5-29 Carmine invader
吹き荒ぶは熱風。
遺跡にこびりついた苔を剥がし、神殿に絡む蔦を焼き尽くし、その流星のような男は降ってきた。
服装は高貴。
胴に沿うジャケットはベルトを境にスカート状に広がる白の貴族服。
装備は煌びやか。
ベルトの腰元に吊り下がるは、赤装丁を金細工で装飾した魔導書と、宝石の埋め込まれた鞘。
鞘からは早速、赤い刀身の片刃剣が抜かれた。
容姿は華麗。
炎のような赤髪と雪のような白肌が美しいコントラストを作り、切れ長の瞼にはルビーのような瞳が野心的に輝いている。
人間のそれより尖った耳は、彼がエルフであると示している。
「愚か者が、手間取らせおって」
威圧的で厳かな声は、神殿を背に目を見開く銀髪の青年、ブラン・シルヴァに向けられた。
「……兄者、何故、ここに」
戦慄くブランを庇うように、鎧の大男――逢王兵キャス・シェルビーが立ち塞がった。
隊長である彼の振る舞いは、そのまま隊全体への指令となり、吹き飛ばされた逢王兵たちが乱入者を囲むように隊列を組む。
隊列は二人一組、大盾のプレートアーマーが前衛、魔導書を持つチェインメイルが後衛である。
即座に迎撃態勢を整えたキャス隊を流し目で眺める赤髪のエルフに、落ち着いた枯れ声が尋ねる。
「お主、何故ここがわかったのじゃ?」
キャスに並び立った老プードル族のギルドマスター、アシャラ・ショコランは、言いながら麻生地のローブの下、魔導書に手をかける。
「無能なスー・フェイ共と貴様らカージョンが教えてくれた」
尋ねられた赤髪の男は、囲まれているにも関わらず身構えるでもなく、剣を指で弄びながら回答を口ずさんだ。
「先刻の黒龍の襲撃で力を使わないのであれば、そこの愚か者は街の中にはいない。そしてスー・フェイの襲撃に対応している情勢を見るに、貴様らカージョンはこの襲撃を読んでいた。どこまで読めていたかは知らんが……奴らが南から攻めてきていると把握していたなら、北に逃がすと踏んだ」
得意げに語る紅眼が、角顔のキャスを睨んだ。
「当たりをつけれみれば、間抜けにも茂みでなくこのような開けた場所で野営する貴様らを見つけたわけだ。カージョンの兵法は粗末なものだな」
見え透いた挑発ではあるが、逢王兵であることに一際の誇りを持つキャスは無意識に前のめりになる。
冷静に彼を窘めたのはアシャラ老人であった。
「これこれ乗せられるでない。お主たちは正規軍、開けた場の正々堂々が本領じゃろ。
襲撃者共は不正規戦で仕掛けてきておるのじゃ、森に隠れれば端から蝕まれるように崩されよう。
それに、仮にワシらが森に身を潜めていたとして、目の前の男は森ごと焼き払って炙り出したじゃろうよ」
キャスは「わかっている」と悪態をつき、一つ息を吐き出し感情を落ち着ける。
そのやり取りを目の当たりにし無駄な煽りを切り上げた赤髪の男は、今度はブランに向けて手を差し伸ばした。
「ふん、まあいい。さあそいつを渡してもらおう」
言葉を、眼差しを向けられるだけで、銀髪の青年の全身が硬直し、汗が噴き出した。
本来安らぎを感じる相手であるべき家族は、ブランにとっては恐怖の対象でしかなかった。
幼少の頃からずっと、この赤い眼差しに何度も見下されてきた。
手を下すのは下の兄たちであったが、去り際にゴミを見るような流し目を残していく彼が、最も恐ろしい存在であった。
彼に対する恐怖心は今も変わらない。
唯一変わったとすれば――ブラン自身に少しだけ、ほんの少しだけ勇気というものが宿ったことである。
銀髪の青年が、震える脚を叩いて一歩踏み出た。
「ブラン君」
腕で制そうとするアシャラを「大丈夫」と下がらせ、おずおずと、兄と同じ赤い瞳を向ける。
「少しは賢明な判断ができるようになったか」
ブランは腰引け気味の上目遣いだが、それでも真っすぐに赤髪の男を見据えた。
兄が言う賢明な判断をするためには、身内でありながら心内が知れない彼について知らなければならなかった。
「兄者、聞かせて欲しい。この襲撃に、兄者は関与しているのか? キリグイやあの龍が、街を襲うと知っていたのか?」
「愚問だな」
返答には希望が残されていた。
「愚かなスー・フェイ共の仕掛けた襲撃に、何故エルタルナの王となる私が関与する必要がある」
天使を炙り出すために非道を重ねた一味でないのなら、まだわかり合うことも可能と思った。
思いを後押しするように、いつか、黒髪の少女に発破をかけられた時の言葉が響いた。
――君は何したいわけ? どうありたいわけ?
その言葉に勇気を貰ったから、青年は今、自分がどうしたいかを理解している。
「そうか、そうか良かった。ならば兄者は、余が戻ればその剣を収めてくれるのだな」
拒めば兄との一戦は避けられない。
もう誰にも傷ついて欲しくない。
そして今の自分であれば、国に連れ戻されても強く在ることができる気がした。
「……すまぬ、ユータ殿」
知らず唇が呟いた。
力を使ったあの夜、異世界の友は「迷惑がかかるから出ていくのは違う」と言ってくれた。
ただ、この決断は自分の力と向き合うものだから、許して欲しいと首を振る。
それからブランは引き留めようとするアシャラにも申し訳なさそうに目を向ける。
「すまない、不義理とは思っている。だが今、余はこの場の全員を助けたいのだ。兄者の実力は余の天使の力をもねじ伏せた。従っておく、べきだ」
ブランが国を追われる原因となった首都エルタナでの力の暴走。
兄は王宮を食い破って聳えた大樹の枝も根も炎で薙ぎ払い、ブランを追い詰めた。
あの時の恐怖が身体にこびりついているから、沈黙する赤髪の男と護衛たちを戦わせたくなかった。
ブランはもう一歩進んで、了承を求めようと声をかける。
「兄者?」
返ってきたのは、侮蔑を含んだ乾いた笑い声であった。
「はは、やはり貴様は愚か者だ」
予想外の言葉にブランの脚は止まり、言葉は詰まる。
固まる弟を前に、赤髪の男は周りを囲む兵士たちに横目を向け、さも当然のような宣告をする。
「悪いがこれで秘密裡に来ているのでな。私がここにいたという証言は誰にもさせるつもりはない。この場に居合わせた者には、全員消えてもらう」
明確になった殺意に、周囲の装備がガシャリと身構えた。
あまりに勝手な言葉に、ブランは驚き、まくし立てる。
「なっ!? 何を言っている兄者! 彼らは敵国ではないのだぞ! それを……」
「敵だ」
鋭く遮られ、ブランは思い知ることとなる。
兄と自分との根本的なずれを。
「こやつらは耳が丸い。マナへの平均適正も低い。寿命も短い」
「な……」
「劣る種族は淘汰される。魔物同様、劣る癖に跋扈する者を敵と呼ぶのだ。
いずれ世界はライトエルフのものとなる。覇者の血は一つで良い、どのみち根絶させる命、この場で幾ばくか摘み取ろうと何ら問題もあるまい?」
衝撃的な主張は、ブランの幻想を脆くも打ち砕く。
兄の野心に満ちた眼に覚えた恐怖の意味を、ようやく理解した。
彼の主張は……根本的にスー・フェイと同じ侵略者のものなのだ。
震える褐色の手が、ゆっくりと、迷いながら、腰元に回される。
――いつかは立ち向かわなきゃいけないんじゃねぇの?
再び、異世界から来たという友人の言葉が、ブランの鼓動を突き動かす。
「不服そうだな」
灼熱のような片刃剣で肩を叩き、赤髪の男は楽し気に笑った。
どこか狩りでも始めるような気安さの笑みには何一つ共感できることがないから、ブランは腰のベルトから魔導書を手に取った。
「不服だ」
声は震えど、もう心に迷いはなかった。
「この街は、この者たちは余の恩人だ。いくら兄者であろうと、手を出そうと言うなら……許さぬ」
兄は「ほう」と目を丸める。
自分とは違う銀色の髪、自分とは違う褐色の肌、自分と色だけ同じであった赤い瞳に、自分と同じ闘争の炎が宿った。
その熱に寄り添うように、鎧の大男と、プードル顔の老人が並び立った。
「不毛なやり取りは終わったか? 元より賊を見逃すつもりはない」
「ほっほ、そう言うてやるな。実の兄と刃を交える決心じゃ、多少時間はかかろうて」
「アシャラ殿、キャス殿……済まぬが手を貸してほしい。兄は……いやあの男は、『カーマイン・セレンディア・サマンサ・ユグドール・エルナ・エルタナ・エルタルナ』、エルタルナ最強の戦士である」





