴様ぁ!」
「キャス殿!」
無謀な突進の結果は見え透いていて、ブランは魔導書を開く。
痛みを堪えて猛進するキャスの胆力には目を見張るが、そこには最早全体を見渡す余裕はないようであった。
対する赤髪の剣士は、その冷静な脳で、振り下ろされるだろう手甲剣を躱して首を刎ねる算段をつけている。
数秒先の悲劇は明らかである。
数秒先の悲劇が明らかであるから。
「させぬ! ――『気高き尊よ』!」
銀髪の青年は、力を行使した。
魔導師を越え、人外の天使と評される集歌効率は、一言の詠唱で遺跡を埋め尽くす緑光を従えた。
街からも視認できる緑の光は、曇天の空に聳える柱となって闇夜を照らす。
しかし同時に、制御の効かない天使の力が足下を揺らす地震をも引き起こした。
揺れに足下を掬われ、キャスは突進半ばに倒れこみ、命を拾う。
赤髪の剣士は興味を周囲に散りばめられた緑の粒子に向け、笑みを浮かべた。
「来るか」
さして焦った様子のない剣士の先――万来の精霊たちに向けて命令が下された。
「コール! 『ヒールサンクチュアリ』!」
唱えたるは熱に焼かれる逢王兵たちを救う範囲回復魔法。
炎を掻き消し吹き荒れる緑の風は、身体の内外の火傷を癒し、命を繋ぎとめる奇跡である。
その一方、地面を突き破ったのは、まるで対極の力――治すための破壊をしたくて溜まらない樹の根の化け物であった。
大ミミズのようにうねる樹の根の化け物は、激しくのたうち回り、焼ける森を、熱された遺跡を叩き潰していく。
――全ては無差別に。
チェインメイルを掻きむしりながら倒れこんだ逢王兵が、柔らかな緑の光に包まれる。
焼けた喉が癒され、彼は久方ぶりの呼吸を取り戻す。
「ぜ、た、助かっ……」
声を震わせたのも束の間、彼は大きな影に覆われる。
素っ頓狂な「は?」という呟きを残し、彼の身体は、のたうち回る巨大な根に叩き潰される。
骨も肉も潰れた彼を、再び緑の光が包む。
天使の力をもってすれば、致命傷程度であれば完治させることなど容易い。
「な、何が、俺、今潰され……あ? がぁ!? あづ、熱いぃ!」
また、傷が治ろうとチェインメイルの温度が下がるわけではない。
地獄のような苦しみは、何度も何度もループしていく。
期せずしてその一端を担うブランが、汗だくで歯噛みをする。
「何故暴走が止まらぬ! くそ何故だ……! ユータ殿たちの時は従えられたのに!」
ブランの焦りは募っていく。
御しきれない理由は複合的な状況の違いによるものであるが、最大の要因は、やはり目の前の赤髪の剣士が寄せる重圧感であった。
「楽にしてやれ。死は安らぎとも言える」
この状況を作り出して尚も悪びれない張本人に、ブランはキッと睨みを効かせる。
「断る! 兄者の魔導具にも効果時間があろう! 熱圏さえやり過ごせば……!」
遺跡を包み込むほどの大熱波と、その高温を維持する粒子、『熱圏』は間違いなく大技に分類される。
つまり技の効力さえ切れてしまえば『充填時間』――隙の時間が発生するはずである。
「やはり貴様は愚か者だ」
弟の甘い見通しを聞いた兄は、迫り来る巨木の根をズパリと一閃して笑う。
「充填時間は魔導具が蓄える粒子が枯渇することにより発生する。ならば補ってやれば良い。知っておろう? エルフであればいとも容易く粒子を調達できることを。天使に匹敵する種族の奥義を」
そう言うと赤髪の剣士は、身体から夥しい量の赤い光をあふれ出させる。
そして白い頬には、赤く輝く亀裂が入った。
「兄者、何を……それは、『エルフの秘術』……?」
ブランが狼狽えた理由は、二つある。
一つは、エルフの秘術とは、術者の命を投げうって発動する禁術であるということ。
そしてもう一つは、彼が本当に秘術を使ったとすれば、この戦場と化した遺跡は――更なる地獄と化すということである。
◇◇◇◇◇
そして舞台は一度、首都を挟んだ南の平原へと移り変わる。
お読みいただきありがとうございました!
ブランを狙う刺客の中では最強の位置づけをしておりますカーマイン戦の前半でございました!
次回、場面が転換しまして、五章ではなりを潜めていました軍服の彼女にスポットを当てて参ります!





