5-28 乱戦流空
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悠太の奮闘を受け、黄龍四師団最後の一人、龍顔は奥の手で巨大な黒龍となって首都を上空から襲いました。
黒龍の暴虐は、風の天使サマーニャの全力でもって打ち砕かれます。
力を使い果たしたサマーニャと共に地上に戻り、悠太は再びライチを救うべく北へと駆けるのでした。
オレンジ色の屋根瓦をタタンッと蹴り、野営で汚れた白ローブをはためかせ、二つの影が暗夜を駆ける。
スプリと呼ばれる少女は、肩に赤毛の少女を軽々と担ぎ、先行する少年に追従する。
少年――マギは白のフードを脱いで襟足の長い茶髪を夜風に投げ出し、東の空をおどけた様子で眺めていた。
「いいねいいね、盛り上がってきてんじゃーん」
駆けながらよそ見する先では、大気が曇天に空いた黒穴を埋めるために壮大に渦巻き、蠢いている。
どこまでも不気味なその空には、つい今しがたまで黒龍と黒い巨人が踊っていた。
「龍顔の兄貴もそこそこやるだろうに、そいつを一撃で粉砕だなんてなぁ。スプリちゃん、あれが天使の力だってよ、そのライチちゃんうっかり落としたら俺らもあんな目に遭っちゃうかもだからね、ちゃんと担いでてよ?」
「う、うん」
万全の対策を施しているにも関わらず脅してくる少年の意地悪に、水色髪の少女は緊張感たっぷりに頷いた。
そしてまた一歩オレンジの屋根瓦を飛び移ると、赤毛の少女についてかねてより抱いていた疑問を確認する。
「ねぇマギ君、本当に、この娘が最後の仲間なの……? マーサちゃん、じゃなくて?」
「んー?」
マギの気のない反応に、スプリはビクリと首を竦ませ、ライチを担ぐ手にギュッと力を込めた。
彼がおちょくる言葉もなしに返答をはぐらかすのは、不機嫌の表れである。
それを身をもって知ってる少女は、冷や汗の滲む顔で言葉を呑んだ。
数秒、タン、タタンと屋根を飛び移る音だけが響いて、不意にマギが口を開いた。
「スプリちゃん」
声があまりに冷たくて、スプリは再度身体を震わせ、泣き出しそうな声で返事をした。
十一時街の街並みで足を止めたマギは、彼女を一瞥することもなく――一瞥する余裕なく――言葉だけを後ろに寄こした。
「……もう一度言うけど、その子ちゃんと抱えててよ?」
どうやら既に話題はスプリの愚問から切り替わっているらしく、マギの視線は正面に広がるオレンジ瓦の群れに縫い付けられていた。
前方、武道館として使用される大きな建物の上に、その人影は立っていた。
うす暗がりの中、街灯のわずかな光にぼんやりと――般若面が浮き上がった。
「うーわ只者じゃないね……あんたギルマス? 傭兵ギルドの?」
出で立ちは、スー・フェイより更に東方の国に伝わるとされる忍装束。
姿勢は直立、組んだ腕には何やら風呂敷包みを持っている。
そして返答からは、見た目に反する呑気さと気の良さが窺い知れた。
「如何にもでござる。そのローブ、お主もこやつの手下にござるか? 一応拾いに戻ったのでござるが」
傭兵ギルドマスター、アハディオ・モンテフェルトルは、気さくに手に持つ風呂敷包みを投げつける。
投げ渡された包みは宙で解け、西瓜大の石の塊が露わになる。
少年が背後に庇う少女が、上ずった短い悲鳴をあげた。
それは苦悶の表情を浮かべたまま石化した老兵の顔――師団長、牛尾の首であった。
「ウケる」
マギは自身の所属していた団長の首に不敬な笑みを浮かべ、ひょいと避ける。
首は瓦を割って転がり、屋根から落ち、砕けた音だけ響かせた。
その反応でもって目の前の少年が腰を据えて相手をせねばならない相手と認識したアハディオは、直立の姿勢を崩して構える。
「ふむ、お主の方が強いから手下ではござらんか?」
「いやーショックっすわー。敬愛するギュービ団長がまさか自前の魔導具でやられてるなんてー」
棒読みの弔辞の後、マギもまた腰を落とし、薄ら笑いを止めた。
彼の目的はあくまでライチを連れ去ることであり、出来るだけ早く首都を脱したかった。
速やかな動きを阻害されるのは、率直に不都合であった。
「ったくここに来て『朧兵馬』ねぇ……ツイてねぇわ俺」
街の避難は概ね完了しており、人目は全くない。
新たに開戦した対決の結末は、ローブの少女と、彼らを密かに追跡していた白毛の雲鼠のみが知ることとなる。
――ぶつかり合う闘志の上空を南から北へ。
一閃の赤い流星が通り越していった。
◇◇◇◇◇
――同じ頃。
舞台は首都を出て北の方角、山岳地帯を背負った群青の森に溶け込む遺跡である。
小高い位置に建つ白い石柱に支えられた神殿は一切の手入れを放棄され、苔が蒸し、蔦に覆われている。
神殿に続く階段の下には祭事のための広場があり、石板の床には、掠れかかったいくつもの紋様が描かれていた。
その広場に踏み入った甲冑の一団の中、切り揃えた銀髪のローブ姿――ブラン・シルヴァは振り返って首都の上空に不安な視線を送る。
「ユータ殿、ネピテル殿……」
彼はその褐色の手でローブの胸元を苦しそうに掴む。
幾度となく振り返った首都に見えた光景――揺らめく火の手、黒龍の暴虐、きっとそこにある悲鳴と悲哀――その全てが自分のせいで引き起こされたと知っているから、こうして逃げ隠れるしかない自分への憤りは溜まっていく一方であった。
「龍に……それにあの黒い巨人は、サマーニャ、殿?」
きっと暴風の巨人は、彼女が本気で街を守ろうとして呼び出したのだろう。
ブランは俯いて、鏡遠影を連れ帰った夜、好奇心旺盛な大きな目の少女に問うた言葉を思い出す。
――サマーニャ殿は、この街が好き、なのだな?
屈託のない笑顔で即答した彼女は、本当に首都が好きなのだろうと感じた。
そして強大な天使の力を持つ少女が笑っていられるこの街を、とても羨ましく思ったのを覚えている。
その首都が自分のせいで危険に晒されていることは、我慢ならない。
「ぐ、アシャラ殿……その、何度も聞いてすまぬが、街で煙が上がっておる、やはり余も……」
サマーニャと同様の力を持った天使であるブランには避難が命じられ、急ごしらえではあるが強力な護衛がついた。
逢王兵の精鋭『キャス隊』と、プードル顔の魔導具ギルドマスター、アシャラ老である。
茶色の巻き毛をよじった老人は、繰り返される若い主張を諭すように、やんわりと否定をする。
「何度でも言うが冷静さを失ってはならぬぞ、ブラン君。今、自分の力も御しきれないお主が街に帰っても、被害が拡大するだけじゃ」
言葉の通り、ブランが持つ天使の力は暴走を伴い、使えば無差別に周囲を叩き潰す樹の化け物をも呼び出してしまう。
そのことは昨晩に力を発現させたブラン本人が一番理解しており、それ故に心は罪悪感と我慢の狭間を揺れ動いていた。
アシャラは青年の葛藤を見抜いているからこそ、穏やかに落ち着かせていく。
「なに心配ご無用じゃよ、首都は強い。明日には全て片付いておるさ。今、お主が取ることができる最善策、それはここで身を隠すこと、ここは理解できておろう?」
ブランは俯いて頷く。
頭では理解している。
だからこそ胸が痛むのであった。
アシャラは優しい青年に微笑んで、日の高い内に零時街のイズナから共有された彼の出自へと話題を移した。
「お主は、エルタルナの王子であったな。そうして心を痛めることができるのであれば、王の素質は十分にあるじゃろう。じゃが、だからこそ学ばねばならんよ、何もできない時に何ができるかを」
「何ができるか……?」
頷いた老人は、今後も続くだろう若者の葛藤に一つの答えを示してやる。
「良いかの? 人は万能ではない。
助けを求める声があったとして、その声に応えられないことはままあることじゃ。
今のように助けに行かないことが最適解である時などな。
じゃが、このような時でも、人にはできることがある」
「それは」
前のめりに見つめてくる青年に対し、老人は茶色毛の両手を胸の前で結んだ。
「祈ることじゃ」
「祈り……」
「離れていようと、助けに向かえなくとも、心は共にあると強く想うこと。それは誰にでもできる。
肝心であるのは、祈ることしかできないのではなく、どんな状況に陥ろうと、祈ることができるということじゃ。
そうして弱き者でも希望を紡ぐことができる、それが人の強さじゃ。
そしてこの強さを持つ人が多く住まう国……それを築き上げることが王の務めではないかの?」
人は古来より、力の及ばない全ての事象に対し祈りを捧げてきた。
嵐に、地震に、干ばつに、寒波に、戦争に、神に……何度も何度も祈りを捧げる。
仮に祈りを禁じられたなら、人類の心はぽっきりと折れ、呆気なく絶滅しているだろう。
それがアシャラの持論である。
「アシャラ、殿……」
青年は胸を掴む手を放し、震える両の手を合わせる。
そして祈った。
異世界の少年が無事でありますように、黒髪の少女の憎まれ口がまた聞けますように――赤毛の、ポニーテールの、眼鏡の、軍服の、青パジャマの、鷲鼻の、バンダナの、糸目の――あの素晴らしい街の皆が救われますように。
一心不乱に念じる青年に微笑んで、アシャラは意識を周囲に向けていく。
「さ、祈っていてくだされ。ワシらはここいらの警戒に集中しますでな」
そう言って老人は、各方位の逢王兵に指示を送る大柄な鎧の男に目配せをする。
「頼りにしておりますぞ、キャス殿。キャス隊は逢王兵の中でも要人警護に優れると聞き及んでおりますでな」
岩のような鎧を着こんだ男は、角ばった顔で頼もしく鼻を鳴らし、太い両腕に備えた手甲剣を掲げた。
「ふん、我らはただ王命に従うだけだ。守れと命じられたなら、どこぞの王族だろうとプードル族だろうと守り切って見せよう」
「それは頼もしい。大船に乗ったつもりでいさせてもらいますぞ」
逢王兵はギルド同様、十二の部隊が存在する。
十二宮の蟹座の紋章を鎧に刻まれたキャス隊は、堅牢な守りを得意とする部隊である。
隊長の『キャス・シェルビー』は厳しく実直、任務に誇りを持つ男だ。
しかしその誇り故、時折逢王兵の活躍を食らうこともあるギルドの面々には対抗心を燃やしているとの噂もある。
だからこそ、彼がブランの警護につくと知ったギルドマスターたちは、摩擦なく連携を取れるよう温和なアシャラに同行を任せたのであった。
「さて、周囲の粒子について異常があれば、ワシの助手が嗅ぎつけるが……まあ何事もないと良いのじゃがな」
「同感だ。だが、未だ首都から賊鎮圧の報せがない。気は抜くなご老人」
ぶっきら棒な言い方は、任務に集中している証拠であった。
アシャラも「ほいほい」と軽く返すが、周囲への警戒は一秒たりとも怠っていなかった。
しかし二人とも、警戒態勢が万全ではないことは理解していた。
先刻まで首都の上空に居座っていた黒龍は、瞬く間に現れ、街を襲い始めた。
上空は兵を配置できない国家の死角――敵方に黒龍の他に空から襲い来る方法があったなら?
疑問への回答がないから、二人は絶えず曇天にへの意識を切らさずにいた。
それが功を奏したと捉えるべきか、不安が的中したと嘆くべきか、とにかく襲撃は――空からであった。
屈強な鎧の男が声を張り上げた。
「上空へ注目!」
どよめきは最小限に、訓練された陣形を崩さずに上を向く逢王兵たち。
彼らが待ち構えるのは、流星を想起させる赤い光である。
ブランもまた祈りの手を解き、空に視線を向ける。
そして記憶の中、彼の『間違いだらけの物語』の中に登場するとある鋭い眼光が脳裏を過った。
「……あれは」
野心に満ちた燃えるような紅眼には、生まれてこの方見下されてばかりであった。
震え始めた細身の身体が、太腕に抱えられる。
「散開せよ!」
それは鋭い指令が響いた直後であった。
流星、来たる――赤光が森に囲まれた遺跡を激しく照らした。
衝撃波で石床が剥がれ、木々がへし折れる。
キャス隊長に抱えられたブランも、構えを取っていた逢王兵の面々も、巻き毛の老人も、全員が吹き飛ばされ、広場に形成されたのは円形の窪みであった。
その中心で、燃えるような真紅の髪が揺らめいた。
激しい熱の中にあって煤けない高貴な白のジャケットと、溶けない白雪のような肌。
紅の眼が開いて、すぐに神殿の入口で屈強な兵に庇われているブランを見つけた。
「愚か者が、手間取らせおって」
高圧的な言葉を向けられて、銀髪の青年の口は戦慄きながら、はっきりと呟いた。
「……兄者、何故、ここに」





