5-30 魔導具ギルド ”名誉博士” アシャラ・ショコラン
森の中に立つ神聖な神殿は時を経て苔生した遺跡に――そして今宵、戦場と化す。
石柱の神殿前には、魔導書を構えるブランとアシャラ、両腕に手甲剣を備えた隊長のキャス。
開けた広場の中心には大きな窪み、中心に立つのは、赤い剣で肩を叩く赤髪のカーマイン。
彼をぐるりと囲む三十人程の逢王兵キャス隊は、前衛が大盾、後衛が魔導書の二人一組でにじり寄る。
腹違いの兄であり、母国の王族でもあるカーマインとの対峙を決めたブランは、彼の地位に味方が怯まぬように鼓舞をした。
「二人とも、王族とはいえ手加減をして勝てる相手ではない。エルタルナへの説明は余が何としても取り持つ、今は全力で当たってほしい」
「悪いが元よりそのつもりだ」
キャスの即答が示す通り、心配は杞憂に終わる。
「左様。政治は後じゃ。気を悪くせんでほしいが、今はお主という戦利品を各国が形振り構わずに掴みに来とる段階じゃ。そして今宵の蛮行を労せず帳消しにできるのは……お主を手にした国じゃよ」
アシャラの言葉にまた一つ、ブランの罪悪感が募る。
スー・フェイが攻め手を急いだのは、自分が不用意に街中で力を使用したからである。
当然、兄も彼らの襲撃を足掛かりにこの場に辿り着いているのだから、引き金を引いたのは自分なのである。
再び渦巻き始めたうじうじした思考を振り払って、青年は深く息を吐いた。
「……であれば、だからこそ、尚更スー・フェイと兄者には捕まるわけにはいかぬな」
どこか自虐的な笑みを浮かべたブランが魔導書を持つ手に力を込めた瞬間。
「無駄口は終わったか?」
待ちあぐねたように、赤い片刃剣が闇夜に炎の軌跡を描く。
使い手のカーマインが口ずさんだ『技名』により、決戦の火蓋は切って落とされた。
「小手調べだ――『薙閃熱刃』」
一文字に振るわれるのと同時、技の名に反応した魔導具の刀身が、赤の粒子を集め、放射状に広がる炎の斬撃を放つ。
ブランとアシャラは身を伏せて熱波をやり過ごし、大柄なキャスは鉄壁の手甲剣を交差して構え、一気に振るい炎を搔き消した。
「ふん、これしき大したことは――」
「まずは一人」
声はキャスの目前から。
そこには既に、一足で飛びかかった赤髪の剣士が迫っていた。
炎の斬撃を目晦ましに間合いを詰めた彼は、既に兜割りを振り下ろす体勢に入っている。
しかし、視界に移るその光景を受けて尚、角顔の隊長の落ち着きは変わることがなかった。
「甘い、撃てぇ!」
鋭い指揮に反応したのは、遺跡の広場を包囲するように陣を組む逢王兵たちの一組であった。
赤髪の剣士の側面を狙って唱えられた魔法は、風の弾丸「エリアルバレット」。
跳躍中の身に回避の術はなく、球状に圧縮された風を叩きつけられた剣士は、キャスの視界から真横に吹っ飛ぶ。
「続けぃ!」
赤髪の剣士が飛ばされた先には――散りばめられた青い粒子と、三組の前衛大盾と後衛魔導師。
魔導師たちが声を揃え、「アイスニードル」を叫ぶ。
青の粒子が一瞬で凝固し、彼らを守る氷壁と、そこから繰り出される無数の針を創り出した。
宙で赤髪を振り乱す剣士は、自身を貫かんと伸びてくる先端から目を背けない。
「……『薙閃熱刃』」
冷静に刀身を薙ぎ、迸る炎の斬撃でアイスニードルを白霧に溶かし尽くす。
そして着地した脚を屈め、間合いを詰めるべく力を込める。
――今しがたの魔法は、発生の速さから見てマナ待機させていた粒子を使用している。
つまり次弾の魔法を発動するには、一から集歌を唱える時間が必要。
今なら盾を飛び越し、後方の魔導師を一閃して終いである。
そう単純に考えつつも不用意に飛び込まなかったのは、カーマインがその人生を歩むにあたって研ぎ澄ましてきた謀略への嗅覚に従ったからである。
結果として彼の嗅覚は正しい判断を下していた。
白霧の向こうから再び聞こえたのは――「ストーンジャベリン」との略令歌。
仮に赤髪の剣士が飛び込んでいれば真下から串刺しにされていたであろう位置、無数の石槍が聳え立った。
そしてようやく、大盾士と魔導師たちから詠唱以外の声が漏れる。
彼ら三組の真横から、「番う焔よ」との死刑宣告があったのだ。
「なっ!? 回り込んで……!」
驚愕の視線の先、赤髪の剣士が、腰から抜いた魔導書を広げ、赤い粒子を散らしている。
王族は魔法の素養に優れる。
粒子の量は、たった一言の集歌ではあったが彼らを焼き尽くすには充分であった。
「コール――」
魔導書の輝きが彼らを照らし出した、その時であった。
「ほっほ、助手が帰ってきたようじゃな」
好々爺の声が、危機を救う助っ人を呼んだ。
赤髪の剣士に備わる尖った耳が、その聴力をもって敵の位置を上空と判断した。
即座に視界を曇天へと向けると、森を飛び越えて跳びかかってくる黒の塊が視認された。
「――『エクスプロード』」
剣士が強襲の迎撃に選択した魔法は炎の上級魔法。
魔導書に描かれた紋様が、赤の粒子を収束させ、一気に爆発させた。
閃光が夜の樹々の輪郭をはっきりと映し、爆風が重装備の逢王兵たちを何メートルも吹き飛ばした。
爆風に乗って身を翻した赤髪の剣士は、着地すると同時、自分が先程までいた地点を睨む。
「良い判断じゃな。迎撃用の呪文は『ファイアボール』、『フレイムランス』『フレイムウォール』等と数考えられるが、それらを使用していれば、今頃お主はぺったんこじゃったの」
得意げな解説を寄こすのは茶毛のプードル顔の老人である。
彼が歩み寄る先には――爆風にもびくともしていない鉄の塊があった。
それを見る鎧のキャスから、驚いたような、呆れたような声が漏れる。
「……何だあれは」
全高は三メートル程、重量は計り知れない。
鉄球のような丸みのあるフォルムの胴が、背に並んだ排気筒をドルンと唸らせる。
重量感のあるボディを支えるは黒鉄の二脚、足裏はキャタピラだ。
敵を叩き潰す気満々の鋼鉄のグローブが、ガチンガチンと拳を合わせる。
ブランもキャスの問いに明確な答えは返せなかったが、目の前のそれを端的に表すならば――
「あれは、魔導具なのか……? く、黒鉄の、人形……鉄、人、とな?」
球状の胴がプシュゥゥと上部を開き、茶色の巻き毛とローブが「とうっ」と飛び込んだ。
操縦席に乗り込んだ老人は、周囲の全員を置き去りにして魔導書を操作盤にセットすると、レバーを強く握った。
「行くぞい――『熱盤点火』! 『冷盤氷製』! ギアコンバート!」
「ちょっと……アシャラ殿」
「オイルプレッサーOK! オールヴェント! オールクリア! コントロールモード始動!」
「あの……」
黒鉄の背中、排気筒から炎が噴き出し、それはやがて白い蒸気となる。
鋼鉄の内部はガコガコと騒々しくした後、嚙み合った歯車が回転速度と駆動音を速めていく。
のっぺらぼうの丸い躯体に、赤と青の閃光が走り、眼のようなランプが灯った。
「紹介しよう! ワシの研究意欲を支え昂らせる最強の助手! 『複合魔導具人形・改式・黒丸號』! 発進じゃ!」
「なんだそれは!?」
ブランと全ての逢王兵が説明を求めて叫びを上げた。
なお避難の段取り中に事前説明はあったものの、誰もがくどくどと続く長話に見切りをつけて各々の準備に戻ったが故、詳細を知るものはいなかった。
「ふはは! 行くぞい若造!」
ギアの回転速度と共にテンションを上げる老人が、レバーを押し倒し、鋼の脚で大地を蹴る。
流れるように、ガションガションとバネと油圧ケーブルを弾ませ迫り来る鉄人に、赤髪の剣士は鼻を鳴らした。
「ふん、魔導式蒸気機関か。マナに乏しい愚か者の小細工に何ができる」
鋼鉄の巨体にも怯むことなく、剣を下段に振り被り、身を低く足下へと沈み込む。
狙うは関節部のケーブルである。
操り師が内部にいようと、古今東西カラクリ人形が糸で四肢を動かす基本は変わらない。
鋭い剣技が迫る一瞬、操縦席のアシャラが茶の巻き毛を摘まんで『技』を命じた。
「効かぬぞい! 『風盤防壁』、展開じゃあ!」
言葉に反応し、胴の内部に埋め込まれた『風虎の勾爪』が空色の粒子を呼び寄せる。
剣閃の間際、粒子は風に変換され、鉄人を中心とした衝撃波が全方位を吹き飛ばす。
苛立たし気な舌打ちと共に、身体は突風に煽られた。
三度風に舞う体勢を立て直そうとする剣士の前――ガションと、黒腕が鉄球の拳を振り被った。
「……鉄屑が」
剣士は赤い刀身に手を添え、盾として構える。
そんなことはお構いなしに、黒い拳は防御ごと彼を殴りつけた。
――確かなことは、質量は力であり、質量差は歴然であるということ。
それから、温厚な好々爺は、操縦席に収まると大層楽しそうに人格を変えるということであった。
「吹き飛ぶが良い! ふはは! これぞびくとりぃぱんちじゃあ!」
剣士の身体は直線状に吹っ飛び、遺跡広場の石柱を貫き、森の木々を折って夜へと消えた。
用語設定
『魔導式蒸気機関』
五年前より取りざたされた魔法によるエネルギー変換機構。
魔法で精製した水を魔法の炎で熱することで蒸気機関を成立させている。
既に本技術を応用した「魔導車」が発明されているが、集歌減退の観点から普及率は低い。
最近では魔導具『火炎魔人の熱盤』と『氷河魔人の冷盤』を利用したエンジンユニットも発明されている。
研究者たちが抱く最大の謎は――通常の蒸気機関と併せ、当該技術の発想が「6年前以前」に提唱されていないこと。





