5-27 くもり、のち、あられ、のち、たつまき、のち、やり、のち、とら、のち
天上には黒い雲海、地上には瓦礫と悲鳴。
その狭間で、天空の支配者を決める戦いが始まる。
見届け人は、空を見上げるカージョナ住民の全員と、風の衣で戦いの舞台に同席が許された学ランの少年である。
挑戦者である青パジャマの少女が前に出て、火蓋は切って落とされた。
「ではでは、遠慮なくなのにゃ!」
元気いっぱいな宣戦布告の後、風の天使であるサマーニャが続けて奏でたのは――風の集歌。
そして集歌は、彼女がいつも口ずさむ「たゆたえ」の四文字だけではなかった。
「たゆたう風さんたち、ふるでら走って夜な夜な猛って――これくらいにゃ!」
ワンフレーズ、ツーフレーズ、それほどの長さではなく、厳かでもなく、砕けた雰囲気の詠唱の後、悠太は驚きの余り目を見開く。
――視界が、空色に埋め尽くされた。
今か今かと主の命令を待つ粒子のざわめき、その躍動は龍顔すらも感心させる。
「――ほお」
天空に座す黒龍は、面白そうに細めた眼をカッと開き、周辺の青い粒子に号令をかける。
動員される粒子の量は、サマーニャのそれとそう変わらない。
青はそれぞれが氷塊に固まっていくが、形状は先程まで街に落としていた武骨な隕石とは異なる。
現れたのは数十本の螺旋の槍――切っ先は全てがサマーニャに向いている。
それらがキリのように回転しながら撃ち出されるのと、少女が略令歌を唱えるのは同時であった。
「コールにゃ! 『エリアルバレット』!」
一面の粒子が、逢王宮の頂上ドームを優に超える球体となって渦巻いた。
風の初級魔法、風の弾丸は、風の砲弾となり一直線に黒龍を目指す。
迎え撃つ氷の槍がエリアルバレットの暴風域に突入し、何本も風に煽られて砕け散った。
しかし、数本は回転で上手く風を切り裂き、風弾を突破してサマーニャに迫る。
「げっ、にゃ」
普通に打つ手なしの反応をする少女を庇うように、少年が前に出て両手を迫り来る槍先にかざした。
「任せろ!」
どれだけ強大であろうと、物理攻撃が相手であれば少年は無敵の盾を構えることができる。
ステータス・オープンと強く念じることで現れる光の板は、虚空に浮かんだ位置から移動することなく、破壊もされない仕様である。
槍が次々に画面に弾かれ落下していく一方で、風の砲弾は黒龍に達した。
頭、胴、尾へと順に着弾した攻撃は、巨躯を確かに後退させたものの、その黒い鱗、ざわめく鬣、立派な双角には傷一つ付けることができなかった。
「どうした、遠慮なく来るんじゃねぇのか」
ギロリと睨みつける視線には身が竦むには十分すぎる殺気が込められている。
悠太は及び腰になりながらもサマーニャを背に睨み返す。
少女が怖がらないようにとの配慮である。
しかし、背後から聞こえた呟きには、怯えの「お」の字も感じられなかった。
「今のでお家十個と十個と十個くらいにゃ?」
ついでにまるで意味もわからなかった。
理解は諦め、悠太は自分が唯一役に立てそうな提案をするため、肩越しに振り返る。
「サマーニャ、防御は俺に任せて、君は……」
そして――ぞくりと――仲間に対して覚えるべきではない感覚、恐怖を感じた。
「大体わかったにゃ」
おかしな語尾はそのまま、しかし声色は異様に落ち着いている。
風を纏う少女のナイトキャップがいずこへと飛んで行った。
暴れる青い長髪とパジャマ、焦点を虚空に置いた大きな瞳、浮遊してバラバラとページをめくる魔導書。
「――揺蕩う風よ」
そして砕けた口調ではない集歌は、ワンフレーズ目から先程の比ではない量の粒子を渦巻かせる。
「はっ、今度こそ満足させてくれるんだろうな」
怖気づく気配のない黒龍は楕円を描くように翻ってうねり、体勢に溜めを作る。
それは明らかに、巨躯を最大限に活かした突進の構えであった。
「古寺奔りて夜な夜な猛り、燈篭返し気楽な猛り――行くにゃ」
三フレーズ目、魔導書が紋章めいた魔導陣のページを開く。
「コール! 『アリーゼタイガー』!」
渦巻く風が、縞模様の毛並みのようであった。
空色に輝く虎は、龍同様に街の外れからはっきりと細部まで見ることができる巨大さだ。
夜空に躍り出たその獣が、虚空を蹴って黒龍へと飛びかかった。
「面白ぇ!」
同時、黒龍はバネのように溜めた力を解放し、二人をひと呑みにする突進を繰り出す。
猛進に合わせて、巨躯が青い粒子を纏った。
それは元が人間であるが故の知恵――氷細工の大狼をモチーフにした技に違いなかった。
頭部に一角を、両腕の鋭爪を一回り太い剛爪に、全身に氷の鎧を装着した黒龍は、質量任せに迫り来る。
そして、龍虎激突。
激しい衝撃の中。
風の爪が氷の鎧を貫いて、鉄壁の黒鱗に防がれる。
風の牙が氷の兜を噛み砕いて、うねる鬣に妨げられる。
黒龍の身体は、この程度でダメージを負うことはなかった。
しかし、突進を正面から止められた事実は遺恨を残す。
――黒龍が我が身に喰らいついた風細工の虎に憤った視線を送った。
「雑魚が……!」
「猫にゃ」
虎だよ。
少年の素直な感想は、攻防の規模に圧倒されて声にならない。
だというのに、黒龍対天使の規模は、少女の不敵な笑みにより更に大きくなる。
「そんで猫は、悪戯好きなのにゃ」
その一言をトリガーに、蛇胴に喰らいついた風の虎が一層激しく輝いた。
次の瞬間、苛立たし気な黒龍諸共、虎が空色の爆発を引き起こした。
「悪戯じゃなくね!?」
範疇を越えていると思った。
悠太は顔を覆い、全身を打つような衝撃と鼓膜が破けそうな轟音をやり過ごすと、何とか目を開け、事の次第を視界に捉えようとした。
文字通りの爆風を間近で受けた黒龍は、宙で大きくノックバックし、首都の領空から東に弾き出されていた。
身体は未だに無傷であるものの、その表情には憤りの他に、確かな驚きが伺えた。
「……ちっ」
黒龍は舌打ちで眼下を確認する。
首都の東側には、船を要する川幅の大河が流れている。
激流の上空で、黒龍は頭を振り、天使を睨みつけた。
「てめぇは……」
追いかけるように飛行してきた青い少女は、シリアスな口調のままコミカルに語る。
「今のがあれにゃ、サラ姐がいつも言ってる『表に出ろ』ってやつにゃ」
それは今のが最大威力のそれではないとの宣言であり――龍顔に対する最後通告でもあった。
「……なるほど、天使ってのは、これほどか」
龍顔が思い出したのは、今の自分の姿の由来でもある幼き頃に見た龍であった。
根源的な力の違い。
そして彼は痛いほどに思い知ることとなる。
紛い物の強者が、真の強者に楯突いた愚かさを。
「――面白ぇじゃねぇか!」
愚か者にも愚か者なりの矜持がある。
自分より強い者にだって、手を伸ばしたことがある。
それを握り潰せた時の快感は、また得も言われぬものがあった。
黒龍は上体を逸らし、胸を大きく膨らませる。
放つべき全力は、吹雪を圧縮させた絶対零度の熱線である。
そしてそれは、放つことを許されなかった。
「――揺蕩う風よ」
先程より更に神妙な、祈るような声。
「――古寺奔りて夜な夜な猛り、燈篭返し気楽な猛り」
集歌が進む中、黒龍は思うように粒子を集められない違和感に気づいた。
「――窮する童の目論見の、侮り蔑み撥ねつけ固まり」
そして影響は、これから集める粒子だけに留まらなかった。
ずるりと――龍の尾が、胴が支えを奪われたように浮力を失う。
黒龍の巨躯は、風の衣同様に全身に風を纏うことで浮遊していた。
それに費やしていた粒子が……なんと彼に従うのを止め、天使の下へと引き寄せられているのだ。
「――野風流れて童は三衣、天狗の長屋は大慌て」
底無し沼にはまったが如く、高度を落としていく黒い巨躯は、雄たけびを上げながらもがき……やがて大河へと墜落する。
ザパンと大飛沫を上げ、一帯に大雨が降り注ぐ。
「馬鹿な、これが……」
巨体は水を身震いして飛ばし、鎌首を上げる蛇のように上空を見上げた。
「終の立木と頭垂れ、窮して乞いて詫びの歌」
曇天はサマーニャを中心に、見渡す範囲の全てが空色の輝きに埋め尽くされていた。
街の上空も、大河の上空も、平原も、森も、遠い山にまで、輝きは続いていた。
「――慈悲は三衣に言寄せて」
完全詠唱を終えたサマーニャは、魔導書を風にめくらせ、本当は一番嫌いなそのページを開く。
それはかつて、戦場で使わされた魔法。
三十万の兵を一瞬で蹴散らす魔法。
あまりに簡単に、全て終わらせることができる魔法。
「コール」
――『サイクロン・ドール』
略令歌を唱えた瞬間、曇天の下を覆いつくしていた空色の光が、一斉に黒雲の上へと消えた。
再び戻ったのは、曇りの闇と静寂。
束の間の静寂は、地鳴りのような大気のうねりが打ち破った。
次いで、黒雲に穴が空いた。
しかしその上に星空はない。
穴の上にはひたすら黒い大気のうねりが続いているのみであった。
地鳴りのような風音は、オーケストラのような風鳴りへと変化し、不気味に響き渡った。
――そして、彼が現れる。
雲の大穴の淵に、彼は黒い竜巻の指をかけて顔を覗かせた。
緩慢な動きで、大穴をこちら側に抜けようとする彼を、全ての存在はただ見上げることしかできなかった。
逆さに大穴から上半身を吊り下ろしたのは、頭も胴も両腕も、全てが黒い竜巻で構成された巨人である。
逆さ吊りの黒い巨人は、暴風の両腕をゆっくりと、地に這う哀れな黒龍へと伸ばした。
黒龍の身体は、逢王宮を丸ごと締め上げられるほどの巨躯である。
それはそれとして、黒龍は、巨影に覆われた。
「……クソが」
言い残した言葉は風鳴りに切り刻まれ、黒龍は、暴風の両掌に丸ごと握り込まれた。
吹き荒ぶ風がうるさくて、悲鳴は聞こえない。
吹き荒ぶ風が激しくて、握り潰されたそれがどうなっているかがわからない。
ひたすらに荒れ狂い、渦巻き、圧倒する黒、黒、黒の乱気流。
何人たりとも、その絶望的な光景に割って入ることはできない。
やがて、暴風の巨人は勝利の雄たけびを上げる。
そして変わることのない緩慢な動きで、巻き上げた大河で大雨を降らせながら曇天へと帰っていった。
――ずぶ濡れの額を拭い、悠太は唖然とした視線を下に向ける。
濁りに濁った激流には、鱗も剥がれ、角も折れ、全身をズタズタにされた黒龍が横たわっている。
口元あたりの流れがガフゴフと飛沫を立てているあたり、一命は取り止めているようだ。
それはそれで凄まじい生命力である。
「……これが、天使」
終始驚くばかりであった悠太は、この惨状を引き起こした少女を見やる。
しかし、無言で黒龍を見下ろすサマーニャの手は、震えていた。
「サマーニャ……」
彼女が街中で本気を出せなかった理由に合点がいった。
同時に、自らを犠牲にしてもこの力を堪えていた少女の強さ優しさに微笑むと、少年は小さな手へと手を伸ばし、強く握ってやる。
するとハッとした様子のサマーニャが、いつもの好奇心旺盛そうな大きな瞳で悠太を見上げる。
「……やりすぎにゃ?」
「先にやりすぎたのはあっちだからな、おあいこだろ?」
笑顔で返してやると、少女はどこか安心したように手の震えを止めたのであった。
そして、悠太の身体が、ガクンと落ちる。
「うにゃ……ミー、眠くなって、きたにゃ」
眠そうに瞼を擦る少女の身体も落ちる。
風の衣が、ない。
「おい待てここで寝んな! しかもちょ、魔法解除すんな落ちるって!」
結局糸が切れたように眠り込んだサマーニャを抱え、悠太は画面を足場に大河の畔まで辿り着いた。
その途中、激流にもまれる緑の粒子が霧散していくのが見え、黒龍の巨体が消えたのを確認した。
「……龍顔……」
こと切れて身体が崩壊したのか、それとも魔物化の解除すら自在に行えるのか。
事の詳細まで確かめる余裕は、今の悠太になかった。
たった今目にした絶大な力。
それに目覚めたというライチを連れ去った連中は、街の北へと向かっていた。
東側まで来てしまったことでその距離は開いてしまっている。
地上に降りた悠太はサマーニャを背負い、街へと駆け出すのであった。
より黒くなった曇天を見上げると、街の南から北へ、赤く燃える流星のような何かが、空を横切った。
「くそ……ライチ、頼む無事でいてくれよ……!」
お読みいただきありがとうございました!
黄龍四師団幹部戦最後の一人戦でした!
一応龍顔もかなりの実力者という位置付けで、それを一蹴する天使の価値を描けていれば幸いです!
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とっても励みになります!
今後ともよろしくお願い申し上げます!





